富山地鉄射水線廃線跡から加越能鉄道万葉線へ…(3)


越ノ潟駅と富山県営渡船の着場

加越能鉄道越ノ潟駅で出発を待つ高岡駅前
行きの万葉線の電車。後方には富山県営渡船
の発着場と事務所がある。船と列車の接続
は良く、まさに連絡船さながら。
万葉線乗り歩き(越ノ潟-米島口)
 加越能鉄道の列車が来るまでまだ時間があった。日中は高岡駅前−中新湊は15分おきの運転だが、中新湊から越ノ潟は30分となる。まだ時間があるので、越ノ潟駅のホームで缶コーヒーを飲んでのんびり時を過ごす。

 しばらくしたら、高岡駅前行きの列車が入ってきた。列車正面の窓の下の右側に「加越能電車万葉線」の札があり、左側に東京行きバスの宣伝の札がある。渡船が着いたみたいで、越ノ潟発着場から来た数人が停車中の万葉線電車に乗り込んでいる。ぱらぱらと乗客が集まってきて、数人を乗せ越ノ潟駅を出発した。

 出発してすぐ古びたプラットホームらしき物が線路沿いにあるのが見えた。この電車が止まるのにちょうどいい長さだ。これは新港ができる以前の越ノ潟駅の跡だ。そして最初の停車駅の「海王丸駅」に停車。その名の通り、練習用帆船「海王丸」が展示してある海王丸パークまで徒歩5分と、万葉線沿線の観光名所となっている。今回はここをパスして先に進む。

 車両は路面電車の形だが、新湊市内は単線の専用の線を走り、港の倉庫や工場の多い所を走り抜ける。各駅停車だが、駅に乗客がいないと列車はゆっくり通過していく。駅のすぐ脇に踏み切りがある駅がいくつかあり、列車が通過するタイミングと踏み切りが閉まるタイミングが悪く、通過してもブレーキをして、踏み切りが降りるのを待たなければいけない。

 少づつ住宅が増えていき、内川を渡ると新湊市の市街地になった。中新湊では越ノ潟行きの列車とすれ違少うため少し長めに停車した。4駅に停車しても乗客はさほど増えておらず、老人、中年女性、大学生風の若者など免許を持って無さそうな人が目立つ。10分ほどで新湊市役所前に着き一旦下車した。線は1線だけどホームが高岡駅前方面、越ノ潟方面と別々になってている。

 市内を流れ海に通じる運河の内川に沿って歩いく。ユニークな橋がいくつも掛かっていて、運河の両岸には港町らしく小型の漁船が何艘も係留されている。更に歩き海に近い放生津八幡宮に着いた。加越能鉄道が万葉線と呼ばれるゆえんは、高岡市と周辺が万葉集ゆかりの地で、この辺りの海は“奈呉の浦”と詠まれた。この八幡宮は万葉歌人で万葉集の編者である大伴家持の創建と伝えられている。現在は建物が建ち、八幡宮から海は垣間見える程度だが、

 あゆの風 いたく吹くらし 奈呉の海人の
           釣りする小舟 こぎ隠るみゆ


という家持の歌碑が昔を偲ばせる。

 1時間半ほど新湊市をぶらぶら歩き、新町口駅に着いた。ここも1線2面での駅で高岡駅前方面の短いホームで列車を待った。この時乗った列車も同じような客層で乗客は10人以下と少ない。

 庄川を渡ると六渡寺駅でこの辺りのも倉庫などが多く港らしい風景だ。かつての射水線と高岡軌道線の境目の駅で、今も正式には六渡寺-越ノ潟間を「新湊港線」、六渡寺-高岡間を「高岡軌道線」という。だが両者が別線であるがゆえの不便は全く感じない。

 次の中新伏木から少し貨物線の横を走ると、道路に入り、中央を車と一緒に走る。駅も道路上になりコンクリートで少し道路からかさ上げした駅や、ただ線が引かれただけで、横を車がと飛ばしていて慣れてない私には少し怖い。能町口を過ぎると道路を離れ電車専用道になり貨物線、次に氷見線を跨線橋で見下ろしながら渡り、また道路に戻りすぐ米島口に停車した。ここには加越能鉄道の車庫と営業所があり、運転手が交代した。私もここで一旦下車した。
新湊市役所前駅の待合室

新湊市役所前駅の待合室。
新湊市役所前えきの案内板

新湊市役所前駅の待合室にある案内板。
下の方に富山県営渡船、新港東口
-富山駅間のバスという旧射水線のルートが
路線図に続けて小さく書かれていた。
新湊市役所駅に入線する電車

新湊市役所前駅に入線してくる越ノ潟
行き万葉線電車。専用の軌道を走る。
放生津八幡宮

放生津八幡宮。側には万葉歌人・大伴家持
が「奈呉の浦」と詠んだ海が広がる。

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