「まったく、けしからん!女王候補ともあろう者らが、何と言う不敬!!」 
							  光の守護聖はその眉間におそろしいほどの皺を刻み、声を荒らげた。高い天井に鋭く反響し、静まった。 
							  女王謁見に定めれられた時刻はすでに大幅に過ぎている。女王陛下を待たせるなど、彼には考えられない事態である。 
							  ジュリアスは怒り狂わんばかりだった。 
							  今日は定期審査と定められた日。女王候補たちは未だ姿を見せない。 
							  守護聖の首座をあずかる者として己の指導の至らなさを悔い、女王候補たちの失態を己の失態として悔い、憤っているジュリアスに、腹心のオスカーでさえ声をかけかねていた。 
							  謁見の控えの間に集まっている守護聖たちはそれぞれの思惑でこの事態を受け止めていた。ある者は無関心を決め込み、ある者はおもしろがって、ある者は狼狽え、眉を曇らせて黙っている。 
							  同室に控えているのは守護聖だけではなく、彼女たちを教え導く教官たちも己の指導の完全でないことにいたたまれない思いだった。 
							   
							  そのとき、控えの間の扉が勢いよく開け放たれた。 
							  「レイチェル!」 
							  女王候補がひとり、扉をあけはなったままの格好で、息をきらせて立ち尽くしていた。蜂蜜色の流れる髪が何時になく乱れており、浅黒い肌はどこか青ざめている。 
							  「今日というこの日に遅れるとは、どういうことだ!」 
							  ジュリアスが恫喝した。彼の怒りは稲妻にも似て、空気を激しく震わせて人を貫く。レイチェルは瞬間身をすくませたが、果敢にも、きっとジュリアスを睨み返した。その目には、涙があった。 
							  「それどころじゃないんです!ジュリアス様、アンジェが、アンジェが!」 
							  レイチェルはそう言って、小わきに抱えていたものを突き出した。 
							   
							  レイチェルの突き出したそれは、丸められた布の様に見えた。 
							  柔らかなネル生地の、グリーン系のタータンチェックの布は、どこかパジャマを思わせる。ジュリアスにパジャマ。 
							  なかなか違和感のある取り合わせだ。 
							  「これが何だと」 
							  言うのだ、と続けようとして、言葉を飲んだ。 
							  そのパジャマから、見覚えのある栗色の髪が覗いているではないか。 
							  さらさらとした癖のない髪。まさか。 
							  ジュリアスは一瞬浮かんだ考えを打ち消すようにして、軽くせき払いすると、レイチェルからそれを受け取る。 
							  重い。鉄や紙とは違う質量を、自分の両腕がしっかりと感じ取った。 
							  やわらかく、いとおしい者の持つ、特別な質感。 
							  子供だ。 
							  ジュリアスはゆっくりとパジャマから覗いている髪にふれ、それを包み隠している柔らかな布をかきわけた。 
							  全員の物言わぬ視線を感じながら、ジュリアスは、息を飲む音を押さえることができなかった。 
							  「アンジェリーク…!」 
							  アンジェリークが、幼い姿で眠っていた。 
							   
							   
							  その後のことは、聖地の伝説として歴代の女王から女王へと受け継がれていくことだろう。宴会の席などで。 
							  少女から子供に返ってしまった女王候補を見て、守護聖首座は立ち眩みを起こし炎と風の両守護聖に脇から支えられ、長椅子に横たえられた。 
							  大喜びしたのは美の化身・夢の守護聖である。自作の子供服を着る格好のモデルが天から降ってきたわけだ。緑の守護聖は眠ったままの女の子を抱き上げ、興味ないふうをよそおう鋼の少年に顔を覗き込ませている。品位の指導者も珍しそうに幼子を覗き込んでいた。相変わらず狼狽え、あるいは相変わらず無関心を決め込む男もいたが、それはいつものことなので省略する。 
							  控えの間の騒ぎに冷静に対処したのは水の守護聖と女王候補であった。精神の教官が扉を固め、しっかりと箝口令を敷いた上で、女王補佐官を内密に呼び、この異例の事態に対する策を練りはじめた。これらの様子をつぶさに眺めた感性の教官は、絵、詩、曲の三部作としてこの日を永遠に語り継ぐ作品を残すことになる。 
							   
							  「おなまえは?」 
							  女王補佐官は、やさしく少女に話し掛けた。 
							  「あんじぇ」 
							  名前はアンジェリーク。年はどうやら4歳らしい。 
							  目を覚ました彼女が火をつけたように泣き出し、パパとママを探そうとするのをなだめすかししながら得た情報である。 
							  ひょっとして全く別のアンジェリークちゃんかもしれないと、住所と両親の名前を聞いてみたが、やはりというか残念ながらというべきか、‘女王候補選抜に関する調書’の記載通りの返答で、あのアンジェリークに間違いはないようだった。 
							  なにより彼女はアンジェリークの面影を残している。大きな緑青色の瞳はアンジェリークのそれだったし、さらさらと指をすり抜けてゆく子供特有の細い細い亜麻色の髪はアンジェリークのそれであった。 
							  「一体、何が原因なのでしょう」 
							  女王補佐官はその艶やかな顔を曇らせながら、守護聖たちに代わる代わる抱き上げられているアンジェリークを眺めた。 
							  アンジェリークはというと、今はリュミエールの腕の中で、泣く子にはやっぱりお菓子ですかねー、という賢者の言葉に従って与えられた飴をちいさな口一杯にほおばるのに集中している。 
							  「女王試験の中止だけは避けなくてはなりません。占師や王立研究院とも検討して早急に原因を探る必要がありますわね」 
							  なるべく噂を広めたくないと思っているジュリアスとしては溜息を禁じ得ない。 
							  これからの事を思うとふたたび目眩を覚えた。 
							   
							   
							  アンジェリーク、4歳。 
							  今までこの聖地で過ごした日々も、もっとさかのぼった下界での思い出も、築いてきた人間関係も、その知能さえ、彼女の中ではすっかり白紙になってしまっている。 
							  17歳のアンジェリークの体が縮んだというよりは、完全に子供に『還元』された状態だと、ルヴァは言った。 
							  「ほら、アンジェリークにしては髪が長いでしょう?これはきっと、アンジェリークが4歳まで髪を伸ばしていたからじゃないかと思うんですよー。これが何を意味しているかというとー、つまりですねー」 
							  知らないお兄さんたちに囲まれて、不安そうにしているアンジェリークの前に屈んでルヴァが示す。肩で切りそろえられていた彼女の髪は、ルヴァの言う通り、今は肩より長い。 
							  「まあ、いいじゃなーい?そんな理屈捏ねたってはじまんないでしょ」 
							  あっけらかんとした声で笑い飛ばして、アンジェリークをひょいと抱き上げたのはオリヴィエである。 
							  「何が大事って、私のアンジェがもう一度私を好きになってくれるって事よねぇ」 
							  オリヴィエは全員を見渡して、不敵に笑った。 
							  「さー、アンジェ。おにーさんが誰だかわかるかなー?」 
							  アンジェリークは頬をすりよせられ、怯える前にくすぐったさにくすくすと笑った。笑顔がアンジェリークそのものだと、守護聖たちははっとする。 
							  「お兄さんの名前はオリヴィエ。オ・リ・ヴィ・エ。いってごらん」 
							  「…おりびえ」 
							  少々もじもじとしながらアンジェリークは答える。 
							  あらー、あんたちっちゃい頃から内気ちゃんだったのねぇと妙に納得しながら、オリヴィエが華やかに笑う。 
							  「オリヴィエおにいちゃんよ。よろしくね、アンジェ」 
							  「はい」 
							  柔らかなほっぺたにキスを送り、オリヴィエはもう一度女の子にほお擦りした。アンジェは顔を赤くしてはにかむ。 
							  「オリヴィエ様、ずるい!僕も!」 
							  緑の守護聖がわめいて、アンジェリークの前に身を乗り出した。彼女のちいさな手を取って握手しながらにっこり笑ってみせた。 
							  「アンジェ、こんにちは。僕、マルセルだよ」 
							  「俺、ランディ。よろしくな」 
							  「…まるせう?らんでぃ?」 
							  少々舌ったらずではあるが、子供の甘い声で名前を呼ばれるくすぐったさに、ふたりの守護聖は大変満足そうであった。 
							  自分達のことをすっかり忘れてしまったアンジェリークに、もう一度はじめましてと言うさみしさはあるが、守護聖たちは次々と少女を抱き上げて名乗りをあげた。皆、幸せそうに微笑むアンジェリークが好きだったのだ。 
							  そんな様子を遠巻きに眺めてジュリアスは大きく溜息をつく。 
							  「皆には緊張感が欠けているとしか思えん。この大事に何を浮かれているのか。ロザリア、そなたは早急に陛下にこの事を申し上げ…」 
							  振り向くとそこには麗しい補佐官の姿はなく、アンジェリークを囲む輪の中に、紛れ込んで自己紹介をしているのが見えた。 
							  「まったく、なんということだ」 
							  ジュリアスはすっくと立ち上がり、 
							  「そなたたち、この光の守護聖を差し置いて名乗りをあげるとは、女王候補に示しがつかんではないか!」 
							  と、オスカーの腕の中からアンジェリークを奪い取ったのだった。
 
							   
							   
							  							  							  							  							  							  							
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