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こんな天気のいい日に戦など、不粋というものだろう。 
そう思わせるほど、天蓋は青く澄み渡っていた。明るく光をはじく草原には風が渡り、草の海はどこまでもどこまで続くように思われた。 
このまま当てもなく歩いていけば、過去にも未来にも辿りつけるような気がする。 
解放軍がこの地を解放することに成功し、次なる戦場への準備に追われている今日は、本当によく晴れていた。 
ランスロットはひとり、古城の門をくぐり外へ出た。 
膝のあたりまである草を踏み締めながらまっすぐ歩いてゆく。 
戦に勝利を納め、五体満足で凱旋できたからこそこうしてのんびりと歩いていられるが、夕べはこの草に足を取られて随分と難儀したものだった。 
進軍の最中は敵軍から標的にされやすい厄介な平原も、戦が済んでしまえば見晴しの良い勝景に思えるから、人間とは現金な生き物だ。 
独り笑いながら、古びた革の長靴で草をかき分け歩いてゆく。少し汗ばんできた頃、目当ての木陰が見えた。 
草の海に浮かぶ孤島のような、小さな丘。 
適度な木々が茂り、下草もやわらかいその丘にランスロットは独り辿り着くと、小さく息をついた。 
午後の明るい日ざしに本部の置かれた古城が白く輝いて見える。 
今、あの古城は次の戦の準備に上を下への大騒ぎとなっているはずだが、ここからはそんなざわめきも聞こえなかった。 
時折、兵士達の稽古の剣戟が風に載って運ばれてくる。 
ランスロットは凭れやすそうな木を選び、その根元に腰掛けた。 
穏やかな日だ。 
腰に掛けた長剣をはずし傍らに置く。外套の中に入り込んだ髪を払って、目の前に広がる草原をぼんやりと眺めた。 
風が渡るたびに草が翻り、白い軌跡を残す。潮の満ち引きにも似たその動きは、この地に戦火が及ぶ遥かな昔から変わることなく繰り返されてきたのだろう。 
この地を支配する者が倒され、変わり、ついに絶えても、その営みはただ繰り返される。これからも変わることなく。 
木漏れ日がさらさらと揺れる。 
過去と未来を内包する草原で、ランスロットは瞳を閉じた。 
 
「あれ…」 
アーウィンドは額に浮かんだ汗を手の甲でぬぐいながら呟いた。 
竜牙のフォーゲルに稽古をつけてもらった後、アーウィンドは本部から逃げ出した。 
赤炎のスルストに例の調子で言い寄られて辟易したせいでもあり、探している人物が城内に見当たらなかったからでもある。 
見覚えのある外套が門をくぐっていくのを見たのは、尖塔の窓からだった。 
あれはやっぱりランスロットだったんだ。 
アーウィンドはその外套の背を追って、同じように城門を抜け出した。 
肌に暖かい陽射しと、絶えずそよぐ風の心地よい日である。 
見渡す限りの緑の海に、彼の歩いた跡がかすかに見て取れた。アーウィンドは草の軌跡を辿って、その丘へ辿り着いたのである。 
木陰はひんやりとして、軽く汗ばんだ肌をゆっくりと冷してくれた。軽装の袖を巻くり上げながら小さな丘を一周すると、そこに両足を投げ出すようにして眠っているランスロットを見つけたのだ。 
 
アーウィンドは柔らかな芝の上を、足音をたてないようにして歩み寄った。 
顔をうつむかせて、騎士は深い寝息を立ている。 
敵の気配を察知してすぐ目を醒ます訓練を受けている騎士達の寝顔を目撃できるというのは実に貴重な経験である。 
殊にランスロットは、アーウィンドが眠りにつくまでは決して横にならないし、アーウィンドが目を覚ます前には必ず起きているという人物だ。解放軍として一番長く行動を共にしている相手だというのに、アーウィンドは今日という日を迎えるまで、彼の眠っている姿を見たことがなかった。 
その彼がこんなところで居眠りなんて。 
アーウィンドはくすぐったいような笑いを必死でかみ殺さなくてはならなかった。 
口を両手で押さえながらなるべく気配を消すように意識してランスロットの傍らにしゃがみ込み、うつむいている顔を覗き込んだ。 
日に焼けた精悍な顔だち。すっきりとした鼻梁は、ゼノビア人の特徴をよく表していた。腕を組んだまま眠っているランスロットの肩には、何時も見るような銀の鎧はない。長い指が見えた。 
金色の髪が、木漏れ日に透けている。 
「…意外に睫、長いんだ…」 
自分より長いかも知れない、と思うと悔しいやらおかしいやらでアーウィンドは呼吸をするのに精一杯だった。 
風がそよいで、木々がざわめいた。木漏れ日が揺れて、騎士の顔に影を落とす。 
出会ったころより痩せただろうか。アーウィンドは騎士の横顔を見つめた。 
今では天空の三騎士をも味方につける解放軍であるが、ランスロットと出会ったころは「反乱軍」でしかなった。 
星の告げた勇者としてウォーレンに見い出されたあの頃の自分は、まさに反乱軍の棟梁と呼ぶに相応しい、私怨に塗り固められた人間だった。 
今だってそんなに自分に自信があるわけではない。だが、あの頃に比べれば幾分増しになったかな、という程度には成長できたのではないか、と思える。 
そう思えるようになったのは、今ここでこうして居眠りしている人のおかげなのだ。 
アーウィンドは込み上げてくる笑いを喉の奥でなんとかこらえ、深く呼吸している騎士の頬にそっと手を伸ばした。 
彼の寝顔が穏やかでよかった。夢の中でまで辛い思いをさせているようなら立つ瀬がない。 
触れたら目を醒してしまうだろうなと分かっていながら、それでも触れてみたいと思う。 
「いつもごめんね…ありがと」 
そう微笑みながら、アーウィンドはランスロットの頬に少しだけ、触れた。 
 
何かの気配を感じて、ランスロットは瞼を上げた。反射的に利き腕が傍らの剣の柄を握った。 
その柄を握った手を、上から握ってくる手があった。 
「…アーウィンド殿!?」 
「おはよ、ランスロット」 
すぐ目の前にアーウィンドが笑んでいた。 
「敵じゃないから、斬らないでよ」 
くすくすと笑いながら、柄を握るランスロットの手から白い手を離す。咄嗟に剣を抜く手を押さえていたのだ。 
何が起こったのかよく理解できないまま、ランスロットは口を開いた。 
「…私は、眠っていたんですか」 
「よく眠ってた。近付いても起きなかったくらい」 
剣を離して、ランスロットは代わりに額を手で押さえた。大失態である。まさか寝こけたところを自軍のリーダーに目撃されるとは。 
思わず失意の溜息を付くと、アーウィンドが面白そうに笑っている。 
「私、ランスロットの寝顔初めて見た。思ったより可愛いじゃない」 
「!!」 
騎士に痛恨の一撃を与えたことに気が付かないアーウィンドは、相変わらずくすくすと笑っている。 
女性から寝顔が可愛いなんていわれて喜ぶ男がいたらお目にかかりたいものだ。 
ランスロットは力ない溜息を吐き出した。 
「ねえランスロット、剣の稽古をつけて欲しくってずっと探してたの。まだ疲れてる?」 
陽射しを背負って、アーウィンドが微笑みながら手を差し伸べてきた。 
どこまでも続くような草原が、ゆったりと風になびいている。アーウィンドの深紅の髪が、風に揺れた。 
「…もちろんお相手いたします」 
ランスロットはその白い手をとって立ち上がった。 
どこまでもどこまで続くように思われる草の海は光を浴びて輝いている。 
このまま当てもなく歩いていけば、過去にも未来にも辿りつけそうな草原を、ふたりは一緒に歩いていった。 
								 
								
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