2001年8月の研究開発記録&雑記帳>


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8月31日(金)「ルームサービス」

さて海外に来てホテルに長期滞在すると必ず毎日部屋を掃除に来るのだ。
ホテルで掃除してくれるといっても往年のメイド服は着ていないので注意。
ベットメイキングとも言うね。

部屋の掃除と備品の補充が主な仕事か。
ほとんど元通りにしてくれて非常に気持ちが良い。
一回でも使った形跡のあるものは交換して消毒済みのモノになる。

初日に風呂の備え付け石鹸を使ってみて
肌に合わないからとほとんど開けたままの状態でおいてあったのだが
それすらも新品に替えてあった。
どうもアメリカの石鹸は合わない気がする。
今は植物物語のボディーソープが手に入ったからもっぱらそれだが。


話がそれた。
一応これも全てサービスのうちなのだが
日本とは違うのはチップサービスのことだね。
もちろん気持ちの問題だから無くてもOKなのだが
私は毎朝ベッドサイドテーブルに一ドル札を一枚置いて
メモに「THANK YOU FOR YOUR JOB.」と残している。


日本のホテルだとあり得ないけどね。
もしも現金を置いてホテルを出ようものなら絶対に回収されずに
置いたままになるだろうね。

チップの話はまだまだ奥が深いのでまた次にしよう。


8月30日(木)「トラブル!?」

アメリカに来て10日、今のところ何も問題なく過ごしてきている。
問題が無いと言うのもつまらないな。
しかし罠は思わぬところに潜んでいるのだ。

いつものように写真を撮るためにデジカメのスイッチを入れる。
撮ろうと思った瞬間に電源が落ちてしまった。
あれ?おかしいな。
もう一度スイッチオン。

やはりすぐに電源が落ちる。
どうもバッテリーが消耗しているらしい。
でもそれはおかしいのだ。
昨晩十分に充電を確認して寝たはずなのに朝になったら消耗していたなんて。
もちろん電源を入れっぱなしにしていたわけではない。
仮に電源が入りっぱなしでもオートオフ機能で電源は落ちるはずだ。

まさかバッテリーの不具合がここで来たか。
実は今使用中のこのPCも付属バッテリーは行きの飛行機の中で消耗してしまい
完全におしゃかになってしまったのだ。
充電しても電気が貯まらなくなってしまった。
一応予備の大容量バッテリーを持ってきているし普段はACアダプターなので問題はないが
デジカメ用の予備バッテリーは持ってきていない。
ここでデジカメを失ったらこの先の画像が撮れない。
銀塩カメラも持ってきているがHPのアップができなくなるな。
慌てて電気屋を探したが見つからなかった。
どうすることもできないので仕方なくもう一度充電をトライした。

翌朝・・・バッテリーは充電されていた。
実は今回がバッテリートラブルの最初ではない。
SONYはバッテリー系が弱い感じがする。

機能とデザインは良いのだけどね。
トラブルはネタの元だがHPが更新できなくなる系のトラブルは起きて欲しくないね。


8月29日(水)「携帯事情」

ここアメリカでも携帯電話はもちろん存在する。
しかし日本に比べると幾分遅れていると思うのが実態かな。

ここではポケットベルもまだまだ現役で活躍している。
日本ではサービスがなくなってしまう勢いなのだがねぇ。
ちなみにポケベルのことはこちらではページャーと呼ぶのが普通だ。

大きいスーパーなどに行くと日本と同じようにワゴンに携帯電話を乗せて
客引きしている光景を見かける。
ちょっとだけ見てみたがあまり欲しいとは思わないデザイン。
まだ武骨で大きめだ。
まあアメリカ人の手のサイズだと日本のは小さいかもしれないな。


一応安い携帯電話もあるみたいだ。
ファーストフードの奥にたまっている若者とかも持っていた。
しかし着メロは非常に単調である。
未だに和音は無い。
1音の着メロは久々に聞いたね。
まあ128音あるような方がおかしいのかもしれないが。
メールもiモードも無い。

携帯電話の分野では完全に日本の方が進んでいるみたいだね。
こっちにいる間は携帯電話とは縁が無い生活だけど。


8月28日(火)「なんでもかんでも」

平日は朝から晩までみっちり仕事なので買い物に行くことが出来ない。
日本だと仕事が終わってからコンビニだろうがドンキホーテだろうが行くのだが
夜中に一人でコンビニに行くのは危険だ。
深夜スーパーもそれは同じ。
だから週末に生活用品を買いこむのだ。

先日の週末も生活必需品を買いにでかいスーパーに行った。
いやスーパーと言うより巨大アウトレットモールかな。
何せ中を歩くだけで結構疲れてしまうほど広い。
日本の場合デパートの売り場面積を確保するのに高層化するのが常識だが
こちらは低いまま拡張するから二階建てか三階建てで馬鹿っ広い面積を誇る。

いろいろ見て廻っていたのだが気が付いたことは
とにかく公共施設なのに壊れているものが多いのだ。
案内板の設備とかテレビモニターが走査線走りまくりなのはどういうこと?
見栄えが非常に悪いと思うのだが現地の人は誰も困らないからそれでもOKなのか。

しかし初めて訪れた人は壊れていると困るのだ。
でもアメリカ人に言ったらきっとOK!OK!!Please use next!(隣のを使ってくれ)
とでも言われるに違いない。

私は大雑把な性格だから何でも許せるが几帳面な人や神経質な人には
辛い場所かもしれないな、アメリカは。


8月27日(月)「セルフガソリンラプソディー」

LAでは車なしに生きるのは難しいと以前書いた。
会社への行き帰りはもちろん何か買いに行くのも必ず車を使用する。

週末はユニバーサルスタジオハリウッドにも行ったしロングビーチにも出かけた。
そうすると必然的にフューエルメーターが半分を切るのだな。
ガソリンが切れたら車は只の鉄屑に過ぎない。
燃料を入れなくては。


ここLAではいろいろなメーカーのガソリンスタンドがある。
日本でお馴染みなところで「MOBILE」や「SHELL」だろうか。
他にも「76」や「SHEVRON」が良く見かけるかな。
大半、いやほとんどのスタンドはセルフサービスのスタンドだ。

ここは治安があまり良くないために店員が外に出てくることは無いのだ。
だから給油をするにも命がけだったりする。
カージャックに襲われる危険性も十分にある。
もちろん強盗に襲われていても絶対に店員は助けに出てこない。
せいぜい警察に通報してくれる程度だ。

LA初めての給油はでかい通りの交差点にある明るいMOBILEで入れることにする。
昼間からカージャックは出ないだろうが念には念を入れる。
キャッシュで給油する場合は店員のところに行ってまずある程度払うのが普通だ。
たまに後払いのところもある。

店員(年配のおばちゃんだった)に聞いてみるとキャッシュは後からだと言う。
車に戻って給油機を操作するがどうもいまいちガソリンが出る気配が無い。
元々私はガソリンスタンドの店員の経験があるので給油自体は心配ではなかった。
しかしさすがにガソリンが出ないのではどうしようもない。
説明らしい英語が少しだけ書いてあるがそれだけでは判断ができない。

すっかり困り果てて後ろに止まっていた車の女性に機械の操作を聞いてみた。
するとお金は払ったのか?と聞いてきたから「いやまだです」と答えた。
女性はついておいでと店に入っていく。
窓口にお金を出しなさいというので20ドルとポンプナンバーを告げる。
しかし給油機に戻ってみてもまだガソリンは出る気配が無い。

女性は慌てずにノズルのかけるところを手で押し戻した。
すると給油機が作動するのが感じられた。

簡単だろうと思っていたが日本とこうも違うとは思わなかった。
女性に十分に礼を言って給油をした。
しかしこれがまた握りが硬くて困ったね。
給油口ぎりぎりまで入れるのが私の癖だがあまりにも硬いポンプで調整途中で握力が持たなくなった。
これでも握力は50Kg以上あるのだけど・・・
給油するにも一苦労だね。
さらにおつりを取りに行き領収証をもらう。
こちらではきっちり言わないと領収証はくれない。

日本人だからといって容赦はしてくれない。
発音が悪いと分かってもらえないから話す前に口の中でつぶやいて練習して発声 する。
何とか聞き取ってもらえたようだ。

まあこれでここでは次からは大丈夫だろう。
他のスタンドではまた違うだろうから他でもいろいろチャレンジしてみなくては。


8月26日(日)「ランドリー」

さてアメリカ滞在も一週間近くになってくると日本から持ってきた着替えが
無くなってきた。
一週間分しか持ってこなかったのでとりあえず洗わねばなるまい。

ここトーランスプラザホテルは日本人が多く滞在するので設備が整っている。
コインランドリーも1階にあるそうなので行ってみた。
・・・2台しかない。
しかも両方ふさがっている。
片方は洗剤を入れてそのままだ。

廻っていないのは大方コインが足りなかったのだろう。
誰か来るまで少し待ってみるか。

しばらくしたら一人やってきた。
が、使い方が良く分からないみたいだ。
私もまだ使っていないから教えられない。
結局30分近く無駄になってしまった。
まだ洗っていない洗濯物を抱え部屋に戻る。

これが自宅ならば困らないのになどと考えるのは後ろ向きだ。
前向きに考えてみよう。
でも夜に外のコインランドリーに行くほど度胸は無い。

そうだ、手でも洗えないわけじゃない。
早速風呂に入って手洗いを敢行する。
まあ脱水が機械じゃないから不十分だが贅沢は言えぬ。

4日分洗うのには1時間近くかかった。
しかしここで気が付いたことがある。
洗濯というのは思った以上に重労働であるということだ。
昔の女性は毎日これをやっていたのか。
文明の利器のありがたみを感じるね。

では私も毎日洗うことにしよう。
屈伸運動を多用する洗濯は運動不足の解消に多少役に立つはずだ。

こうしてまた一つ新たに勉強するのだな。
でもコインランドリーでも癖の悪い日本人をまた垣間見た気がして
本当に恥ずかしいね。


8月25日(土)「通貨」

さて毎日食べものネタでは面白くないな。

アメリカの通貨は良く知られているように「ドル(弗)」が流通貨幣となっている。
ドルの細かいのが「セント(¢)」となっている。
1ドルが100セントだ。

アメリカドル紙幣は1ドル5ドル10ドル20ドルが主に流通している。
その上の高額紙幣はあるのだがまず見ることは無い。

1ドル紙幣はかなり便利でいろいろ使用できる。
自動販売機も1ドル紙幣ならばOKの機械が結構あるし
チップを払うにも1ドル紙幣が払いやすい。
あまりに使われているのでかなりくしゃくしゃに疲れた1ドルも見かけるね。
日本の紙幣ではここまでくしゃくしゃにはしないだろうな。

セントの方はコインだ。
通常見るのは1¢5¢10¢25¢の4種類。
それぞれ1¢はペニー、5¢はニッケル、10¢はダイム、25¢はクウォーターという名前で呼ばれる。
この中でも25¢コインが一番重宝するかな。
パーキングメーターでもコインランドリーでももちろん自動販売機でも使いやすいのだ。

もちろん50¢や1ドルコインも存在はするらしいのだがまず見れない。
カジノとかに行けばスロットマシーンで使用するからあるみたいだが街中では見れないね。

日本人の感覚だと10進法で考えるので50円玉に相当する50¢が非常に欲しい
ところだがアメリカ人は25¢でいいみたいなんだな。

最初コインをもらってもいまいち使いにくくてどんどんたまっていった。
ドル札を使うと必ずお釣りがコインだからね。
でも慣れてくればコインも使えるようになる。
感覚が少し違うけど1ペニーは1円だと思えば気が楽になった。

こうして金銭感覚が少しずれていくのかな。
未だにドル札は人生ゲームのお金のようで現実の通貨という感覚が薄いのだがね。


8月24日(金)「恋しくなるか?」

昨日はアメリカランチの代表食のバーガーのことを書いた。
しかし今のところ一番食べているのは他でもない日本食なのだ。

成田を出るときにうなぎを食べて、ああ日本食ともしばしのお別れだなと思った。
ところがどうしたことか、ホテルの朝飯は毎日ご飯に味噌汁焼き魚とのりである。
湯のみも丁寧に魚が漢字でびっしり書かれた寿司屋湯のみで緑茶である。

今日の昼は博多ラーメンであった。
しかも基本的に日本語。
入り口の本棚にはドラゴンボールやイニDが最新巻まで置いてある。
おおこりゃラッキーとばかりイニDを読む・・・
あれ?何か違うんでないかぃ?

きっと日本食が恋しくなるだろうなぁと思ってバッグに梅干を忍ばせてきた。
今のところ日本食を食べていない日は無い。

LAは日系の人間が多いのだ。
チャイニーズにコリアン、ジャパニーズと様々だ。
さらにエスニック系のスパニッシュやギリシャやイスラエル・メキシカンと
何でもござれの大異邦人大国だね。

せっかく持ってきた梅干も毎日食している。
何故かって?それは解毒剤のつもりだからだ。

それにしても日本を恋しくなるのはいったい何時だろうか。


8月23日(木)「アメリカナイズド」

やはり恐れていた事態は現実だった。
思ったよりもアメリカの食事の量は多い。

そもそも出された食事を残すのが嫌いな性格はこういうときに困る。
今週は昼飯の時に現地の滞在が長い駐在員の人に食事に連れていってもらっている。

だいたい頼むのは日本と同じようなメニューだがやはり量は半端ではない。
昨日は2ドルのミニサラダを頼んだらどう考えても一人前はあるだろうと
いうようなボウルに入ってきた。

今日はアメリカと言えばバーガーだろということでバーガー屋に行って
セット(こちらではコンボという呼び方が普通)を頼んだら
ポテトもペプシもどう考えても日本のラージかそれ以上。

話には聞いていて分かっているのだが実際に見るとやっぱ食えない。

でももったいないから残りは持ちかえっておやつにする。
ちなみにLAで持ちかえりはテイクアウトと言っても全く通用しない。
もし言えば店員に「HAAAM?」何言ってるんだ?と聞かれることになる。
TO GO(トゥゴウ)と言わないとだめなのだ。
店で食べる時はHERE(ヒアー)と言えば良い。

普通のハンバーガーコンボで約5ドル(600円くらい)だから
日本と同じ位の値段だな。
ちなみにチャレンジしたのは日本では聞かない「ターキーコンボ」
七面鳥でも挟んでくるのかなぁと思ったがライ麦バンズに鳥の肉を使ったパティー
とトマトが入っていた。
味は大味だがまずくは無い。
ドリンクも蛍光色の奴にしようかと思ったが無難にペプシ。
ポテトも塩コショウかケチャップを付けないとまずいね。

昼飯時だが日本人は他にはいなかったな。
明日の昼飯は何に店にチャレンジしようかな。


8月22日(水)「時の病」

飛行機で外国に行った場合体調が思わしくなくなる場合がある。
なんだか気分がすぐれなくて何でもないときに睡魔がふと襲ってくる。
ぼーっとしてしまい行動力が落ちたなと思ったらそれは時差ぼけだ。

実は現在その状態なのだ。
21日を2回経験して身体の時間が少しずれている。
本来ならば寝ている時間に起きているのだから
かなり負担がかかっているのは確かだね。
あまり芳しくないので多めに休息を取って体調を戻さねばなるまい。


日本とLAの時差は17時間。
現在はLAがサマータイムだから16時間か。

慣れないうちは混乱しやすい。
日本とやり取りしようと思ってもこちらが朝だと日本は深夜である。
夕方になってようやく日本が動き出すと思って良い。

時差があるとメールなどにも影響してくる。
PCの時間をきっちり変えていないと過去からのメールや
未来からのメールができてしまう。
まあ並び方が変になるだけだから実質の被害はないか。

ともかく早く体調が回復してくれないと気持ち悪いな。


8月21日(火)「出国」

いよいよ今日LAに立つことになった。
一応仕事場に顔を出して挨拶する。

これから2ヶ月同僚になる人と共に成田に向かう。
成田までは京成スカイライナーだ。
特急料金を取るのに乗り心地はあまり良くない。
近鉄特急の方がいい感じかな?

昼食に最後の日本食としてうなぎとそばを食する。
空港だからあまり贅沢は言えないがまあまあな味かな。
いつも羽田空港を利用しているからあまり国際線は知らないのだが
今回は会社の長期出張なので航空会社のラウンジが使える。

ラウンジを使うには出国手続きをせねばならない。
日本人の場合出国手続きは簡単だ。
パスポートと顔が合っているかだけの確認で出国できる。

ビジネスクラスで飛べるというのはかなり贅沢なことかもしれないな。
クラブ会員専用の優雅なラウンジではPCをつなげるデスクがあり
さらに電話回線も無料で使用できる。
メールチェックで何人かつないでいたか、でもネットにつないでいたのは私くら いかな。
成田から和光市につないでも全く問題無かった。
一度切れたので回線の品質は少し悪いかもしれないが
ボーディングパスと会員パスを持っていれば時間無制限なのは嬉しいね。

台風の影響もあってか若干の遅れで飛行機は成田を離陸した。
明日の朝にはLAX(ロスアンジェルス国際空港)に到着しているだろう。


8月20日(月)「異国の食文化」

米国と日本では食生活における文化の違いが著しい。
日本の場合一汁一菜ではないが米を主食におかずと汁物が基本で
アメリカの場合は主食に肉や魚でつけあわせにパンとスープである。

栄養のバランスから言えば日本食の方が健康的に見える。
アメリカの食事は油モノが多くとにかく肉類が多いらしい。
そりゃぁ身体も大きくなるよな。

今まで慎重にコントロールしていた体重だが食生活が変わることによって
幾分変化するかもしれない。
後は自分でコントロールするしか守る方法は無い。
食事もほとんど全て外食に頼ることになるだろうから
かなり考えないとだめだな。

聞く話ではファーストフード系は量が半端でなく多いらしい。
ビックマックとかが一ドルでしかも日本のより大きいとなると
考え方も変わるかもしれない。
ポテトなんかも一人分とは思えない量だそうな。

実際に体験して見ないと分からないからまだ分からないがね。
今日の夕食は離れる前の最後の日本食だった。
松屋にてチキングリル定食を食べたかったのだが店に行ったら
そのメニューが消えていた・・・期間限定だったのね。

日本食が恋しくならないようにうめぼしを携えていざ米の国へ。


8月19日(日)「公開」

今日は仲間が集まって飲み会をした。
打ち上げと言う名目で集まった身内は8人。
残念ながら遠くの人や都合がつかない人は来れなかった。

乾杯の前に重大発表をする。
一同少し唖然。
まあそりゃ仕方が無いね、ここまで黙ってきたのだから。

実は仕事の都合でアメリカのLAに行くことになったのだ。
期間はあさってから約二ヶ月。
だから今までいろいろな手続きや準備に追われて
HPの更新が疎かになっていたのだ。

友人達に言わずにそっと行くのもありかなと考えていた私は薄情だろうか。
しかし別に言わずにおこうとかせこいことを考えていた訳ではなかったのだ。

インターネットが発展して地球の距離が近くなったというのは事実だ。
もともとアメリカはネット発祥の国である。
ホテルなどでもインターネットに繋げる環境にあるらしい。
だからネット上でいつも会えるのならば敢えて前振り無しに
日本を離れても不都合は無いと思っていた。

もちろんそれは私のエゴだった。
主催者は私のために予約の取りにくい人気の高い居酒屋を予約してくれていた。
訳を何も知らないのに遠くの人まで駆けつけてくれた。
改めて友人のありがたみが分かるね。


一応LAに行っても回線を繋いでネット環境を構築するつもりなので
恐らく更新できないことは無いと思う。
向こうに渡ってDDZ技術研究所inロスアンジェルスを開設する予定だ。
うまく環境ができればいいな。

もしも開設され無い場合は10月まで更新されないかもしれないな。
さて未知の大陸には何があるのか楽しみだね。


8月18日(土)「ロードプライシング」

東京都はいよいよ都内に入る車の交通量を制限する為に
都内に進入する車両に対して課金するという手法を取ることに決定した様だ。

大型車両が出す排気ガスとその車両が占有する道路スペースを考えれば
もっともなことである。
都内を抜ける幹線道路は環状線が大きく8本。
放射線が国道一号線を皮切りに
246号、20号、青梅街道、目白通り、川越街道、17号、4号、14号と
複雑に入り組んでいる状況を考えると都内を抜けずに回避させることが
渋滞緩和と大気汚染防止に一役買うのは考えるまでも無いね。

経験したことがあれば分かるだろうが都内の渋滞は半端ではない。
地方から出てきたばかりの人が見たら気絶モノだと思う。
かく言う私も車で都内に入るのはできるなら遠慮したいものだ。
東名高速から環8に出て和光に向かうコースは下手な時間に行けば
2時間近くは軽くかかる。
バイクで行けば最速20分で行ける距離なのにね。

ロードプライシングは自動車に掛かる課金なので原付には適用されない。
しかも最終的には自動二輪も適用外になるみたいだ。
二輪の持つ特性は環境に負荷をかけないし軽いので道路も痛めない。
しかも混雑も引き起こしにくいのだから当然の結果だね。

となると考えられるのは都内に入る業者や通勤通学の足に車を使っていると
課金されるというのでは割に合わないので車から二輪に変更してくる人が
たくさん出てくるのではないだろうか。
これは嬉しいことである。
二輪の普及率が上がれば二輪に対する偏見が少なくなり認められることだからだ。
このまま行けば二輪市場も大きな意見が出せるように成長するに違いない。
ひいては自動二輪の高速二人乗りも可能になるかもしれない。

たくさんの人がバイクの楽しみを知り理解しあえる。
その時代が来るのが今から楽しみである。


8月17日(金)「国民性!?」

ちょうど海外旅行のシーズンである。
お盆や正月を海外で過ごした人がこの週末に帰ってくるから
成田は大忙しなんだろうな。

当然と言えば当然なのだが海外では日本の通貨は利用できない。
まあ裏ルートで特殊な場所ならともかく通常は空港や銀行で両替するのが基本だ。
先日偶然新札のドル札を手に入れることができた。
珍しいので部屋で眺めていた。
こんな機会はめったに無いことだからこの先のネタに写真で記録しておこうと
黒い台紙に置いてみた。

アメリカドルは1ドルも10ドルも20ドルまでも同じ大きさなのだ。
へぇ日本と違って細かく大きさを変えることはしないのかと思った。
写真を撮るためにきれいに並べた時に異変に気が付く。

あれ?何か変だ。
きっちり並べているはずなのに絵柄が微妙に斜めに見える。
しかも札同士の間隔も微妙に違うっぽい。
よくよく見たら上辺と下辺は微妙に斜めになっているではないか。
それも札によってまっすぐなのとかなり歪んでいるのが存在する。

日本のお札だったら印刷ミスで回収されそうなものだが
アメリカドルだったらこれで許されるのか。
確かに日本のお札に対するセキュリティーや印刷技術は凄い。
でも機能的で細かいことにこだわらないアメリカドルを見て
国民性の違いに改めて驚きを感じるのだな。

車の造形でもかなりの違いは感じるけどね。
考え方は人それぞれだからどっちが良いとは言えないけど。


8月16日(木)「八月蝿」

特に用事もなく車をぼーっと流していた。
部屋に帰るのももったいなかったので道の駅に寄ったら
元気なバイクの人達がいた。
この暑いのに群れたい年頃なんだな。

決まったようにドカズボンにマスクでノーヘルか半ヘル。
ライトは無いか上向き。
タンデムが多いのも気のせいでは無さそうだ。
しばらく見ていたが特に走り出す気配は無かった。

一人パシリ役なのか見張り役なのか集団から抜けて幹線道路の前に走ってくる。
半キャップのメットを脱いで髪型を気にしているのが初々しいね。
集団の中からは時折光が明滅していた。
どうやら写真を撮っているらしい。

彼らのこういう瞬間も長い目で見ればいつか思い出になるのだろうか。
昔はおとうさんもワルだったと自慢するつもりなのかな。

ワルが悪いとは思わないが彼らもきっと住宅街や幹線道路で
騒ぐから面白いのだろうな。
一般人が迷惑と分かっていても窓を開けたり外に見に出たりすると
彼らは一躍有名になったように勘違いしているようだ。
質はともかく観客(ギャラリー)が付いたりするのが快感なのに違いない。
なのに直接目を合わせると狂犬のように噛みついてくるのだな。

誰も見てくれなかったり警察も追いかけなくなったら暴走行為は無くなるだろう。
それでも彼らは間違ったアピールをしていると思うのだが・・・
どうせならもっとマシな行動で世間の目を引こうということができないのかな。

青春の暴走にしては失敗した時に大きな代償を払わねばならないのにな。


8月15日(水)「耐えがたきを」

毎年まだ暑い時期に終戦記念日がやってくる。
今年もその日がやってきた。

戦争が終わって50余年
耐え難きを耐え忍び難きを忍び・・・といった記憶もずいぶんと薄い。
世の中の流れは人の命の尊さを忘れる方向に動いている気がしてならない。

毎日のようにニュースから流れる凶悪事件。
虐待・暴行・殺人とおおよそ日本の安全神話は遠くなってしまった。

戦後すぐ何も無かった時代に生き抜いてきた人と戦争を知らない世代では
考え方も行動も違うだろうがそれにしても世の中が壊れていく方向に
ベクトルが向いていると感じる。
自分さえ良ければ他人が傷ついても構わない風潮は
タブーを無くし人の心を蝕んでいく。

このままではいずれ戦争放棄したはずの日本も何かのはずみで軍事国家に
ならないかと心配ですらある。
他国の文化を尊び理解しあうには自国を知り他国を知り偏見を無くすことが
第一歩であり他人の考えを認めることから争いは無くなるのじゃないかな。

毎日日本のどこかで起きている凶悪事件のニュースを
戦争で亡くなった人が聞いたらいったいどういう気持ちになるだろうか。


8月14日(火)「カリスマ」

つい近年の流行り言葉に「カリスマ○○」とかいうのがあった。
世の中いろいろなカリスマだらけになったものだ。
カリスマ美容師あたりから始まったのかな。
このまま行けばカリスマ犯罪者とかでも出そうな勢いだった。

そもそもカリスマとは超人間的・非日常的資質を持つ人を表したりする
言葉なのだから簡単に言えば神懸り的能力の持ち主のはずなのだが
どうやら昨今のカリスマはそうではなさそうだね。

髪を切るのが上手いとか料理を作るのが上手だとか
言ってみれば今まであまり注目されてなかったプロに脚光が
当たっただけのような気がする。
本当にカリスマ性を持っている人というのはたくさん存在すると思うが
あまり商売には関係無いところにいると思うんだな。

カリスマ性のある人の言葉には力がこもっていると言うのは事実だと思う。
何も知らない人が聞いても存在感や迫力が込められていて
逆らえない気分になってしまうものだ。
プロの俳優などはその分かりやすい最たるもので言葉や動作一つで
周りの人を圧倒したり場の雰囲気をがらりと変えることもできる。

普通に暮らしている人の中にもいるね。
あの人の言うことは間違い無いだろうと思わせる人がいないだろうか。
そう言葉に重みがある人だね。

それは小さな努力の積み重ねだったり天賦の才能だったりするが
一つ言えることは誰でもそうなるチャンスはあるということ。
自分を磨き倒して光らせること。
路傍の石でも砂場の泥でもえんえんと磨けば必ず光る石になれる。
ダイヤの原石も磨かなければ光ったりしない。
最初から少し光っているだけで磨かなければ曇ってしまう。

自分を生かすも殺すも努力次第ということかな。


8月13日(月)「変化」

昨日は海沿いのある場所で一大決戦日だったはずだ。
あまり天気は良くなかっただろうがかなりの熱気であったということは違い無い。

本来ならば私も参戦せねばならなかったのだが今回は用事で行けなかった。
ああ・・・行かなかったと言う方が正解かな?
特に絵を描く趣味が無くなった訳ではないが
同人本を買いたいという気持ちが薄れているのか
だんだん若さが足りなくなっているのか何しか興味の対象から
外れ始めているようだ。

人の趣味や嗜好には一定のサイクルで変わるものと習慣性のものがある。
おおよそタバコや酒などは習慣性のもので簡単にやめたり取ったりはしない。
遊びや食事などは生活環境が変わると結構影響されるし友人よっても変わる。

自分の部屋からもそれもののグッズや本はだんだん姿を消しつつある。
また洗練されて残ったものが新たな自分を形成し始めるのだろうな。
が果たしてこれは変化と呼べるのだろうか。

人生の生き方が簡単に変わるとは思えないが
いつか転機がきたらがらりと変わる日も来るのだろうな。


8月11日(土)「安心感」

つい先日自分の車を運転してもらう機会があった。
いや今まで全く運転してもらったことが無いわけではない。
友人には結構運転してもらっているのだが今回は訳が違う。
11万5千キロ乗っているが初めて女性に運転を代わってもらった。

だいたい周りが車の持っている男友達ばかりだから
いつも誰だって運転は交代してもらえるのだけど。
まあ保険の都合上年齢制限はかかっているがね。

高速道路を走っていて眠くなったら運転を止めるのが基本な私だが
どうしても急ぎの用事で走らねばならず
運転できるのがパッセンジャーの女性だったのだ。

思い込みが激しいと言われるかもしれないが実は女性の運転は怖いと思っていた。
何故ならおばさんなどの運転をみれば良く分かるが
自分の運転が全てで周りが見えていない場合が多いのだ。
周りどころか後ろを見ていないからトラックに煽られているのを見るのも
しばしばだね。

しかしいざ任せて見ると思いのほか快適であった。
周りに心配りが行き届いていて余裕があった。
最初はいろいろ指示していたがいつしか眠気に負けて寝てしまっていた。
SAを2つ分任せたのだがその間に十分な休息が取れたのでその後の運転を代わった。

背中を任せられる安心感とでも言おうか
こんな体験は初めてだが世の中は広いと感じる。
つまらない偏見は捨てねばならぬなと改めて認識させられた。


8月10日(金)「SA・PA」

今は学生は夏休み中である。
大方の社会人は夏休みというと盆のあたりだから8月13日から15日頃だろうか。

日本のサラリーマンの夏休みは同じようなものだから
実家や田舎への里帰りも同じような時期になる。
だから全国各地の高速道路やメイン街道は混雑することになる。
もちろん里帰りしない人は海外旅行に行ったりするから
空港も混むのだよな。

普段車を運転しない人間がいざ乗るとどうなるか。
サンデードライバーも困った人が多いがホリデードライバーは
本当に信じられない光景を目にすることができる。

車線の走り方を見ていてもそうだ。
自分の走りたいように走り周りの流れなど見てはいない。
横を見ずに車線変更するのは当たり前で
後ろに急いでいるトラックが付いても気にしない。
・・・というより見ていないのだろうか。

SA・PAでのマナーの悪さも特筆物で障害者用の駐車スペースに
車を停めるのは当たり前。
サービスしてもらうのが当然の如く闊歩している。

人それぞれ常識は違うので何とも言えないが
知らぬが仏なのか厚顔無知なのか。
ただただ呆れるばかりだ。
ごみと一緒にマナーも捨てている人がこんなに多いとはね。


8月8日(月)「夏休み」

学生の時に楽しみだったのは春と夏と冬の長い休み。
とりわけ夏休みというのは約40日という長期間のお休みだから
直前はわくわくしていたものだ。

毎年いろいろな出来事がありその一つ一つが思い出深い。
夏休みにキャンプに行ったり海に行ったり・・・
そう言えば一人でおじいちゃんの家に行ったのも
夏休みじゃなかっただろうか。

エアコンなんかまだ贅沢品だったあの頃
古い扇風機の廻る和室でじいちゃんと見ていた高校野球が懐かしい。

朝起きるのも何故か早くて朝顔の観察日記もやった。
ラジオ体操も欠かさず通って帰りにはセミ取りに興じた。

いろいろな想い出が溢れてくる。
社会人になってそれは短くなったけど確かに毎年新鮮な感動がある。
さて今年はいったい何が起きるだろうか。


8月5日(日)「風よ鈴鹿へ」

鈴鹿の夏の風物詩「鈴鹿8時間耐久レース」を見に行ったのだ。
8耐を見に行くのは94年以来だから久しぶりだね。

出発が大阪からだから名阪国道を走って向かう。
鈴鹿に近づくに連れてバイクが増えてくる。
国内最大のバイクの祭典だけあって鈴鹿サーキットのメインゲート付近の
バイク置き場には様々なバイクが全国各地から集まっていた。
それを見ているだけでも面白い。

すでに昼だったので11時半のスタートには間に合わなかった。
自分の観覧場所を確保して観戦モードに入る。
今年の鈴鹿は天候も穏やかで風が吹いていた
途中少し曇って日陰になったりで観戦には都合良かった。

通常8耐は7月の終わりの週末に行われるレースなのだが
今年は一週間遅れで開催された。
8月5日に決勝が行われた訳だがこの日はホンダにとって重要な意味を持つ。

そうホンダ創始者の本田宗一郎の命日なのだ。
だから今年のレースはホンダが意地でも表彰台を狙ってくるはず。
それをカワサキやスズキが阻止しにかかってくるから面白いのだ。

レース展開は概ね想像通りに進んだが
転倒やピット作業で1位2位争い、3位4位争いが熱いものになった。
途中でキャビンホンダが1、2、3で並んだのだが
スズキに抜かれて1、2フィニッシュとなった。

レースにはドラマがある。
本気で闘っている姿を見るのは良いものだ。
全力を尽くして天命を待つ(結果が出る)というのが心地よいではないか。

表彰式の花火を見ながらそう感じたのだな。


8月4日(土)「AOL」

AOLのサービスにインスタントメッセンジャーというものがある。
自分のスクリーンネーム(独自のハンドルネーム)を決めて登録すれば
友人同士で手軽にチャットが楽しめる。
ICQなどと同じだな。

ICQと違うところは同じウィンドーにどんどん追加で表示されていくので
後から読み返しやすいというところか。
以前ICQも使ったことがあるが軽い友達に使うならICQで
親友とか良く知り合っている人物などとはAOLの方が良いと思う。


しかし私はHPを運営し始めてからほとんどAOLもICQにも顔を出さなくなった。
チャットしている時間がそんなに無いということが主な原因かな。
チャットは時間の経過が早く感じるからね。

先日遠くの友人と会話をするのに
AOLを使用することにした。
久しぶりに立ち上げようとしたらPCの再インストールの時に
復活するのを忘れていたらしく入っていない。

最新版をDLしていれてみるが以前のスクリーンネームがパスワードを
間違えていないにも関わらず認証されない。
・・・困ったな。
仕方ないので新たにスクリーンネームを作って認証を受けた。

言ってみればスクリーンネームはメールアドレスみたいなものだから
替えると友人の記録が失われてしまう。
昔のログが全て残してあったから事無きを得たが。

やはりPC再インストールの時はもっと考えないといけないな。


8月3日(金)「破廉恥」

丁度この季節は夏祭りが各地で盛んに行われている。

昔から五穀豊穣を祈ったものや民衆の楽しみとして行われてきたが
現代で祭りといえば町や村のイベントとして若者から年寄りまで
神輿や山車や出店など由来を知らなくても騒ぐのが楽しい場所になっている。

「ケ」と「ハレ」という言葉があるように祭りの時はみんな特別で
「ハレの日」ということになる。
昔は若者の男女の出会いの場が今ほど無くてこの特別な日を楽しみに
していたものだ。

今ではナンパや合同デートなどの男女がお互いを誘えるイベントの日に
なっている感じが強い。
まあそれは良いことだと思う。

夏祭りといえば浴衣に花火などが定番である。
日本の風情を楽しむために浴衣姿で下駄なんかは良いではないか。

車に乗っていても浴衣姿の女の子を見かけると夏だねと思ってしまうのは
おじさんになった証拠かもしれないな。

だがやはり最近の若者は理解に苦しむ。
まあ男で浴衣がいないのは仕方ない。
女の子はそれでもおしとやかに着こなすのが定石だと思うのだが
すそをはだけて自転車や原付に二人乗りで走っている。

古い考えかもしれないが全く興ざめだな。
そのスタイルだと自分が楽なんだろうな。
が、あれが現代の男に受ける着こなしなのだろうかは
はなはだ疑問が残るところなのだが。
退廃した文化を見ているようだな。


8月2日(木)「若者の情熱」

荷物整理も一休みで友人にあげるものを持って友人宅に向かう。

そう言えば明日は「君望」の発売日だったねというような話題から
怪しい方向に話が飛んだ。
「秋葉行きますか。今から」
時はすでに明日になりかけの時刻である。

秋葉は期待や話題の多い新しいソフトなどが発売される時に夜から行列が
出来ていることがある。
有名なところではウィンドウズなどがニュースにもなったかな。
あの時はあまりの行列にパソコンを持っていない人も並んで
ソフトを買ったとか。

昨年の「AIR」の時は前人気が高くて夜中0時からの販売をしていたな。
人通りの無くなった秋葉の街にできる行列。
午前0時からいきなり店のシャッターが開いて販売が始まる。
なにせカウントダウンまでやっていたくらいだからな。

などと話をしながら秋葉に着いた。

やはり彼らはいた。
今回は店側も深夜販売をしていなかったので歩道にできる怪しい行列は
かなり延びていた。

そうだな暇そうな学生がほとんどだな。
若いうちに何かに情熱を燃やすのは構わないと思うが
夜中の行列は人に迷惑をかける行為になり易いから注意が必要だな。

自分のことしか考えられない人間が増えてきた現在
それに気がつく者がどれだけいるのかな。
まあ単に見物に行っている我々はもっと暇人なのだがね。


8月1日(水)「泥縄」

泥棒を捕まえてから縄を綯う。
まったくもって遅い例え。

夏休みに入ればまた誰か部屋に遊びにくるだろう。
そのためにも今まで放っておいた部屋の掃除を敢行中なのだが
やはり思ったより時間がかかる。

必要なものと不要なものを分けるだけでも大変だ。
前にも記録に書いたと思うが所有していた本人が選別するのは
思い入れが存在するのでなかなか片付かないのだ。

本のベストセラーに「捨てる技術」というものがある。
この本は結構よく出来ていてモノの整理のやり方が書いてある。
しかしこれが売れているということはいかに世の中の人が
部屋の荷物を捨てられないかということでもある。

人間は基本的には貯めるのが好きな動物だと思う。
それはもったいないと思う心の他にいつか使うかもしれないという
想像力を持っているからだ。
ころばぬ先の杖的な考えをしていけば必然的にモノは増える。

それと男というのは困った生き物でコレクター心が強いのだな。
何かを収集するのに熱が入ると突っ走る傾向がある。
後で苦労すると分かっているが熱持っている時には
そんなのお構いなしだ。

だから年月が過ぎ熱が冷めて過去の遺物に若き日の情熱とか言われるのかな。
でも面白くてなかなか止められないから困ったものだね。


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