快速海峡、青春18きっぷ紀行(2)


快速海峡青森行き。背後には函館山そびえる。

函館駅で出発を待つ青森行き
快速海峡2号。背後には函館の
シンボル、函館山がそびえる。
快速海峡2号、吉岡海底駅へ
 昨晩、札幌から夜行快速ミッドナイトに乗り、一昨日の夜に居た函館駅に舞い戻ってきた。荷物をコインロッカーに預けると、みどりの窓口に直行し、吉岡海底駅見学の切符を買った。

 その切符は「ゾーン539カード」と言い、快速海峡を利用して吉岡海底駅、または竜飛海底駅に下車、見学できる切符で、この切符がなければ海底駅で下車する事はできない。吉岡海底駅のコースは840円と快速海峡の往復指定席料金+αの料金だ。竜飛海底駅の方は、2040円と割高だが、駅見学の他、ケーブルカーで地上に出て、青函トンネル記念館を見学できるコースで面白そうだが、冬季は実施されない。上記の他に乗車券が必要で、快速海峡の列車種別は快速なので青春18きっぷでもOKだ。

 7時40分頃函館駅9番ホームに向うと、既に青森行きの快速海峡2号は入線していた。相変わらずの「ドラえもん海底列車」で、50系客車の青い車体にドラえもんのキャラクター達が描かれ、電気機関車の先頭には巨大なヘッドマークのようにドラえもんの顔が描かれているだ。いい歳をした私が見ると、子供っぽくて派手に見えなんだかなぁと思うが、吉岡海底駅で開設されている「ドラえもん広場」と共に、子供達の人気を呼び、落ち込んでいた青函トンネル利用客数の増加に貢献しているから馬鹿にできない。

 そう言えば青函連絡船時代、出港時に銅鑼(どら)が鳴らされ、青函連絡船の情景として有名だった。現在、青函連絡船は無く、青函トンネルに役割を譲ったが、まさか銅鑼と”ドラ”えもんを掛けて、ドラえもんが青函トンネル集客のキャラクターに選ばれたのかと非常に下らない駄洒落が頭に浮かぶ。しかし、奇妙なつながりである。

 海底駅利用客は専用車両に乗らなければいけなく、快速海峡2号では先頭12号車が専用車となっている(12号車と言っても、海峡2号は通常4両編成だが)。青函トンネルのセキュリティーのため、不特定多数の人が海底駅で下車しないために、制限しなければいけなく海底駅に行かない乗客とは区別される。

 12号車に向う時、外から席の埋まり具合を見てきたが、自由席カーペットカーはもとより、座席の自由席、指定席も埋まり、なかなか繁盛している。それに比べ12号車は半分も埋まっていない。しかも、この人達みんな海底駅を見学するのかと不思議に思えるような中年の男性が多い。

 定時に函館駅を出発し、次の五稜郭駅、そして幾つか駅を通過し、上磯駅にも停車する。それらの駅のホームでは、快速海峡を待っていると見受けられる人が何人もいる。一昨日から見ていると、全区間乗り通す人が一番多く見えるが、途中駅にも利用者が意外といて、快速海峡は大動脈の青函トンネルを介し、函館-青森を結ぶ列車でありながら、ローカル線快速の色彩も見え隠れしている。

 列車は住宅街を抜け津軽海峡沿いに出た。併走する国道225号線を見下ろす高台のような所を走り、津軽海峡の眺めが素晴らしい。快速海峡が行き着く先の眺めが見える程天気は良くないが、函館山がどんどん遠ざかっているのが見える。5年前の北海道自転車旅行で函館に向っている時、近付いているようで、なかなか近付かない函館山に疲労を溜めながら、下の国道でペダルを踏んでいた頃の思い出が蘇り、懐かしい。

 車内は混んでいるようで、席に溢れた人達が、海底駅専用車の12号車に流れてくる。セキュリティーのための専用車だが、これでいいのだろうかと思った。しかし車掌さんは流れてきた人を、追い出すでもなくしっかり指定席料金を徴収している。確かに、混みあっている他の車両で立たせておくより、空いている海底駅専用車を柔軟に開放する方がサービスになるし、たかが300円でも、空いている座席を有効活用する事により収入になる。

 木古内に停車し、海から離れ山中のような所をしばらく走ると知内駅に着いた。ここも津軽今別同様、快速海峡が一日数本停車するのみの駅だ。知内町中心部から離れているため利用しづらく、ホームで待っている人はいなかった。そして知内駅を出て、数分走ると青函トンネルに突入した。

青函連絡船の船出を告げていた銅鑼

かつては青函連絡船の船出を告げた
銅鑼(どら・まん中に掛けてある円形
のもの)。函館駅ホームに飾られている。
海底駅専用車

吉岡海底駅見学者は12号車
の海底駅専用車に乗車。
函館山が遠ざかる。

函館山からどんどん遠ざかり、青函トンネル
が近付く。
吉岡海底駅見学
 吉岡海底駅が近くなると、JR北海道係員の方に、前の方から降りてくださいと声を掛けられ、その次に私の前に座っていた20代と思しきカップルにも同じように声を掛けていた。

 速度が落ち、トンネル両側に白色蛍光が一列に並ぶ暗闇に静かに停車した。吉岡海底駅に到着し、12号車だけの扉が開く。例の中年の男性達も席を立ち下車したらどこかに消えてしまった。その人達は関係者だったようだ。結局、この回の見学者は自分と例のカップルと合わせて3人で、幅が狭いホームに下車すると案内係の後ろを歩きホームから離れた。案内の方が言うには、昨日の時点で、この見学分のゾーン539カードは売れていなく、今朝になって3枚売れたらしい。観光のオフシーズンの平日だから、見学者は少ないのだろう。

 金網状のロッカーに荷物を置いて、海底駅見学がスタートだ。作業抗などを歩き、道すがら青函トンネルの説明を聞いたり、要所では立ち止まって説明を聞く。中でも興味深かった話はユーロトンネルとの比較だった。昭和29年の洞爺丸事故をきっかけに着工された青函トンネルが、筆舌し難い苦難を乗り越え掘り進み、開通に24年も要した。一方、ユーロトンネルはナポレオン1世が最初に考案した後にも、様々な計画があったが、モグラのように掘り進むシールド工法のおかげで、着工から開通まで10年を要しなかった。全長は青函トンネルが54kmで、50kmのユーロトンネルより僅かに長いが、海底部分の距離はではユーロトンネルの方が15km長い。

 青函トンネルの寿命は約100年だという。寿命が来たらもう1つトンネルを掘るのかと聞いたら、とんでも無いと言いたげに「補修しながら騙し騙し使い続けるのでしょう」答えた。トンネルを造るには巨額の費用が掛かり、何本も掘られないものなのだ。しかし、遠い未来の青函トンネルはどうなっているのだろうか?少なくとも私はこの世にはいなく、青函トンネルの行く末を見る事は出来ない。

 その他、海底駅に30回以上も訪れている熱烈な「海底駅ファン」がいる、海底駅内には作業用の車があるが、環境が適さずすぐにダメになってしまうので(確か湿気で)、中古車を購入し、ダメになるまで使い倒すなど、裏話的な面白い話も聞く事が出来た。

吉岡海底駅、定点標

吉岡海底駅の定点標。
 トンネル内は無味乾燥で寒々としたコンクリートの壁がほどんどだ。青函トンネルの防災拠点「定点」として海底駅が存在する訳で、見学者向けの設備はオマケのようなものだからしょうがない。だがそんな中にも見学者向けの設備が整えられている。「アートメモリアルフォトボード」は全国から募集した思い出の写真をプレートに加工し、壁1面に敷詰められていて、中村玉緒さんなど有名人の写真も何点かる。

 「メモリアルボード」という大きなタイルのようなものが壁にびっしりと張り付けれられているコーナーもある。こちらは写真ではなく、青函トンネル工事の際に出た土でできた数十センチ四方の小さな板の中に、各々が自由に何か表現していて、個性が溢れ面白い。ある人は家族で、ある人は旅の記念に、ある人は手形を残し、ある人はイラストで何かを表現し…、まるで様々な想い出が詰まっているかのようで、海の底のタイムカプセルさながらだ。そして、何十年か後、再び吉岡海底駅に訪れ、この板を制作した時を懐かしむのだろう。

 記憶は定かではないが、ある芸術家(名前失念)がメモリアルボード一枚一枚に顔を描き、それに有名人を始め様々な人がサインをしたというコーナーもあった。 五百羅漢のように並ぶ様々な顔の中から、案内の人が「今、日本で一番有名な人」と言いながらある一枚を指差した。そこには国後島友好の家など様々な疑惑で、当時、渦中の人となっていた北海道出身の政治家、鈴木宗男氏直筆のサインがあった。

 最後の方に案内されたのが、ドラえもん広場だった。2002年版のドラえもんキャンペーンは翌日からだが、完成していたセットを運良く見る事ができた。のび太の家、ジャイアンのリサイタル風景、スネ夫の家などドラえもんのシーンが人形で再現され、童心に戻り、ちょっと楽しい気分になって来て写真を取りまくる。列車に乗ってドラえもんの世界に行き、子供が喜ぶのも頷ける。案内の人が「一日早くて運が悪いね」と言いながら、新キャンペーン用のドラえもんの顔の形をした紙製サンバイザーをお土産にくれた。さすがこれは自分では使うには恥ずかしいから、友人の子供へのお土産にした。

 あれこれ見ている内に、もう戻る時間になった。このコースの見学時間が一番短く、ゆっくり出来にくい。だけど、お昼に函館に帰られ、観光には効率がいいコースとも言えるだろう。

14系客車、快速海峡3号
(吉岡海底駅→木古内駅)

 荷物を取り出し、海峡3号の海底駅専用車が停止する付近のホームから離れた所で列車を待った。海峡3号では1号車が海底駅見学専用車に割り当てられている。快速海峡3号が入線してくると、ホームに案内され、手早く1号車に乗り込む。この列車は青森駅から往復する吉岡海底駅見学コースにも利用されているが、降りてくる人も居なく、車内の乗客は吉岡海底駅から乗った3人だけとがら空きだった。

 この快速海峡3号は14系客車の運用で、札幌-青森間の夜行急行はまなすの間合い運用の編成だ。客室内は回転式の簡易リクライニングシートが並ぶ。この車両も車内や車体にドラえもんのキャラクターの顔があちこちに描かれていた。

 列車は青函トンネルを出てしばらく走ると、木古内駅に入線した。自分は終点の函館までは乗らず、江差線に乗るためにここで下車し、ホームを去る快速海峡号を見送った。14系客車の最後尾は、ドラえもんのキャラクターは無く、ブルーに白線が入った顔に、津軽海峡を模した快速海峡のテールマークが表示されてて、昔ながらの汽車旅の顔をしている。個人的にはこちらの方が旅情が沸き、しっくりと来る。

 快速海峡に残された時間はあと僅かだ。2002年12月1日の東北新幹線八戸開業に伴い、快速海峡は特急に格上げ、電車化され、運転区間は八戸-函館間となる。名称は「白鳥」「スーパー白鳥」と決まり、2001年3月に惜しまれながら消えた大阪-青森間のロングラン昼行特急の名前を受け継ぐ。

 快速海峡から生まれ変わった、“新”特急白鳥が青函トンネルの次の時代を切り開いていくことだろう。

[2002,3月訪問]
吉岡海底駅、メモリアルボード

吉岡海底駅メモリアルボードのごく一部。
まるで多くの人々の思いが海底駅に
詰まっているよう。
吉岡海底駅のドラえもん広場

吉岡海底駅には「ドラえもん広場」が出現。
1998年から毎年「ドラえもんキャンペーン」
が開催され、「ドラえもんカー」が快速海峡
に連結されたり、ドラえもんの着ぐるみが
出迎えしてくれる日もある。

快速海峡(14系客車

吉岡海底駅から木古内駅への帰路は
14系客車の快速海峡。
快速海峡と専用の50系5000番台は
廃止されるが、14系客車は引き続き
札幌-青森間の夜行急行「はまなす」
として活躍が続く。

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