日本油脂専用線廃線跡(1)


 2002年の1月に武豊駅で降りた時、かつては武豊駅から伸びていた事がはっきりと分かる道床跡が100m程残っているのを見た。それは武豊線、武豊港への廃線跡だと知っていた。だが、武豊線の事を調べているうちに、この廃線跡は日本油脂の工場への専用線跡でもある事を知った。この日本油脂専用線の開業年は1924(大正13)年で、全長3.1kmの路線だった。

 工場などへの専用線は特に珍しくない。しかし、日本油脂専用線は(1)非電化の盲腸線、武豊線の武豊駅から伸びていた線でありながら電化路線である、(2)西武鉄道から譲渡された電車が工員の輸送に使われていた、(3)小型の凸型電気機関車が貨車を引いていた、などユニークな路線だった。

 工員輸送列車は1983(昭和58)年で止められたが、その後は1日1往復だけの貨物列車が細々と運転されていた。しかし、1986(昭和61)年に日本油脂専用線は廃止されてしまった。

日本油脂専用線廃線跡

武豊駅数百メートル先に残る日本油脂
専用線廃線跡。(2002,1月)
 武豊線の列車は武豊駅で行き止まりだが、線路はしばらく続いている。その線路に沿って歩くと、線路は草生し、レールは赤錆び、まさに廃線然となり、そのうちレールは尽きた。

 その先は鉄道の痕跡を色濃く残した細長い空地となって続いている。コンクリートの残骸が転がり、架線柱の土台と思われるコンクリートの四角い塊も残り、その中には錆びた鉄の欠片が埋もれている。枕木は風化しつつあり、地中に埋まりそうになりながらも、1本1本並んでいる。半年前に来た時は見通し良くすっきりとした光景だったが、7月の今は、葉桜が枕木を覆うように茂っていた。

 だが、そんな状態もすぐに終り、小さな公園に突き当たる。この付近で武豊線廃線区間と分岐していたと思われ、日本油脂専用線は、一旦、廃線跡脇にある日本油脂の工場内を通っていた。日本油脂は専用線沿線に3つの工場を持ち、専用線はさらに約3km程先の第2工場まで伸びていた。

名鉄河和線とオーバークロスしていた。

日本油脂の敷地内を通った後に
名鉄河和線をアンダークロスする。
 日本油脂第1工場の敷地を避け、大回りし、名鉄河和線の沿線に出た。河和線の西側の道を知多武豊方に向けて歩いた。

 程なくして左手に、金網で塞がれた雑草だらけの道が目に入った。その道では何と、雑草の中で2本の錆びたレールが伸び、脇には架線柱さえも立っている。日本油脂専用線の廃線跡だ。

 そして、道路を隔てた右手には、河和線築堤をカーブしながらアンダークロスする専用線跡が伸びてきている。こちらは整地され、ただの無舗装道と化している。しかし、裏側からカーブしながら現れる土の道は、単線程度の幅はあり、鉄道の面影を漂わす。

 道路を横切る部分はさすがに整地、舗装されているが、それでも、道を隔てた両方の廃線跡は連続していたという事を感じ取る事ができる。

レール、架線柱が良く残っていた

廃線後も、錆びたレールと架線の無い
架線柱が撤去されずに続く。
 金網を横からすり抜け、レールと架線柱が未だに残る日本油脂専用線跡の上を西に向って辿り歩く。この周辺はまだ街中で、住宅が建ち、付近の小学校からは元気な小学生の声が聞こえる。

 歩みを進めても、相変わらず赤錆びたレールが伸び、架線柱は一定の間隔を空けて続く。架線柱は木製の古そうなものと、コンクリートの電柱がワンセットで、架線を取り外しただけの状態で佇んでいる。コンクリートの方は古くはなさそうで、実際に電柱として使われて、何本もの電線が宙を走っている。廃線後設置されたのか、付け替えたのかは知らないが、わざわざ鉄道の面影を保つような形にして設置しているのは不思議だ。古い架線柱は撤去してしまえは良さそうなものの・・・・。

日本油脂廃線跡に残る機器

鉄道機器が雑草に埋もれる。
 道路と交差する部分は、アスファルトの道へと整備され、鉄道の痕跡は跡形も無いが、道路を挟んで続く廃線跡はとてもよく残っていて、廃線跡巡りに迷う事は無い。

 数百メートル歩いた所の道床脇で、雑草の中にひっそり隠れているような錆付いた鉄道機器を見つけた。足で動かそうとしたが、大地にしがみついているかのように、頑として動かない。

 沿線の踏切などの鉄道標識、機器を探しながら歩いたが、こちらは殆どが撤去されたのか、ほとんど見つけられなかった。

日本油脂専用線跡の勾配標

枯葉、枯木の中から勾配標を発見。
「3.4」と書かれている・・・・?
 どんどん街中から遠ざかり、廃線跡沿いは人家が減り、空地などが目立って来た。

 1kmとちょっとの地点で、廃線跡は鬱蒼とした雑木林に囲まれた地に入った。辺りを見ながら歩いていると、、雑木林の縁の、枯木や枯葉が溜まっている中に、木製の勾配標が埋もるように倒れているのを発見した。勾配標とは文字通り、道床の上り下りをパーミルという単位など現した鉄道標識だ。設置位置にしては、線路からやや離れているので、撤去された後、ここに置かれ忘れ去られてしまったのだろう。この勾配標の全容を露わにしようと、足で枯葉、枯枝を掻き分けたが、勾配標の足元に当たった。勾配標の足元は砕け、木材の粕となってパラパラと崩れ落ちた。そして、その中に住み着いていた虫達が慌てるようにうごめいていた。

キロポスト

朽ちた木製のキロポストが日陰で佇む。
 勾配標のすぐ先には、木製キロポストがレール脇の地面に突き刺さったままだった。「1/2 1」という数字が白色で書かれ、武豊から1.5kmである事を示している。しかし、雨風に晒され続け、日当たりも悪いせいか、腐りかけ緑色を帯び、鋭かった先端は崩れかけている。

 何故かこの付近のレールは微妙に幅が広くなっている。よく見たら、通常の位置から少し外側にずらされていたのだった。


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