No。002
適正価格とは?
1999.11.17
by Y.Tomizawa



あなたは、自分の給料に満足しているだろうか。おそらく、大半の人は「もっと欲しい」と思っているだろう。それも、「自分の働きに比べたら少なすぎる」というくらいに。

当然ではあるが、給料とは、お客様に払っていただいた代価の一部から充てられる。
では、お客様は、我々がつけている「価格」を適正と思って、払っているのだろうか。
今問題にしたいのは、経済学の需給バランスとか、難しい話ではない。

こんな話を聞いたことがある。
ある自動車部品メーカーが、自動車メーカーに、その「部品の納入価格」の話しになったときの話である。
「これ以上納入価格は下げられない」という、部品メーカーに対して、自動車メーカー担当者が、「あなた、○○○という車種に乗ってますよね。(もっと下の車種の)△△△でもいいんじゃないですか?」と言ったという話である。
「乾いた雑巾を絞る」と言われた業界であるから、やっぱりこのくらいのことはしているのだろうか。
「お客様」は、納入業者の生活のどこまで侵害する権限があるのだろうか。





翻って我々マーケティングの業界である。
我々の「納入品」の価格の大半は、「人件費」によって決まってくる。この「人件費」が問題である。
ソフトウエア産業などにもよく見られるように(「1円入札」とか)、とかくこの人件費は切り詰められやすい。「値引き」の格好のターゲットとなる。

我々の人件費について、お客様はどのように考えているのか。
「もっといい生活をしたい」と思う反面、「もっと切り詰めた生活をすればいのでは」とも思う。

巷のコンサルタントはどうなのだろうか。
我々の業界よりも、もっと「ええ商売をしている業界」である。

よく、大物コンサルタントが、競走馬を持っていたり、海外にダイビングをしにいったり、という話を聞く。彼らに、コンサルティングを委託した会社の人々は、彼らのそんな遊興費まで「承認して」、コンサルタント料を払っているのだろうか。
それなりの難題を解決するのだから、ちょっとはマシな生活が約束されるのはいいとしても、「競走馬」や「高級マンション」までは「いい」と言っていないという気もする。

でも、仮に、競走馬はダメとして、高級な犬だったらよいのか?
ダイビングはダメだけど、九十九里に海水浴なら、いいのか?
じゃあ、千代田区の番町の億ションではなくて、世田谷の8000万くらいのマンションだったら、人はどのように思うのだろうか。
要は、社会的に目立つ人は、ロールモデルとしての行動を求められるのだろうか。

この課題は、まだ私自身昇華できていない。
もう少し考えてみたい。
(気の向いた時に、つづく)