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空に開いた小さな穴のように、一等星がたたずんでいる。 
熱い‥‥ 
ランスロットは額に浮かび上がる汗を何度も何度も拭った。 
真夜中の街に立ち、辺りを見回す。 
人の気配は感じられない。窓からもれる明りさえない。 
いや、ここはすでに、街と呼べる場所ではなくなってしまった。 
一歩足をふみだす。足元からたちのぼる熱気。 
熱い。 
何かが爪先に当たった。からからと乾いた音をたてて、それは転がってゆく。見ると、小さな缶だった。 
ランスロットは黙ってそれを拾い上げる。 
指先に、ブリキの缶は温かかった。まだ熱を持っている。 
墨で黒く汚れてしまったそれを、ランスロットはゆっくり手のひらで拭った。 
薄い桃色と空色で、かわいらしい装飾文字が印刷されているのが見える。 
飴玉の缶だった。 
ランスロットはしばらくそれを眺めた後、焼け落ちた梁の上にそっと置いた。 
かつて街だった場所。 
かつて暖かい家だった場所。 
踵を返し、ランスロットは歩き出す。 
戦火に飲まれた街は、無数の陽炎を漂わせて救済の祈りを空へ謳っている。 
 
 
 
 
「全滅でした」 
薄暗い部屋、テーブルの上の簡素な燭台だけが、二人の男をぼんやりとうかびあがらせている。 
「避難できた住民は今、あるだけの天幕を張って保護しているのだが」 
一人の男、いや、老人と言ったほうがよい風貌だが、分厚いローブから覗いた双眼は鋭く、衰えをまったく感じさせない。 
「結局、町にある天幕だけで足りてしまう程の人間しか、生き残らなかったという訳ですな‥‥」 
老人は長く蓄えた銀の髭に手をやり、小さく何事かつぶやく。 
祈りの言葉だ。 
もう一人の男、ランスロットも密かに吐息した。 
「ウォーレン殿、もはや手を拱ねいて見ているだけでは収まりません。これを契機に、旗を挙げるべきです」 
ウォーレンと呼ばれた老人は髭を弄びながら、目を伏せている。ランスロットは反応を返さないこの老人に少し苛立ちを感じながらも、さらに言葉を続けた。 
「今度のことも、我々が動けばこんな惨事に至らずに済んだやもしれません。戦乱に現われるという勇者らしい人物を見たという話も、ついに聞くことができなかった」 
ウォーレンは少し面白そうに片眉を上げた。 
日に焼けた肌に、精悍な顔立ち。決して大柄ではなく、かといって細すぎない身体。美丈夫とは彼をしていうのだ、とウォーレンは思った。 
「聞いておいでですか、ウォーレン殿。中には今回出陣しなかったのは指導部が戦の仕方を忘れたからだなどと言い出す者もいるのです」 
聞いてウォーレンはくつくつと笑った。純粋に笑っている老人を見て、ランスロットは咳払いを繰り返した。それでも、老人は笑い止まない。 
「ウォーレン殿!」 
「聞いておりますとも。‥‥いや、失礼した」 
心底楽しそうにしながら、ウォーレンは小さく手を挙げて詫びを示した。 
「それで、ランスロット殿はどうなさりたいと?」 
突然真顔になって聞いてくる老人に、ランスロットはやりにくそうにため息をついた。 
「私は‥‥いえ、我々は25年、耐えてきました。今をおいて、機は無いと思います。勢い、蓄え、民の共感、どれを問っても、問題ありません」 
「兵を挙げろと?」 
「いかにも」 
「だが、星がない」 
ウォーレンは笑んで囁くように言った。 
「予言の勇者なしに、機の成就はありえません」 
「‥‥お言葉ですが、勇者が現われなくとも我々は勝てます」 
ランスロットは声を抑えて言う。 
「勝ち負けの問題ではない」 
ウォーレンが顔を上げる。白い眉の下にあるのは、湖のように静かな双眸。 
だがその奥にたとえ万民の王でさえ揺るがすことのできない強固な意志が隠れているのを、騎士は知っている。 
「彼の者なくして、真の復興などなし得ないのだ。星がそう告げている」 
「‥‥」 
ランスロットは視線を下げる。 
「‥‥私とて、ウォーレン殿の預言を疑う訳ではありません。信じるからこそ町一つ見殺しにするような真似までして、戦乱の地に現われるという勇者を待ったのです」 
「星の指し示す戦乱の地が、某の地ではなかったのだ」 
あくまで静かに言い切る老人に、騎士は思わず気色ばんだ。 
「そう、彼は表われなかった。それはしかたのない事。だが我々は姿を見せない待ち人のために、何百人という人間を見殺しにしたのです。この先、同じ様に争いがあって、罪なき民が死んでいっても、勇者は表われないかもしれない」 
ランスロットはあふれてくる言葉を止めることができなかった。 
「いつまで待てばよいのです!いつまで見殺しを繰り返せばよいのですか!こんなふうに民を見殺しをする我々に正義を語る資格があるのですか!」 
寡黙な男の饒舌さに、老人は少し目を細めた。 
「例え勇者を得たとしても、今の我々に真の復興など成し得るはずがない。‥‥神が許すとも思えません」 
ひとしきり吐き出し、ランスロットは脱力するようにため息をついた。 
「‥‥それで、貴侯はどうしたい」 
暗闇の中でウォーレンが静かに問うた。 
「‥‥私は己に恥じないように生きたい。これ以上、自分が恥ずべき者になるまえに、行動を起こします。‥‥もう、見殺しにはしない。私のできる限りの力で、民を救う。私独りでも」 
「決裂、か」 
「‥‥そうなりますね」 
「グラン王への忠誠を忘れられたか」 
「祖国復興は私の夢です。だが、無益の血の上の王国など、王は喜ばれない」 
沈黙。蝋燭の炎が大きくなびいた。 
部屋の外が騒がしい。二人は漂う無気力感を振り払うように扉に顔を向けた。 
扉が勢いよく開け放たれ、従者が飛び込んでくる。 
「申し上げますっ!シャローム南部、フェルナミアで暴動が発生!」 
「‥‥いつもの様にせよ」 
はっ!と、従者が走り出て行く。いつも暴動が起こると、伺見を立てて勇者らしい人影を探すのだ。 
「‥‥丁度いい。私は行きます」 
ランスロットは席を立った。ウォーレンは動かない。 
「フェルナミアへ。‥‥今度こそ、勇者が見つかることを祈ります。」 
部屋を出て行くランスロットの背を追いかけるように、ウォーレンの言葉が聞こえた。 
「共を連れていきなさい。いかに貴侯といえど、一人ではかぎりがある」 
「‥‥すまない、ウォーレン殿」 
「貴侯に、ご武運を」 
扉が、閉じた。
 
 
								
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