Shangri-La | angelique
  
 
Angelique
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 SPY
 笑顔のゆくえ
 LOLLI-POP CANDY

 
 剣とお嬢さん
 ワインとお嬢さん
 目覚めの君
 つぼみ
 先生
 いつの日か君のとなりに
 羽化
 嘘とお嬢さん
Illustrator
 
Attraction
 カトチャでGO!
 御覧あれ!


羽化



花霞のなかに、彼女はぺたりと座り込んでいる。
細い指先を器用に動かして、何かを作っているようだ。
少し離れたところから、オスカーは少女を眺めた。
白い肌に儚げな微笑みを浮かべ、静かに佇んでいるような少女。こんな花のあふれる草原に一人にしておいたら、どこか遠くの国の秘密の入り口をそっと開けて、姿を消してしまいそうだ。
思わず、声をかけた。
「お嬢ちゃん」
アンジェリークが、にこりと微笑んで顔をあげた。
立ち上がって、こちらへ歩いてくる。細い足、細い腰、細い肩。
「オスカーさま、手をかしてください」
長い睫をゆっくりと瞬かせて、アンジェリークはオスカーを見上げる。
小さな指先が、そっとオスカーの手に触れた。柄にもなく、オスカーの心臓が熱くなる。少女はそんなことには構わず、オスカーの骨張った長い指をとって、その手にあったものを指へ通していく。
湿ったようなつめたい感触がして、見ると、中指に花で作った指輪がはめられていた。細い茎を器用に裂いて、そのなかに花弁をくぐらせた指輪。
薄い花弁が、やわらかな光に輝いていた。
驚いて少女を見る。アンジェリークはまた、小首をかしげるようにして笑うと、ぴったり、と言った。
そうして、ふと視線を草原へ向ける。

初めて出会ったときから感じていた。
彼女は時折、ここではないどこかを見つめている。
本当はもっと別な場所にいて、彼女の影だけがここに映っているかのような。
こうして、妖精のような少女から、花の指輪を受け取ることができた幸運な男は、本当はもっと別な場所にいるのではないだろうか。
淡い青の瞳が、遥かな場所に向けられている。
「お嬢ちゃん」
華奢な肩に手をまわして呼ぶと、アンジェリークはそっと振りむいて微笑んだ。
儚い。
君は本当にここにいるのか?
俺を見ているか?
まわした腕に力を込めて引き寄せる。
いつもゆっくりと瞬いている瞳が、おどろきで少し見開かれた。
もう一方の手を少女の頬にすばやく添えて、盗むようにして唇を奪った。
オスカーの唇に、少女の唇が触れる。やわらかな、ちいさな唇。
唇から伝わってくる甘い痺れに、きつく目を閉じる。
いつまでもこうしていたい、という突き上げるような欲望がオスカーを支配する。
が、そっと、離れた。一瞬でもながく唇が触れているように、彼女を感じていられるように、ゆっくりと、なごり惜しんで唇を離す。
恐がらせてしまったら、本当に消えてしまう気がしたから。
少女は驚いたままの表情で、オスカーを見あげている。頬に添えた手には、少女の与えてくれた小さな花の指輪がゆれている。
「…、すまない」
オスカーはアンジェリークの頬にその頬を寄せて、ぎゅっと抱きしめた。
「君が本当にここにいるのか…確かめたかったんだ」
消えちまいそうだったから、と呟く。自分の耳に届いた己の声が、掠れ、こんなに弱々しい事に不甲斐なさを覚える。
少女は黙ったまま、されるままになっていた。
彼女がここにいない訳がない。
だが、 彼女の浮かべるやさしげな、それでいてどこか憂いを帯びた笑みを見ると、訳の分からない焦燥に駆られる。不安でたまらなくなる。
本当に、ここにいるのだろうか?
ちいさな、暖かな体がオスカーの両腕に閉じ込められている。
オスカーの耳に、彼女の癖のない髪が触る感触がする。やわらかなシャボンの香り。アンジェリークの呼吸が聞こえる。
オスカーは腕の中に少女を感じることができてようやく安堵した。
そっと息をつき、栗色の髪に指を絡める。合わせていた頬を離して、そこにかすめるように唇で触れる。
オスカーはただ、長い間そうして彼女を抱きしめていた。

「オスカー様…ちょっと、苦しいです」
そうアンジェリークが笑いを含んだ声で囁いてきたのは、それからどれほどたった頃だろう。
はっとして、少女を掻き抱いていた腕をゆるめた。
オスカーの胸と腕に挟まれていた少女は、ようやく緩められた腕のなかでふう、と息をつき、オスカーを見上げてくすくすと笑った。
少女の笑顔を見て、オスカーも思わず笑んだ。
彼女は妖精や、天使のような、そんな不確かなものじゃない。
君は君だ。ここに、俺の側にいる。
当たり前なことにようやく確信を持つことができて、オスカーはもう一度、少女を抱きしめた。


目を覚ますと、黒に近いワインレッドのカーテンの隙間から、目を刺すような痛烈な朝日が切り込んでいた。
ゆるゆると起き上がり、骨張った手の平で顔を覆った。
心臓の悲鳴。機械のようにただ動いている心臓が、夢から覚めた時だけ、生身の体を取り戻して訴えてくる。
早く動きを止めろ、と。
もう止めてしまえと。
緩慢に続く生を、止めてしまえと。
かつて少女から花の指輪が与えられた手は、痙攣するように震えている。
あの頃、少女の背中にはすでに羽があったのだ。
羽化したてのガラスのような華奢な羽が。
だから、あんなに遠くを見つめていたのだ。
そばにいたのに、抱きしめていたのに、いつもどこかに消えてしまいそうだったのは、彼女自身が、いつかここから消えてしまうことを知っていたからだ。
捕まえても、抱き留めても、幻影のように腕から掻き消える。
天に孵ってゆく少女を、地上に繋ぎ止めておくことは出来なかった。
それでもオスカーが生きているのは、彼女の夢を見たいからだ。
かつて感じることのできた少女のぬくもりを、腕に戻すために。
儚げに微笑んでいた少女を夢の中で抱きしめるために。
それだけの為に。
「…まだ、泣けるんだな」
他人事のように、そう呟いて、笑った。
やさしい花の指輪を包むように拳を握り、片手でそれを包む。
涙が、頬を伝って顎から落ちた。
目を閉じれば、花園で微笑んでいる少女が見える。


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