2001年2月の研究開発記録<雑記帳>


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2月28日(水)「捨てる勇気・残す後悔」

物が増えすぎて困っている。
普段生活するのに要らないものは使わない部屋に押し込んで
生活するのだがそれでも年々使わないものが増えてきた。

その最も大きいものは古いマックとワープロである。
使い込んでいたのでなかなか捨てられないのだ。
そして古いバイク雑誌。
あと昔から買い集めた漫画の単行本達だな。

もともと服や靴はあまり買わないので困ることはないが
手放したバイクのパーツなどもあって収拾がつかない。
もったいないなと捨てられなかったことが後悔の念に変わる。

そろそろ一括で整理しないといけないな。

よく女性向けの週刊誌などで私の収納法とかの特集をやってるが
あんなものはまったくの無駄だと思う。
使わない物をきれいに整理して溜め込んでどうするのか。
コレクションなら話はまだ分かるがやれブランド物の袋とか
空いた化粧ビンとかどうするつもりか。

まだそんなものは良い。

取るかもしれないとピザの広告や電気代の徴収票とか電話の領収書とか
収納するだけ場所の無駄である。

確かに戦後間も無い頃ならば物は大切だった。
破れた靴下も縫って履いた(これは今でも実践しているがね)

しかし高度経済成長期から社会は大きく転換している。
大量消費社会になっていてなんでもかんでも大量生産で価格を安く提供するように
企業が変わってきた。

もったいないと思う心は日本では古来から美徳とされてきた。
が、今の世の中それは合わなくなってきているから考え方を変えなければならない。

でも大量消費はどうも気が乗らないし捨てると言う行為には背徳感がつきまとう。

ならば必要なもの以外持たないシンプルライフにしようじゃないか。
生まれ変わるために一度だけすっきり捨ててみるくらいは
許してもらえるだろうから。

一度だけ思い切って捨ててみよう。
捨て方については後日に。

2月27日(火)「賞味期限と消費期限」

夜食に何か無いかなと冷蔵庫を漁ってみたが
あいにくすぐに食べられそうなものが入ってなかった。
冷凍庫にピラフの残りを発見。
あと食料庫をがさがさ探るといろいろ出てきた。

大体乾麺系ばかりだったが全部賞味期限が切れていた。
そもそも大量に買って貯蔵するという癖はないのだ。
一人もしくは友人が来ればその人数分だけ材料を買ってきて調理するので
たまにスーパーの特売で安く売っているものを買ってしまうと
こういう結果になる。

調べてみると2000年4月で切れているものが一番新しかった。
袋入りのインスタントラーメンだから大丈夫だろうと思い
そのまま調理した。
食べて24時間以上経過した現在でも何も問題ないから大丈夫だったのだろう。

食品メーカーの設定する賞味期限というのは得てしてかなり短く設定されている。
そりゃあまりぎりぎりに設定すると一般家庭の場合、保存環境が不特定なのだから
味を保証できないな。

賞味期限を超えたものでも開封していない限りはメーカー設定よりも
1.5倍くらい長くは食べられると考えている。
だから賞味期限というものはあるが消費期限というものは人によって違う。
どの時点で捨てると判断するかだ。

但し日清のカップラーメンはその限りではない。
カップラーメンとはお湯を注ぐだけの3分でできるアレだ。

賞味期限切れのカップラーメンはまずい。
もともと調味料と麺が一体になっているので調味料の成分が大気中の水分で
変質してしまい風味が損なわれていることが多いのだ。
さらに揚げた時の油が麺全体に廻っていて
食えなくはないが薄くなったような何とも言えない味になっている。
実はスケルトンカップ麺がまだ3つほどあるのだ。
勿論賞味期限は一年以上前に切れている。
どうしようかな、これ。

あとちょっと前に発売された10年保存可能のカップラーメンというものがある。
こいつは缶詰のようになっていて空気を遮断しているので長期保存ができるらしい
試しに一つ買ってあるので10年経ったら食べてみよう。
それともどのくらい長く保存できるか試してみようか。
・・・気の長い話だ。

2月26日(月)「貿易不均衡」

今更ながらに布地、特にタオルの生産が外国の輸入物に押されているそうだ。
国内産のタオルは確かに珍しくなってきた。

東南アジアや中国の安い労働力で同じ品質のものができるのならば
消費者としては嬉しいことだ。
しかし国内生産者としては死活問題なので政府に緊急輸入制限せよと
言い始めたのだ
今まで米の緊急輸入などは行ってきたが緊急輸入制限をかけるのは
初めてなのではなかったかな。

まだ政府の決定は出ていないのでどうなるのか分からないが
こいつは問題を多分に含んでいる。

逆の立場で考えてみよう。
今まで日本がアメリカやヨーロッパに対して行ってきたのが
高い品質のものを安く提供するということだったはず。
これに対してアメリカは自動車の輸入制限を設けたり
関税を上げたりしてきた。
しかし安くて良い製品が買えるのであれば誰しも買うではないか。
これが経済摩擦という言葉を生みアメリカ他の先進国から煙たがられたことだ。
そしてその御礼参りをいよいよ受け始めただけだ。

これで日本が国内のタオル生産者救済のために緊急輸入制限を掛けたら
今まで日本が行ってきたことを否定することになるのではないかな。
経済を鎖国状態にするのは決して好ましい状態ではない。

もちろん国内のタオル生産者が倒産すればいいと言っているわけではない。
何らかの努力を持って乗り越えて欲しい。
これは不慮の事態ではなく長い目で見れば判断できることだったのだから。
国内のタオル生産者の中に海外に工場を作ってそこから輸入している業者も
あるのだろうからその差をどう政府が判断するのかが見物だ。

しかし予算の審議や総理大臣の問題で大揺れの政府に果たして期待できるかな。

2月25日(日)「夜走り紀行」

私は夜にバイクに乗るのが好きだ。
夜の都会は昼とは全く違った表情をしていて面白いからだ。
都会の昼の喧騒と渋滞の中で乗るほうが間違ってる。
もちろんツーリングに行く時には別である。
昼間の景色のすばらしい時の方が気分も良い。

都内を流す時には目的はほとんど持たない。
気分次第でコースは様々だ。
一つ決めているとしたら首都高速には乗ることは無いかな。

今日も思いつきで夜の風景を撮りに都内に繰り出した。
日中から北風が吹き日が落ちた後の体感気温はかなり低い。
ビルの壁面に表示された気温は3℃だった。

目的の写真を撮り早々帰還の途につくことにする。

山の手通りから国道254号線に入ってすぐのところで渋滞していた。
時刻は夜の11時半である。
また道路工事か・・・
年度末の道路工事はこの時期恒例で何も無くても地面を堀り返している。
まさに国家予算の巨額の無駄遣いだな。
新しいアスファルトになれば走りやすいから良いと言えばいいのだが。

でも今回は道路工事ではなかった。
いつもなら見えるはずの黄色のパトライトは見えない。
しばらく渋滞の中を進んで行くと原因が分かった。

前方彼方から聞こえてくる爆音。
その不規則な音は誰しも不快にさせるであろう。
意味も無く後ろに灯した色付きの電飾。
ヘルメットを被っていない何台ものバイクたち。
そして併走する黒フィルムを張った高級車。

久しぶりに彼らに会った気がする。
この寒い時期にもかかわらず元気なことだ。

爆音の後ろには迷惑そうな一般車の列がのろのろと付いて行く。
誰も前に出ようとはしない。
こんなのに付き合ってはいられないので600Fに鞭をくれて加速する。
おりしも爆音車の窓から身を乗り出した奴の顔の目の前を
600Fの鋭い切先がかすめた。
当たってはいないが驚いただろうな。

一瞬で彼らのヘッドライトがバックミラーの塵芥に変わる。
付いてこれるバイクは一台もいなかった。
あの直管マフラーでは加速しないし変形アップハンドルではその後の車の列を
抜けるのは不可能に近いからな。
彼らの無法者ぶりは信号無視でも分かる。
交差点でも止まらずに無理やり進む彼らは自殺行為だと思うのだ。

若いエネルギーをこういうところにしかぶつけられないのは
もったいないと感じるのは私だけだろうか。
違うベクトルに変えることができればもう少し違う道があるだろうに。
でも彼らは絶対的な悪ではない。進むべき道が他に見つからなかっただけだ。
本当の巨悪はこの国をこんな風にした・・・

2月24日(土)「大人と子供の境界線」

車に乗っている時に渋滞に捕まった。
なかなか動かないのでナビをTVに切り替えたら偶然NHKで
興味深い討論をやっていた。

進行役も司会もいなくて
20歳以下の素人出演者だけで構成する番組だったのだが
若い人間の率直な意見の応酬が面白かった。

日本の法律では満20歳の誕生日からは大人ということで扱われるが
それはあくまでも便宜上線引きしないと法律上面倒だからである。
大人と子供は年齢だけでは区別つかないということは以前にも書いた。
ならばどうやって大人と子供を見分ければいいのだろうか。

一つの意見に相手の言い分を聞く耳を持つというのがある。
確かに子供は自分の意見を無理にでも押し通そうという駄々がある。
しかしそれだけだろうか。
家庭を持って守るべきものがあれば大人だという意見もあった。
では家庭が無い独身者は永遠に大人にならないのか。


私の考えでは完全な大人というのは存在しないと思っている。
どんな人にも子供の部分と大人の部分がありそれの割合が違うだけだ。
子供のパートは落ちつきが無く人の意見に耳を貸さない、自分勝手で乱暴で
一言でいうなら我侭だ。
大人のパートはそれの正反対だと思えば良い。

どんなに人間が成熟しても子供のパートを全く失う人間はいない。
あ、でも周りからはあの人は大人だなと言われる人間も確かに存在する。
極端な話だが子供のパートがほとんど無くなった人間は面白みがないだろうな。

私みたいに年相応の行動をしないのも大問題ではあると思うけどね。
ともかく真の意味で大人と子供に線引きなどできるわけないのだ。

2月23日(金)「独身者と既婚者」

自由人と拘束人と言う風に置き換えても良いかもしれない。

また大型カップルが誕生したらしい。
全然興味がないのでどっちでも良いがそれよりも
周りの友人の結婚の方が気にかかる。
別に人は人、自分は自分のスタンスで生きているので焦ったり
比べたりはしないのだが。


独身貴族と言う言葉は良くできた言葉である。
自分のためだけに収入を配分することができるから食費を削って
交遊費にも回せるし、欲しいものだって簡単にローンも組める。
ところが結婚するとそれが一転し相手の意志にも沿った考えをしないと
家庭崩壊は免れまい。
相手が何も考えずにローン組んで物買い捲りな人間だと
相当な収入がないと許せないだろう。

だが結婚する前に持ってるものについては文句のいいようが無いので
駆け込み購入したりするわけだ。
特に車には厳しい注文が付くことが多い。

それで何人もスポーツカーを涙を飲んで諦めてきたのを見ている。
さらにバイクになるともっと厳しい。
車は家族のためと言えるがバイクはあくまで個人の為に限り無く近いから。

そうまでして結婚するのは何がいいのだろうか。
好きな人と一緒になれる幸せか?
それとも一人で生きるよりも経済的にも精神的にも
楽になるからなのか。
くだらない「親・兄弟・親戚など」の圧力なのか。

もともと自分以外の人間同士が完全に理解しあえる状況というのはありえない
でも努力と時間をもってすればそれに近づくことは可能だ。

親や兄弟姉妹は産まれてから長い間一緒に暮らしているから
分かり合える状況になり易いだけで
結局は他人であることには変わり無い。

男にとって結婚とは自由を犠牲に家庭を手に入れることで
女にとって結婚とは幸せと安定を手に入れること
というのは古い考えであるかもしれぬ。

2月22日(木)「都内の喧騒」

ようやく仕事も修羅場を一段落して今日は一日オフの日。
また明日からのハードな仕事に備えて
せめて好きなことやって過ごすことにする。

今日は本当に暖かい。最高気温は18度と言ってたから春のようだ。
まあさすがに二月も下旬だからな、そろそろ三寒四温の時期か。
バイクに乗るには絶好のコンディションだ。

最近都内を走ってなかったので丁度いい機会だから
平日にしかやっていない店に昼食を取りに行くことにした。
目的地は五反田。JR山手線の駅の一つである。
さっそく600Fで出動。

254号線はさほど混んでいなかったが山の手通りに入ったとたんに渋滞の嵐。
ここでGLを選択しなかったことに心の中でガッツポーズする。
よくもまあこれほど車が集まってくるものだ。
東京都知事が車の乗り入れを有料化すると言いたくなるのも分かる気がする。

東京を走る幹線道路は入り組んでいるように思えるが
大きく分けて環状線と放射線の組み合わせなので
それを理解していれば目的地に辿り着くのは容易い。
五反田は道路で言えば山の手通りと国道一号線の交差しているところだ。
和光からだと渋滞を考えても約50分で到着する距離だ。
実際計算通り45分で到着。
無事にランチタイムに美味しいカレーにありつけた。

東京の環状線は交差が多いのでオーバーパスやアンダーパスがかなりある。
渋滞が起こりにくくなる配慮だろうがこれだけ車が走ってれば
渋滞がなくなることはありえない。

帰途に着く時にスクーターが挑発?してきた。
無論相手になどしない。
オーバーパスの一つを超える時に嫌な予感がした。
ふと見ると交通標識に二輪通行禁止の標識が。
でもその下に原付と書いてある。
600Fは自動二輪なのでもちろん通行可だ。

オーバーパスを超えてそのすぐのところに一台のパトカーが赤色灯を
廻していた。
嫌な予感はこれだったのだ。

私は問題無かった。
しかし原付は御用と相成った。

格好の餌食となってしまった原付を尻目に平日の取り締まりに注意しながら
和光までの道程を急いだのだった。
やはり都内を原付で走るのは危険なのか。

2月21日(水)「悲観論者と楽観論者」

毎日同じ人と話をしているとだんだんその人の考えが分かるようになる。

いつも物事がうまくいかないと考えてるのが悲観的に考えやすい人で
常に最悪の事態を予想して生きているとも言える。
想像することも悪いビジョンが多く失敗したらどうしようという
ネガティブシンキングな人と
反対に何でも物事は自分の思ったようにいくと楽観的に考え行動し
未来は明るいと思うポジティブシンキングな人と。

両方に良いところ悪いところがあるので
どちらが良いかは明言できない。

ネガティブシンキングな場合
転ばぬ先の杖、石橋を叩いて渡ると言ったような確実性があるので
間違いは少ない。若干保守的気味かな。
だから意外にどんな事態に陥っても困りにくい。
危機管理がしっかりしていると言えるかな。
ポジティブシンキングな場合
やってみなけりゃ分からないなど結果オーライな冒険心が大きいので
今までやらなかったことにもチャレンジしてみる探求心があり
間違っても気にしないがなんとかならない問題に当たると弱い。

無論私は後者に当たる。
今まで数多くの間違いをしてきたが決してそこで気落ちしたりしない。
まあ無神経という言い方もできるかもしれぬ。


この世の中、生きて行く中で必ず困った事態というのが発生する。
そんな時にあなたはどう対処するだろうか
まあ困る状況の事例はたくさんあるので一概には言えないが
私は完全に別次元のものさしを持って来ることが多い。

私事の事例で恐縮だが漫画の原稿を描いている時に締切が近づいてきた
もう時間に余裕がない!と言う場合。
早く手を動かせばなんとかなる場面である。

この場合作業と時間の切迫にストレスを感じるのだが
今東京タワーの上から飛び降りるよりはましだろうとか
バイクで200Km/hで事故するよりは今の作業の方がいいやとか
考えるとやってることがふっと軽くなる。
もちろん漫画を読んでいただける方や共同作業の仲間のことを
思い浮かべると自分も頑張らなくてはいけないなと思うわけだが・・・

現実にはこれだけでは解決できない事例も山のようにあるのだがね。

2月20日(火)「狂気と正常」

本気にまずい状況。
部屋に戻っても何も手につかず意味なくテレビのリモコンを触って見たり
頭を掻いてみたリ。
こうやってPCの前にいるのは不思議だ。
まだ原稿にも追われていた方がましだった。
手を止めずに集中できるものがあった方がよかったのだ。

世の中の何割の人間がコンピューターというものの前に仕事で
座っているのか分からないが
ここのところ朝早くから夜遅くまでずっとPCの前に座りさらに
家に戻ってもPCを触っている。
全てが四角い箱の中にあるのだ。
昼と夜の区別も無く暑い寒いも無い無機質な感覚。

画面を注視している時はマウスをクリックする音だけが聞こえる。
こんな時には不思議な感覚にとらわれる。

果たして人間と言うものは何処まで正気を保っていられるのだろうか。
それ以前に正気と狂気の境目というものはあるのだろうか。
どこから狂ってしまうのだろう。
そもそも狂うとは良く使われる表現だがどういう状況なのか。
ただ人と違う行動をすることが狂うことなのか。
変わり者とどう違うのだろう。

一過性の狂いは誰にでもあると思われる。
慢性的な狂いになると誰が見ても危ない人間なんだろうな。
訳の分からないことをぶつぶつ言うようになったら立派な狂人か。

自分だけが理解できていることは誰に言っても意味が伝わらない。
しかし他人が理解できなくても自分だけが完全に理解していれば
それは狂気ではないだろう。

天才と狂人は紙一重というがまさにその通りだ。
この文章も今は自分ながらに理解できていても後に読み返した時に
その時の考えまでも思い出すことができるのか。

2月19日(月)「無いと困るけど」

池袋の東口周辺を歩いたことはあるだろうか。
あのあたりは有名なところでいつでもティッシュ配りの
お兄さんがいる。

しかし彼らを観察していると結構面白い。
一見無差別に配っているように見えてちゃんとターゲットを狙ってる。

テレホンクラブなどのティッシュは若い女性がメインだし
居酒屋などは大人優先で配っている。サラ金関係のは誰でもっぽい。
配るのはだいたいバイト君で時間いくらの時間給ではなく
どれだけ配ったかの出来高制でバイト代が出るところが多い。

まあだいたいテレクラ関係が一番多いので
なかなか男にはもらえない。
直接くれと言えばくれるだろうがそこまでしてもらうものではない。

これでも一時に比べると不況の影響だか配るお兄さんも減った気がする。
以前は10人以上が常駐していて無差別にまいていたから何個でもくれた。

まあ的確な判断かもしれんな。
店にとっては安いティッシュ一つで店の存在を知ってもらえるわけだから
まけばまくほど知名度が上がると思っている。
もらう側は広告の部分はほとんどみないか広告の紙だけ捨ててしまっている。

だからあまり効率の良い宣伝方法ではないのだが無くなることはない。

何故だろう。

TVCMなどは金がかかる。
看板を出すのにも一等地だと高い。
サンドイッチマンは人件費が馬鹿にならないしそこに存在してないと意味が無い。

おおよその見当だがポケットに入れて持つものだから取り出したときに
見るかもしれないという期待が大きいのだろう。
それだけかな?

いざ何か店を探したい場合どうするだろうか。
ああそういえばと思い出して持ち歩いているものを見るかもしれないし
いつももらってるところには特別な感情が沸くかもしれない。

仮定の連続だが意外と店を選ぶ判断基準など無いものだ。
自分の持ち物だって案外どんなものか把握してないから
持ってるものに興味がわいて目が行くことだってあるからだろうな。
それにポケットティッシュだと他の人にあげる可能性だってあるのだから
ただのチラシよりは存在意義がある。

でもあまりたくさんもらうと置く場所に困るのだよ。

2月18日(日)「修羅の道」

更新が微妙に滞っている。
毎日チェックしている方には本当に申し訳無い。

ひとえに現在仕事もプライベートもとても忙しくて
こんな駄文を書く時間もないくらいなのだ。
俗に修羅場を迎えると言う奴だ。

通常、修羅場とは戦場などで血みどろのむごい場所や芝居や演劇で
悲壮な争いの場面のことをいう。

まあ一般に使われている修羅場というのは
二股かけてる男がその現場を見られたりすると大喧嘩になったりする
人間関係のむごいシーンに用いられる表現だな。

今の自分に当てはめるとすれば時間に追われている酷い状況ということか。
締切の時間がある仕事というのはそれを守りきらねばプロ失格である。
とにかく走り続けてなんとかなるものとどうにもならないものがあるのだが
問題解決に何を用いるかが勝負の決め所だ。

昔も書いたが一番強いのは何と言ってもマンパワーだね。
同じ作業を分担してやれると二倍三倍の速度になるからだ。

修羅場を共に潜り抜けた友人らとは不思議な縁ができる。
同じ釜の飯の戦友とでもいうべきだろうか。
だからいざ修羅場となってもそういう友人を持っていると
とても心強かったりする。
生涯の友になりやすいのも限界を超えたところでつながってる何かを持ってる
人達なのだ。

果たしてこれから先何人戦友ができるだろうか。

2月17日(土)「グラデュエイション」

卒業式のシーズンである。
もう学生をやめてかなり久しいのでテレビなどで
卒業シーンを放映しているとあんな頃もあったなぁと感慨深い。

印象に残っている卒業式は小学校だったりする。
前にも書いたがタイムカプセルを埋めたり集合写真を撮ったり
小学生には大人に見えた中学生になるのかという期待と希望を持っていた。
が、何故か中学の卒業式は全く記憶に無いほど薄い。

今の社会人には何か卒業するものがあるだろうか?
学校に行ったり通信教育をしたりすれば卒業という文字にまた会えるが
そうではない。
普段の生活の中で目標を持って突き進み結果を出し達成し続け
満を持して卒業と言えるもの・・・

これはかなり難しい。

目的を持って生きている人間が一体どれほどいると言うのだ。
怠惰な日常に流され食うために生きているのか
生きるために食うのか分からなくなってる人間がほとんどだろう。

かく言う私もその中の一人だ。
目的を持つのは決して難しいことじゃない。
何でも良いから自分で決めればそれが目標になるからだ。

でもそれすらしないのは何故だろう。
高い目標を掲げて実行するのが難しいと思い込んでいるのだ。
今までの自分を変えるのが恐いのだ。
最初の一歩が踏み出せなくて躊躇してはあきらめる人生の方が楽だからだ。

思い込みという力は思いのほか強くて時に人生すら左右する。
からを破る力は誰にでもある。
それに気が付いた時が今までの自分を卒業するときか。

私はいったいいつ気が付くのだろう。

2月16日(金)「CGの真価」

最近のCMはCGが良く使われるようになった。
まあアニメもセル画ではなくなったのだからCGが使われていても
不思議ではない。
一時はSFX物が大流行した時代もあったがこの頃はそれよりも
目を引くCMが多い。

ゲームの世界では3Dポリゴンのお姉ちゃんがよく登場する。
代表でいうならナムコの長瀬麗子というところか。

昔の「ウィニングラン」にもCGのお姉さんは出ていたような気がするのだが
あの時代に人は三角の集まりだった。
それに比べるとポリゴンの継ぎ目がほとんど見えなくなるほどのCGで描かれている
現在のCGは実物に限りなく近づいてきた。

セガで言えば「スペースチャンネル5」のうららになるかな。


気のせいだろうか、生理用品のCMでCGのお姉さんが出てくるのだが
あれを見るとスペースチャンネル5を彷彿させる。

しばらく前だと口臭予防のうがい薬のCMにもCGのお姉さんが出てたのだが
同じ人(CG)!?が今は下着のCMに出ている。

今まで下着のCMといえばスタイルの良い外人モデルが多かった。
生身の人間が着けていることによって下着の存在感があったのだ。
それがCGで表現されると下着よりもまだポリゴン人間の不自然さの方が
目に付く。
もう少し時代が立てば人間と区別付かなくなるほどのCGでできそうだな。

まあCMというのは良かれ悪かれ目立てば良しの世界だから今はこれでも
良いのかもしれないな。
でも私の感想としては生身のCMの方が嬉しいね。
女性にアピールするCMを男性が見るのでは見ている目的が違うか。

2月15日(木)「体力勝負」

年齢を重ねると筋肉の成長よりも退化の方が勝ってくる。
もちろん衰えというのはなかなか目に見えないから気が付きにくいが
日頃の行いでずいぶん変わる。

鈴鹿に行ったときに体力勝負の仕事をしている友人に会って話をした。
そう昔私がやっていた仕事場である。
彼はほぼ同じ年齢なのだが今も軽やかに作業していた。

かたや私は当時から15Kgも体重が増えたためにずいぶん身体が重くなった。
たった6年なのにこの差はなんだ。
単純に考えて私が身体を動かすのをサボっていたからなのだが。
このまま年を重ねて行けば決定的に違いが現れるだろうな。


太ってる友人が最近プールにてトレーニングをしているらしい。
プールに入って歩くだけでも水の抵抗で陸上よりも力がいる。
しかし浮力のおかげで関節などに負担がかからないのでトレーニングとしては
なかなか有効だな。

よくよく話を聞くと面白い。

トレーニングコースを何周か歩いて水から上がると
とたんに全体重が足にかかりしばらく立てなくなるという。
それはまるで水辺に打ち上げられた鯨じゃないか。
気持ちは歩いていても身体が歩けない感覚と言っていたが
案外それは分かる気もする。

自分も階段の駆け上りがだんだん苦しくなってきた現在、
普段の生活に運動をもっと取り入れていくべきだと思うが
なかなかうまく行かないものである。
バイクに乗りつづけるのならばもっと体力トレーニングが必要だな。

2月14日(水)「製菓業界の陰謀」

どうやら今日は世間ではバレンタインデーというものらしい。
仕事と原稿に明け暮れている私なのでそんな行事は関係ないのだが。

馴染みのうどん屋に行ったら近くに住んでいると思われる中学生が
うどん屋のオヤジさんにチョコレートらしき包みを渡しているのに遭遇。
下町風情のただよう店で良く来るのだが
そうかぁこんなところにも浸透している行事なのかと感心した。

友人に話を聞くとデパートなどの高級輸入雑貨の店や専門店では
人だかりができていたそうな。
世の中不景気だと言われて久しいがせめて華やかな行事くらいはと
いうことだろうか。

まあこの機会に告白とかするチャンスでもあるわな。

今の世の中、意思を伝える手段がメールやケータイなぞデジタル化しているが
人の心というのは決してデジタルではないからそこに気持ちを込めようと
すると表現がとても難しい。
たとえ1000行を超える文章を書いたところでどれだけ気持ちは伝わるだろうか。

電子メールは手紙に取って変われるか?
それは両者の記録保持形態の違いから不可能だと思う。

電子メールというのは電気信号の集まりであるから内容の雛型があれば
誰だって同じような文章が書ける。言ってみればシャチハタのハンコだ。

でも手紙は相手のことを想いながら一生懸命自分を表現して書くことが必要だ。
だから100人が書けば100通りの文章ではなく100通りの手紙ができる。
下手でも良いから自分の文字や言葉や絵で伝えようとする努力することで
たくさん気持ちが通じると思うのだ。

用事を伝えるだけなら携帯やメールは非常に便利なツールだが
気持ちや雰囲気までも伝えたいならばアナログな手紙かそれに準ずる手法で
一番良いのはやはり実際に会って会話することか。

2月13日(火)「無洗米」

CMを見ていて気になったものがある。

薬屋のマツモトキヨシのCMに出ていた「まみちゃん」と言うキャラクターの
山口もえが若妻を演じているのだが
「水が冷たくてお米を洗えないから今日ご飯食べれないかも」
と言う台詞の後に洗わないで済む無洗米のCMをするというものだ。

最近家事でもなんでも楽にできるようになってきたが
米を研がないで済むようになるとはどういうことだろうか?

籾殻を外したばかりの米はぬかがついているから精米せねばならない。
米を研ぐという行為は精米しても米の表面に残るぬかやごみや米の粉を
洗って落とすということだな。

では無洗米はすでに洗ってあると言うことか。
一度試してみたい気がするが味はどうなのだろうか?
いろいろ調査してみたらだんだん無洗米の意義が分かってきた。

家庭用排水が環境破壊の原因を担っているのは周知の事実で
油の他に米のとぎ汁が該当するようだ。
なんでもかんでも下水に流してしまえと言う行為は排水溝の先はもう知らない
後は野となれ山となれ的考えだな。
これは以外と根が深い問題かもしれないな。

CMを見る限りでは家事が楽になる事を全面に押しだして表現されている。
主婦を家事の重労働から開放すると言う名目でいろいろ開発が進む分野だ。
でも家事が楽になるのは結構だがその浮いた時間を何に使うかが問題じゃないか。

2月12日(月)「調理人としての意地」

友人達と食事に行った。

京都生まれの全国展開している中華料理のチェーン店である。

昔から良く行くので時代の流れでの物価の上昇がよく分かる。
物心ついたときに覚えていた値段では焼き飯とやきそばはそれぞれ
250円で餃子は一人前120円だったと思う。
現在では焼き飯とやきそばはそれぞれ400円で餃子は一人前200円かな。
まあそれでも庶民的な値段ということには変わりない。

ちなみに良く行くのは
東武東上線の朝霞台駅そばの店舗である。
ここのサービスメニューは何と言ってもマーボーライスだろうな。
問答無用の大盛り御飯に約一人前の麻婆豆腐がかけてあり500円(税別)。
難点としたら少し辛味が足りないので甘口でも良いとせねばならぬことか。

通常の人間ならこれと餃子一人前で必要十分な量である。
小食な人なら食べきれないかも知れぬ。
それゆえに人気メニューであることは間違い無く観察している限りでは
頼んでいる客がかなりいる。

今回も一緒に行った6人中2人がこれを注文していた。
私は頼まなかった。
談笑しながら食事が進む。
事件はここで静かに起こった。

一人のマーボーライスの中からビニールの袋の切れはじが出てきたのだ。
異物混入は外食産業としてやってはいけないミスである。
ウェイターに経緯を説明するとすぐに厨房に行って何やら話をしていた。
戻ってきて一言
「申し訳ありません。今回のマーボーライスについては御二人様とも
お代はいただきません。」とのこと。

半分ほど食べていた段階でこの問題に遭遇したので
食事はそのまま継続された。
食事が済んでまもなく厨房から調理したとみられる若い料理人が謝りにきた。
心から謝っている様子が伝わってくる。
結果として特にトラブルも無く事は無事に済んだ。


それにしても賢明な判断である。
調理人が直接客に謝りに来る態度は好感が持てる。
食事が済んでから来たのもタイミングが良い。

心理的に見て人間は空腹時にはいらいらしているものだ。
ちょっとしたことにも敏感になる。ここで出てきたら一悶着は避けられぬ。
しかし満腹時には機嫌が良くなるので謝るには絶好の機会なのだな。

衛生に関して言えばしっかり管理されていないといけないのだが
人間がやることだからミスはつきものである。
それをどうフォローしたかによってその後の印象が変わるのだ。

今回のことで二度とこの店には行かないというような結果には
至っていない。
むしろ潔い調理人の態度にこちらが驚いたくらいだ。
人間関係のバランスの妙とはこういうところに潜んでいるのだ。

2月11日(日)「地方名産?」

さて鈴鹿に出張に行った時に土産としていろいろ買って帰った。
さすがに赤福だけはやめろと言われたので何にしようかと考えていた。

今回はほとんど土産を買う時間が無く新幹線のホームで目に付いたのが
「名古屋コーチン味カール」である。
「八兆味噌味プリッツ」もあったがさすがにやめておいたら
同じ週に鈴鹿に行った友人が買って帰ってきていた。
うむ、バッティングしなくてよかった。

この手のシリーズモノはたくさん出ている。
カールを始めプリッツやおっとっときのこの山あたりがメジャーかな。
下手に名産品を買うと若い友人達には受けないので
こういう風変わりなものが丁度いいのだ。
値段も手ごろだしね。
土産というのは本当に地方によっていろいろあるので見ていて飽きない。

でも土産の定義ってなんだろうか?

旅行に行った時にその旅行に行かなかった人にあげるものかな?
土産は義理でもらうとさびしいものがある。
やはり喜ぶんじゃないかと思って気持ちが入っていれば
何を貰っても嬉しいものだ。
それが例え石ころであってもね。

貰ってくれる相手の顔を考えながら土産を選んでいる時は
実はかなり幸せだったりする。

2月10日(土)「レイトショー」

どうして見たい映画というのは上映時期が重なるのだろうか?
先週あたりから封切られた映画で観たい映画がてんこ盛りである。
「ブラザー」に「ペイフォワード」「アンブレイカブル」・・・
ああそう言えばまだ「バトルロワイヤル」も観てなかったっけ。

原稿の締切は間近なのだが映画を観てそれを心の糧にすることも
重要なのだ。
と自分に言い訳をしながら映画館に行った。
最近近くにオープンしたワーナーマイカル東武練馬だ。

でも昨日の決心が冷めない前に秋葉にも行きたかった。
だから午後9時半から始まる「ペイフォワード」のレイトショー
チケットを買いそれから秋葉に行った。

最近C1の調子があまり良くない。
まあ一年半も使っていればごみもたまってくるだろう。
バッテリーの他にブートするためにCD-ROMも買うことにした。
やはりバイオのバッテリーは高いな。
これも必要経費か・・・

ゆっくり秋葉で買い物してから家に帰って夕食の準備をする。
のんびり食事をしてから映画を観に出かけた。
レイトショーはさすがにがらがら、ほとんど貸し切り状態で
最後までじっくり観覧することができた。

こういう時間の使い方もありかもしれぬ。
また一つ行動パターンが増えたかもしれないな。

2月9日(金)「新幹線の旅」

久方ぶりに出張が入った。
今回はあの国際サーキットのある鈴鹿である。

鈴鹿と言えば忘れもしない6年前まで働いていた所なのだ。
出るときいつかはこんな日がくるかと思って鈴鹿を後にしたが
ようやくその時の思いが叶う日がきた。

東京からの移動には新幹線を使用する。
普段関西へ行くときは飛行機や車・バイクなので新幹線は新鮮だ。

乗り込む前にKIOSKにてポテチ購入、新幹線のお約束やね。
実際約2時間だから寝てるかと思ったが一緒に同僚がいたので
PCを開き話をしながらだとあっという間に着いてしまった。

あっという間に着くのは良いのだが、バイオノートのバッテリーが
全然もたないことが判明。
フル充電してあったはずなのに1時間持たなかった。
まあゲームは動かすわオフラインでブラウジングもするわで結構ハードディスク
が廻りっぱなしだったから仕方ないか。

速遅堕氏のところで充電しながらアップロード作業をし
ホテルに帰ってとりあえず朝まで充電。
朝にバッテリーフルになったことを確認して電源を落とした。

無事に仕事も終わり帰りの新幹線に乗るために名古屋に向かう。
名古屋からちょっとでも早く帰るためにのぞみに乗った。
横揺れは大きく感じ減速Gも結構あったが思ったよりのぞみは速かった。
のぞみに乗ったことのある人に聞いていた話だとかなりの騒音だと
いうことだったのだが思ったよりは静かだったな。

ネタが新鮮なうちに書いておこうとPCの電源を入れる。
すぐにバッテリー容量が激減していることに気が付く。
あ?
だめだ。どうやらバッテリーが死んでいるらしい。
こうして文章を書いているうちに落ちてしまった。
リチウムイオンバッテリーというのはメモリー効果を持たない
と思っていたがACアダプターにつなぎっぱなしではだめだったか。

明日は秋葉に行くことを決心したのは言うまでも無いな。

2月8日(木)「出前」

ここのところ出前を取ることがない。
出前と言えば一昔前はラーメンなどの中華料理が主だったが
現在ではデリバリーサービスの名のもとにいろいろ宅配されている。

ピザの宅配が一番メジャーかな。
私が知っているところではケンタッキーとかガストとかもやっている。
コンビニエンスストアなどもそのサービスをやっているところがあるな。

宅配を使う側のメリットは何と言っても外出せずに品物とか
他サービスが受けられること。
その分値段が高いのは免れない。

宅配を行う側のメリットは新規顧客の開拓が一番大きいだろうな。
今まで店に来なかった客に宅配で使ってもらうことにより直接店に来てもらえるか
しれない潜在的な客の開拓ができるのだ。
人件費と管理が大変になるのだが街中を宅配で走り回れば宣伝活動にもなる。

今や宅配サービスは過剰になっている。
宅配だけでなく集配や宅配時間指定までも始めた。
後はCMのように人も運んでくれればいいのにな。


実は本日私は関東にはいないのだ。
人間の出前(会社の出張)で鈴鹿に来ている。
この文章が無事にUPされているとすれば速遅堕氏の協力のもと
鈴鹿から発信されているということだ。

2月7日(水)「牛しばく」

昨日に引き続きファーストフード系の話。
ちょうど夜食に吉野家に行った。

吉野家は男のファーストフードと呼べるくらい男性客が多い。
若い女性一人で入りにくい店であることは間違い無い。
今まで結構な回数行ったが若い女性が一人で入ってきてカウンターで
食べている光景を見たことは一度しかない。
もちろん相当浮いて見えた。可愛い眼鏡っ娘だったしな・・・塾の帰りだろうか。

でもまあ私の行く時間帯が悪いかもな。
だいたい夜にしか行かないからな。
オフィス街の昼食時にはあまり関係なく女性でも入れるかもしれぬ。


ところで私が頼むのは決まって「大盛り汁だく・味噌汁・卵」なのだ。

卵が来たら’からざ’の部分を取り出しナプキンに包む。
程よくかき混ぜて牛丼の上に8割、味噌汁に残りの2割を入れて
牛丼に全然辛くない七味をかけて儀式終了。

後は一心に食うだけである。
しかし昨日食っていたら新たに横に客が来た。
最初全然興味なかったのだがその客の注文は初めて聞くものだった。

「大盛りねぎだく・味噌汁」
はぁ?そんな注文ありなのか?
と思ったら店員は顔色一つ変えずに厨房にオーダーを出していた。
今までねぎ抜きは聞いたことあるがねぎだくも可能なのか。

やったことはないがご飯と卵でも問題ないらしいから
多少の変わったオーダーは受けてくれるんだよな。

そう言えばマクドナルドのハンバーガーでハンバーグ抜きを注文してた
外人もいたからなぁ。
ヒンドゥー教の人みたいだったけど・・・でも値段は同じなのだな。

2月6日(火)「はんばぁがー」

この前LABO7にみちるがモスバーガーを食べてる絵を描いた。
実はその日の昼食はモスバーガーだったのだ。

ファーストフードでハンバーガーと言えばマクドナルドが一番有名だろうな。
次点でモスバーガーとロッテリアだろうか。
ファーストキッチンやウェンディーズ・ドムドム等の細々した店が好きだと
言う方もおられるかもしれないな。

でも私はダントツでモス派なのだ。
モスと言えば「高い・待たされる」の代名詞であるが
いってみれば「安くて早い」マクドナルドと対極の存在であると思う。

バリューセットなるもので価格競争に打って出たマクドは
ファーストフード業界のシェアを一気に牛耳った。
おかげであおりを食らったのが100円バーガーでおなじみだった
バーガーシティーである。
ここは噂ではつなぎにあやしいものが入ってるという話もあったので
バリューセット以前にバブルの終わりには無くなってたか・・・
どの道今や100円以下で売られているマクドのハンバーガーに勝てる訳も無いが
最近は全く話を聞かないので業界から撤退してしまったと思われる。

それにしてもバリューセットになってからのマクドは味が落ちる一方という
気がするのは私だけだろうか?
普通のハンバーガーに至っては紙粘土のバンズにパサパサのパティと言う感じ。
ピクルスも昔に比べて入っている量と質が落ちてる気がするので
全く美味しいとは思えなくなった。
あれだけ販売価格を下げて原材料費削らずに維持できているかというと
超薄利多売とはいえかなり謎だが。
まあソフトドリンクなぞ原価は只みたいなものだしな。

反対にモスは時間がかかるのでファーストフードと定義してもいいのか迷うが
一つ一つ作るので作り立てで美味しいと思う。

マクドナルドでも作り立てならまだ食べられるがテイクアウトで持って帰り
冷めた奴を食うのはちょっと勘弁していただきたいとこだな。

2月5日(月)「過去からの手紙」

今から約15年前に筑波で行われた筑波万博。
実はかなり行きたかったのだが関西に住んでいたので
結局行く機会が無く残念な思いをした。

ゲーマーな私は筑波博でのイメージキャラクター「コスモ星丸」は
ナムコが製作したキャラということで実物を見てみたかったのだ。

まあそれはさておき
その中のイベントで2001年に向かって手紙を出そうというのがあり
300万人以上が投函したそうだ。
そして今年の一月にそれが配達された。

過去からの手紙は一種のタイムカプセルみたいなもので
開けるまで自分が何を書いていたかなど覚えている人も少なかろう。
私など一ヶ月前の日記ですら何を書いたかなど覚えてはいない。
TVでこのイベントに参加した人は感動あり涙ありで概ね好評だったみたいだ。
また実施してほしいが手紙の保管や配達先の捜索に手間がかかるために
なかなか機会がないかもしれないな。


私も小学生の卒業の時にタイムカプセルを学年で埋めたことがある。
最終のタイムカプセル係だったので自分の手で土に埋めたから覚えていた。
それの開封は10年後。

瞬く間に10年が過ぎ皆で集まってタイムカプセルを掘り起こした時の感動は
今でも忘れない。
小学校卒業から10年の歳月はあまりに激動の10年だったので当時何を考えていたか
など覚えてもいなかった。
掘り起こしたカプセルから自分のものを探す。

あった。

実に簡素で他愛も無い小学生の自分がそこにいた。
手型が残っていたので比べてみたら10年の歳月が成長と言う形で目に見えた。
小学生の頃はバイクに乗ってる自分を想像すらできなかったろう。
昔バイクは嫌な乗り物だったからだ。

成長することによって価値観は変わる。
あと10年後に私はどんな価値観になっているのだろうか?
未来予想図はまだ描けない。

2月4日(日)「工夫」

原稿の合間にちょっとした工作をした。
昨日秋葉に行ってある部品を買ってきたのだがそれのステーの製作だ。

最初は簡単に思えたのだがいざ始めて見ると思ったように行かない。
ホームセンターに行って新しいステーを買いチャレンジ。
失敗、また失敗。
やはり汎用品の組み合わせは難しい。
安く美しく作るのはかなり知恵を絞らねばならない。

今回はバイクにペンライトを取り付けるステーなのだが
純正の専用品などは無くひたすらトライアンドチェックで作業した。

ハンマーとプライヤーを手に持ちかんかんと鉄板を叩いて曲げる。
切断だって弓のこなどがあるわけ無し、金属疲労を利用して切って
やすりで切断面を削る。
この時はさすがにガレージが欲しいなあと思ったが青空ガレージも
貧乏臭くて嫌いではない。

何度もの失敗を重ね何とか使い物になるモノができた。
いかんせん何とか使用に耐えると言うだけで完璧ではないから
時間を見てまた作り直すつもりだ。

でもこの苦労の行程があるから出来あがった時に嬉しい。

最近の風潮では出来合いのものを買ってきてただ楽しむというのが多い。
でもそれはすぐに飽きてしまう。
手に入れるのに苦労をしなかったものには思い入れが無いのだな。

手を動かして何か作っている時は幸せだ。
やはりモノを作るというのは楽しいことだな。

2月3日(土)「バッテリーの悪夢再び」

先週の教訓を生かして保険証を忘れずに水道橋の東京歯科大学病院に
バイク(600F)で行ったのだ。
今日は検査だけだったので拍子抜けするほど早く終わった。

せっかく水道橋まで出てきているのだからと秋葉に行くことにした。
そう言えば栃木の友人も今日秋葉に来ると言ってたな。
連絡して見ると浦和料金所付近にいると言う。

しばらくぶらぶらして時間をつぶして合流。
彼ももちろんバイクだ。

またしばらくいろいろ探したりして大体の用事は済んだので
17号を使って大宮のバイク屋(以降パッセージ)に行くことにした。
夕方の時間を過ぎて薄闇が電気街を包む。

あたりはもう暗い。
ライトオンして一路大宮を目指す。
しかし途中擦りぬけしてゆっくり走っているとエンジンの吹けが急に
悪くなり始めあっという間にエンストしてしまった。

あっ!
ほぼ止まろうかというスピードだったので怖くはなかったが
別の意味で怖くなった。
急遽予定変更、押しがけしてまずは家路を急ぐ。
帰ってバッテリーの充電をするのだ。
しかしカウルを外してみるとそこには黒いバッテリーが・・・

MF(メンテナンスフリー)バッテリーやん・・・

MFバッテリーは普通の充電器では充電できない、専用品が必要だ。
無理にやろうとするとバッテリーが壊れてしまう。
もう三年以上も使ってるのだから寿命と考えた方が良いかもな。
MFバッテリーはある日突然こういう事象が来るのだ。

ここでパッセージに救援の電話をする。
何とか用意してもらえるというのでまた押しがけして大宮に急ぐ。
途中も止まったがパッセージに辿り着くことができた。
ほっとして仲間やメカニックの方(以降メカさん)達と談笑する。

バッテリーも新品になったしこれで大丈夫だと安心していたら
メカさんがバッテリーチェッカーを端子に当ててエンジンを吹かしながら言う。
「何か電圧の上がり方が腑に落ちないなぁ・・・普通は少し違う反応するんだ
けど電圧の上がり方が緩やかなのは何故だろう?」

・・・しばらく考えてレギュレターに手を当ててみる。
さっきから負荷をかなりかけているので熱い。
「もしかしてこれ・・・可能性あるよ」

レギュか!
店の新車からレギュを外して交換して見る。
明らかにさっきとバッテリーチェッカーの動きが違う。
「あ、やっぱり」
長年メカニックをやってるとちょっとした違いを肌で感じることができるようだ。
やはりプロは違う。
もしも今回バッテリーだけ交換していればまたすぐに不調が出たであろう。
壊れているレギュレターだとバッテリーにものすごい負荷が掛かる。
原因を究明してくださったメカさんの信頼度がまた上がったのは言うまでも無い。

しかしレギュとバッテリーで二万円以上の出費は痛いな。

2月2日(金)「基盤ユーザー」

会社の新人と仕事をするようになった。
昨年学校を卒業して入ってきたので私と年の差がかなりある。
ゼネレーションギャップがあるだろうなと思いながらいろいろと会話をした。
ゲームの話になった時に意外に古いゲームについて知っていることに気が付く。

自慢ではないが私はオールドゲーム愛好家として古いゲームについていっぱしの
知識はある方だと思っている。

会話の中で新人がゲーセンに通っていた時期のゲームを聞くと
馬に乗ってうりゃりゅあとか言う奴(天地を喰らう<カプコン>だと思われる)が
好きだったらしい。
もう一つ好きなゲームがあったけど何だったかなと言う。

その時代だとテトリス<セガ>ブームも落ち着いてストリートファイター2
<カプコン>が流行る前くらいか。
レース物ではリッジレーサーはまだ出ていない。
せいぜいウィニングラン鈴鹿GP<ナムコ>があったぐらいかな。

当時私が好きだったのはマーベルランド<ナムコ>で毎日欠かさずやっていた。
そのうちにゲーセンから消えてしまったので基盤まで買ってしまったゲームだ。
その頃システム2基盤は非常に高価でマーベルランドも例外ではなかったが
食費を削ってでも手に入れたかった。
基盤を手にしてからはそれはもう命削ってプレイしたものだ。
アクションは簡単でキャラが可愛く見た目にやさしそうだがとんでもない。
マーベルランドは完璧なタイミングというものがあってそれを外すと
クリアできないのだ。
特に最終面あたりの難易度は驚異的で最後の脱出で失敗は絶対許されない。
ランダム要素は低いので完璧にパターン化してしまえば大丈夫なのだが。
このあたりはローリングサンダーに通じるものがある。

キャラにはまっていたのもこの時期で私が同人誌に絵を描いたのも
このゲームが初めてなのだ。
某お絵描き掲示板でドルアーガの塔のカイを描いたがあれはまだ同人を
知らなかった時代、旧石器時代である。

あれももう遠い昔だなぁ基盤は大切に保存してあるけど動くかなぁ、、、
ちょっと検索モードから回想モードに入ってた所で新人が話し掛けてきた。

「そうそう女の子みたいな格好で分身が付いて回して攻撃できるゲームです」と。
「あとジェットコースターに乗って・・・」

うんうん皆まで言うな。
偶然とはかくも恐ろしいものか別に話はしてないのに同じ物を考えていたらしい。
かくしてゼネレーションギャップは一瞬で埋まったのだった。

2月1日(木)「季節もの」

最近外食ばかりだったのでたまには自分で作ろうと豆腐チゲを作った。

材料をスーパーで調達してきてぼちぼち作る。
そう言えば今使ってる包丁の切れ味がだいぶ悪くなってるのだった。
まあこれも三年ほど使ってるからな。
光にかざして良く見ると所々歯こぼれしている。
前回鶏肉をさばいた時には筋が切れなくて難儀したのだ。
それで新しい包丁を買ってきたのだがそれを卸す前に新しい包丁に
付いてきた砥石で切れなくなった包丁を磨いで見みた。

砥石といっても平砥石ではない。
樹脂で出来ている奴でスリットがあり砥石に溝を切ってセットしてある。
説明書を見るとそこに歯を噛ませて何度か引き抜くだけだそうな。
今まで平砥石しか使ったこと無かったのでこんなもので本当に磨げるのかと
疑問に思いながら何度か磨いでみた。

光にかざすと歯こぼれが無くなっている
試しに鶏肉のモモをさばいてみる。
すっ。
包丁を引くだけで鶏モモが面白いように切れる。
おまけに付いてきた代物としてはこの砥石使えるではないか。

あとは白菜を切りネギを切る。
もやしの袋を開けもやしの根っこを全て手作業にて取り除く。
もやしのひげ取りだけで30分はかかる。
でもこの行程をサボると美味しくなくなるんだな。

出し汁を用意して鶏肉と豚肉(スライスを買ってきた)をしばし漬けておく。
その上から切った野菜を入れる。もやしはまだ入れない。

30分ほど味を染ませてから調理開始。
と言っても火を点けるだけだが。
すべての具材に火が通ってきたらもやしを入れる。
中火にしてその間に豆腐を用意する。
豆腐を入れて煮えたら出来あがりだ。

うむ、熱々の豆腐に食感しゃきしゃきのもやし。文句無く美味い。
具材をほとんど平らげたらうどんを入れる。

ここまで食べるとさすがに腹いっぱい。
味の染みた出し汁は取っておいて翌日、朝食のおじやになるのだ。
この季節のなべ料理はやっぱ最高だね。


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