軟弱者はきらい。人に頼るひともきらい。 
							  自分の事すら自分で出来ないなんて格好わるい。 
							  「自分は弱いから」なんて言い訳したら負けだって誰からか聞いた。 
							  私は敗者にはなりたくない。 
							  だから自分の事は自分でするし、誰にも頼らない。 
							  誰の迷惑にもかからない。言い訳しないし負けもしない。 
							  私は強く生きるの。 
							  誰にも邪魔されない。 
							  私の道は私のもの。 
							  私は私で生きていく。 
							   
							   
							  「何度言えばわかるのだ!」 
							  光の守護聖の執務室からおなじみの声が聞こえはじめると、廊下を歩くものは極端に減る。 
							  こういう声がする時は、散歩に行くのも書類を取りに行くのも後回しにして、部屋にこもっているのが賢明だ。それは誰しもが面倒に関わりたくないから。怒ったジュリアスの厄介さは皆知っている。 
							  あれには関わりあいにならないのが得策であり、唯一の回避法なのだ。 
							  だか、中にはそうもいかない者もいた。 
							  炎の守護聖、オスカーである。 
							   
							  「そなたの態度は常識を逸している!!」 
							  ジュリアス様の声だ。それも、すごく怒ってらっしゃる時の。 
							  オスカーは首を竦めた。引き返そうと来た道をふりかえったが、そうもいかない。 
							  「だいたいそなたは礼儀と言うものを知らんのか!」 
							  廊下からでも聞こえるジュリアスの怒声。 
							  オスカーの足取りは重くなった。 
							  手に持った書類にはジュリアスの判がいる。冷や汗が、額から流れた。 
							  アイスブルーの瞳はそれの提出期限を確認すると、無慈悲にも今日の日付けが綴られている。 
							  気まずそうに首の後を掻くと、オスカーはいまいましそうにひとりごちた。 
							   
							  「‥‥ゼフェルのやつ、今度は何やったんだ‥‥」 
							   
							  自分はジュリアスの事をよく知っているつもりだ。嫌と言う程。 
							  『入りにくい雰囲気だったので書類をお届けするのが遅れました』と言えば『時間も守れないか』と叱咤される。かと言って 
							  今ドアを開ければ『場の雰囲気も読めぬのか』と叱咤される。 
							  二者択一の意味がない。どちらにしろバッドエンドなのだ。 
							  特にこういう怒り方をしている時は一番ひどい。 
							  なりふり構わず叫んぶなんて、そうしない方が、これだけ喚くとなるとそうとう頭に来ている。このまえゼフェルが陛下の御話の最中、立ちながら居眠をした時と同じ怒り方である。 
							  こうなってしまうとジュリアスは理論もなにもあったもんじゃない。怒りにまかせて思い付く言葉を並べて怒鳴りまくるだけだ。 
							  もちろん、それが論点から540度回転していようが(一回転半の計算)、ずれていようが、気に入らない事を片っ端から怒る。 
							  オスカーは知っている。ジュリアスは怒ると貴族のボンボンに還ってしまう事を。 
							  そう、あの時も提出書類に追われてオスカーはドアを開けた。 
							  運が悪かった。丁度ジュリアスが一番大きい声を出そうと深く息を吸い込んだ時だったから執務室はいつも通り静かで平穏だと思ったのだ。いつもの様に『ジュリアス様お暇ですか』なんて笑顔で言いながらドアを開けてしまった。 
							  オスカーはドアノブに手を掛けたまま固まってしまった。そして同時に、正面に座っているジュリアスと目が合った。 
							  何かが違うと悟った時にはもう手後れだった。ゼフェルを交えながら、そのままの姿勢で始まったお説教‥‥。 
							  その後の事は、恐ろしくてよく覚えていないが。 
							  「まったくそなたはいつも‥‥!!」 
							  今も尚続く声。 
							  (だから俺は宮殿でローラーブレードはやめろと言ったのだ) 
							  が、そんな事を思ってももうどうしようもない。 
							  溜息をついた。本当に、どうしようもないのだから。 
							  ジュリアスは怒っているが書類を渡さねばならない。 
							  時間を守れない奴と言われるのは騎士として許せないものがある。だったらまだ場の雰囲気を理解しない奴の方がいい。 
							  いや、全然良くないが、職務怠慢と思われるよりましだろう。 
							  ‥‥‥だが、そんなにきっぱり割り切れる程自分は出来た人間ではない。 
							  (クソ!あとで覚えてろよ) 
							  ゼフェルに復讐を誓って、地獄のドアに手をけた。 
							  がちゃりと音がして、ジュリアスの声が一層鮮明に聞こえる。 
							  (あまり怒られません様に!) 
							  そんな事を祈りながら、オスカーは顔をあげた。 
							  すると、予想外のシーンが目の前に広がった。 
							   
							  「そなたは人の話を聞いているのか!」 
							  「‥‥‥‥‥‥‥‥」 
							  「何か申してみよ!」 
							  「‥‥‥‥‥‥‥‥」 
							   
							  くせのない髪。細くて頼り無い足元。白くて柔かそうな肌。華奢な手首。 
							   
							  後ろ姿でもはっきり解る。 
							  怒られているのはゼフェルではなく、アンジェリークだったのだ。 
							   
							  呆然としたオスカーは、背中のドアのしまった音で我に還った。 
							  ジュリアスがじっとこっちを見ている。アンジェもドアの音でこちらを振り返った。異様に冷たい空気がオスカーの汗をますます冷やす。まるで男女の修羅場に割り込んだ第三者のような違和感。 
							  疎外感というのかなんというのか、全力で場違いムードが漂っている。 
							  まばたきをしないジュリアスからは、一種闘気のようなオーラを発せられている。 
							  愛想笑いもできる雰囲気じゃない。 
							  ごくりと唾を飲んで、いっそのこと事務モードに切り替えた。 
							  そう、今自分は『場の雰囲気の解らない奴』になっているのだ。このままこの異様な緊迫感に気付かずに仕事をしている鈍感な炎の守護聖で通すしかない。 
							  「しょ‥‥、‥‥書類に目を通して下さい。今日の夕方が期限です」 
							  「‥‥そうか。わかった」 
							  いつになくドスの効いた声に、オスカーは息を飲む。これはあの時のゼフェル以上だ。びりびりと神経を尖らせている様子は野性の獣のよう。いつでも相手の喉笛にくらいつく気迫。 
							  それは何を意味しているのか。 
							  つまりアンジェリークがゼフェル以上の狼藉をしたという事だ。 
							  いやいや、それ以前に、増々オスカーは一刻も早くこの執務室を出なくてはならないという事。 
							  (あれ以上のトバッチリは御免だぜ) 
							  一歩、後退すると、蒼のマントがばさりと揺れた。さっさと帰ろう。俺は今鈍感な炎の守護聖で仕事に忙しいのだ。そう言う設定なのだ。 
							  「失礼しました」 
							  騎士らしく剣に手を当て礼をすると、大股に一歩足をすすめる。たのむからこのまま逃がしてくれと足早にドアへむかった。 
							   
							  アンジェリークという名前の少女と、擦れ違う。 
							  海色の瞳が、頼り無気にこちらをのぞいている。 
							   
							  (‥‥すまないな、お嬢ちゃん) 
							  助け舟のひとつでも出してやりたい所だがそうもいかない。こればっかりは自分の身が可愛い。ドアを開けようとして、もう一度短い礼をした。これを開けて自室に駆け込めばOKだ。 
							  はやる気持ちを静めて、平静を装い、呼吸を整える。 
							  がちゃり、と音がして、ちょっとまてオスカー、という声がした。 
							  (‥‥‥‥嫌だぜ俺は) 
							  心の中でそんな事を呟いたって、駄目な事は分っている。ここまで来て、逃げ切れなかった。ゆっくりと、いつもの尊敬するジュリアスとは違う誰かをふりかえった。すると、三白眼になるほど睨んでいる彼がいた。 
							  (‥‥‥‥理不尽だ) 
							  自分は、ただ届けものをしただけ。でもそんな事を言ったって「しょうがない」のだ。しょうがない。これは運命なのだ。生まれてきた時から定められた、どうしようもなく避けられない事なのだ。 
							  「なんでしょうか‥‥ジュリアス様」 
							  でも、できるだけ、とぼけた炎の守護聖を演じる。 
							  「わかっているだろう」 
							  こっちを睨んだ金の獅子は、完全に獲物を狩る姿勢に入っている。ごまかしは効かないらしい。オスカーは、また額の当たりに冷たいものが流れるのを感じた。 
							  「何故この部屋にずかずかと入り込んできた。見れば解るだろう、この通り私はアンジェリークと話をしていた最中なのだ」 
							  あれが「話している」と表現できるのならそうかもしれないな、とオスカーは思った。 
							  そんな皮肉を飲み込んで、ここは誠実に、解答する。 
							  「‥‥確かにそのようでしたがこれは仕事の、‥‥それも重大なプロジェクトの書類です」 
							  「そのようなものは後で渡せば良いだろう」 
							  いつものジュリアスはこんなことを決して言う人ではない。むしろ仕事命なのだ。 
							  「なんだ、そなたは仕事の為なら相手の私的な場にも踏み込むというのだな!?」 
							  「違います、俺は」 
							  「何が違うと言うのだ!言い訳は聞きたくない!」 
							  「‥‥‥‥‥‥」 
							  何故と問うたのに、答えれば「言い訳」になる。面喰らった顔になるオスカーは呆れてものが言えなくなった。 
							  こんなのは発言するなと言って良るのに等しいではないか。 
							  俯いて、感情を殺す。そう。彼はいつもの彼ではないのだ。大人にならなくてはいけないのは自分で、今は反省するふりでもしていればいい。 
							  「オスカー!」 
							  呼ばれて、顔をあげる。視界の先には、机に付いたままの格好のジュリアスが、こちらに書類を差し出していた。 
							  「?」 
							  「こんなものに目を通す気分になれない。提出一時間前になったらもう一度、持ってくるがいい」 
							  「な‥‥」 
							  「取ったら下がれ」 
							  「‥‥‥‥‥‥っ」 
							  オスカーはぎゅっと拳を握った。 
							  これはジュリアスではないのだ。そう、別人の誰か。 
							  子供のような人だ。それは知っている。 
							   
							  (だが俺には何も言えない) 
							  オスカーは静まり返った空気に溜息を響かせた。そして、半ば諦めた表情で、もう一度アンジェリークの前を通り過ぎる。 
							  (情けないところを見せちまったな) 
							  こんな小さな少女に、汚い所は見せたくなかった。ひょっとしたら泣いているかもしれないと思ったが、ジュリアスがこちらを見ているから、オスカーは様子を伺う事もできなかった。 
							  かつかつと踵を響かせて、ジュリアスから書類を受け取る。 
							  「‥‥失礼しました」 
							  もう一度言った。 
							  「‥‥‥‥」 
							  ジュリアスはもう無反応だった。 
							  完全に怒りに身を染めてしまった彼を痛々しく思って、踵をかえす。 
							  そして今度こそ扉に向かう。 
							  アンジェリークを通り過ぎて、ドアノブの前で溜息を付いて、ドアノブを握る。 
							  がちゃりと音がして、まってください、と声がした。 
							  (え? ) 
							  今の声は。 
							   
							  アンジェリーク? 
							   
							  「待って下さいオスカー様。私、納得いきません!もう全然むかつく!なんなの!?」 
							  「へ‥‥?」 
							  あまりの事にオスカーは素頓狂な声をあげた。ふり帰った先には、眉をつりあげて、顔をまっかにしたアンジェリークがたっていた。 
							  それも、ジュリアス以上の闘気をまとって。 
							  (な、‥‥何?) 
							  「あなたが謝る事なんて何一つないんだから!コイツが悪いのよコイツが!!」 
							  こともあろうに、あのジュリアス様を指差した。 
							  「ちょ、お嬢‥‥‥‥」 
							  「このうすら馬鹿!何が『ジュリアス様』よ!いい気なもんだわっ!このお山の大将!」 
							  「ま、待‥‥っ、お嬢」 
							  「こんなんに従ってるなんて守護聖様は可哀相だわ!こんな豆ほどの脳味噌がボスじゃね!せいぜい自分が宇宙の創造主で神にでもなった気分でいればいいんだわ!このっ‥‥!」 
							  アンジェリークが大きく息を吸ったのが分って、オスカーは、時が止まった様に凍りついた。ジュリアスがスローモーションで目を見開く。オスカーにはその次に発せられる言葉がまともであることを祈るしかなかった。 
							   
							  「ジュリアスの金髪ハゲ!!!!」 
							  「アンジェリークーーーーーーーーー!!」 
							  これが、オスカーとアンジェリークとの出会いだった。
 
							   
							   
							  							  							  							  							  							  							
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