タイトル画像_左
タイトル画像_右
現在地 : Topページ  >  日記コーナー  2004年06月分
●日記コーナー
 
 2004年05月
 2004年06月
 2004年07月
 2004年08月
 2004年09月
 2004年10月
 2004年11月
 2004年12月
 
 2005年01月
 2005年02月
 2005年03月
 2005年04月
 
 
戻る
TOPへ戻る
 
 
 
・2004年06月29日/日曜/晴れ   「さようなら掲示板」

インターネット上に開設されているWebサイトを構成するメインコンテンツの一つとして掲示板(BBS)がありますが、最近その掲示板におけるモラルが崩壊しているのではないかと思うようなりました。

私が良く行く(行っていた)掲示板に、スポーツ新聞社が運営するプロ野球チームを応援する掲示板がありまして、以前は選手への応援メッセージや球界のあり方など、様々な発言が飛び交って盛り上がっていたのですが、シーズンが始まり久々に掲示板を覗いてみると、なんとも荒廃しているではありませんか。
具体的には、打ち込まれた投手や凡退したりエラーをした野手に対する誹謗中傷の数々・・・ しかも発言のレベルが低く非常に見苦しい物で、かつては健全な意見で賑わっていた掲示板も、いつの間にか低次元の汚い言葉が飛び交うチャットルームと化していました。 中でもよく見られるパターンが名前(ハンドルネーム)を書かずに書き逃げするパターンですが、ネットワーク上の掲示板で、しかも名前を伏せないと意見も言えないとは、なんとも情けない。 
おそらく、決定的にコミュニケーション能力が不足しているのでしょう。 もちろんそれ以前に人間的にもまずいですが。

ここの掲示板に限らず、国内最大の有名掲示板や大手検索サイトが運営する掲示板の荒廃ぶりは周知の事実ですし、画像アップロード掲示板の多くも、著作権侵害の犯罪の温床になっているのも事実です。 

もちろん、これは掲示板が決定的に悪いという訳ではなく、携帯電話使用におけるマナーの悪さがそうであるように、進歩した機器を使用する人間のモラルが進歩していない事に最大の原因があります。
例えば車雑誌において、最近国産車の280馬力の自主規制が解除されるのではないかという話が盛んに取り上げられていますが、ただでさえモラルが低くマナーが悪いドライバーが多い中で、さらにハイパワーの車が世に出回ると・・・

兎にも角にもテクノロジーの進化に人間の進化が置いて行かれないようにしなければいけません。
安心して掲示板を見られる時が再びやってくるのはいつの日でしょうか。

 
・2004年06月20日/日曜/晴れているが強風    「個人の責任 or 全体の責任か?」 
毎日のように新聞やニュース番組を賑わしている三菱自動車のリコール隠しの件ですが、自動車好きとしてはもちろん、会社の信頼度が与える影響力などといった面からも大変興味深く推移を見守っています。
そんな中、友人とその件について話をしていたところ、友人の一人が「一部の社員の為に迷惑を被る他の(三菱の)社員はかわいそうだ」という発言がありました。 つまり、「今回のリコール隠しを支持したのは一部の役員社員であり、何も知らなかった他の社員は減俸などの措置に巻きこまれてかわいそうだ」という事なのでしょう。

さて、はたしてどうなのでしょうか? 私が思うに、その意見も一部賛同できる部分がありますが、考え方としては随分と甘いのではないかと思います。  仮に今回のリコール隠しが一部の三菱自動車の上層部が行った事だったとしても、社会的にはそれは三菱自動車が行ったことであり、「一部の人が〜」等という言い訳は通用しないと思います。 その企業に属する社員の内のたった一人が不祥事をおこしたとしても、それは企業全体の責任となるのではないでしょうか。 個々で活動している個人が問題を起こすのとは異なると思います。 企業というもの、そして企業に属するという事はそういう事ではないでしょうか。
今回の事件は発案者や実行者が多かれ少なかれ「意図的におこした犯罪により、死傷者が発生した」という事実に変わりはありません。 「一部の人がやった事だから」という説明で果たして遺族が納得してくれるのでしょうか?

米軍がグアンタナモ基地やアフガニスタン、イラクのアブグレイブ刑務所などで行っていた捕虜虐待行為も似たような事例といえるでしょう。 ブッシュ大統領はメディアにおいて繰り返し「一部の米兵が行った事である」と説明しています。 軍レベルでそういった行為が蔓延していたという指摘もある上に、イラク戦争に関する情報そのものが勘違いやねつ造された物である事が次々と発覚している現在、果たして本当に一部の兵士による犯行だったのかも極めて疑わしいですが、仮に事実だったとしても「一部の兵士による犯行だから米軍・アメリカは悪くない」というような言い訳が通用するでしょうか?

確かに問題となる行為を行ったのが一部の人間によるものだったとしても、「一部の人間がやった事だから」という言い訳が出てくるという事は、組織という物、そして組織に属するという事を甘く考えすぎている証拠ではないでしょうか。 その組織をまとめるトップの人間はもちろん、個々の構成員も、もっと「組織」という事を考えて行動する必要があると思います。
 
・2004年06月13日/日曜/晴れのち曇り    「お約束は駄目なのか?」 

映画や小説、ゲームや漫画など、ストーリー性のある物には、必ずと言って良いほど「お約束」の展開があるものですが、私が毎週スカパーのファミリー劇場で見ている「ドリフ大爆笑」の再放送においても、その「お約束」を目にします。 

ドリフにおける代表的な「お約束なオチ」では、例えば 「建物が崩壊する」「物が爆発する(しかもどう考えても爆発性の無さそうな物が)」「若い女性を期待していたらおばさんが出てくる」「もしもコーナーにおける志村の役は老人またはオカマが多く、加藤の役は貧乏にあえぐ店主(経営者)である場合が多い」などがあります。
「お約束」と聞くとマンネリ化したつまらない演出を想像してしまいがちですし、実際にもそうである場合が多いです。
が、しかし、このドリフは毎回毎回似たような「お約束」のオチであっても、決してマンネリ化してつまらないという事はありません。 むしろ毎回心から笑わせてくれます。 これは何故なのでしょうか?

理由は色々あると思われますが、私が思うに「ドリフターズの役者としての魅力と演技力」「背景や小道具、音楽や効果音などのクオリティ」などがポイントではないかと思います。 つまり、例え毎回決まっているお約束のオチであったとしても、それを演じる役者とその周りを固める脇役達が十分に魅力的であれば、お約束は苦痛ではなく快楽に変わるのではないかと考えました。 この事は「水戸黄門」などの人気時代劇ものにも当てはまると思います。 ドリフ同様、毎回同じようなお約束のオチですが、どちらも超ロングヒットとなった番組である事が、それを証明しているのではないでしょうか。
そもそも、「お約束」というものは、見る側がそういった展開を求めるからこそ、お約束として登場するのではないでしょうか。

マンネリ化してつまらないと感じている場合は、お約束な事に問題があるのではなく、それを演じる人(物)及びその周辺環境に問題がありそうです。

 
・2004年06月6日/日曜/雨のち曇り     ちょっとちょっとシャチョーサン!」
先日、NHKのプロジェクトXシリーズの「世界を驚かせた一台の車」を見ました。 
排ガス規制法に挑んだホンダのCVCCエンジンに関する内容なのですが、CVCCエンジンに関する事もさることながら、ホンダの創始者である本田宗一郎氏の人柄について興味を持ちました。 星野元監督も真っ青なくらい手が早いのはともかく、技術者上がりであり、熱心な性格も手伝って、社長職に就いた後も社員と共に汗と油にまみれて現場で働いていたそうです。
テレビや雑誌の人物紹介というものは、大なり小なり脚色しているものですし、実際に接した事の無い人を評価するのは嫌いですが、どうやらこの本田宗一郎という人物は本当に仕事熱心だったようです。

社員と共に汗と油にまみれて仕事に精を出す社長がいる一方で、私の良く知っているとある社長は、無理極まりない経営と重労働を強いた挙げ句、会社が傾いたら縁故のある会社へ逃げ出してしまいました。
社会に貢献し歴史に名を残す会社と社長、そうでない会社と社長との違いはこの辺にあるのでしょうね。
なんとも面白いものです。
 
・2004年06月6日/日曜/雨のち曇り     独裁政治なのかそうではないのか」
先日、年金に関する法案が強行採決されました。 「強行」という事からも分かるように、反対する議員なり国民なりがいる事を分かっていながらも、それを無視して法案を改訂もしくは制定したという事なのですが、こういう有様を見ていると、日本は民主国家なのか独裁国家なのかよく分からなくなってくる事があります。 書類上は国民によって選ばれた議員が国会を構成して政治を行っている、という事になっていますが、「強行」とかが行われている時点で民主主義という名前を借りた独裁国家のような気もしてきます。 多数の議席を持っている与党が次々と強行採決を繰り返せば、もはや独裁政治との違いは何なのでしょうか?
独裁政治と言えば、日本とは切っても切れない関係にある北朝鮮ですが、てっきり金正日総書記による独裁政治で牛耳られているかと思いきや、色々なニュースを読んでみると、強硬な軍部を抑える為に総書記も苦労が絶えないというような話も聞きます。 先日の訪中後に起きた鉄道爆発事故に関しても、信憑性はともかく、暗殺未遂説もささやかれています。
こうしてみると、民主国家であったり独裁国家であったりする国家の中身は、案外そうでもなさそうな様子が見て取れて興味深いです。 いずれにしろ、国民が貧困にあえいだり、兵士が政治家の点数稼ぎの為に危険にさらされるうよな事はなくなってほしいですね。
 
 
戻る