![]() 戸井町内にまだ残るトンネル跡。 |
戸井線(函館−戸井町) 大正時代に津軽海峡の防衛のための要塞が造られる事になり、その物資の運搬を目的にして函館−戸井町間の戸井線が計画された。旅客輸送も予定していて、 途中に9駅設置される予定だった。29.9kmのうち2.8kmを残し資材不足のせいで昭和18年に建設は中止され、二度と再開される事はなかった。 自転車旅行でちょうど戸井線跡の沿線の国道を通る事になった。その時は本で大きなコンクリート橋や川に橋脚が残されている事だけは知っていた。 工事中止から58年過ぎているので廃線跡はほとんど残っていないだろうと思った。 函館空港を過ぎたら例の川から橋脚が出ているのが目に入ったが、先を急いでいたので良く見ないで通過してしまい後で悔やんだ。 戸井線一番の見所は建設された末端3kmの次々と見えるアーチ橋だろう。海を見下ろす場所に建てられ所々すらりと橋脚が伸びている。ビルの4、 5階くらいの高さありそうだ。根北線のアーチ橋のようにヨーロッパの水道橋を思い起こさせるが造りだ。戸井線は資材不足のせいで鉄筋ならぬ木筋、竹筋コンクリート製だ。 橋のすぐ下には民家があり、古いコンクリートなので崩れてしまわないのだろうかと少し心配だ。 帰ってから改めて廃線跡の本を読んで意外と廃線の跡があることを知った。函館市内も交通は不便では無さそうで、国道にはバスが何本かある。 廃線跡は約30kmとそれ程長くなく廃線跡めぐりをしやすそうなのでいつかまた訪れたいと思う。 [1997,10月訪問] |
![]() 津軽海峡に面している水道橋のようなアーチ橋。 戸井町内にて。 |
![]() 神威岬の崖下をなぞるように、興浜北線 のレール伸びていた。道床跡の一段下は 国道238号線。 |
興浜北線(浜頓別−北見枝幸) 興浜線は興部(おこっぺ)と浜頓別(はまとんべつ)を結ぶ路線として計画され,両駅の頭文字を取って名付けられ、1933年両側から工事が始まった。天北線、 名寄本線などと結ばれオホーツクを縦貫する鉄道路線になるはずだった。とりあえず完成した区間が開業し、浜頓別−北見枝幸間は興浜北線、興部−雄武間は興浜南線と呼ばれた。 しかし残りの北見枝幸−雄武は工事途中で凍結されたまま、1985年に興浜南北両線とも廃止されてしまい、オホーツク縦貫鉄路の計画は潰えてしまった。 興浜北線の斜内駅と目梨泊駅の間を走っていると、オホーツク海に険しい山のような岬があった。神威岬ですぐ背後には439mの斜内山がある。江戸時代にはこの難所に道を造 り行き来してたので、この辺りは斜内山道とも呼ばれる。今では国道238号線が岬沿いに海のすぐそばをすいすい走れるが、海が間近にありながら、今でも山道と呼ばれるのも分かる くらいの急峰が海にそびえ立っている。 興浜北線は海に突き出た神威岬の縁をなぞるように走っていて、その跡は離れた所からも認識できた。海と険しい山をバックに走る光景は興浜北線随一の撮影ポイントだった。 神威岬の廃線跡は道路より高いところにある。廃線から15年たっていて、無舗装道路みたいで、一目で廃線跡だとは分かりにくい。だけど単線程度の幅から興浜北線跡だと推測できた。廃線跡は岬の先端に行ったとと思ったら、V字方向に神威岬をなぞるように進んでいた。 [1997,9月訪問] |
![]() 神威岬の廃線跡。神威岬灯台の下の廃線跡。 |
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![]() 神威岬の廃線跡のから、興浜北線 の終点、北見枝幸駅があった枝幸町 の市街地が見える。 |
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北海道廃線跡紀行(8)戸井線、興浜北線
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