手宮線廃線跡の散策路〜北海道廃線跡紀行(9)-手宮線-3〜


 手宮線は小樽市中心部を通っていた路線だったが、道床は一部が整備されただけで、今にも列車がやって来そうな雰囲気を保っていた。しかし、小樽市がJR北海道から一部用地を取得し、手宮線跡は散策路(遊歩道)として整備される事になり、2001年11月に部分オープンした。国内3番目で北海道初の鉄道、手宮線の歴史的価値を尊重し、残されていた廃線跡が活用され、鉄道の面影を色濃く残した散策路に生まれ変わった。

中央通の手宮線踏切跡の遊歩道

小樽駅前に通じる中央通り
と交差する横断歩道部分。

 中央通を横切っていた手宮線跡は、横断歩道として整備中だった。廃線跡という雰囲気では無いが、レールは残され、車止めは動輪の形で鉄道の雰囲気を濃く留めている。洒落た横断歩道となりそうで完成が楽しみだ。

 以前は「ここは一時停止の必要はありません」という、いかにも道路標識じみた黄色い標識があった。今もレールは残されている事もあり、車と同じ高さに同内容の標識が中央分離帯に設置されている。しかし、青色の標識で、下には「旧手宮線跡(歴史的遺産)」と添えられ、奇麗に整備された手宮線跡もあいまってソフトな雰囲気に変わっていた。

 手宮側を見ると、建設会社のプレハブの事務所が道床を塞ぐように建てられている。ここから手宮側は未整備の状態だった。
色内駅跡はのレール

色内駅跡。
 中央通から南小樽側に向って、線路の脇が遊歩道として整備されている。散策路は土の色に似た舗装道だが、雪に埋もれほんの一部しか見ることができなかった。

 手宮線唯一の中間駅、色内駅跡は広場として整備された。ベンチも置かれ、買い物や観光の一休みにぴったりのスペースだ。

 広場には、手宮線の歴史が説明されている案内板があり、その下には「手宮-南小樽」のレプリカのサボも同時に掲げられいい雰囲気だ。この案内板は手宮線開業期に走った蒸気機関車で、現在は小樽鉄道記念館に静態保存されている「しづか号」を製造したアメリカの「H .K..ポーター社」のエンブレムをかたどっていて、背景には英文の文字が浮かぶ。雪が融けている道床上には錆びたレールが残され、手宮線の歴史を誇る小樽市の姿を垣間見るようだ。その上にはSLの重厚感を連想させる色の「手宮線跡地」という看板が立っていた。

 港湾都市、商業の街として栄えた小樽市は近代的でレトロな当時の建物が随所に残されている。色内駅跡がある色内本通りは、日本銀行小樽支店など、銀行や商社などが建ち並んでいたため「北のウォール街」と称されていた。今でも残る重厚でレトロな建築物と手宮線の跡は当時の小樽の繁栄を偲ばせる。
手宮線の歴史が書かれた看板(色内駅跡広場)

色内駅跡は広場として整備され、手宮線
の歴史を伝える看板も設置された。

踏切型の道案内板

道路との交差地点に設置された
踏切型の道案内。
 手宮線跡に面した通りでは、道案内板が踏切のような形をしていて、市民や観光客の道案内に一役買っている。
寿司屋通りの橋台跡の階段

寿司屋通り橋台横に設置された階段。
上ると、ベンチなどが置かれた広場と
なっている。
 寿司屋通りの橋台跡に辿り着くと散策路は途切れた。散策路に上り易いように階段が設置され、案内板も付けられている。橋台跡の上も小さな広場として整備され、ベンチと色内駅と同じ案内板が設置されていた。

 用地買収の都合で、整備された区間は中央通からここまでで、それ以外の区間は雪に埋もれた廃線跡が続いている。

 なお、この散策路は積雪がある冬季は閉鎖となる。しかし、2月の何日かは「小樽雪あかりの道」手宮線会場となり、期間中は手宮線跡に多くのキャンドル並べられ、ロマンテックで幻想的な雪の道に変わるという。鉄道の歴史が香る散策路もいいが、こちらの方も是非、訪れてみたい。

[2002,3月訪問]

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