黒野駅3番線に停車する谷汲行き のモ750形。後方の車庫にはモ510形 が見える。 |
新岐阜からと「谷汲接続 黒野」の方向幕を掲げた市電でゴトゴトと揺られながら、岐阜市内線、揖斐線を行き、約50分で黒野に着いた。谷汲線接続列車だが、まだ谷汲行きは入線していない。黒野駅は揖斐線の車庫、検車所があり、大正15年製造のモ510形電車が体を休めていた。 ほんの少し待っただけで、谷汲方から真っ赤な車体のモ750形電車が見え、3番線に入ってきた。黒野が終点で折り返し谷汲行きとなる。モ750形はモ510形より少し若いが、昭和2〜4年に製造され、時代を超え70年以上も活躍している古豪だ。かつては本線上も走ったが、谷汲線、揖斐線末端部を最後の活躍の場にしていた。 洗練された最近の車両を見慣れている目には、とても新鮮で、クラシカルで武骨な姿が逆に洒落ていていいなと感じる。(もちろんモ750も登場した時は最先端のかっこよさがあったのだろう)。車内のまん中を通り抜けるように木の床が伸びていて、何故か小学校の頃に通った木造校舎の懐かしい記憶が蘇った。外見や木の床以外、内装もレトロな雰囲気で、どこか懐かしく温かみを感じる。古いがよく手入れされている。 乗客は地元の人数人と、私を含めた鉄道ファンなどで平日の昼間とは言え、マイクロバスでも十分な程少ない。これでも谷汲山の命日の毎月18日と桜の開花時期は毎時2往復と増発され、谷汲線は大盛況だった。 しばらく大野町の住宅地の中を走るが、山深い田舎の風景に徐々に変わり、右手に根尾川が現れる。モ750形が山深く自然豊かなこの地を走る姿は、正に両者が溶け合っているかのようなベストマッチの組み合わせで、まるで美しい風景を奏でているかように感じる。そんな写真を見て、何度も旅情を掻き立てられたものだ。 そして谷汲に到着。駅は平成8(1997)年に建て替えらたばかりの新しい駅舎で、谷汲村昆虫館が併設されている。新築されて間もないのに、駅ではなくなってしまうのがとても残念だ。尚、谷汲駅は無人駅で、切符の販売は併設の昆虫館に委託されていた。 約1km先には西国33番霊場谷汲山華厳寺と参道の両脇には旅館や店が並ぶ。だが今回は“乗り”重視のため後ろ髪を引かれつつ、折り返しの列車で谷汲駅を後にした。 |
モ750形のレトロな香のする車内。 |
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谷汲駅に到着。約1km先には西国満願 霊場、谷汲山華厳寺がある。谷汲線は 大正15年に谷汲山への参拝客の便を図る ため谷汲鉄道として開業。 |
秋の日差しを浴び静かに佇む 廃線後の谷汲駅。 |
名鉄の谷汲線など4つのローカル線が廃止されて1ヶ月が過ぎた。竹鼻線(江吉良-大須)の廃線跡を訪れた1週間後、朝早く自宅を出て谷汲村に向う。谷汲線の廃線跡を歩く前に、前回、谷汲線に乗った時に参拝しなかった谷汲山華厳寺に参拝しようと思った。 名鉄線を乗り継ぎ、黒野からは名阪近鉄バスの谷汲線代替バスに乗り、かつての谷汲駅前のロータリーにあるバス停「谷汲」に着いた。参道の脇にある店を眺めながら歩き、本堂に着いた。ちょうど紅葉のシーズンだと期待していたのだが、早すぎたようで、まだほんの一部が色づいているだけだった。 参道のお店で昼食に団子を買い、再びる谷汲駅前に行った。駅正面の駅名が書かれた看板は無くなっているが、廃線後もそのままの姿で、谷汲村昆虫館だけの建物になってしまった。列車に乗車するように駅舎に入り先に歩くと、ホームに降りる階段の手前に柵が置かれ行き止まりになっていた。 その先のホームには誰もいなく、駅としての役目を終え静かに眠る姿があった。屋根がホーム上に影を落とし明暗を作り、緑色の2脚の長椅子が影に隠れぽつんと佇む。屋根を支える柱からは、谷汲山が桜の名所だという雰囲気を盛り立てるピンクと白色の発砲スチロールでできた、桜の飾りつけが季節外れに垂れたままだ。 駅の待合室がまだ開放されているので、ジュースを買い、先程買った団子の包を開け昼食を取った。外のどこかに腰掛けて食べる事を覚悟していたのでほっとする。テーブルの上にはまだ駅ノートが残っていて、鉄道ファンの谷汲線への熱き思いや、観光客の旅の思い出などが綴られている。日付を見ると、まだここを訪れる鉄道ファンがいるようだ。私も後でノートに書き込んだ。 駅の中からはホームに入れないので、外から線路に降りホームに立った。ほとんどそのままで、今にも列車が来そうな雰囲気だ。だが駅名標と架線は取り外され、赤錆びたレールに現実を思い出す。 ホームから降り、いよいよ黒野に向けの一歩を標した。先日歩いた竹鼻線末端部跡とは違い、山深くいきなり線路の両脇を木々が塞ぎ暗くなり少し緊張する。そして、歩く距離は11.2kmと長い。黒野から歩くと緩やだが上りで、下りで疲れが少なそう谷汲から歩く事にしたのだが、無事に乗り切れるか心配だ。 鬱蒼とした山林を抜け、右手の景色が開けた。山の間に涸れた水田や道路が見下ろせいい眺めが続く。相変わらず錆びたレールが集落の裏側に伸びる。いくつも遮断機の無い踏切があり、そんな所にも律儀にあの「踏切廃止のお知らせ」があり、道床を塞ぐような工事用の看板が立つ。遮断機付きの踏切は、竹鼻線跡と同じように、早々に遮断機だけが撤去され、穴がぽっかり開いた土台だけが残る。 錆びたレールを忠実に辿り、バラストを踏みしめひたすら歩き続ける。だが、谷汲次の駅の長瀬まではなかなか遠く、歩きだと余計に長く感じてしまうのだろう。谷汲-長瀬間は谷汲線の駅間で最長の2.8kmもある。かつては長瀬茶所。結城駅があったのだが過疎化で廃止されたしまったと言う。確かに沿線に大きな集落は無かった。 歩き始め50分近くでようやく長瀬駅跡に着いた。かつてはすれ違いが出来た島式のホームと、物置のような待合室がそのまま残っていた。 |
黒野に向ってレールが伸びる。 かつては運転士に注意を促した 「スタフ確認」の札が立っている |
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ここでも竹鼻線跡と同じように踏切毎 に「踏切廃止」の看板が立つ。 |
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レールはまだ敷かれたままで踏切跡では 工事の看板が廃線跡への侵入を防ぐ。 |
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