「多少筋書きが変わってしまったが‥‥恐れることはない」
サイノスは毅然と顎をあげてそう言った。
騎士を隔離していた神父の小屋の裏手に円陣を組む同士たちは皆、緊張に顔をこわばらせている。
目が血走っていながらその視点が定まっていない者がいる。額に細かな汗を浮かべている者もある。 円陣を組む仲間は10人足らずである。騎士を教会の地下牢に招き入れたときと比べ、減っていた。
減った仲間達はその地下牢の中で冷たくなっているだろう。
冷えてしまった血の海に横たわっているだろう。
帝国が来る。
皆、この地に生まれてから、嫌と言う程帝国の遣り口を見せつけられてきている。正面から立ち向かって適う相手ではないことがわかっているからこそ、奸計ともいえるこの計画を立てたのだ。窮鼠猫を噛むというが、鼠の方に相応しい計略がなければ窮鼠といえども猫に噛み付つこうとは思わないだろう。鼠は鼠でしかないのだ。
帝国が来る。
この鄙びた街に。地鳴りのように蹄を鳴らし土煙を巻き上げて。
帝国が通り過ぎれば、そこには焼けただれた不毛の地が残るだけだと知っている。
気紛れに街を刈ってゆくのではなく、彼等は復讐の為にやってくる。
彼等は怒り狂っているはずだ。
そこには怒りにまかせた容赦のない破壊があるはずだ。
だがサイノスはその涼し気な瞳に強い力を込め、ひとりひとりの瞳をじっと覗き込みながら語った。
他に音は聞こえない。この世から音という音が消えたようだった。自分を取り囲んでいる唯一の音は、彼の声だけのように思われた。
彼の揺るぎない声だけが、体の周りを渦巻くように鳴った。
「我々があの野蛮な帝国から真の独立を得るには、いずれこうなることはわかっていたはずだ。
腹をくくる時期が少々早まったに過ぎない。違うか?」
サイノスはゆっくりと瞳をあげて、円陣を組む同士たちを見回した。
淡い色の瞳に、凍てつくような光が宿りはじめている。
氷矢のような視線を射かけながら、それでも彼の瞳は微笑みをたたえていた。
「我々には地の利がある。帝国と違い、小回りの効く足がある。そして、なによりも強い団結と正義がある!
イシュタルがどちらにその御剣を遣わしたもうか、私たちは知っているはずだ! 」
「こちらの体制を整える必要がある。これから一度フェルナミア山に戻る」
サイノスの発言を遮るように同士のひとりが叫んだ。
「皆を巻き込むのか!?」
円陣を組んでいる目が一斉にリーダーの発言に異を唱えた者を振り向いた。サイノスはゆっくりと髪をかきあげ、その同士に視線を定めた。
「あの山には」
自らのリーダーの薄い色の瞳を盗み見るようにしながら、彼は息を飲み込みつつ続ける。
「確かにこの町の者がほぼ全員、避難している。だが、今我々が不用意にあの山に移動したら帝国はきっと山へ来る。この計画は我々だけで行うというから自分は賛成したんだ、皆を巻き込むというのなら話が違う!」
彼はやっと言い終え、息をついた。
サイノスは瞳を伏せ腕を組んでそれを聞いている。リーダーに返答の意志がないことを見てとり、別の青年が発言した。
「しかし、その計画は破綻しちまった。帝国の悪政から逃れるには、ひとりでも多くの協力が必要だろう」
「それは結局、親父やお袋を巻き込むってことだぞ、分かってるのか。自分達で始めたことだ。自分達だけで決着をつけるべきではないのか!」
「これはもう俺達だけの問題ではない!」
他の青年も吐き出すように叫んだ。声を出すことで怯えを払おうとしているかのようだった。
「俺達が死ねば帝国は黙って帰ってくれるのか?違うだろう! 俺達が死んで見せたって帝国はここに来る!ここに来て皆殺しだ! 」
「そうだ!ならばできる限り抵抗するべきだ!賭けるべきだ!」
円陣は恐怖心から呼び起こされる奇形な興奮のうちに包まれていた。異を唱えた者も、仲間達に視線を泳がせたあと、沈黙して唇を噛んだ。
「…その決意を忘れるな、皆」
ただひとり円陣の中にいて、興奮を遠くから眺めているような声が言った。サイノスはゆったりと組んだ腕を解くと、決意を確かめるようにひとりひとりの瞳を見つめた。
同士達は武者震いのなか、噛み締めるように彼に頷きを返した。
「フェルナミア山に戻り、体制を整え帝国に備える」
サイノスは判決を言い渡すようにそう断じた。
もう、引き返すことはできない。引き返すことなど許さない。
「‥‥山へ戻るのね」
背後からの細い声に、円陣を組んだ青年達はおびえるように振り向いた。
深紅の髪の娘が、小さな少年と手を繋いで立っている。
青ざめた小さな顔からはあらゆる表情が消えていた。陶器の仮面のような面をただじっとサイノスの方に向け、色褪せた唇で言った。
「反論しても無駄、って感じね」
「無駄だ」
サイノスはアーウィンドを一瞥しただけで、すぐに円陣に視線を戻した。
「時間がない。すぐに移動する。アーウィンドは皆を連れてフェルナミア山へ戻れ」
「‥‥サイノス、あんたは?」
青年は背中で声を聞き、背を向けたまま答えた。
「私は数人で街を見回ったあとそちらと合流する。その間アーウィンドは皆と共に避難組へ状況の説明と意志を固めるよう説いておいてくれ」
青年達は息を飲みながら頷いた。アーウィンドは目を伏せて、振り向かない背中に言った。
「‥‥私も一緒に行くわ、サイノス」
「お前は先にフェルナミア山へ行け」
その背中は穏やかな、それでいて反論を許さない声で答えた。
青年の背後で、娘は沈黙した。
青年達はひとり円陣からはぐれたところに立っている娘に視線を向けることができずにいた。
こんなふうに生気を失った娘を見るのは初めてだった。
「急ごう、アーウィンド。戦うって決めたんだから、一刻だって惜しい」
青年のひとりが円陣から離れて娘の肩をたたいた。
彼女はきっと帝国が恐ろしいが故に気を散じてしまっているのではない。
もっと別の理由からだ。
そう分かっていながら戦以外のことに気を取られている娘をなじることができない。
「そうだアーウィンド。行こう、俺達の戦いだ」
別の青年も円陣から離れた。
「‥‥無事で」
アーウィンドはふいに顔をあげ、背中を見せたままのリーダーにそう呟いて駆け出した。青年達は翻る深紅の長い髪を追っていった。
その目指す先は穏やかな稜線、フェルナミア山。
サイノスと残った数人の仲間は、走り去った仲間たちから視線をはずし、静かに佇んでいる異国の騎士を見た。
「さあ、貴方をどうしようか」