北海道廃線跡紀行-9 手宮線2


手宮線廃線跡に置かれた植木鉢

沿線住人の庭のように利用される手宮線廃線跡。
壊れた遮断機

壊れた遮断機が中身をさらけ出す。
変な看板。

ある踏切跡にあった面白い看板。内容は
「この踏み切りには敷板がありませんので車両
“馬そり”を除く)は通行できません。期間12月
25日から3月31日まで。」
だけど馬そりって…。看板の錆び方と馬そりと
いう表現からかなり古いものと思われる。


手宮線廃線跡探訪
 廃線から間もないと、たいてい道床など廃線跡が残っているが、道路と交差する部分は早々にレールが撤去され整地されてしまう場合が多い。だが、手宮線跡を歩いていると、ほとんどの所はレールが残っている。車が通られない所はほぼそのままに、車が通る道もアスファルトに埋もれるようにレールが残っている所が多い。先程の小樽駅に続く中央通りでさえそうだった。なにも列車が通らなくなったレールをそこまでして残さなくてもと思う。だが小樽市は手宮線を復活を期待してそんなふうにしているのかと思ってしまう。

 もう半分は歩き小樽運河の北側が近い所に達した。観光客で賑わう南側と違い、ひっそりしていて、小さな船がたくさん係留されている。ようやく雨は止んで来た。だが草深いところは避けてさらに進む。

 途中から側線が増え2線になり、小樽に残る近代建築、旧日本郵船株式会社小樽支店の重厚な建物の裏手から始まる旧構内では側線が4線に増えた。それでもスペースに余裕があり、かつてはもう少し多い側線か、鉄道施設の建物があったのかもしれない。そして道路を隔てた向こう側には小樽交通記念館がある。交通記念館は手宮駅跡と構内跡に建てられ、付近の海側もかつてはで側線で占められていた。交通記念館敷地だけで58,000uと東京ドームのグランドの4倍はある。往時の繁栄振りを偲ばせる広さだ。

 交通記念館の屋内には、北海道の陸上と海上の交通の資料の展示、屋外には北海道で活躍した50両もの鉄道車両が展示されている。その他屋外には1885年(明治18)に建設された最古の赤レンガ庫の手宮3号機関庫、その隣りには手宮1号機関庫があり、中にはSL車両などが展示されている。1号機関庫には動体保存蒸気機関車「アイアンホース」がある。1906年にアメリカ、ポーター社で製造されグァテマラ、その後テーマ-パークで活躍し、交通記念館がリニューアルオープンに際し購入した。リニューアルされた転車台で方向転換され、遊園地風客車に来館者を乗せ敷地内を走る。機関庫の裏には当時の給水塔も残されている。屋外やや南寄りにには北海道の鉄道が手宮から始まった事を示す記念碑「北海道鉄道開通起点標」が設置されている。

 手宮線は更にその先に進み、方向を180度変え海の上に突き出て途切れている手宮高架桟橋で終わっていた。当時の写真を見ると、2線分の線路がある桟橋に船が横付けされ、幌内から運ばれて来た石炭の積み下ろしをしている様子が写されていた。この桟橋は1944(昭和19)年まで使われていたという。

 これまで放置状態にあった手宮線跡だが、小樽市側は市街地中心部の活性化のために、手宮線跡を活用する事を考えた。輸送機関系と散策路などのオープンスペース系のどちらかで検討したが、輸送機関としての可能性を残しつつ、鉄道の面影を残した散策路として整備される事になった。
(散策路の訪問期はこちらをどうぞ。)

[2001,7月訪問]
雑草に埋もれる遮断機

手宮駅構内跡の雑草の
中に埋もれる遮断機。
旧手宮駅構内。

旧手宮駅構内。奥には構内跡に造られた
小樽交通記念館がある。
手宮3号機関庫と手宮1号機関庫

小樽交通記念館内の日本最古のレンガ庫の
手宮第三機関庫(右)。左は手宮第一機関庫。

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