北海道廃線跡紀行(6)-天北線


天北線の140キロポストと利尻山

稚内市内の天北線廃線跡。140kmキロポスト
の背後にには利尻山がそびえる。恵北-声問間。

 
在りし日の天北線

浜頓別駅を出発する天北線の
ディーゼルカー(1989,3)

 
盛土跡

雑草が生えたが盛土が続く。声問-南稚内。
天北線(音威子府−南稚内)
 天北線は1989年の廃止が目前に迫った冬に乗った。一番列車に乗るため、寒い中早起きし、朝5:00過ぎに稚内駅に行った。音威子府(おといねっぷ)行きの2両編成の気動車は数名の乗客を乗せ発車した。3月は相変わらず雪が降り積もり、列車は北北海道のうらびれた原野を黙々と走りつづけた。車窓の外は吹雪き寒そうだ。浜頓別からは学生などで賑っていた。

 稚内市内の廃線跡はそこそこ残され、声問付近の国道沿いは盛土やバラストがまだあって、その脇にははまなすの花など植物があった。列車の通らなくなった廃線跡に草花が戻りつつあるようだ。

 熊笹の中から「140」のキロポストが顔を覗かせていた。音威子府から140kmの地点である事を示している。キロポストはたいてい車輪と同じくらいの高さにあるが、ここは冬になると降雪の多い雪国。だから雪で埋もれないように、棒の先に付け高い位置に示してあるのだ。後方には、天気が良かったので、遠くに利尻山が霞んで見えた。「利尻富士」と称されるだけあって、シルエットは富士山にそっくりだ。

 廃線跡は道道に沿って走りオホーツク海側に出る。猿払駅があったところには小さなバス待合所ができていた。そこから浜頓別駅手前まではサイクリングロードに整備され、途中の旧山軽駅はホームと待合小屋が雑草だらけの中に残され、今ではサイクリングの休憩所として使われている。しかし、放置されているかのように荒れ果て、休憩どころではない雰囲気だ。

 浜頓別からは再び内陸に入り、廃線跡を見かける。中には「天北線」というプレートが残されたままの陸橋があった。200m位の天北峠をトンネルでくぐると音威子府はもうすぐだ。

 音威子府駅内には天北線の記念室があり、天北線ゆかりの品々が展示されている。もう1つ音威子府駅で忘れられない物に音威子府そばがある。駅そばの中で特においしいくて有名だ。以前はホーム上に店舗があり、列車の停車中に気軽に食べられたのだが、今は駅舎内に移転してしまった。だけど黒っぽくてコシのある麺は相変わらずだった。

[1997, 8,9月(日付明記以外)]

草木に覆われた廃線跡

既に草木に深く覆われてしまった
所もある。たぶん恵北-樺岡間

ガーター橋跡と枕木

上頓別町内残る鉄橋。上には
枕木が置かれたままだった。

上音威子府付近の陸橋から

上音威子府付近。

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