
あれやこれや
前にこの欄で単コロと呼ばれるレトロな江ノ電で通学,通勤していたことを書いたこ
とがあります(2007.5.16 単コロ廃止の真相).その時も“こんな電車で通勤した経験
のある人は日本中でも数えるほどしかしないはずだ”と自慢しましたが,今日も似た
ような自慢話.
今や蒸気機関車など,記念行事か博物館でしか見られない時代になり,乗車経験
のある人も少数派でしょう.小学校入学前の札幌への引っ越しとその帰りに乗った
のは当然,蒸気機関車.他の手段がないのですから当たり前.これは詰まらない
話.トンネルに入るのに窓を閉め忘れて煙がモクモクと車内に入り込んだことだけを
覚えています.回りの人達にエライ迷惑を掛けてしまったのでしょう.これは時効.い
や,ひょっとしたら私たちは閉めていたのに,よその人が閉めるのを怠って我々こそ
迷惑を受けた側だったのかも知れません.
さて,本題.それ程昔のことではありません.今から40年位前.高校生の頃,蒸気機
関車で通学したことがあるのです.いや,実を申せばたったの1回だけなんです.こ
の頃は既に,蒸気機関車は過去の遺物になっていました.今とそれ程変わりませ
ん.主力はジーゼル機関車.何のことはない燃料の種類が違うだけですね.千葉駅
から本千葉までのたった一駅.歩いても30分の距離なので下校時は汽車に乗らず
に歩くこともしばしばでした.
前日の台風の影響か何かで,列車の運行がイレギュラーになってしまったのです.
真面目な国鉄の編成係は苦肉の策として,あり合わせの列車を手当てしたのでしょ
う.千葉駅のホームに止まっていたのはいつものジーゼルカーではなく蒸気機関
車.しかも通常よりやけに長い.普段は4両編成位なのですが,これは延々と客車を
連ねた立派な汽車だったのです.これには皆喜びました.たった2,3分でも通学時
に“旅行”が出来たのですから.
我々同じ高校に通うガキどもは改札口の関係からいつも最後部.駆動力のない列
車の最後部は先頭が動き出してもなかなか前に進みません.遠く(前の)の方から
徐々に連結器のぶつかるような音が近付いて来て,やっとガタンと第一歩.でも,動
きはそれだけ.続いて第2波,第3波と衝突音の連続のあとやっと動きは軌道に乗
ります.残念ながら,ようやく動き出したと思ったら早くも今度は停止作業.車両の長
さのたったの数倍の距離を移動するだけですので仕方ありません.これもなかなか
スムースには行きません.たったあれだけの距離を蒸気機関車で走るのは結構難
しいものがあるのかも知れませんね.
あっという間に本千葉駅のホームに着いて・・・ではありません.実は,ホームに着か
なかったのです.車両が予定以上(予定通り)に長いので,後部に乗った我々は,線
路脇の地面に飛び降りる羽目になってしまいました.降り口はあっても結構高いんで
すよ.高校生だから出来ること.おじさん,おばさんでは怪我人続出でしょう.電車が
来ない時に駅のホームの高さを見てみて下さい.飛び降りるには勇気が必要な高さ
でしょう.国鉄も“どうせ乗ってるのが子供達だからまあいいか”と考えたのかも知れ
ませんね.
さて,驚いたことに,こうしたこともあろうかと国鉄ではちゃんと準備をしていたので
す.今は本千葉駅周辺は高架になっていますが当時は道路と同じ高さでした.線路
脇に白線が引いてあり,この白線から線路側は本千葉駅の構内という意味らしい.
この白線と線路の間の細い通路(?)を前方に歩くと改札口に昇る小さな階段があり
ました.
客車がホームから大幅に後ろにはみ出したのは,運転が下手だった訳ではなく,予
定したことだったのです.客に飛び降りを強制する国鉄は民営化されるべき運命だ
ったのです.
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