
あれやこれや
受験シーズンである今の時期にはタブーのタイトルでしたね.でも,ここでは勿論意
味が違います.
洞爺丸事件ってご存じでしょうか?もう,歴史の彼方の出来事かも知れません.洞
爺丸は青函連絡船(これ自体が既に死語)の花形,連絡船の女王といわれた程の
豪華(?)フェリーのハシリです.でも,洞爺丸を有名にしたのはタイタニックを筆頭と
する海難事故の第3位,1000名を越える死者を出した沈没事件.台風(洞爺丸台
風)の目の中に入ったのを海が静かになったので台風が通り過ぎたと勘違いした船
長の(当時としてはやむを得ない)ミスによる,後から思えば人災から引き起こされ
た大惨事です.その後,松本清張の「飢餓海峡」を始め数々の小説や記録が書か
れているので詳しくは述べませんが,私も少しだけ思い入れがあるのです.
事件は1954年の秋の出来事ですので,私は未だ就学前で札幌にいた頃です.北海
道民にとって青函連絡船は本土との唯一に近い交通手段.誰でもが我が事のよう
に驚いたのもです.もちろん私も散々聞かされました.事件の2年前,私たち家族が
北海道に渡る時に利用したのがこの洞爺丸だったのです.数隻の連絡船が往復し
ているだけですので特定の船に乗り合わせる確率はかなり高い.だから威張るほど
ではありませんが,私もこの貴重な船が健在の内に乗り合わせることが出来たとい
うわけです.ただし,乗る前から青函連絡船の意味などについて聞かされていたら
多少の記憶が残るのでしょうが,残念なことにこの洞爺丸の記憶は全くありません.
惜しいことをしました.
さて,数年を経て父の転勤で東京に戻るときに乗ったのは摩周丸.こちらは夜行
で,寝る前に乗って着いたら起床.だから摩周丸の記憶も余りありませんが,未だ
に語り草にされるのが,蚕棚式の寝台から落ちてもそのまま床に並べてある靴の上
で朝まで寝ていたこと.本土の朝は靴の上で迎えたのです.それ以来ベッドからは
落ちるものという習慣が付いてしまいました.未だに,ホテルのベッドからは一晩に
何度も落ちかけます.時々は実際に落ちる.因みに納豆の味を覚えたのもこの時で
した.
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