No。018
それっぽいこと
2000.2.12
1週間ほど前、「唇の横」が、いわゆる「飛び火」という皮膚炎になってしまい、医者に行ったときのことである。
単に、唇が荒れているだけなのかと思ったら、全然治らないので、やむなく皮膚科に行った。
そこでの先生(女医!)の対応が、とても気になった。
医者に行ってからの流れは、こうだった。
まず、初診なので、保険証を出し、簡単なアンケート(症状調査票とでもいうのか?)に記入。
そして、3人ほど後だったので、私は、置いてあった週刊誌を読んでいた。
「とみざわさ〜ん、中へどうぞ〜」
「あ、はい」
私は、呼ぶ声に応じて、診察室に入った。
「よろしくお願いします・・・」
「え〜と、どちらが悪いんですか?」
まず、ここで気になった。
前にあるように調査票に答えているのである。しかも、先生の手元にそれはある。
「(読めっちゅうんだよ・・・)」
女医とはいいながら、あまりお若くもない女医(推定年齢47歳)だったことも手伝って、私のモードはどんどんマイナス方向に進んでいった。
「あ、クチビルのココが・・・」
「あ、『飛び火』ですね〜」
「あ、そうなんすか・・・」
「ご家族で、どなたかいらっしゃいました? 『飛び火』になっている方?」
「ああ、娘が前に・・・」
「あら、そうなんですか〜」
ごくありがちな診療の現場での会話だと思う。
「じゃ、お薬塗りますから・・・。同じ薬を出しますので、必ず綿棒でつけるようにしてくださいね〜」
先生は、看護婦に指示し、看護婦さんは、チューブ型の薬をチロっと出し、綿棒につけて、私の患部に塗った・・・・ようだった。
「ようだった」というのは、それはあまりにも早業すぎて、私は正直、いつ塗られたのかも気付かないくらいだったからである。
薬も、特にシミるわけでもなかったから、本当に塗ったのかも、わからないのだが。
しかし、塗ってくれたらしい。
「じゃ、お薬出しておきますんで〜」
「あ、はい・・・」
私はどこか物足りなさを感じていた。
それは、先生が、ここまで私の体に一度も触れていなかったからである。
体に触れてもいないのだから、当然、患部に触ったわけでもない。
皮膚科だから、安易に患部にふれてはいけないからなのだろうが、私は、「何かが足りない」と思っていた。
「あの・・・・」
「え?」
「あの、終わりですか?」
「はい(キッパリ)」
「(え〜っ!)」
私は、心の中で叫び声をあげていた。
「(もう終わりかよ〜っ!)」
こうして書いてくると長いが、診察室に入ってから、1分間も経っていないのである。
なのに、もう診察オワリ。
先述のように、先生は、私の体に触れていない。
患部を触ることは御法度なのだとしても、先生は、私の患部を「イスに座ったまま診た」だけだった。
ここで、先生が、患部に顔を近づけて、じ〜っくりと診てくれたら、どうだったろうか。
「なるほどね」、私はそう思っていただろう。いや、むしろそれが「当たり前」だと思っているから、特に何も感じなかったかも知れない。
今回は、先生が、私が「たぶんそう診てくれるのだろうな」と思っていたことを、やってくれなかったために、私が変に思ったのだろう。
先生としても、極力省力化した方がいい。
だいたい、「飛び火」なんて、先生にしてみれば、たいした病気ではないから、今さらしげしげと見なくても、ちらっと見ればわかるはずだ。
医療をビジネスと考えるのならば、先生は非常に効率のよい仕事をした優秀な医者とみてよい。
しかし、では、私の感じた物足りなさは、どうなるのか?
正直言って、私は少し「不満」を感じた。
最近は、それまでのビジネス・プロセスを見直す動きが、もはや当たり前になってきている。
その風潮からすれば、「別にやらなくてもいいこと」は排除されがちだろう。
例えば、私の仕事でも、さまざまな納品物を、「宅配便」や「バイク便」で、届けてしまうこともある。
いちいち重たいものを持って、クライアントに伺うというのは、「昔タイプの営業」としてはいいのだろうが、その時間を別のもっと利益を生み出す仕事に充てなければいけないという方が、今風の考え方である。
しかし、それまで当たり前だと思っていたサービスが、なくなってしまうと、顧客の側は、その重大さにふと気付くこともある。
だから、例えば、「業界内では当たり前で、そんなことやらなくてもいいサービス」と思われるものでも、本当になくしてしまってよいのか、熟考すべきだろう。
特に、医者が患部を診るということは、「医者にとってのコアな作業」のはずだ。だから、あの先生は、絶対にそれを省いてはいけなかった。
「医者っぽさ」とでもいうのだろうか、あの動作は。
先生も、面倒くさがらずに、私の患部を、ためすすがめつ見て、「それっぽくして」くれていたら、私の不満は生じなかったはずなのに・・・。
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