106日間北海道一周!自転車&キャンプ旅行(3)


サロマ湖三里浜キャンプ場の落陽

秋の気配が漂うサロマ湖を夕陽が照らす…

サロマ湖の落陽(9/4)
 サロマ湖はオホーツク海のすぐ側にあり、ほんの1部分だけ陸地が途切れていて、オホーツク海と少しだけ繋がっている。その途切れ目近くにある、三里浜キャンプ場にその日はテントを張った。堤防に登って、サロマ湖を見て、反対側を向けばオホーツク海という絶好のロケーションだ。
 ただ、水際のサイトで蚊が多いのには参った。コンロの火を使う時は、安全のため外で使わなければいけない。しょうがないので、肌を露出しないよう、顔にさえタオルを巻く完全防備で調理をした。
 9月になり海水浴が主体のキャンプ場のせいか、もうキャンパーは少なく、広いサイトはがらんとしている。夕日がサロマ湖と寂しげなキャンプ場を赤く染めていった。いつのまにか日が沈むのが早くなっていた。


小清水町の田園風景

小清水町ののどかな田園風景
小清水町の田園風景(9/7)
 網走市の東隣りに原生花園で有名な小清水町という町がある。1993年に自転車のツーリングで訪れ、海側の国道でなく内陸の道道を走った時、この辺りの何気ない田園風景が美しく、心に残っていた。
 4年後に再びこの地を訪れ、小清水のユースホステルに連泊してこの辺りをぶらぶらした。あの時と同じように斜里岳をバックに、緑の畑と収穫され土面を見せている畑がパッチワークのように連なっていた。美瑛のような派手さは無いが、観光地化されていない分、素朴な田園風景があった。


根北線未成線跡のコンクリートアーチ橋前で

今も森林にひっそりと佇む国鉄根北線
未成線跡跡のアーチ橋。
(※当サイト内関連ページ
北海道廃線跡紀行7-根北線もどうぞ)
今もひっそりと佇む鉄道残骸
〜根北線未成線跡(9/8)

 北海道では多数の赤字ローカル線が廃止された。だから自転車で走っていると、意図しなくても、あちらこちらで鉄道廃線跡を目にした。私は廃線跡を見るのが好きで、廃線跡を目にすると停止して写真を撮っていた。
 だがそんな風に偶然ではなく、わざわにまわり道をして廃線跡を見に行った事もあった。その路線の1つが斜里−越川間を結んでいて、更に根室標津まで伸びる予定だった根北線だ。その未成区間にはコンクリートのアーチ橋が未だにそびえ、廃線ファンの間でも有名な場所となっている。
 斜里から国道244号線の坂を上り続けると、林の中になコンクリートのアーチ橋が現れた。古代ローマ時代の水道橋のように美しく、緩くカーブしている姿が優美だ。何と鉄筋などを使用していない無筋の橋だという。開通区間も1970(昭和45)年に廃止され、このアーチ橋を列車が通る事は無かった。しかし、歴史的価値が認められ、1998年に有形登録文化財に認定された。
 ふと橋脚の足元を見ると、瓶に花が供えられているのが目に入った。この橋は優美な姿とは裏腹に、悲しい歴史を持つ橋でもある。タコ部屋労働で過酷な労働を強いられ建設された橋であり、人柱が基礎部分に埋められた言われてる。何と無念の死を遂げた事だろうか!ひっそりと供えられた花は、無念の死を強いられた人々への責めてもの慰めなのだろう。

知床の鹿の群れ

夕方、知床五湖付近の道路に
姿を表すエゾシカの群れ。
知床道道93号線にて(9/9)
 ウトロのキャンプ場から知床林道を通って知床大橋に行った。同じ道を引き返し、アスファルトの道に出ると、思いがけずエゾシカの群れに出くわしした。こんなに間近に群れを見たのは初めてで驚いてしまう。夕方になって大勢いた観光客が退き、人の気配が少なくなったので出てきたのかもしれない。そして数分後に、彼らや知床の密林の中に消えた。
 知床林道は熊など動物が出てきてもおかしくない野性的な雰囲気で、所々で木々に覆われた半島や海が見渡せる。知床半島の先端「知床岬」から20kmは道が無く、知床岬へは船か本格的な登山装備で秘境を辿り歩くしかない。夏はかなり観光客が多いが、さっきの鹿のことといい、まだまだ多くの自然が残されている所なのだと感じさせられた。


知床峠への道

知床峠越えの道すがら、ふと後ろを振り向くと…
知床峠への道(9/10)
 知床峠越えはウトロが海岸沿いの町なので、ほとんど海抜0メートルから738メートルの知床峠に登らなければいけない。今まで100m〜200mの小さな峠はいくつも越えてきたが、これほど高い峠を越えるのは初めてで、緊張と覚悟も違う。
 だが、問題が2つあった。雲行きが良くない上、自転車のブレーキが片ぎきなのだ。私は恥ずかしながら、自転車の修理はほとんどできなかった。ウトロには自転車屋は無く、斜里に戻るか、峠を超えるかだが、後者を選んだ。
 危惧した通り、登り始めたら雨が降ってきて、とりあえず道の途中にある知床自然センターで雨宿りし、小雨になると、レインコートを着込み、再び峠を目指して出発した。
 だが、途中からは嘘のように、雨はすっかり止み、空は晴れ渡り、峠に向かう私を攻撃するかのように、太陽がギラギラと照る。暑さと坂道が延々と続き、全身汗まみれになり息も切れ切れだ。一気には登られないので、何回か道端に腰掛け休憩をした。その時に来た道を振り返ると、あんなに近くにあった海が遠くの方に望めた。
 苦労して辿り着いた知床峠は風は強いが、気持ちいいほどに晴れ上がり、眼下に国後島がくっきり見えた。近くにいたバスガイドさんはツアー客に「これほどまでに国後島が見える事は滅多にございません」と案内していた。

☆コラム(3)〜キャンプ中の食事情〜
 旅立つ前にキャンプ旅行と来れば自炊だろうと思い、皿兼用のキャンプ用調理器具、アウトドア用のコンロを買った。コンロはホワイトガソリンというアウトドア用の燃料で、ガスコンロなどに比べランニングコストが安いのが特徴だ。だが、コンロには英語のマニュアルしかなく、私には解読できなかった。アバウトな性格の私だが、火器ゆえに適当に使うのはさすがに危ないと感じた。だけど、何とかなるだろうと、さして深くは悩まずコンロは持参した。ではどうしたのかというと、コンビニやスーパーの弁当、缶詰、パンなど、火を通す必要の無い食料を買うなどして特に困りはしなかった。地元の食料品店だけでなく、コンビニさえも道内中に所に行き渡り、最初の内は何とかなった。

 だけど、やはり長期の旅でそのような食生活は味気なく、健康面でも不安があり、キャンプ場でのクッキングをしたかった。相変わらずコンロは使えなかったが、旅の途中でコンロの扱い方を知っている人に出会えるだろうと楽観しながら旅を続けた。そして、遂に留萌のライダーハウスに宿泊している時に、扱い方を知っている人に出会い、危なっかしいながらも、コンロの使用法を覚えた。そして2日後、幌延町のキャンプ場で初めてコンロに火を起し、夕食を自分で作った。作ったものは茹でてある茶そばに火を通しただけという他愛の無いものだった。

 それからは、キャンプ場やライダーハウスの軒先でよく自炊した。基本はやはり米だ。聞いた所によると、最初は強火で加熱し、吹きこぼれてきたら弱火(※)にし、吹きこぼれが無くなったら鍋を逆さまにし蒸らすという手順だ。だけど、電子釜みたいに上手くはできず、多かれ少なかれ芯メシ状態だった。でも、自分で炊いた温かいご飯はやはり美味い!自転車に乗り疲労した後は倍おいしく、体に燃料を補給するように、たらふくと食べた。夜、多めに炊いてておけば、翌日の朝食になった。温かいものが食べたかったら、雑炊やおかゆになどにし、めんどくさければ冷や飯のまま食べた。

 おかず類はパスタ、レトルト物、缶詰は手軽で、よく食べが、それだけでは飽き足らない。しかし、自転車で流浪する旅なので、冷蔵庫は持ち歩ける訳も無く、生ものの扱いは苦慮した。肉類、魚類は少ない単位でも買えたからまだ良かった。しかし、野菜類は大きいものは1個、あるいは1パックでしか買えない場合がほとんどで買いづらかったが、全く採らないという訳にはいかない。なるべく少ない単位で買うようにするか、基本的に1回で使い切るようにしていた。例えば、焼肉をするとしたら、もやしが異常に多かったなどというのはいつもの事だ。但し、ジャガイモ、人参、玉葱などは幾らか日持ちが良く、何日か持ち歩く事ができた。

 食費の軽減に大いに貢献したのが100円ショップだ。当時、私の生活圏内に100円ショップは無かったが、北海道ではよく目にした。しかも、お菓子、飲料、調味料、野菜から惣菜まで食品類を豊富に揃えた100円ショップはまさにカルチャーショックで、1000円以上買いだめする事もしばしばだった。

 100円ショップは私の食事をささやかに彩ってくれる存在でもあった。ふりかけや海苔を添えたり、サイドディッシュに缶詰類、スープなど何か一品増えた。ある時にはメインディッシュにもなり、「コーンスープリゾット」「ミートソース丼」など珍メニューも編み出した。普段は食べられないような代物だが、キャンプ場の空の下では不思議と美味しかった。

(※)ホワイトガソリンのコンロは火力調整を出来ないとしているものが多いので、自己責任で。私の物も火力調節が出来ないものだったが、つまみを動かすと多少は調整できた。


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