
あれやこれや
子供の頃,学校の教材は使える物は2歳上の姉のお古を使わされました.書道,裁
縫道具,・・・,etc.今から思えばごく当たり前で正しい教育方針.でも,子供はそう
は思いません.多くの姉や兄が居る子は私と同じだったのでしょうが,長男,長女な
ら新品を使える.これが羨ましかったのです.そしてこの待遇は生涯代わらない.年
齢は逆転しませんものね.お古の人生! 今ならお古を使っていることの方がむし
ろ誇らしく思うはずですが,子供なので,新しいのを欲しがるのはまあ仕方のないこ
と.責めないでね.何年生の時だか忘れましたが,この学年からそろばんが算数に
加わる.で,そろばんがない人に対しては学校で斡旋しました.当然,私は姉のお古
があるので“これを使わせられるんだなぁ”といつものようにガッカリしていました.で
も,一応申込用紙は持ち帰り母に見せました.答えは当然のように“モモパパはあ
れを使いなさい”.でも,書道道具や裁縫道具と違ってそろばんはオモチャ風.ちょ
っと興味があったのです.母は飽きっぽいモモパパがそろばんを最後までやり抜く
はずはないことはちゃんとお見通し.でも,今度ばかりはゴネてみました“オレはいつ
もお古ばかりだ.たまには新しいのが欲しいようっん”.
翌朝ランドセルの上にそろばんの申込用紙が.そうなんです.母は普段物わかりの
良い(?)私が珍しくゴネたので父に相談した結果,1も2もなく“一番高いのを買って
やれ”ということになったんだそうです.学校で斡旋したそろばんは有名な“ともえ”と
いうメーカーのもので,安い方から120,150,・・・,400,500円という細かなグレード
がありました.だから私のは一番上の500円.まあ大したことなさそうですが,昭和30
年代の500円はそう安いものではありません“いいのかなぁ?”.
何日か経って注文していたそろばんが入ったのでしょう.先生は積み上げたそろば
んを抱えて教室に入ってきました.○○君,・・・・,××君,・・・,いつまで経っても私
は呼んで貰えません“あれっ,確かに注文したのに”.そして遂に最後“これはモモパ
パ君のね”と言って賑々しく渡された私のそろばんだけ箱に金色の補強が入って光
り輝いていました.その時の,如何にも我が身がだだっ子のようで恥ずかしかった思
いを今でも覚えています.紫檀のフレームにツゲの玉だったのではないかと思いま
すが,他の子のとは色も模様(木目が見えるのは私のだけ)も全然違います.ただも
うその美しさにウットリ.その結果,そろばん負けして(予定通り)ちっとも上達しませ
んでした.
自分で言うのもナンですが私は音楽,体育と並んで算数(数学)は得意科目.しばし
ば人に言われました“モモパパ君って,数学は得意なのに,どうして指を使わないと
計算出来ないの?”.それは美し過ぎるそろばんの怨念だったのです.
|
|
|

|