
あれやこれや
唐突にボエームとは何の関係もない話題を思い出しました.小学生の私は父に連
れられて近所の駒沢球場へプロ野球観戦に行った時のことです.東映フライヤーズ
対大毎オリオンズ.この頃の駒沢球場は取り壊されてオリンピック会場になるなんて
話が出ていた頃です.プロ野球といっても未だ長閑.今だったら田舎の競技場でも
こんな寂れてはいないと思います.その閑散とした裏口付近.子供だった私にとって
電柱は便所と変わりありません.もう,ほとんど犬です.この時はスタンドの壁に向
かって気持ちよく・・・.フト気が付くと隣で騒々しい音が.ヤケに背の高い人が私の
隣で連れションを始めました.しかもユニフォームを着ている.その人こそ,年間33
勝を記録した当時の日本を代表する大投手小野正一だったのです.小野投手とつ
れションしたことがある.私の数少ない自慢話でした.・・・トホホ.
さて,ボエーム話.未だに耳から離れないのはアルバレスの“冷たい手を”でもフリッ
トリの“私の名はミミ”でも森さんの“私が街を歩けば”でもありません.勿論,みんな
素晴らしかったのですが,なんといっても印象的だったのはアンサンブルの美しさ.
とりわけ弦の高音の冴えは絶妙でした.まあ座席が良かった(上野文化会館4階バ
ルコニーの中央)こともあったかも知れませんが,何とも天国的な響き.楽団が手慣
れているのか,プッチーニのオーケストレーションが見事なのか.前回も書きました
が私はプッチーニに偏見を持っていました(今でも持っている).でもこんな音を聞く
とファンの気持ちも分かるというものです.琴線を直接はじくこんな響きを聞けたので
すから1ヶ月水を飲んで暮らしても良いとさえ思います.
畏れ多くも,この偉大なるプッチーニさんの悪口をちょっとだけ.腹の立つ人もいる
でしょうからプッチーニが好きな方は読まないで下さい.その1.メロディーがフニャ
フニャ.オーケストラの使い方,音使いは絶品なのですが,肝心のアリアがイマイ
チ.フニャフニャしたかと思うと次はヒーヒーと絶叫の繰り返し.まあ,メロディーが分
かりにくいのはプッチーニに限ったことではなく,近代以後の作曲家は皆共通なので
仕方がないとは思いますが,その2.台本が気に入らない.プッチーニは作曲家で
すが,台本選びを含めて作品に全責任があるはず.プッチーニ作品は取って付けた
ような悲劇が多い.トスカや蝶々夫人なんて,これでもかこれでもかと意味無く悲劇
仕立てにしてあります.一般にオペラの台本に齟齬が多いのは仕方がないことと認
めますが,こうまで無理に悲劇にする必要はないはず.そして,その3.やはり台
本.上記の続きですがヴェルディの悲劇は弱者への救済,思いやりが溢れているの
に対して,プッチーニ作品は主人公にしか目が行っていない.例えば,多くの王子を
殺した悪逆非道のトゥーランドットと,命をかけて守ってくれたリューの思いを自分の
欲望のためだけに踏みにじったカラフの2人が何の罰も与えられないどころかメデタ
シメデタシのエンディングは許し難い.ボエームだって,家賃を取りに来た人の良い
ベノワや,ただのダシに使われたアルチンドーロに私はむしろ同情を感じてしまうの
です.家賃は踏みにじって良いものではありませんしアルチンドーロは確かに年甲
斐もない情けないヤツかも知れませんが,とんだ面の皮.ミミが病気で死ぬのはあ
る意味,仕方がないこと.むしろ,善意を踏みにじられたこのおじさん達の方が余程
可哀想だと思ってしまいます.プッチーニ作品の多くはデリカシーやきめ細かい愛情
に欠けるものと感じています.
そうは言っても音楽は素晴らしい.今回プッチーニの真価を初めて認識しました.本
人は声がなければ作品は書けないと言っていたそうですが,それは勘違いです.む
しろ交響曲のようなオーケストラ作品の方が向いていたのではないかと思います.私
がプッチーニの先生だったらオペラなど書かせなかったのに・・・.
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