2002年9月の研究開発記録&雑記帳>
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9月30日(月)「親愛なる子供達へ」
結婚して数ヶ月、北海道旅行から帰ってきてから
君達は本格的にお母さんの中で育ち始めたね。
最初は戸惑ったんだよ私もお母さんも。
でもすごく嬉しかった。
母さんは日に日に母親らしくなって君らを大切にしてくれたんだ。
実ははっきり分かったのが6月の末の北海道旅行の直前だったんだけど
僕ら二人は君らの存在を知りつつも母さんの若い夢を叶えるべく旅に出たんだよ。
それは今でも覚えているよ。
そう君達と一緒に北海道に行ったんだ。
たくさんの思い出を残してね。
産まれてきたら何時の日か君達に聞かせてあげようと専用のHPも作ったよ。
その後萩原産婦人科で双子だと分かって二度目のびっくりだったよ。
しかも一卵性って聞いて驚いた。
その一卵性の中でも特に珍しい一絨毛膜一羊膜だったんだ。
一つの胎盤で一つの羊膜に二人仲良く入っているという
珍しいけど一番危険なパターンでもあるんだね。
幸せな期間もつかの間でね、次第に母さんは調子が悪くなってきたんだ。
ひどいつわりで何も食べられなくて体重が一気に7Kgも落ちたよ。
おりしも会社の夏休みに大阪の実家に帰省した時
出血したのにはかなり肝を冷やしたね。
救急車に乗って市民病院に担ぎ込まれた時は本当に怖かった。
でもそれから何事も無く育ってくれたね。
母親学級も全てこなした時にお母さんは喜んでいたんだよ。
9月の最終週の金曜日の検診で先生からOKをもらって帰ってくるねって。
夏から離れ離れに暮らしていた私達が久しぶりに会えることになったから
大きくなってきたお腹をさすってほしいと。
だけど9月27日のメールが忘れられない。
会社に届いた母さんからの悲痛な一通のメール。
幸せの絶頂だった私達が絶望の淵に立つのにそんなに時間は掛からなかったよ。
「検診しても二人とも心臓が動いていないよ・・・どうして・・・」
悪魔に首筋を捕まれたような嫌な感覚。
ドラマやフィクションじゃない現実に母さんは電話の向こうで泣き崩れたね。
私も電話の直後は仕事が手に付かなくて困ったよ。
まだ今でも信じられないけれどね。
天国で君達は仲良く遊んでいると思っています
生きて産まれてこれなかったけど僕達の子供には変わりないから
一生涯忘れないです。
たった数ヶ月の時を全力で生きて命の尊さを身を持って教えてくれた
君達に心から感謝します。
何もしてあげられなかった父さんだけど許してください。
この後生まれてくる君達の弟妹にも伝えていくことを約束します。
君達の存在が現実にあった出来事だとここに書き留め
そして永遠に心に記して。
いずれ天国にて家族で再会することを夢見て。
また会える日までおやすみなさい。
来年2月に産まれてくる予定だった息子達に捧ぐ。
9月28日(土)「空白の長い一日」
それは昨日のこと。
携帯電話から会社への一本のメールで始まった。
どうしようもなく虚ろで虚無。
その後私にできることは切符の手配だけだった・・・
9月26日(金)「立ち上がれゲーマー達その2」
ゲームセンターを取り巻く時代の流れも変わった。
怪しいマニアか不良の溜まり場だったゲーセンに
UFOキャッチャーなどが一般人を呼び込み
ゲーセンはアミューズメント施設になりやがて家族連れなどの客層を
取り込むことになった。
テトリスなどでサラリーマンブレイクしたゲーム市場もあった。
大型筐体が多数開発されまさに遊園地のようになった。
そこでもてはやされたのがレース物の対戦モードがついていたファイナルラップなどだ。
コンピューターのロジックだけではパターンになりがちだったゲームに
新しい風が吹き始めた。
そして対戦格闘ゲームの時代が幕を開ける。
平面上で戦う2D対戦とポリゴンを使用した3D対戦がそれぞれ人気を博した。
それこそインベーダーの再来のように。
開発は短いサイクルで行われ頻繁にバージョンアップが繰り返された。
ユーザーは貪欲に与えられたゲームを貪り尽した。
その時に警鐘は鳴っていたのだ。
時代の終わりを告げる鐘が。
それらの結果どうなったか。
乱発された業務用基盤は需要がなくなり一気に値段が落ちた。
拡大を続けたゲーム会社はパチンコ機器などの開発も始めた。
手詰まった会社は倒産の憂き目にあった。
成熟した業種は動きが鈍くなる。
新しい技術などが開発されて動き出すのをゆっくりと待ちたいものだ。
ゲーマーとして最低限の腕は落とさないように
反射神経と勘を磨き続けて。
新しいモノが出なかったら黄金時代の牙を研ぎつづけるだけだな。
9月26日(金)「立ち上がれゲーマー達」
昨日某ゆ〜のすさん宅にお邪魔した。
彼の部屋にはゲームセンターの筐体があるのだ。
筐体というその言葉の響きに憧れないゲーマーはいないだろう。
自分の部屋でアーケードゲームが出来るというのは夢なのだから。
その昔筐体は非常に高価なものだった。
まず一般に販売されるルートは無くオペレーター専門の分野だったから
手に入れることすらかなわなかった。
あのインベーダーブームの頃はテーブル筐体が一台50万円程だった。
それでも数日で楽にペイできるくらいのインカムだったというから
流行と言うものは恐ろしい。
世の中に出回り市場で人気の無くなったゲームは回収されて廃棄されていたが
やがてマニア相手に販売する業者が現れた。
ゲームセンターの場合筐体はほとんどリースという形で置かれる。
しかし一般の場合個別にリースにするのは難しい。
そこで登場したのがコントロールBOXと呼ばれるシステム。
電源とレバーとスイッチをコンパクトにまとめそれに映像出力を付け
必要最小限でアーケード基盤を起動するシステムだ。
筐体を置くスペースの無いマニアは飛びついた。
無論私も手を出した人間の一人だ。
この時基盤の需要が供給を大幅に上回りプレミアが付くものも出始めた。
コレクターは基盤を買い漁り放出しなくなった。
もちろん一度開発・製造・販売が終わったゲームはよほどのことが無い限り
再生産されない。
だから市場から消えるとそれまでなのだ。
しかしその時代も長くは続かなかった。
ゲームメーカーにとって昔のゲームは財産でもある。
家庭用のゲーム機がめざましい発展を遂げて昔の業務用を上回る
スペックになった時点で人気のあったアーケードゲームは移植され
お手軽にできるようになった。
取り扱いの面倒な基盤をわざわざ使う必要が無くなったのだ。
9月25日(木)「定期検診」
先日会社の健康診断を受けて血液検査の再検査を受けることになった。
実は血液検査は苦手なのだ。
もともと注射自体あまり好きではない(好きな人がいるかどうかは知らないが)上に
以前ひどい目に遭ったことがあるのだ。
その見るからに外部スタッフで若い看護婦に採血してもらった時
まず血管をまともに捕らえていないのに針を刺されたので
直接痛覚を刺激されてとても痛かった。
さらに深く刺されて血管が内部で破れたらしく
採血が終わってしばらくすると腕の内側が青くなってくる。
もちろん痺れを伴い微妙に痛い。
風呂に入って暖めても青あざは消えず
そのまま放置しておくと今度は黄色くなってきた。
どうしようもないので結局放置で我慢。
元の色に戻るのに2週間以上かかってしまった。
これが2回ぐらいあったのだ。
血液検査と聞くと鬱も入ると言うもの。
しかし今日の採血は少し違っていた。
再検査の担当のベテラン看護婦さんに以前の事情を話すと
ベットで横になって採血することになった。
針を刺される瞬間はどうしても全神経が腕に集中してしまうのだが
今回は気が付かないうちに針が刺さっており終わりも非常に自然で
全然痛くも痒くもなかったのだ。
ベテラン看護婦さん曰く
「痛覚を刺激しなければ採血用の太い針でも痛くないのよ」と。
今までの常識から外れた体験だっただけに
ちょっと感心してしまった。
・・・採血に指名制度があればいいのにな。
9月20日(金)「銀河鉄道の夜」
その昔、親の影響で文学少年だった頃
図書館で一冊の本に出会った。
それが宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」だ。
ジョバンニとカンパネルラの旅は当時小学生だった私には
少し難しかったが完全に理解しなくても幻想の世界をぼんやりと感じ取れた。
実際身もふたも無い言い方をすれば旅の出来事はジョバンニの夢だったのだが
その後現実のカンパネルラの経緯を見るとこの物語が単純なファンタジーではなく
現実にリンクした話だと言うことがわかる。
そしてその頃TV放映されたのが松本零士原作の「銀河鉄道999」だった。
話の設定も雰囲気も違うが大宇宙を鉄道で旅する所は同じ。
母親を機械伯爵に殺され剥製にされてしまった主人公星野鉄郎が
永遠の生命を得ることと機械伯爵への復讐を誓い謎の美女メーテルと共に
銀河鉄道で機械の身体が只でもらえる星に旅するストーリー。
「銀河鉄道の夜」が好きだった私はぐっと引き込まれる何かを感じた。
TVのみならず映画にもなったのだが劇場に見に行くことはできなかった
その代わりに劇場版の小説を覚えるほど繰り返し読んだものだ。
TV版のオープニングはささきいさおが歌い劇場版はゴダイゴが歌ったと言えば
観た事が無くても聞いたことがあるのではないだろうか。
そのTV版が20年の歳月を経てDVDで発売されることになった。
銀河鉄道に浪漫を感じる私としては非常に欲しいと思い
先日秋葉原までバイクを飛ばし買いに行ったのだ。
・・・しかしやはり非常に高価だ。
BOX1(1話〜16話)だけで19800円である。
全部で113話だから総計BOX6箱組なのだ。
しかもこの後のBOXは2カ月おきに発売され1BOXが24800円。
全て揃えれば消費税含めて150990円。
・・・漢の浪漫には金が掛かるな。
9月16日(月)「ラストイヤー」
週末に行きつけのバイク屋主催のツーリングがありそれに参加してきた。
北海道から帰ってきてからほとんど走っていないので
リハビリも兼ねてかな。
行き先は長野と岐阜にまたがる乗鞍スカイラインだ。
乗鞍は自然保護の為に来年からマイカーでの入山が禁止されるので
駆け込みで行く人が多い。
まあ我々も例に漏れずそうなのだが。
出発時から怪しかった天候は上信越自動車道の更埴JCTで一瞬晴れたが
ほとんど曇りばかり。
時折小雨が降る中、決して路面状況は良く無かった。
塩尻で高速を降りて19号で南下する。
薮原まで走って宿に入った。
ここまでで東京からだいたい300Km弱である。
天気が回復することを祈りつつ就寝。
翌朝、奇跡は起きていなかった。
どんよりよどんだ空の中、出発準備をし宿を発つ。
上高地乗鞍林道を爆走し乗鞍高原に入る。
途中まで調子が良かったが山頂を感じられる付近になるに従って
渋滞が始まった。
バイクの身軽さを利用し全てすり抜けて行く。
それでも山の上の畳平に到着するまでにかなりの時間を要した。
バイクですらこうなのだから車だと最低でも3時間以上はかかるだろうな。
まあ世間一般三連休の中日だからそれも拍車を掛けていると思うが
ラストイヤー効果もあるな。
関東ナンバーも多かったが関西から来た車もかなりの数だった。
ガスっていたので景色はほとんど見られなかったが
ワインディングとしては非常に楽しい道であった。
無理だと思うけどマイカー入山禁止になる前にもう一度トライしたいところだな。
9月13日(木)「妊婦体験!?」
昨日仕事を有休にして病院に行ってきた。
別に身体が悪くなった云々ではなく以前嫁が受けた検査結果を単独で受け取りにだ。
部屋からゴミだしをしてバイクを引っ張り出す。
病院は光が丘団地の真中にある総合病院だから
車だと駐車場に困るからな。
朝も早く行ったつもりなのに案の定車の駐車場はいっぱいで自転車置き場も
かなり埋まっていた。
結構端の方に停めてジャケットを脱いで病院に入る。
目的地は産婦人科の受け付けだ。
エレベーターで2Fに上がると目の前が産婦人科だった。
待合所が狭いと思ったのは勘違いではあるまい。
そこは妊婦がうじゃうじゃいる空間だった。
付き添いで来ている旦那も2人ほどいたが単独で来ている者はさすがにいない。
受付で診察券を提示しこれこれこういうわけでと話をし
しばらく待つことになった。
それにしても周りはほとんどお腹の大きい人である。
気のせいか空気自体が非常に重い。
暇つぶしに小説を読んでいたのだが何となく視線を感じるのだ。
そうこうしているうちに自分が呼ばれた。
そこで呼ばれたのは診察券の名前だったが。
看護婦
「○○○美さーん」<嫁の名前
私
「はーい」
看護婦と一緒に診察室に入ったのだが周りの視線が痛かったの何のって。
結局検査結果を説明され所定の用紙に記入するのですと教えてもらう。
通常は結果だけ渡して本人に書いてもらうものらしいが
男性に単に渡すと間違えられると困るのか看護婦さんが親切なのか
全部記入してもらうことになった。
書類が出来て無事に退出。
いやぁなかなか出来ない体験が出来たな。
妊婦が一斉にぎょっとする雰囲気を感じて面白かったよ。
9月09日(月)「国家権力」
先日ブランさんの所に行く途中東名高速を使用したのだが
運転手のほそモールさんが「あっ!」と叫んで減速を開始したので何かと思うと
後方から速い車が迫ってくる。
GTRの白黒パトカーだった。
私が認識したところではフロントグリルの赤色灯は点けていたが
屋根の回転灯は消していてサイレンも鳴らしていなかった。
ということは通常走行中で警邏中だったのだろう。
もちろんちょっかいを掛ける車は全然いなくて
あっという間に視界の彼方に走り去ってしまった。
パトカーの任務遂行時は原則として赤色回転灯及びサイレンを点けなければならない。
なのだが時々そうではないパトカーも見かけるな。
緊急任務でもないのに高速道路の警邏で赤色灯を廻しかっ飛んで行くとか
Uターン禁止の交差点を右折車線に入りUターンするとか
覆面パトカーの後ろをずーっと着いていった時の事(もちろん偶然方向が一緒だった)
右折レーンから信号が青になった途端パトランプを出し直進していったり。
警察官が全員そうだとは思わないが時折不可思議な警察車両を見かけるのは
気のせいではあるまい。
不祥事を起こす人間も少なからず警察の中にもいるのだから
完全に信用はできないな。
これは伝聞であるから何処まで事実か知らないが
警察には国家権力があることは周知の事実だ。
合法的に力があるのだからその力を私用で行使する人間もいるらしい。
その力目当てに警察機構に入る人間もいると聞く。
だとすれば非常に情けないことだ。
取り締まるべき者はいるにも関わらず面倒事には介入しない
取り締まりのし易い原付などやスピード違反のネズミ捕りで
無から有を生み出す職業だと言われるのも無理も無い。
嫌われこそすれあまり好かれないから余計に対立してしまうのではないかな。
そう考えると警察官ってストレスがたまりそうな職業だな。
個人的には友好的なお巡りさんもいるから警察は嫌いじゃないけど
人の人生を左右する可能性がある分いつも真面目に職務に着いていただきたいものだ。
少なくとも素人の私が見てきている中ですら
模範的といえない行動を見受けられるのだから。
9月08日(日)「見舞いオフ」
先週から約束していたのだが掲示板でもおなじみの電気ブラン氏の
お見舞いに横浜まで行ってきた。
難しい病気で闘病生活を頑張っておられるのだが
あまり昔と変わっていなかったのでちょっと安心した。
そう言えば電気ブランさんとは一年以上も会っていなかった。
ちょうど一年前には私はアメリカに行っていて
帰ってきたら手渡ししようと思っていたジャガーのHOT WHEEL(ミニカー)が
まだ手元にあったからだ。
渡そうと思って買ってきた土産を渡せない時は口惜しく感じる。
HOT WHEELを見るたびに早く渡さなければなと焦りすら感じていたから
今回のお見舞いオフは良い機会だった。
それにしても今日は日曜日だというのに首都高速は非常に空いていた。
ついでに言うと東名高速も空いていた。
先日の大阪帰省の際は和光から東名インターまで1時間で
そこから横浜町田インターまでは2時間半掛かったことを考えると
今回は和光から横浜まで約1時間で到達したのだから非常に速かったな。
渋滞のエネルギーロスは本当に資源の無駄だから
いつもこのくらい空いていてくれれば嬉しいのだけれど。
それと高速の入り口にフリーウェイクラブは使えないと
張り紙が新しく張ってあったな。
ちょっとこれから話がどうなるのか楽しみだけれど
今の日本の高速道路の料金形態は無謀に高いと感じるのは
少数ではあるまい。
見えていないモノをもっと表面にだして
どんどん追求していかないと一部の政治家の思うままになってしまうな。
高速道路は無料か区間100円程度で税金で運営すれば
今よりもマシになると思うのだがね。
9月05日(水)「残暑」
9月に入って少しは涼しくなるかと思ったが未だに暑い。
沖縄では台風が来ているから雨も降っているが
関東は連日夕立すら降らずだ。
空気が完全に乾燥していればまだ少しマシなのだろうが
蒸し暑いから湿度もまだまだあるのだろう。
今年の夏は9月1日が日曜日だったから
学生達は一日長い夏休みだっただろうな。
もっとも気が付くと終わっているのはいつの時代も同じか。
最近仕事場には自転車で行くようにしているのだが
今朝会社の裏門のすぐ脇で警察官が現場検証していた。
何事かと思ったらどうやら火事らしい。
裏門の隣は喫茶店でその隣の空家っぽい家から出火したみたいだ。
空家も喫茶店もすっかり燃えてしまっていた。
喫茶店の外装はぱっと見ではレンガの屋根が少し崩れただけに見えたが
二階部分の窓は煤で黒くなり盛大に燃えてた様子が想像できる。
通路で隔てられていたので会社には被害が無かったのだが
昨晩はちゃんと営業していたから未明の火事だったのか。
台風とかが来ていたら火事も大きくなくて済んだのかも
雨ばかり降っても困るが全く降らないのもちょっとね。
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