〜さらば、思い出の東海道・九州ブルートレイン(2)〜

これまでの東海道・九州ブルートレインの乗車記録とその時の印象

 九州行きなど東京駅発の寝台特急は、東海道本線沿線の名古屋に住んでいた事もあり、旅行では何度もお世話になった。特に2000年代前半からはよく利用した。仕事が終わって一息ついたら、ちょうどいい時間に東京からのブルートレインが続々到着し、そして翌日午前に目的地に到着するので、それまでの時間、車内で流れゆく景色を眺めるなど、列車に揺られのんびりとしていられる時間が好きだった。名古屋からの乗車では、全区間乗車はできないのが鉄道ファン的な視点からは口惜しい面もあるが、仕事が終わってからでも十分に間に合う事は大きな利点だったと思う。
 鉄道紀行作家の故宮脇俊三氏は、出版社勤務時代、翌日が休日だと、退勤後に夜行列車に乗り旅立った事も多かったようだ。「そんな宮脇氏の旅に私をなぞらえたかった…」と言えば、カッコいいというかおこがましいが、要は宮脇氏の真似をしてみたかったのだ。
 色々言ってみても、何度もブルートレインで旅に出たのは、やはり夜行列車が好きだったからだ。特に、名古屋からだと、ついさっきまで普段通りの生活を送っていて、そこからほんの一歩踏み越えるだけで旅の空へ導いてくれる…、そんな感覚がたまらなく好きだったのだ。夜、ホームで西へゆく列車を待っていて、通勤電車とはまったく違うゴゴゴという重厚な音を響かせながら青い客車が入線してくる時、旅の始まりを実感し、わくわくは最高潮に達する。
寝台特急出雲、浜田行き方向幕

名古屋駅、「はやぶさ・富士」発車案内板

乗車年月※ 列車名 乗車区間 利用寝台設備
乗車時の印象・思い出など。
※細かい乗車年月は思い出すのが面倒なので(笑)およその年月となっています。

はやぶさ 1980年頃7月 名古屋→西鹿児島 開放B寝台
ブルートレイン初乗車!

あさかぜ1号 1980年代後半 名古屋→博多 2人用B個室デュエット

さくら 1980年代後半 長崎→名古屋 開放A寝台

上記3本の思い出については、前ページをご覧下さい。

あかつき 1990年夏 新大阪→博多 普通車指定席
(レガートシート)
 新登場した座席車レガートシートに乗りたくて。レガートシートは台頭してきた夜行高速バスに対抗するため、夜行高速バス同様、1席毎に独立した横3列のシートをゆったりと配置したが、グリーン車ではなく普通車扱いだった。そのため、運賃と特急料金で乗車できた。あかつき用では、編成の末尾に連結し、そのいちばん端の一部を女性専用席とし、男子禁制ゾーンと作りだし、女性客へのアピールも狙っていた。塗装は赤い斜線が入ったジョイフルトレインを思わす目立つもので、JRの意欲を感じさせる設備だった。
 「高速バスの客を取り込む!」事を期待していたのだが、この日の乗客は少なく、新大阪、大阪でもほんの数人で、途中駅からぱらぱらと乗車があった程度で、約50%の乗車率。登場から半年も経っていなく、まだ広く知られていなかったのだろうか?横3列の座席はリクライニング角度が深く隣席と離れ、肘が当たらなくていいが、席の幅はそれ程広くなかった。
 1980年代中頃から、ブルートレインに新しい設備が登場するなど、積極策が講じられたが、乗客増には繋がらなく、徐々に衰退へと向かっていった。

はやぶさ 1990年代前半2月 東京→熊本 一人用B個室寝台ソロ
 名古屋に住んでいた私にとって、東京からブルートレインを全区間乗車するのは念願であり、それを果たせる時がついにやって来た。だが、名古屋までの約6時間は何をして車内で過ごそうか考えてしまった。九州ブルートレインの食堂車はもう営業休止になっていて、道中の楽しみの一つを奪われていたという理由も大きかった。
 目新しいものとして、ソロの車内でオーディオサービスが行われていた。チャンネルは複数あり、下敷き大の紙にプログラムが記載されていた。曲目で覚えているのもは、元チェッカーズの藤井フミヤの「TRUE LOVE」、スターダストレビューの「木蘭の涙」、JR九州の社歌「浪漫鉄道」など。藤井フミヤは福岡県久留米市の出身で、上京前は国鉄で働いていた。はやぶさの車内で、そんな藤井フミヤの歌が聞けるのは何かの巡り合せだろうか・・・。「木蘭の涙」は哀切感漂うムードのあるいい歌だ。旅情を強く感じさせる歌詞は見当たらないが、この時、列車に揺られながら聴いた思い出があるためか、私の中で旅情が沸き上ってくる歌として刷り込まれている。

あさかぜ4号 1990年代前半2月 博多→東京 1人用A個室寝台
シングルデラックス
 前出の「はやぶさ」の帰りは「あさかぜ」4号で。昔は一等寝台が編成の約半分を占め、最新の20系寝台車が真っ先に投入され「走るホテル」と称されていた。1980年代後半も、オリエント急行風食堂車やB個室など、新しい設備が追加され、寝台特急の頂点的な存在であった。だが、より豪華な「北斗星」「トワイライトエクスプレス」が登場し、ライバルの航空機には完全に押され、鉄道でさえ、新幹線のぞみ号が博多まで乗り入れ、あさかぜより後に出るのぞみ号がその日のうちに東京に着く事ができるなど、あさかぜに昔日の威光は消え、完全に地位を失っていた。
 利用寝台はブルートレインブームの頃からある1人用A個室寝台。いつの間にかシングルデラックスという横文字の名前が付けられていた。最初、部屋に入った時、暖房が効きすぎていて、汗をかいた。ソロより若干広い空間はいいが、内装は古くやはり時代を感じた。
 東京駅到着は約30分程遅れたが、乗客達に焦りの色は無く、ある人は笑談しながら、ある人はじっと座って車窓を見ていた。時代から取り残され感のある寝台特急だが、のんびりと旅をしたい人にには、まだまだ存在価値があるものと実感した。
 博多行きあさかぜは1994年に臨時列車に格下げになり、2000年に完全廃止となった。あさかぜに連結されていたシングルデラックスは、耐寒工事等を施された後、上野-青森間の寝台特急「はくつる」に転用された。改修の後、機関車に牽かれ回送中のシングルデラックスの車両と、関東のどこかでたまたま出くわした。

さくら 1999年10月頃 名古屋→佐世保 開放A寝台
 この年の12月でさくらの佐世保行き編成が廃止になるので、そのお別れ乗車で。退勤してからの乗車。A寝台→座席への解体作業を見守る。座席はグリーン車に相当するが、ボックス席。しかしA寝台だけあってゆったりしていた。廃止まで間があり、車内は落ち着いた雰囲気だった。佐世保到着後、市内を歩き、その日の内に、長崎空港から飛行機に乗り帰路に就く。

さくら 2003年10月 名古屋→岩国 ソロ
 可部線部分廃止のお別れ乗車で。退勤後の乗車。新幹線で翌朝出ても良かったのだが、日帰りの日程で、名駅舎として名高い西岩国駅を見て可部線に乗るとなると、寝台特急がやはり便利だった。佐世保発着が廃止された後、はやぶさとの併結になっていた。
 JR九州の車掌が乗務していて来て、検札の時、九州に上陸しないで下車してしまう事に申し訳ない気持ちになった。名古屋駅の売店で買ったワインを飲んで早めに就寝。さくらは2005年3月1日で廃止になり、これが最後の乗車となった。

はやぶさ 2004年2月 名古屋→熊本 シングルデラックス
 例によって退勤後の乗車。九州新幹線開業を控え、鹿児島本線の肥薩おれんじ鉄道移管区間に乗るため。できれば、はやぶさで乗り通したかったものだが・・・。その代り、普通列車で八代駅に停車中、西鹿児島−東京間で特別に運転された「おもいでのはやぶさ号」を見る事が出来た。まるで昔を思い起こさせる幻影のような光景に感激。
 シングルデラックスの設備は昔のままだが、壁面が木目調で、ソファーは焦げ茶色のシックな色になっていて、高級感を演出した内装になっていた。夜、個室の灯りを消して車窓を眺めていると、時折、ベッドに自分の影が伸びているのに気付いた。夜の街は眠りに就き、空には月が浮かんでいた。月明かりって意外と明るいんだなと思った。

富士 2004年8月 名古屋→下関 シングルデラックス
 山陰旅行で、下関まで行って山陰本線に乗る行程を考えていたので。初め、開放B寝台を予約していたのだが、気が変わって乗車1時間前にシングルデラックスに変更。繁忙期の夏休みとは言え、余裕で変更ができた。廃止直前で「シンデラ、シンデラ」と、もてはやされている現状とは大違い。ざっと見たところ、この日のシングルデラックスは半分程しか埋まってなかった様子。B個室ソロに比べ、A個室のため高価なシングルデラックスは、頭上の多少の空間と洗面設備の有る無ししか目立った違いが無く、コストパフォーマンスが悪く人気が無いのだろう。

あさかぜ 2005年2月 名古屋→下関 開放B寝台
 長崎・上五島への旅で。この年の3月であさかぜは廃止となり、48年の歴史に幕を下ろす。私の中で博多に行かなくなった時点であさかぜは終わったと受け止めていたが、九州まで行くなら、やはり最後に乗ってみたいと思った。今まで乗ってきたシングルデラックスと違う、JR西日本製のシングルデラックスに乗ってみたかったが、ケチった。
 廃止前とは言え、B寝台はかなり空いていて、私の区画には終点までだれも来なかった。

はやぶさ 2005年6月 名古屋→柳井 ソロ
 四国に行くのにプランを練った。もちろん、新幹線で岡山乗換えや、飛行機で行く方法もあるが、やっぱり夜行列車が好きなのと、船で四国に渡りたいなと思って。柳井駅で下車し、一駅戻り柳井港駅で下車し、松山(三津浜)行きのフェリーに乗船。東京発の九州ブルートレインは3月の「さくら」の廃止で、遂に「はやぶさ・富士」の一往復になってしまた。

はやぶさ 2005年9月 名古屋→博多 ソロ
 ソロの2階部分を氏名買い。高い視点の眺めが楽しめる2階部分が好きだった。九州ブルトレのB個室は人気があるとは言え、直前で繁忙日でない限り、入手は難しくなかった。この乗車時の写真は1枚も無い。ブルートレインが好きで、旅の手段として定着してきたが、何回も乗ってると、さすがに新鮮味が薄れていくのか・・・。博多駅でゆふいんの森に乗換え。

出雲 2006年1月 東京→出雲市 シングルデラックス
 3月で廃止になるブルートレイン版¥o雲のお別れ乗車。出雲は名古屋に停車しないので、始発の東京まで行って乗車。出雲は浜田まで行くというイメージがあったが、いつの間にか出雲市までに短縮されていたと知って驚いた。
 車内は気の毒の程空いていて、各車両に数人づつ・・・。これでは廃止になるのは仕方が無いと、現実を受け止めざるを得なかった。
 出雲と言えば営業休止ながら食堂車が連結されたままで、サロン代りに利用されていた。この食堂車は、「あさかぜ」のオリエント急行風食堂車と同時期に改造されたもので、星空をイメージした内装。一部はソファー席になっていて、車内はナイトクラブの雰囲気。サロン利用として残されていても違和感は無かったが、使われなくなって久しい厨房が残っているのが虚しく映った。

なは 2006年6月 熊本→相生 ソロ
 いつも退勤後→下りブルートレインという乗車パターンがほとんどだったので、ちょっと趣向を変えて、上り→出勤、そして関西終着ブルートレインというパターンを選んでみた。
 熊本駅に入線したたった4両の編成を見た時、遠慮がちに身を小さくして出発を待っているような姿がどこか哀れでに映った。十数両の青い客車を連ね、東海道・山陽路を威風堂々走る、幼い頃に憧れたブルートレインの姿は無かった。下る鳥栖で長崎からの「あかつき」を併結し、辛うじて体裁を整えるが・・・。
 「なは」用のソロは、より一室を効率よく、そしてスペースを切り詰めた部屋のレイアウトになり、「はやぶさ」用が1両18室なのに対し、なは用のソロは28室だ。2階建て状に個室が配され、高い視点からの眺めが楽しめる2階室を購入。さすがに狭いが、開放B寝台と同じ料金でプライバシーが保てるので納得。
 翌朝、終点の京都から新幹線に乗り換えるつもりだったが、1時間以上の遅れが発生していて、相生で抑止、運転打ち切りとなり、新幹線への振替となった。その時、下車した人があまりにも少なく驚いた。途中から新幹線に逃れた人もいたと考えられるが・・・。列車本数が多い山陽本線に割り込ませたり、特急券払い戻しなどの損失を省くため、早々に見切りをつけたのだろう。

富士 2007年6月 名古屋→行橋 ソロ
 やはり退勤後の乗車。乗車率はいつものように良くなかった。でも、下関や門司での機関車交換にはいつも鉄道ファンが群がり、その時の写真が何枚も残されていた。
 空港のある都市に行く場合、飛行機は便利だが、そうでない都市に行く場合、飛行機は意外と不便だ。早朝出発や乗換えであくせくしないで、到着までのんびりしてられる寝台特急は便利だ。乗換えを嫌って寝台特急を選ぶお年寄りもいるというが、その気持ちがわかった。

はやぶさ 2008年6月 熊本→東京 シングルデラックス
 約一年振りの九州ブルトレ乗車。これまでと大きく心境が違っていた。何故なら、東京駅発着ブルートレインで唯一残っていた「富士・はやぶさ」が、2009年3月で廃止されるという噂が報道されていたからだった。凋落してしまったが、九州新幹線の新八代-博多間の開業までは存える予想していたが…。そのため、迫り来る終焉を意識しての乗車となった。はじめに取った部屋が進行方向と逆だった事を知り、出発前、熊本駅で急遽、乗車変更。
 門司駅で富士を待ち併結するため約30分停車するのに閉口。ただ、併結作業見学やコンビニに買い物に行ったりで、現在では滅多に無い長時間停車を楽しんだ。
 廃止の噂が報道され、鉄道ファンの姿は見られたが、開放B寝台の8割は空いていたように見えた。下車直後の東京駅のホームは、今、この列車から人が降りたのかと思わせる程、静まり返っていて唖然とした。途中の停車駅である程度は下車したのかもしれないにしてもだ・・・。「富士・はやぶさ」の行く末に大きな不安を覚えた。

富士 2008年11月 名古屋→大分 ソロ
 噂通りなら、廃止まで5ヶ月を切っている時期。そのためか、名古屋駅で富士・はやぶさを待つ乗客が約20人と目立って多かった。いつもは数人しか居ず侘しささえ感じるのに・・・。とは言え、鉄道ファン以外と思われる乗客は片手で数えられる程度だったが。私自身、何度も退社後、名古屋駅からブルートレインに乗ってきたが、名古屋からはこれが最後かもしれない・・・。慣れ親しんだ瞬間が、これが最後と思うと、感慨と寂しさが入り混じり、いつも以上に旅立ちを噛み締めながら乗り込んだ
 乗車率もこれまでより格段に良く、A個室、B個室ともにほぼ埋まっていた様子。開放B寝台もざっと見て50%位。
 
 そして、12月19日、「はやぶさ・ふじ」の廃止が正式に発表された。

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思い出の東海道・九州ブルートレイン[1][2]

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