「…失敗したのか」
肌に年輪のような皺を刻んだ男はそう呟いて、黙り込んだ。アーウィンドも黙って目を伏せる。
目の前にあぐらを組んで座る男はフェルナミアの代表を勤めてきた男だった。
「だから私は反対したのだ。と、こう言われることは当然分かっていただろうな?」
彼の声は明らかに侮蔑を含んでアーウィンドに投げ付けられた。
「…ええ」
頷くしかない。
華奢な木々が茂る穏やかな表情のフェルナミア山の斜面に、草木で染められた幌が木々に溶け込むようにいくつも張られている。
その幌のひとつに、アーウィンドとその同士たち、そして、フェルナミアの代表が座っていた。
帝国による支配が変調をきたすようになってから、彼の顔は苦渋によって煮しめられた渋皮のようになっていた。
サイノスが今度の計画を彼と論議していたときも老けたな、と思ったが、この一晩でさらに精気が枯れたように見える。
男は眉間を指で揉みながら、吐き出すように問う。
「…それで、どうする?」
「戦います」
鈍い光しか浮かべないその男の目を見てアーウィンドは、そう答えた。
「私達が始めたことです。私達で決着を付けたいの」
「自分で決着、か。ならばなぜここに来た。私達を巻き込むつもりか?巻き込んでおいて『自分達で決着をつける』か。ムシのいい話だとは思わんのかね」
アーウィンドはただ黙るほかなかった。
私も、そう思う。
そう思っているから、他人を説得することなんて出来ない。
「…このまま殺されるのを黙って待つより、可能性に賭けるのは…間違ってはいないと思いますが」
自分達の代表であるアーウィンドが答えようとしないのを受けて、同士のひとりがそう答えた。
男は話にならんというように抑揚なく、
「それはお前たちの理屈だ。お前たちが勝手に始めて、お前たちが勝手に自滅した。お前たちが招いたことならば、お前たちだけで始末をつけるのが筋じゃないのか。私達は一度も賛成はしとらん。賛成しないならそれでもいいと、はねつけて勝手を始めたのはお前たちだったのを忘れたのか。それをここに来て、今またお前たちの勝手で私達まで巻き込むつもりなのか」
と言った。
彼の目は、まるで、痛みをやわらげる為に怪し気な調合の薬を呑み続けてすべてが麻痺してしまった病人のようだった。
あらゆる苦痛と悲惨な光景を見続けた彼の瞳は、もはやどんな痛みにも反応しないかのようにただ宙を映している。
「すべてが僕達の勝手だったっていうのか!?こうしてこの山に移動してきたってこと自体、僕達の計画に賛成したってことだろう!」
青年のひとりが声を荒げたが、男の表情は変わらない。
「嵐が来るのを予想して家の補強をしても、それが嵐を歓迎していることにはならんだろう。私達は先走ったお前たちがどんな災難を呼び込むのかを予想して、この山に逃げ込んでいたに過ぎない。これは計画賛成の意思表示ではない。単なる避難だよ」
「てめえ!」
「待って!」
立ち上がって拳を振り上げた青年を抑え、アーウィンドは叫んだ。
「わかりました。貴方の言う事はもっともだと思う」
あぐらを組んだまま動こうともしない男を見て、アーウィンドは言った。
「私も、この山を‥‥この山に避難している皆を巻き込むのは違うと思ってる」
「アーウィンド」
聞き咎める青年たちに少しだけ笑みを見せてから、アーウィンドは続けた。
「私達が始めた事だし、私達だけで決着を付けたいと思っている事は本当です。‥‥私達は貴方の反対を無視して街に火を放ってしまった。それだけでも取り返しのつかないことだわ。今年の収穫もフイにしてしまった。その上、ここに帝国をつれてきたりしたら‥‥本当に何もかも終わってしまう」
声は独白のように幽かになっていった。皆、黙ってその言葉を聞いていた。
「私は戦いたい。‥‥お願い、少しで構わないから‥‥何か武器になるものを分けてください。この山には帝国兵を決して踏み入れさせません。お願い」
踵をつつむやわらかな土と青草の感触。
アーウィンドは若葉が揺れる木々を見上げた。線の細い、優しい木々達が高いところで緑の天蓋を作っている。
すべての生き物が一番美しい季節に、戦いを起こすなんて。
今さらと思うが、やはり思わずにはいられない。私達は後戻りのできないことをしたのだ。
自分達は取り返しのつかないことをした。
だからこそ、自分達の手で決着をつけなくてはならない。自分達以外に誰にも幕を降ろすことはできない。必ず、私達の手で。
唇を噛んで、アーウィンドは風に揺れる枝葉を見つめた。
それでも、自分の意志で戦うことを選び取ることが出来た、私はそれだけでも十分だと思わなくては。
「…みんな」
アーウィンドは後ろに続いてきた仲間たちに背を向けたまま言った。彼らが顔をあげる気配がする。
「御免なさい。勝手なことを言ったわ、私。フェルナミアの皆を説得する為に来たのに」
さわ、と風が頭上の枝を揺らした。木漏れ日が雨のように降り注いでくる。
「…アーウィンドの決断だ、従うよ」
ひとりの青年がつまりながらもそう答えた。
「‥‥従う?」
アーウィンドは驚いて顔を上げた。青年は戸惑ったような瞳でアーウィンドを見返し、そのまま仲間たちと顔を見合わせた。
皆不思議そうな顔をしている。
「だって‥‥アーウィンドがリーダーだろ」
「リーダーはサイノスでしょう。私達はサイノスの命令‥‥指示でここに来たんじゃないの」
「‥‥そうだけど、」
なんていうか、今はアーウィンドがリーダーだろ、と青年はますます戸惑った顔をして周りの仲間に同意を求めるように目配せしていた。
「駄目だ。馬小屋は警備が厳しい」
青年の切迫した声を手で制して、サイノスは頷いた。
「私が奴らなら、移動手段は掌握しておく。教会周辺を抑えられたのは痛いな」
独り言のようにそう呟いて、サイノスは白金の髪をかきあげた。
視界の端に立つ騎士は相変わらず静かにこちらを見ていた。その瞳は湖のように凪いでいるが、奥底に何が潜んでいるのかわからない。
「‥‥何を見ている」
サイノスは視線を騎士に向けた。騎士は少しも動じる様子を見せず、ただサイノスを見下ろしている。
「答えろ、ランスロット。何を見ている」
サイノスは彼の前に立ち、騎士の精悍な顔を見据えた。ランスロットは初めてゆっくりと瞬きをし、
「貴方を見ていました、サイノス殿」
そう言うと、それ以上の問答は無意味だというように瞼を伏せた。
サイノスは急激に血が逆流するのを感じた。彼の赤いマントを掴み、強く引き寄せた。
「いいか、一つ言っておく。私は物言いた気な目で見られるのは大嫌いだ。二度と私を見るな!」
「物言いた気と感じるのは君に後ろめたい気持ちがあるからだよ、サイノス殿」
「‥‥何だと」
「ほら、仲間が不信に思っているぞ。偉大なリーダーが何をイライラしているのか、と」
ランスロットの囁きにサイノスは、はっとしてすばやくまわりを見渡す。仲間の青年がひとり、かたまったように立ってこちらを見ていた。
サイノスは怒りを押し殺してマントを放し、固まったままの青年を見据えた。
「何だ」
「あ‥‥ああ、いや。まだアーウィンドに合流しないのかと思って」
「そんなことはお前が心配することじゃない。もう一度見回ってこい」
サイノスがそう言うと、青年は弾かれたように身を翻して走っていった。
おかしい。何かかみあわない。
何かがおかしいと感じる。何が、とは分からないが確実に何かが違うことはわかる。その不安がサイノスを苛つかせていた。
この程度のトラブルで、何を焦っているんだ、私は!
ランスロットは瞼を閉じたまま、二歩ほど退いたところに立っていた。
この騎士だ。
このサイノスの支配する場にのこのこ表れたこの騎士のせいだ。
こいつが磁場を狂わせるのだ。この騎士が来なければ‥‥!
サイノスはその薄い色の瞳で銀の鎧の騎士を睨みつけ、そうしてふと気付いた。
「‥‥ランスロット。お前はどこから来た」
「君のような若者に呼び捨てにされる覚えはない」
「私の問いに答えろ!どこから来た!」
「君の知らない所から、かな」
ランスロットは瞼を閉じたまま、可笑しそうに笑った。
「貴様!」
サイノスの拳がランスロットの頬を打った。がっ、と鈍い音がしたが、ランスロットはよろめくこともなく、打たれたまま首を戻そうともしない。
「力が入らないのは緊張のせいかな、サイノス」
「‥‥貴様がどこから来たにせよ、そんな大層な鎧を着込んでいるからには馬に乗ってきたはずだ。どこかに繋いだろう」
サイノスは肩で息をしながらそう言った。
「部下の馬もあわせれば、そう‥‥四頭か。よかろう、それを使う」
乱れた白金を後ろにはらいのけながら笑った。
「貴様にはこれから十分役にたってもらうさ」
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