南海高野線汐見橋支線


汐見橋支線
 大阪市内の鉄道路線図を見ていて、何となく気になる路線が南海電鉄の高野線汐見橋支線だ。始発の汐見橋駅はJR大阪環状線内の輪の中にありながら、他の鉄道とは連絡していない。また、汐見橋が、大阪の繁華街とも聞かないので、ここに始発駅があるのも中途半端な不思議な感じがしていた。汐見橋支線には6つの駅があるが、鉄道との連絡は、4.6km先の終点の岸里玉出駅で、南海本線、高野線と連絡するのみだ。

 高野線の前身は高野鉄道で、汐見橋駅は高野鉄道のターミナル駅だった。高野鉄道は大阪高野鉄道と社名を変えたが、1922(大正11)年に南海に合併され、南海高野線となった。そのうち高野線の列車は難波発になり、汐見橋支線は廃れていった。1993(平成5)年の高架化工事では、汐見橋支線と、高野線橋本方面は構造的にも分断され、両線は直通できなくなった。だが、今でも高野線の名を冠し、汐見橋駅は正式には高野線の始発となっている。しかし、メインルートから外れ、実質的に、高野線とは全く別の線と化している。
岸里玉出駅の汐見橋支線の列車。

岸里玉出駅6番線で待つ汐見橋行き
列車。日中は20分間隔の運転だが…


 いくつかの南海の駅を見て、南海本線の上り列車で岸里玉出(きしのさとたまで)駅に着いた。この駅は汐見橋支線、高野線、南海本線の分岐駅だった岸ノ里駅と、0.4km離れた玉出駅の駅間が近かったため、1993(平成5)年の高架化の際、両駅が統廃合されて出来た比較的新しい駅だ。今でも3線の接続駅だが、本線ホーム北側の少し離れた所で、本線と高野線が分離する線形のため、高野線ホームは100mも離れていて、急行も止まらないので、乗換えには不便な駅だ。幸いに本線と汐見橋支線のホームは隣接しているので両線の乗換えは不便ではない。
 汐見橋支線用の6番ホームに列車が停車していた。ホームは数両分の短さで、本線に比べ短く、停まっている車両も2両と短編成だ。ターミナルは中途半端な位置にあるが、一応、大都市、大阪市内の路線なので、そこそこは賑わっているだろうと想像していた。だが、昼間とは言え、出発時間が迫っても、車内には私を含め片手で数えられる乗客しかいない。列車が頻繁に行き交うのが見える本線と高野線とは、まるで別世界だ。
 回送同然のまま、定時に岸里玉出駅を離れ、単線の高架を走り出した。後部の運転室に車掌がいなくワンマン運転らしい。
西天下茶屋駅駅舎

洋風駅舎の西天下茶屋駅。
大正時代築と言われている。

下町の洋風駅舎、西天下茶屋駅
 単線の高架を下り、少し走ると最初の駅、西天下茶屋だ。2面2線の相対式ホームだが、構内踏切は無く、両ホームが独立した構造をしている。上りホームの駅舎は、自動改札と、元窓口に据え付けられた自動券売機が屋根の下にあるだけの簡素な作りだ。
 自動改札を通り抜けると、踏切を横切る駅前通りと言える道があるのだが、これがまた狭い!車一台しか通れない幅で、裏道に迷い込んでしまったかのような感覚を覚える。道の両脇に商店など建物が所狭しと並ぶ。そして、何となく昔の下町を見ているような懐かしい気分がしてくる佇まいだ。都会の駅前と言えば、ロータリーがあって、人や車が行き交い、コンビニがあって…と想像していまうが、西天下茶屋駅前はそんなイメージとは無縁の世界だ。
 踏切を渡った下りホーム側に、洋風駅舎として知られる西天下茶屋駅駅舎がある。壁下半分のタイル張りと、入り口上にある横長の窓の両縁がちょっとカーブしているのが印象的だ。洋風と言っても派手さや華やかさは無く、古めかしくもあり、不思議と下町の町並みに違和感が無い。駅舎内も自動改札や券売機以外を除けば、やはり古めかしく、何世代も前の雰囲気を漂わす。ちょうど岸里玉出行きの列車が到着して、パラパラと数人の乗客が下車し、狭い通りへと散っていった。
 駅舎と駅周辺を一通り見て、上りホームに戻った。改めて見ると、駅と建物の狭い距離感に驚く。住宅に囲まれた、小さな広場のような、行き止まりの道のような小さな空間がホームと隣り合わせだ。
西天下茶屋駅ホームから街を眺める

西天下茶屋駅上りホーム真横
に生活空間が広がる。


盲腸線の行き止まり駅?汐見橋駅
 西天下茶屋からは複線となる。沿線には住宅など建物も多いが、乗客はかなり少なく、途中で東南アジア系の女性3人連れが目立っただけで、単行だとしても持て余す空気輸送状態だった。それでも日中は20分間隔の運転と運転頻度は不釣合いに高い。「和田岬線とは違った意味で、汐見橋支線もまさに大都会のローカル線だ。

 木津川町駅の貨物ヤード跡を眺め、芦原町駅に停まると次が終点だ。速度が遅くなり、道沿いにホームレスの青いテントがずらりと並んでるのに驚いていると、汐見橋駅のホームに滑り込んだ。駅横の植木越しにもホームレスのテントが立ち並んでいるのが目に入る。この辺りは大阪でもホームレスが多い場所のようだ。
 降りた人も数人なら、岸里玉出行きを待っていた人も数人で、駅は静まりかえっている。折り返すためホームを1人歩く運転士の足音がどこか寂しげに響いている。でも乗ったのが、乗客が少なそうな昼間なので、朝夕の通勤通学時はもう少し乗客がいるのかも知れない。
 汐見橋駅は古めかしいが、コンクリート2階建てのそこそこ大きな駅舎で、天井は高く、かつてのターミナル駅の風格を感じさせる。しかし、古く薄暗く、乗客の姿はほどんど無く、寂しさが漂う。
 駅舎を通り抜けると、ビルが立ち並ぶ町並みを、車がせわしく行き交い、近くに都市高速の高架が見える都会の風景が広がっていた。だが、駅前の通行人は多くなく、1人2人と通り過ぎる通行人もこの駅には目もくれない。
 汐見橋駅は大阪環状線の輪の中にあるから、盲腸線とは言え、帰りは何とかなるだろうと思って、バスなどの交通機関を調べてなかった。駅の外に、小さな道案内の地図があり見てみると、地下鉄千日前線の桜川駅が非常に近くにあるらしい。地図通り、交差点を越え歩くと、ものの数分で桜川駅に着いてしまった。これなら、もう少し汐見橋駅寄りに地下鉄の駅を作り、「千日前線・汐見橋駅」としても良かったのではと想像を巡らす。(後に、JR西日本・大阪環状線の大正橋駅からも徒歩10分程度と、近い事を知った。)

 帰宅して、「私鉄全線全駅」という本の高野線の項を見てみると、汐見橋支線の乗客の少なさに改めて驚き、乗った時の状況にも頷けた。他線との接続駅の岸里玉出駅を除けば、各駅とも3桁で、木津川駅に至っては、何と100人台だ。

 だが、汐見橋支線は本格的な都市鉄道へと生まれ変わる可能性も秘めている。それが新大阪から、JRなんばと汐見橋に至る地下鉄「なにわ筋線」の計画で、相互乗り入れの計画もあるとの事だ。実現したら、汐見橋支線は「大都会のローカル線」の称号を返上し、今とは全く違う姿になっているのだろう。

[2003,1月訪問]
汐見橋駅。

汐見橋駅に到着。乗降客は少なく
閑散としている。




汐見橋駅駅舎内。凋落したが、名実共に始発駅
だった頃を思い起こさせる雰囲気。昭和30年代の
南海の沿線地図が改札上に掲示されている。
(これのみ、2003年3月に撮影)

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