2002年7月の研究開発記録&雑記帳>
過去の研究開発記録
2002年1月
2002年2月
2002年3月
2002年4月
2002年5月
2002年6月
7月29日(月)「鍛錬その2」
掲示板でゆ〜のすさんが書くようにゲームの中でもアクション系は
非常に腕が鈍りやすい。
アクションの中でもいつも同じ反射神経を使う奴、
いわゆる(タイミング勝負モノ)は比較的勘を取り戻しやすいが
記憶を伴わないと進めないモノやアルゴリズムが一定でない奴
(その頂点は対人戦格闘モノ)は鈍った腕を取り戻すのは時間が掛かる。
腕を落とさない方法はただ一つでやり込み続けることだけだ。
昔のハイスコアラーだったというのは過去の栄光であって自慢できるものではない。
記録を常に維持できないと真のスコアラーとは言えないからだ。
私は残念ながら最近ゲームセンターから遠ざかり
やったとしても家庭用機でレビューされているモノばかり。
現在のゲームは全く手が出ない。
食指を動かされるモノも無いのが現状なのだけどね。
一時期ゲーム業界では大型機とキャッチャーに頼った営業をしていた
その名残が今も後を引き、一般人をゲームセンターに引き入れることには
成功したがマニアの生き残る道は大型筐体の一部と対戦格闘くらいになった。
一般人アミューズメント業界の薄利多売方式だ。
マニア向けのゲームはだんだん姿を変え一般人とマニアの区別が難しくなってきた
たまに郷愁にかられる懐かしい感じのゲームもリリースされることはある。
やり込むまでには至らないけどこの手の奴も開発してほしい。
しかし業務用機の開発だけでは肝心のゲーム会社は食べていけない。
家庭用はもちろんパチンコ業界やアミューズメント業界に幅広く参入せざるを得ない。
そうなると業務用機の開発も手が薄くなる。
ゲーマーとして残念ではあるが時代の流れなのかとも思う。
今の自分にできることは鍛錬を怠らず常に腕を磨くこと。
誰に披露するでもなく自分のテンションを高めておく為に。
7月27日(土)「鍛錬」
某巨大掲示板で久々に懐かしいゲームの書き込みを見た。
遠藤雅伸と言えばゼビウスやグロブダーのゲームデザイナーだが
やはりドルアーガの塔を外すことはできないだろう。
年に何回か思い出してはプレイするのだがそろそろそんな時期もきたかと
久々にドルアーガを起動してプレイすることに。
ゲームでも何でも常にやっていなければ腕が鈍る。
結局3回コンティニューするはめになった。
1回目は23面で自分の出現位置が悪くウィザードに集中砲火を浴びて撃沈。
これでやる気は随分落ちたのだが懲りずに2回目。
次は細かいミスが多く最終的には45面でハイパーナイトと戦っていたところ
同時に襲ってきたミラーナイトを倒してしまい即自殺。
(45面のエクスカリバーはナイトを順番に倒さないとだめなのだ)
そこからは全く無傷でドルアーガも倒しエンディングへ。
何ヶ月ぶりか忘れたがまた腕が鈍っている。
宝箱の出し方は全て暗記しているので迷うことが無いが
年齢の加算による運動神経および反射神経の老化だろうか
マジシャンの呪文に対する防御が甘くなっている。
昔は55面とかウィザードを倒さずに動き回れたのになぁ。
余談だがドルアーガベースでネットゲームが開発されているという
噂はどうなったのだろう。
今の現代に蘇るドルアーガの塔はとても楽しみなのだが
本当に出るのかな?
これまた蛇足だが60面で出てきた「KI」に対してずっと見ていた嫁曰く
「そんなに苦労して助けているのにあまり可愛いくない」だと。
・・・まあ3頭身だしな。
「フィギュアは可愛いのにね。」
むーん奥が深い発言だ。
7月22日(月)「切符攻防」
「さっき真っ直ぐの車線にいたよね」
と青い服の人。
「いいえ、一番左の車線にいました」
と私。
青「あそこから左に曲がることはできないんだけど」
私「最初から一番左の車線にいたのは事実です」
青「とりあえず免許証出して」
私「赤線も跨いでいませんしスピードも出していません、交通違反はしていません」
青「・・・」
私「左折ウィンカーも点けていました、何か違反しましたか?」
青「いや運転手さんの名前が分からないと話ができないから」
ここで免許証を取り出して渡す。
青「あー大きいバイクに乗っているけど他の人からどう見られているか知ってる?」
私「ええ、知っています。模範になる運転をしなければいけないことも」
青「・・・」
私「何か?」
青「今回は切符切らないけど安全運転でお願いしますよ」
私「ええ、いつも安全運転を心がけています」
切符を切られる行為はしていないつもりだから
白バイに止められても何も恐れることは無かった。
免許条件の確認をしたかったのだろうか。
それとも年齢?ちょっと謎である。
その後しばらく高島平通りを走っていると別の白バイの後ろに付いた。
最近では珍しくYAMAHAの古い型の白バイだった。
もちろんさっきとは別人だ。
珍しいのでしばらくそのまま併走する。
というより真後ろ2mを追走。
17号バイパスに曲がる跨道橋で同じように右のサインを出し
彼はUターンして戻っていった。
ひどい服装で乗っているバイクもたくさんいる
円滑な交通を妨げる悪質な駐車車両もいる。
違反を取り締まるのならばそういうのを優先してほしいな。
え?GLで車線の右にいたら十分邪魔?
そりゃそうだ、すみませんm(__)m
7月20日(土)「白い追跡者」
秋葉のエプソンの受け付け担当は嫌な顔一つせずに修理を快く受けてくれた。
保証書に店の名前とかは書いていなかったが領収証があったから
問題は全く無かった。
担当者は日曜日にはお届けできますと約束してくれた。
修理センターから出てきてふと見ると隣のソフマップでは
「AIR」のPS2版の予約を受け付けていた。
そうかようやくPS2版の発売か。
DC版に遅れること1年。
今更発売してメリットはあるのかどうか知らないが
少なくともソニーエンターテイメントとしても活気の無くなって来た
ゲーム業界に新たなニュースを呼び込みたかったのか。
最新のゲーム業界話から遠のいて久しい。
何か遠い世界のような不思議な感覚に捕われる。
秋葉の帰りにバイク屋に寄ってGLのパーツが来ているかチェックすることにする。
国道17号線を用いて北に向かう。
途中から17号バイパスに入るつもりで高島平通りを左折するために左に寄せる。
左折すべき交差点で一番左の車線の車の右に着いたその時
その交差点を渡った先に白バイが見えた。
こちらを見ているがおおよそ原付の取り締まりでもしているのであろう。
矢印信号が左折可を示したが横の車が左折しないので前に出て左折を開始した。
その瞬間私の視界の一番右に先ほどの白バイが動き出すのが見えた。
左折してすぐに嫌な予感がする。
オーディオのスイッチを切りバックミラーを見ると赤色灯を廻しながら
こちらに向かってくるバイクが見える。
冷静に事象を確認し恐らくは自分に来るであろう指示を考える。
・・・覚悟完了だ。
次の交差点で右側に付けた白バイ隊員から左に寄るように指示される。
私よりも年の頃は若いだろうかVFRの2期前の型の白バイだった。
7月19日(金)「トラブル!トラブル!!トラブル!!!」
何とかメインマシンのデータ移管も無事に終了し
PCの具合も元に戻った。
結局掃除しただけなのだが所詮はこんなものだろうか。
安心したのもつかの間で新たな問題が待ち受けていたのだ。
今度だめなのはプリンターだった。
デジカメ写真を印刷しようと思いフォトショップで解像度と大きさを調整
印刷してみると発色が非常に悪い。
確か2週間ほど前に印刷した時もインクが詰まっていた。
ずっと放っていたのならば固着することも考えられるが
エプソンのインクは詰まりやすいのか?
仕方ないのでクリーニングを開始。
すると詰まっている当該色インクが切れた。
・・・PM950Cのインクならドンキに売ってたな。
暑い中バイクを引っ張り出してインクを買いに行く。
戻ってきてインク交換の後にテスト印刷。
・・・だめじゃん。
クリーニングを繰り返すがだめだ。
こうなったらばらしてヘッドの掃除を手でするか。
む、だめだ外すには冶具無しでは難しい。
カバーのつめを割りそうだ。
ミシン用の細いドライバーだけではうまくいかないな。
ここはほそモール研究員に連絡するかな・・・と思ったが
買って一年も経っていないプリンターの癖に
インク詰まり起こすなんざ消費者をなめるなの気合の元
エプソンのカスタマーサービスにクレーム入れるのが先だろう。
Telllll
・・・
エプソンのカスタマーサービスは意外に丁寧に応対してくれた。
東芝のようにクレーマーとの戦いになったら大変だからかな。
今の時間からだと即日は無理だが受け付け時間内に持ってくれば
明日には直してくれるそうな。
現在午後5時、受け付け終了まで1時間か。
やはりバイクだな。
かくしてプリンターを後部座席に乗せ秋葉まで輸送することになった。
この時はまだ戦慄の時が訪れるとは思いもしなかった。
7月13日(土)「トラブル発生!」
またPCのトラブルが発生した。
今回のトラブルは今までに無いものだった。
BIOSの確認画面に行かないのだ。
ハードディスクへのアクセスも怪しい。
さすがに3年以上闘ってきたマシンだからヘタリが来たか!?
そうは言ってもこのままではHPの更新すらできない。
一応おおまかにバックアップは取ってあるのだが
まだ写真データなどの巨大な奴が控えているのだ。
・・・それよりも早いことPCを回復させなければ。
何度か起動を試みたが復旧しないので本体をばらすことにした。
そんなに環境の悪いところには置いていないから
思ったほどほこりは積もっていなかった。
が、念には念を入れて掃除機&ブロアー。
さらにCPUまでマザーボードから外して徹底的に掃除。
組んでみて電源を入れたら立ち上がった。
しかしエラーメッセージが。
どうもエラーの原因はメモリコンフリクトを起こしているらしい。
しかもLANボードのスロットにおいてだ。
・・・事態は悪い方向に行っている。
何とか立ち上がったけど他のマシンを認識できないからデータサルベージができない。
応急処置として外付けのHDにデータを逃がすことにする。
でも本当はこの方法は嫌なのだ。
何故ならばUSB接続なのでデータ転送速度が100BASEのLANに比べると圧倒的に遅いから。
しかし贅沢は言えない。
HDが壊れる前に何とかしなければ。
現在セカンドマシンで何とか執筆している。
北海道ツーリングの更新を楽しみに待っている方には申し訳ないが
PCトラブルを克服するまでもう少し更新は遅れるかもしれない。
まあうまくいけばすぐに復旧するかも知れないが。
7月03日(水)「一日目の裏話」
予定では午後2時にはフェリーを降りて走り始めて襟裳岬には
夕方5時には到着のはずだった。
しかし予想外の雨でだんだん速度が落ちたのは本当の話だが
この話には裏話がある。
ご存知のようにGL1500はツーリング用に開発されているバイクで
カウルも非常に大きく多少の雨でも濡れないのだ。
だからぱらぱらくらいの雨ではびくともしない。
だがここに問題があった。
後ろで走っているW650はカウルなど何も無いシンプルなバイクだから
少しの天候の変化で走行に支障が出始める。
GLで走っている私がWの異変に気が付いたのは
霧雨だと思っていたぱらつきが小雨に変わってからだ。
途中のコンビニの駐車場に寄って状況を聞いたら
合羽を着ていなかった嫁はすでに足元がずぶぬれ。
当然靴の予備もあるわけなく気持ち悪い中で襟裳岬を目指す羽目に。
何度もバイクの交換をしようかと提案したが急に乗れるわけも無く
妙な空気の中でバイクを走らせることになる。
まあ、岬に到着するころには機嫌が直っていたけどね。
ただやはり机上の計画を実行するには一筋縄ではいかないのが現実。
帯広までの走りはかなりキているものがあった。
・・・半日で250Kmの距離を観光も兼ねて移動するのは無理があったかも。
BACK