2000年11月の研究開発記録<雑記帳>



11月30日(木)「秋と冬の間に」

木枯らしが吹き部屋からみえる木の葉もずいぶん落ちてきた。
この葉っぱというのが結構曲者で車やバイクの上に積もると
掃除が大変なのだ。

昔は木の葉を集めて落ち葉焚きをして芋を焼いたりしたものだが
今住んでいるアパートで落ち葉焚きなどしようものなら
近隣から苦情が来て大家から文句を言われるのがおちだな。

なのでうちの最近の落ち葉の処理はごみ袋に入れて回収されていく。

本来落ち葉は土の上に落ちてそれが腐葉土となり
木が成長するための養分になる思うのだが
これだけ道や地面がアスファルトに覆われてしまうと
落ち葉は完全に邪魔物扱いである。
車に付いて雨なんか降った日には張り付いてしまい
前が見えにくくなる危険性もある。

それでも田舎にツーリングに行くとたき火をしている風景に出くわすので
これは都会に限ったことなんだろうが。

いつかたき火をするにもダイオキシンが発生するとか言われるようになって
条例などで禁止される時代がくるのだろうか?
そんな息苦しい未来は来なくてもいいな。

11月29日(水)「急な来客」

昨晩寝床に入ってからのこと
しばらくうとうとしていたら急に眠気が飛んでしまった。
ついにきて欲しくないものがきてしまったことに気が付く。

そいつの名前は歯痛だ。
ゆ〜のすさんの通うほさか歯科から離れること半年。

この間検診受けて行かねばなるまいと思っていた矢先のことだった。

しかし現在は草木も眠る午前2時。
どうしようか。
急な歯痛ほど苦しいものはない。
昔聞いたことがあるのは正露丸を痛む部位にかじると言う方法だが
残念ながら今治水とか正露丸は無い。

仕方ない。
他のことを考えて気を紛らわすことに決定だ。
そのまま寝ていても辛いだけである。

午前2時と言えば普通は真っ暗で静かなものである。
少なくとも私が小学生だった時分は外に出歩くなんて無い時間だと思っていた。
しかし今はどうだ。
ちょっと広い国道には車ががんがん行き来しコンビニはおろか弁当屋もレストランも

ジーンズショップまで明かりを煌煌と灯している。

草木が眠るどころか子供だって深夜のレストランに親が連れて行ったりしている。
人間の体内時計は便利さを引き換えに壊れていっているのがひしひしと感じる。

このまま突き進めばどこまで行ってしまうのか。

突然夜の街を走りたくて車に乗り込む。
夜景が窓の外を流れ気の赴くままに車を走らせた。もう歯の痛みは全く無い。
景色は都会から海辺へ。星が手に届くくらい美しく輝いていたのでそのまま山に。
ぼーっと考えながらステアリングを握る私の車がふっと宙に浮いた。
あっ!下が無い!崖か!?

浮遊感が全身を走る。
体中の毛穴が開いて汗を分泌する。
緊張感で全身が凍り付く。何も聞こえない、何も見えない。
そのまま落下を続けた後に
気が付くと枕につっぷし対衝撃体勢を取ってる自分がいて思わず苦笑いしたのだ。

しかし目が覚めたと同時に今まで忘れていた歯痛が蘇り
ほさか歯科に電話を入れたのは言うまでもない。

11月28日(火)「営業活動」

バイクの12ヶ月点検が終わったのでバイク屋に取りに行った。
途中大きい川に架かった橋を渡るのだがそこで青い服を着た方々が
営業活動に励んでいた。

これは研究する良いチャンスである。
脇にバイクを止めてじっくり見学することにした。

橋のたもとに引き込みで入るところがありバスは下に止まっている。
歩道上先頭に計測係がいてその約200m後方に停止係が。
停止係の脇に記録を払い出すプリンターの付いたマシンが一台あり
お偉いさんっぽい人が操作していた。
また停止係の側には小さいスピーカーが併設され計測係が違反車のナンバーを
読み上げるのが聞こえるようになっている。

計測係の側に行ってみた。
今回使われているのは電光測定器で歩道側に光を出す装置そして反対の車道の脇に
反射装置が取り付けてあった。
それがスタートとストップの分あってその間の距離は3mだった。
これはレーダー波を出さないので車載式のレーダー波感知器では
事前に知ることができない。

計測係は道路標識に身体を隠すようにし車道側から見えにくい位置にいた。
これでは原付など道路の左端しか通行できない車両はひとたまりも無い。
ちなみに私は通常第二走行帯を走って事前にいるかどうか確認するようにしている

私が見ている間にも何人かが停止を命ぜられ脇道に入っていく。
中にはシートベルト着用義務違反で止められたものもいる。

しかしスピードで止められていたのは明らかに速度の出し過ぎと私も体感する
速度で通行する車だった。
ここは60km/hの規制なのだが、私の速度感覚で計ると大体80km/h以上で通過し
車両を取り締まっている感じがした。
残念ながら速度の表示されるプリンターには近づけなかったので
あくまで推測に過ぎないが。

捕まった人達は素直に自分の違反を認めてばつのわるそうな顔してる
ばかりで反抗的な事例は見受けられなかった。

それをしている団体職員に話を聞いてみる。
やはり時々書いている途中の切符を破る輩がいるらしい。
しかし切符はあくまでも公文書なので破ったら即逮捕だとか。
まあ速度記録を見せられて逆切れする気持ちは分からないでもないが
ここまできたらあきらめるしかないだろうな。

でもここでそれをしたからと言って交通事故が無くなるとは思えないのだが。
彼らは私が立ち去った後も一生懸命営業活動に励んでいた。

まあこれに付いては面白い話がまだあるので次の機会に記録することにしよう。

11月27日(月)「サーキットの狐」

きつねと別れた我々は次の日の走行会の為に前哨戦として四輪カート場に行った。
ここでいうカートとは簡単なパイプで構成されたシャーシに原付のエンジンを
積みバケットシートを真中に備えるF1マシンの超ミニチュア版で
車の操縦の基本を身をもって体験できる乗り物である。

何回か乗っているので大体の要領は知っているが毎回新しい発見があり面白い。

普段車の操縦をするときに自車の挙動を考えながら乗ることは少ないだろう。
それは今の車は公道で通常の走行をするのには十分なスペックがあるからだ。

カートでは常に先の道を予測しながら操縦することを要求される。
集中力を維持しめまぐるしく変わる状況を判断、四肢にそれを伝える。
繰り返すうちに自分の持つ眠っている可能性がだんだん起きてくる。
F1レーサーが速いのは当たり前であるが彼らも初めから速かったわけではない。
練習を重ねれば誰だって速くなれるのだから。

カートでも良いラインどりをしないと速く走るのは無理だ。
タイヤのグリップを限界まで引き出しなけなしのエンジンパワーで加速
そして熱い駆け引き。
レースの原点を簡単に体験できるカートは四輪ドライバーなら
機会があれば是非乗って見ると良いと思う。

四輪の挙動とはどういうものなのか体験することによって
自分がいざ公道で緊急回避しなければならなくなった時に
焦らずに対応できる余裕が生まれるから。

車のハンドルを握ってる以上必ずそれが役に立つ時が来る。

11月26日(日)「真琴の故郷」

諸事情で東北に旅行に行っていた。
結構私の周りには東北に関係する方がたくさんおられるので
東北は何かと馴染みが有る。

今回の目的の一つはきつね(真琴)に会いにだ。

きつね村にてきつねと戯れる。
ここでは窓口でえさを売っていて
観光客が動物にえさを与えることができる。

えさ場から投げるのだがきつねの世界にもすばやい奴とそうでない奴がいる。
鈍重な仕草で投げるえさを追いかける姿は実にユーモラスだ。
良く見てみるとそいつはまわりのきつねに比べ結構太っている。
しかも白い。これを街で見かけたら犬と間違うだろう。

他に比べて目立つというのはきつねの世界でも有利に働くようだ。
事実えさを投げてもらえる確率が高い。
こうしてずんずん太っていってもっとスローリーなきつねになって
観光客にアピールできるのだろう。

人間に飼いならされたきつねは野生とは違い
いぬか猫みたいな目をしていた。
いつも腹を空かしているハングリーな精神がなくなったきつねは
見物には良いが一種人間世界を暗示しているかのようでもある。

11月25日(土)「高速奇行」

高速道路に乗ると結構退屈だ。
やることと言えば音楽を聴くか運転に集中するくらいのものだ。
ナビやテレビがあればそれを見るという選択肢もあるが
しかしそれでも退屈なのには変わりない。

長距離走ると疲れる。
そういうときにはPAやSAに入るのが定番だろう。

私的PA・SAでの楽しみは串ものの何かを食べることである。

定番の串ものでじゃがべーというのがある。
揚げたジャガイモを3つ串にさしてあるだけの素朴な食べ物だが
結構いけるのだ。

先日に和光健康祭りで食べられなかったじゃがべーを食う為に
今日注文しようとしたら売ってない。
あれ?どうしてと思ったらじゃがベーではなくベーコン男爵という
名前になっていた。
ジャガイモの間にベーコンが入ってる奴だったので
まあ名前が変わってるのは仕方無い。

納得いかなかったのはそれではない。

魚のすり身を平べったくして串につけて焼いた
かんぼこと言う食べ物がある。
これもなかなか熱くて下品で美味しいのだが
あるPAで看板に一文字だけ訂正してあって
「かんぼこ」が「かまぼこ」になっていた。

気になったので店の人に聞いてみた。
返ってきた返事がどうしてかねぇ・・・だった。
店の人も知らない謎なのか。
それともどうでもいいことなのか?
方言でかんぼこという地域があるだけなのか?

また最近気がついたら「かんぼこ」に戻ってるSAもある。
気持ち悪いので統一して欲しいものだ。

11月24日(金)「仮想旅行」


暇な時に読む本の中で好きなものに地図がある。
別に世界地図や道路マップに限らずなんでもいいのだ。

地図を読んでいると
ああ、ここにも行ったなぁとかこれはどういう道なんだろう
といろいろ空想できて非常に楽しい。

地図を俯瞰で見ているとまさに鳥になった気分である。

旅行に行く前にはどういう道を通っていこうかとか
どこで休憩しようとか予定を立てながら地図を見てると
今まで気にも留めなかった風景がパノラマスクリーンのように
頭の中で広がっていく。
これが気持ち良いのだ。

しかし時代は少しずつ変わってきた。
そう車にナビゲーションが付いたら意識が変わってきたのだ。
ナビゲーションというのは非常に便利である。
自分の現在地と進んでいる方向をリアルタイムで教えてくれる。

衛星からの電波を受信し3次元方位測定の結果を画面に出しているだけだが
自分の上に専用のガイドヘリを飛ばしているようなものだ。

さらに情報の密度もあり混雑情報すら表示してくれる
まさに夢のような機械である。
これを使うようになってから車の中で本の地図を開くことはなくなった。

片手で地図を持ち渋滞の中で瞬時に自分の位置を判断し回避路を探す
のも過去の遺物となってしまうのが少し残念な気もする。

こうして特技がまた一つ機械に奪われてしまうのだな。

11月23日(木)「安易金融考」


最近TVで竹中直人と万田久子がやってるモビットのCMをご存知だろうか
竹中が秀吉の扮装をして「ねね!内助の功を頼む」と言うと
ねね役の万田に「今時内助の功もないでしょ、モビットに頼みなさい」
というあれだ。

CMのインパクトはあったが何のCMなのかと良く見ると個人ローンのCMだった。
三和銀行が提唱した21世紀の金融サービスだという。

ちょっと気になったので調べてみた。

なるほど。要はインターネットでもi-modeでも郵送やFAXでも申し込めて
金利が15%〜18%と街金よりは安い。
しかも年会費や担保・保証人が必要無い。
ATMは三和銀行だけではなくプロミスやアプラスなどのATMも使用可能と
いうことで近くに三和銀行が無くても問題ない。

これで300万円まで借りられるサービスなのだ。

そう言えば最近のTVCMではサラ金のCMがゴールデンタイムでもがんがん
流れている。黄色い看板〜や、初めての○○〜とかレ○クエンジェルとか。
貸し金業は莫大な広告費を出してでもそれを回収できるくらいに儲かるのか。

以前は業界自主規制でもあったのか深夜枠にしか配置されなかったはず。

高校生時分に親に隠れて大人の子○歌とか見てたら
ほのぼのローンほのぼのレ○ク〜♪とか
繰り返し聞いて覚えてしまったくらいだ。

脱線してしまった、話を戻そう。

現在定職に就いていればお金を借りるのは非常に簡単になっている。
むしろいろいろある選択肢に迷うくらいだろう。

しかし私は提案する。
ちょっとしたものが欲しくてお金が欲しいならサラ金に行かずに
質屋に行くのはどうか。
質屋というのは古くからある金融業で持っていった物(質草)の価値で
いくら借りられるか決まる。

お金が返せなくても質草が流れるだけで実質被害はない。
いたって健康的な金融業者なのだ。
これなら自己破産もなければ一家心中も無い。
あるとしたら
「あんたそれはうちが嫁入りに持ってきた大事な着物やで」
「うるせぇ!俺は酒が飲みてえんだよ」
というような長屋張りの会話だろうか。

でも結局カード作る方が簡単なんだな。

11月22日(水)「おごる平気は久しからず」


今回もちょっとくだけてお姉ちゃん研究にしよう。

女の子とデートすると最初はだいたい男が払いを担当するのは明白な事実だ。
学生ならともかく社会人で女の子に最初からおごってもらうのは
ひもではない通常の男性ならあまり好ましくないだろう。

まあ割り切った関係なら最初から割り勘というケースもあるので
すべてには当てはまらない。

例えば仮に君が二人きりデートで遊園地に行ったとしよう。
電車代は多分各自で切符を買うから良いとして
遊園地の入園券を窓口で買う時に
「大人2枚」
と言うだろう。
ここで普通の女の子だと切符を手渡した時に
「はい、これ私の分」と言って払ってくる。

しかし君は男の意地で「あ、いいよいいよ、俺が誘ったんだから」
とか言うはずだ。
男の心の中ではせっかくデートまで来たんだからアドバンテージを取りたい
くらいの単純なことくらいしか考えてない。

この時の女の子の頭の中を解析してみよう。

<窓口の前で彼が切符を買っている。>
そうだ私の分払わなくちゃ
と考えてるのは比較的素直な良い子で通常は

彼が切符まとめて買ってるわ。
もしかしてやはりおごりかしら?
それとも割り勘かしら。
と狡猾に考えている場合が多い。

居酒屋で君が勘定する時もほとんど同じだ。
何故そうなるのか。

ここに彼女ら女の子が可愛さを表現する奥床しさに隠れたトリックがある。

だいたい男は概して細かいことは気にしない。(人にもよるが)
よほど財政にせっぱ詰まってない限り(せっぱ詰まったら遊園地など誘わないけど
一度済んだ会計を蒸し返すみたいな面倒なことはしない。
だいたい率先して男が会計してしまうと女の子はじっと待っているしかないのだ。
男が勝手に先に行ってしまうから控えめな態度でじっとしてる。
そして男の「ここは僕が払うよ」の一言で開放されるのだ。

最初は悪いかなと感じている女の子も回を重ねるにつれて徐々に慣れていき
いつしかそれがあたかも当たり前のような気分になる。
そして男が払ったこともすぐに記憶の彼方に消えるのも事実だ。

しかし勘違いされては困るのは狙ってやってる場合とそうでない場合があるのだ。

まあ可愛ければ許してしまうあたり男ってほんとに馬鹿だなァと感じる。
いろいろ考えあるでしょうが少なくとも私は馬鹿な男の一人です。

さてさらに進んだカップルの場合
お姉ちゃんにも収入があると割り勘率が増えてくることもある。

最近は男女平等が叫ばれているが
実際どうだろうか、本当に平等なのかな?
あなたの場合はどうですか
全部おごってますか、それとも割り勘派ですか。
え?全部彼女持ち!?羨ましいでスね。

11月21日(火)「どきどきメモリアル?」

連日で通勤風景を書くのは芸がないのであるが考察するに値する出来事があったので
記すことにしよう。
ただ今回は基本的に男性向けなのであなたが女性だったらああこう考えてるのかと
くらいに読み飛ばしていただきたい。

昨日と同じ坂道でのこと。
いつものようにぼーっと車を走らせていると前に自転車が見えてきた。
何のことはない、女子高校生が駅に向かって自転車をこいでいたのだ。

その昔、私が高校生だった頃
女子の不良と呼ばれる人達はスカートの丈の長さを競うがごとく伸ばし
地面を掃除しながら歩いている様だったものだが、、、

昨今の高校生は昔と違いスカートの丈が短い。
しかも立ち漕ぎで自転車に乗っているのである。
私の車は車高が低く目線も非常に低いために困ってしまった。
本音で言えば嬉しかったのだが。

別に何も見えているわけではなくふとももが見えているだけである。
しかしどきっとするものがあった。

ここで考察である。
今の時代コンビニに行けば男性向け雑誌などいくらでも手に入る。
その中では大胆なポーズを取った美麗なお姉さんのグラビアがたくさんある。
ここまで氾濫してしまった性の情報に我々は慣れてしまったのだ。
胸やヘヤーをあらわにした本を見ることに全く抵抗が無くなってしまっている。
TVでもゴールデンアワーにも関わらずかなり過激な放送もしている。

ここに問題がある。
人間の欲求に知らないものを知りたいという「好奇心」がある。
これが無いと毎日無気力な日々を過ごしかねない。
それぐらい大切な気持ちである。

しかしどうだ。
あまりにもメディアが暴露しすぎて女性の裸のグラビアを見ても
何も思わなくなってきているのじゃないか?
知ってしまえばそれまでのこと。
想像力や好奇心を掻き立てられる事象から除外されていく。

最近の高校生や中学生は情報の入手手段に恵まれてると思うが
私はそれは可哀相だと感じる。
試行錯誤や暗中模索のチャレンジをせずに答えだけ得るのだから。
急いで正解を知らなくてもゆっくり楽しんだ方がいいのではないかな。
見るのは別に構わない。知りたい気持ちは良く分かる。
我々の時代は知る術がなかっただけだ。
しかしこの情報の氾濫が若者の想像力を衰退させる原因の一つであるのは
間違いなかろう。

で、本題に戻るが
あまりにも過激な情報を知っているとたまに見かけるこういう出来事に
どきっとさせられるんじゃないか?
いつまでも新鮮な気持ちは忘れたくないものだね。

でも今回の考察は変態おやじと紙一重であるなぁ。


11月20日(月)「防御」

今日は雨が降ってたので車で通勤。
いつもの通勤道路(ちょっと上り坂)はちょうど学生の登校時間だったので
道いっぱいに中学生が歩いている。
歩道が狭いので傘を差していると歩きにくいためか車道をみんなして歩いている。
仕方ない。和光市の行政が行き届いてないだけの話だ。

その中400CCのバイクにタンデム(二人乗り)した若者が
私の車を追い越し駆け抜けていった。
彼らの身に付けている装備は私から見ると決して安全とは言えなかった。
寒い雨の中だから上着はそれなりだったがグローブは無く二人ともヘルメットは
ファッション優先の半キャップと呼ばれるメットである。

誰にも迷惑を掛けていないので人の趣味にとやかく言うつもりは全く無い。
でもちょっとだけ危ないなぁと感じた。

のんびり坂道を登った頂点に鉄道を渡る陸橋がある。
いつもなら車が二台すれ違うことができる幅なのだが
人が集まっていて通りにくくなっている。

よく見てみると主婦らしき人物が倒れてそれを取り囲むように人垣ができていた。
そばに原付スクーターがあったからおそらく転倒してバイクは誰かが起こしたのだろう。

会話ができるようなので特に問題は無いと判断。

事故の瞬間を見ていないので断定はできないがもう一台のスクーターが
すぐそばに止まっていたということと見通しが意外に利かない場所だと
いうことで事故車のスクーターが陸橋にさしかかった時に
脇道から別のスクーターが出てきて驚いてブレーキを掛けたところ
濡れた路面だったのでスリップダウンしたと考えられる。

幸い主婦はジェット型のヘルメットをかぶっていたために
たいした怪我もなかった(ように見えた)

印象的なのは先ほど走っていった若者のタンデムバイクが止まって事故の風景を
見ていたことである。
彼らは直接事故には関係ないと思うが事故を見て何を考えただろうか?
ただの野次馬根性だろうか。
自分の安全に対する意識が向上していれば嬉しいのだが。
 

11月19日(日)「心の鍛錬」

今日は朝から自動二輪の講習会に参加してきた。
普段街乗りをするのに特に意識せずにバイクを運転しているのだが
たまに講習会に出て技術の向上を目指すのは良いことだと思う。

今回の講習会は埼玉県警浦和西警察署の主催で交通機動隊の方々に指導を受けた。

さすがに本職はバイクの動きが違う。
実際に目の当たりにすると凄いの一言。
あってはならないことだが追いかけられたら逃げるのは至難の技であると認識する

Uターン一つ取ってもどうしてそんな機動できるかなぁというくらい
機敏にしかも美しくきまる。
これはいい機会だ。
出来る限り技を吸収して研究しようと考える。

今回参加したバイクは250CCから1500CCまで幅広く
ジムカーナ屋らしい人も大勢いた。
私はあえてGL1500で参加した。

しかし用意されていたメニューはGLにとってはかなりハードだった。
急制動は問題なかったがスラロームはかなりキツイ。
400KGの車体を振ってのスラロームは一瞬でも気合が抜けると
たちまちコースアウトしてしまう。
集中力の大切さを身に染みて分かる。

午後からの自由練習で低速8の字の訓練をした。
午前中は600で来なかったことを後悔したのだが
GLでも慣れてくると面白いように回れる。
普段こんな運転あまり出来ないのだから友人を乗せタンデムでのトレーニングをする。

最終的にはタンデムでオフセットスラローム(スラロームのキツイコース)
を回れるようになり教官達も驚いていたが喜んでいた。

考察だが
虚構の世界ならともかく現実は物理の法則を捻じ曲げるのは不可能なので
重量車はバイクの基本の「走る・曲がる・止まる」が難しいとされる。
しかしその限界は思ったよりも遠くにあり努力さえすれば
誰でも限界ぎりぎりまで近づける。
できないと思った時点で技術の向上はそこで止まる。
逆に自分にも出来ると思っていれば必ず出来るようになるのだな。
陳腐な言い方だがやはりバイクは心で乗る乗り物だということだ。

最後に教官の言葉が心に残った。
自分に都合良く考えた運転はしない。そして周りの交通を信じないということ。
昨今の激しい交通戦争の中、結局自分の安全は自分で守るしかないのだ。
 

11月18日(土)「ごみはどこに!?」

最近ごみの問題が出てきている。
と言っても会社でのことだ。
会社のごみの回収システムが新しくなって全部細かく分別することになったのだ。
私は室課で衛生担当しているのでそれを采配することも仕事のうちなのである。

出るごみを分別して捨てるというのはリサイクルの面において重要なのだが
分別するということはごみ箱の数もそれだけ用意する必要があるわけで
どのくらい分けるかと考えたところ
可燃ごみ

ビン
ペットボトル
それ以外のプラスティックごみ
になった。
さすがに生ごみは出ない。

そこでごみ箱を新しく設置して週に一度それぞれをまとめて室課の外の分別ダストBOXに
捨てに行くごみ当番制を設定した。

何十人分のごみというのは結構すぐにたまってしまう。
特にすごいのは500mlのペットボトルで便利なのでみんな買ってきている。
これはつぶしたところで非常にかさばるためにいつもごみ箱いっぱいになり易い。
そうなるとごみ当番も大変で苦情が寄せられるようになった。

そこで何とかごみを減らせないかといろいろ考えてみた。
ごみが減ればごみ当番も楽になる。
しかし良いアイデアが出ないで一年が経過した。

4月、花見の時期に公園に行ったらごみ箱が花見客の乱痴気騒ぎの祭りのあとで
あふれかえり清掃のおじさんたちが困っていた。
人間はどうも人が見ていないと平気でマナーまで捨てるらしい。
それからしばらくして旅行でとある観光地に行ったときのこと。
噛んでいたガムを紙につつんで捨てようとしたらごみ箱が無い。
これは困るなぁと考えながらポケットに入れ持ち帰った。

ここにヒントが隠れていた。
そうだこの二つの事象から考えると人は捨てる場所があるが故にごみを捨てるのだ
捨てる場所が室課に無くなれば自分で分別して捨てに行く。
ひいては面倒なのでごみは減るはず。

ということで室課のごみ箱を撤去した。
最初は反発を食らうと覚悟していたものの特に混乱もなく
各自が分別して部屋の外のダストBOXに捨てにいくことが定着した。

なんでもやってみるもんだなぁ。

なお蛇足だがアメリカに駐在していた人にアメリカではどう分別しているのか聞い たところ
「分別していない。埋めるところは大量にあるから」
とあっさり答えが返ってきた。

これも何か違う気がするのだがね。
 
 

11月17日(金)「待ち合わせ」

駅での改札口でたたずむ。
実は人を待ってたのだがかなり遅く来るのは分かっていた。
待たされる時間にもよるが人を待つという行為は結構好きなのだ
その暇な時間で行き交う人の観察をしていた。

同じように待ってる人、たばこを買う人、部活帰りか大きいバックを持った学生。
手押し車のおばあさん、一分も経ってないのに時計ばかり見ているサラリーマン。
中でもやはり一際目立つのは一様にみんな同じ行動を取ってる軍団。

そう携帯電話を使う人である。
今や都内では持っていない人を探すのが難しいほど携帯電話端末は普及している。
最近では電車の中で話す迷惑な輩は減ったのだが
電車から降りるといっせいに電話をかけて話を始める。

改札口でも携帯は当たり前という光景が見られる。
しきりにいろいろなところに電話する人。
メールでも打っているのかずっと下を向いて入力してる人。
今さっき別れたばかりの友人との会話だろうか
さっきは楽しかったよとかまだ家にも帰