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水のランドスケープ・風のランドスケープ

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作品批評  Column欄にも記載
この作品は三月の「新作ショーケース」に出品された江間一義の8ミリによる16分の作品である。この作品は、一秒間に5〜6コマの映写速度はさておき、映写機の前にセットされた、自動的に回転する凸レンズの複雑な組み合わせにより、通常の映画では描き出せない光の軌跡と、スクリーンからはみ出す映像の織物をみせる。

この作品では、撮影された対象の動きや色彩の再現は二次的な意味しかもたない。映写機の前に写真のように五ヶ所、計14枚の凸レンズがセットされ、モーターによってその何ヶ所かが、別個に回転するようになっている。フィルムは何も映っていない素抜けや、白い草花、木立の映像、そして直接うがたれた穴などからなっている。それらの映像の一部は直接スクリーン上に映り、残りは凸レンズの間を多様に屈折して、スクリーン上、あるいはスクリーンを横切ってゆっくりと回転するのでる。

巧みにセットされたレンズによって周期的に、なんと光源である映写機のランプおよび反射鏡自体が花のように映し出され回転する。そして、その光の一部はさらに、それを写す回転するレンズそのものの形態も映し出すのである。映すランプが映され、それを映すレンズも映し出されるのである。スクリーン上に私たちはフィルムの反映としての映像とそれを映すランプやレンズの形態を見るのだが、私達が「見る」のは映写機のランプからフィルム、複雑に組み合わされたレンズの間を透過してスクリーンに至り、そこに描き出す映像を含んだ光の総体ということになるだろう。

奥山順市の「スウイング・ムービー」の環境映画に向かう指向の影響も感じられるが、ここではレンズ間を通過する光の光学過程に重点が置かれている。普段、スクリーン上の映像を自明のものとして映画を考えがちだが、映写過程におけるスクリーンの手前側に焦点をセットすることで「光の喜び」を直接取り出そうとしているように私には思えた。
ジーッというレンズを動かすモーター音と風鈴の音を聞きながら、レンズの間をパッ、パッと屈折し、スクリーン上に描き出される映像を見ていると、映画前史において、一枚の凸レンズによって倒立像を発見した人の、今から考えれば素朴過ぎるような「光の喜び」を想像させれた。この映画は、あるいは抹殺された映画の一つの形態であるかもしれないのだ。

 

 

「考察」
私の初めての作品が”ディアトープ”になります。このタイトルの意味は、”空間を通過する”という意味らしい。以前に朝日出版社から"エピステーメー"という雑誌がありその中にこの言葉があった様に記憶しています。映像、音、日常とは何かなんて事を考えていた時でした。

商業映画でなく実験映画、実験音楽、音、映像、光なわけで今現在も基本的には変わらない。当時は私自身のなかでは、音楽はタンジェリンドリームなどでドイツロックがメインであり、テリーライリーの実験音楽でもあり、音楽や音でマクロ、ミクロ宇宙の映像空間を感覚体験する事であった。YMOも嫌いじゃないがポップ的なものに違和感を覚えた。

細野、イーノの音楽は今でもお気に入りだ、それと現代音楽は未だになじめない、コンセプトは解るがちょっときついかな。聞いた瞬間、見た瞬間スーッと入っていける物であまり知れ渡っていなければよいのだが。この作品制作時に記述した考察があるのでその当時の考え方に触れてみたい。


1980.3 記
今回の私の作品の有効性を論ずるならば限定された空間内における作品(事物)の有効性は、プロセスを観察する事から始まる。そのためにはシステム化された事物が周囲の環境(状態)を自己(作品)にいかに反映(機能)するかが一つの課題になってくる。この作品ではシステム化された内部環境の反映(機能)に留まってしまったようだが。

では外部環境の反映(機能)とは何であろうか。例えば光・音・皮膚温度・脳波等における状態がシステムとともに進行して行かなければならない。その段階としてシステムの学習が行われ再び外部に放散(提示)して行く事。このような方法の繰返しにより受け手はその機能を理解し自分自身にとってよりベストな状態(肉体、精神的)を把握する事に有る。

なぜならばこの場合におけるシステムは作品と受け手とがいかに機能しうるかが大きな位置を占めるからである。この作品(システム)の向上性は知覚によって同一化にさせる事にあり、受け手もシステムの一部に含まれてしまう。包含される事で全体のパターンを認識し調和して行くのである。




 



 

イメージフォーラムにて

 

鏡を用いた作品
風のランドスケープ
小鳥たちのために

 

水と鏡の作品
水のランドスケープ
パフェルベルに捧げて



 

 

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