北海道廃線跡紀行2-標津線(2),羽幌線


標津線、別海駅跡

旧別海駅駅舎と構内。(1993,7)

標津線(2)
 1993年に別海(べつかい)を訪れた時は別海駅の駅舎は健在でバスターミナルとして利用されていた。駅の中はバス待合所の他今だキオスクがある。他に「別海生きがいセンター」があり、お年寄りの方々が有名な別海牛乳を始めとした別海町名産品を販売していた。

 1990年前半は市街地にも廃線跡が随所に残っていた。西別川の鉄橋は地元の人が橋としてして使い生活に役立っていた。踏切跡は遠目には現役に見えるが、「ここは列車は通りません」というJR北海道の看板があり、標津線はもう存在しないと言う事を強調しているかのようだった。

 たいてい夏でも気温の低い根釧原野(こんせんげんや)だが、その日は30度を越す暑さで地元の人も暑い暑いと言っていた。そんな熱さでも、広い旧駅構内の伸びすぎた雑草を刈っている人がいた。

 1997年に再び訪れた時、駅舎は撤去され、構内は整備されバスターミナルやスーパーマーケットが建っていて、数年前に見た駅跡は跡形も無く消えていた。

 冬にしか標津線に乗れなっかたが、夏に廃線跡周辺を走っていると牧場や原野がい多く、少しだけ夏の標津線の車窓を見ている気分になれた。
[1993,7月、1997,9月他]
別海町、西別川の標津線ガーター橋

別海駅跡付近の鉄橋(1993,7)
住民が鉄橋の保線員用路を橋として
利用していて、廃線跡が活用されていた。
橋が網目状になっていて、下に西別川の
流れが見え、足がすくんだ。

牧場の中の標津線廃線跡

牧場の中の廃線跡(1997,9)橋に
「跨線橋」の文字が無ければ、牧場の道
と化てしまった廃線跡を見落としている
ところだった。

羽幌線、留萌川の鉄橋

留萌川に掛かる羽幌線跡の鉄橋。
もう取り壊されてしまったらしい。


羽幌線(留萌−幌延)
 羽幌線は留萌(るもい)から日本海側を通り、幌延までの141.1kmを結んでいた。1987年に廃止されていて、私は乗ったことはなかった。札幌発着の羽幌線全線を走破する急行もあった。

 1997年に北海道を自転車で旅行中、特に意識していなくても、いろいろな所で廃線跡が目に入ってきた。それほど廃線された路線が多く、目に付く廃線跡がまだ残されていた。

 留萌市街から国道232号線、通称オロロンラインを北上し始めてすぐ左側に大きな鉄橋が忽然と現れた。留萌川に掛かり、かつては羽幌線の列車をを渡したこの鉄橋は、存在の目的を失い無為に佇んでいる。

 初山別市街地付近にあるコンクリート橋は金駒内陸橋と呼ばれ、羽幌線の遺構のなかで特に目立つものだ。文字通り陸の橋で、国道沿いに城壁や神殿を思わせるかのようにずらりと橋脚が並んでいる。日本海の風雪にさらされ汚れや疲労が目立つ。国道よりて数メートル高い所を列車が走り、遮る物は無くさぞかしいい眺めだったろう。現役の頃は羽幌線の有名な撮影ポイントだったのもうなずける。

 1997年夏の北海道新聞の廃線跡の連載記事で金駒内陸橋を保存するかどうか取り沙汰されているということを知ったが、結局取り壊す事になり、徐々に取り壊しが進んでいるらしい。

[1997,7月訪問]
金駒内陸橋

金駒内陸橋。日本海側から北に進み、
内陸に入る。バックには日本海が
広がっているのだが、撮影時の露出ミス
のためうまく写らず(^^;)

羽幌線の見所、金駒内陸橋

金駒内陸橋。日本海に面しずらりと並んでいた。

TOP鉄道廃線跡の旅

北海道廃線跡紀行-1標津線[1]-[2]・羽幌線

my旅BOX-鉄道旅行と旅 Copyright (C) 2003 solano, All rights reserved.