ある日旅先で…【国内旅行編】


日陰で[1993年7月]
 初めての北海道自転車旅行の時で、浜中町のきりたっぷユースホステルから厚床を経由して別海に行く時の事だった。国道44号線を厚床に向って走っていると、天気が良過ぎて太陽がガンガン照ってきてとても暑い。太陽の光線がアスファルトを射し、アスファルトはギラついた熱を放出し、さらに暑さが増幅されているようだ。ペダルを踏み、それらを直接体に受けている私はなおさらだった。

 国道沿いに古びた雑貨屋があり、ちょうどいい日陰がある。私はオアシスに巡り会った旅人のように、その日陰に吸い寄せられ、自転車から降りた。自動販売機からスポーツドリンクを買い、地べたに座り、片手には扇子を持ち扇ぎながらドリンクを飲んだ。くつろいでいると、農作業中と思しき老女が私のいる日陰にやってきて「暑いね〜」と言いぺたんと座り込んだ。そして、それからすぐ知り合いのやはり農作業中の老女が来て同じように座った。繰り返し「暑いですね」と言葉を交わし、2人の老女と少し会話した。2人とも長年農業に従事してきているようで、かなり色黒だ。毎年、太陽の下で働いていれば、日焼けの黒さも染み付いてしまうというものだろう。

 そして老女達の次の話題は自分達の帰省のことになった。「汽車」「福島」「水郡線」などの言葉が聞こえる。老女達に聞いたら、昔福島からこの北の地にやってきたという。北海道を走ったり地図を見たりすると、地名の起源がアイヌ語だという地域の他に、岐阜、伊達など本州の地名や、△○団体、○号線など画一的な地名がよくある。開拓で渡道し、今までほとんど人が居住していなかった名も無き地域に入植者が住み着いたため、付いた名前だろう。あの「幸福」も元は幸振と言う地名で、福井県の人が多く入植した事から福の字を取り、幸せへの願いを込めて幸福としたという。

 お二人の老女の色黒で深く皺が刻まれた顔に、北海道開拓の歴史を垣間見た気分だ。


夜、謎の電話[1996年1月]
 青春18きっぷを使い四国の旅の途中に伊予大洲のビジネスホテルに予約を入れた。そのホテルの客室は清潔で快適だった。シャワー浴びくつろいで、その日の疲れを取ってるその時いきなり電話のベルが鳴った。その日の午後予約して、誰にも言ってないので、この宿に泊まっている事は誰も知らないはずだ。それとも緊急連絡?訳が解からず電話に出ると受話器の向こうから聞き慣れない女性の声がした。その人は夫を呼んだつもりなのにと訳わからなさそうだった。私は「たぶんホテルの人が繋ぐ部屋を間違えたのではないですか?もう一度かけ直して下さい」と話して電話を切った。

 その後、電話は掛かってこなかった。同じ苗字の人が泊まっていてフロントの人が繋ぐ部屋を間違えたのだろう。済んでみれば実につまらないことだった。もしその妻が疑り深くあるいは嫉妬深い人だったら後が大変だったかも(笑)。

 翌日、レストランで朝食を食べている人を見回し一体どの人へ電話だったのか気になった。

羽島市役所‐大須間の竹鼻線代替バスに乗る[2001年11月]
 竹鼻線の一部、江吉良-大須間が9/30日を最後に廃止され、廃止後は羽島市が羽島市役所-大須間の代替バスの運行を羽島タクシー株式会社に委託している。時刻表を見ると廃止前と同じ30分毎の運行を維持している。ルートは廃止区間にほぼ沿っているが、平日の朝のラッシュ時には混雑を避けたルートを通るバス2通りあり、上りのみ5本設定されている。料金は100円と格安で嬉しい。

 羽島市役所駅を出て右に歩くと代替バスのバス停がある。程なくして大須からの代替バスが到着し折り返し大須行きとなる。バスは小さなマイクロバスで定員20人程度だ。100円を料金箱に入れて乗り込む。平日昼間とは言え利用者は気の毒なほど少なく、中年女性数人と私という僅か数人の乗客を乗せ定刻に出発した。

 狭い道を注意するように走り、向こうからトラックなど大型車が来ようものなら、単線の行き違いのように、停止して対向車を通したり、通されたりしている。車窓からは所々で錆びたレールが敷かれたままの竹花線廃線跡を目にする。

 タクシー会社の運行と言うことで、運転手の気質もタクシードライバーのようなものなのか、運転手はハンドルを握りながらも、地元の乗客と会話が弾み「ガハハー」と笑い声があがり、スイッチがオンになっているマイクを通し車内に響く(もちろん、いつもそうではないだろうが)。

 そんな雑談の中で出てきた代替バスについての話題は私も興味深く聞いた。代替バスは利用見込みを下回っているそうである。その理由は、料金の高にあるらしい。100円で一見とても安いように見え、たまにしか利用しない者には嬉しい。だが、代替バスには定期券などの割引料金は一切無く、回数券はあるが割引は無い。仮に1日1往復のバス利用で25日分の料金を計算すると1ヶ月5000円で、竹鼻線に乗り継ぐ場合はかえって高くなる。社会人なら交通費は会社から出るが、学生で、しかも何人もいる家計にはかなりの負担だ。そのため、必ずしも代替バスに移行するわけでなく、竹鼻線の残った区間の最寄駅に自転車でに行くか、車で送迎する家もあるようだ。また代替バスを敬遠するのは学生のいる家庭だけではなく、成人でも車、バイク、自転車に移行する人もいるようだ。

 狭い道が続き、時折レールの残る廃線跡が車窓の左側に見える。乗ってくる人はいなく、少ない乗客もぽつりぽつりと降りていく。走っている内にバス停が竹鼻線廃止区間の駅と同じ数で、元の駅に近接した所にしか設置されていないのに気付いた。鉄道ではちょうどいい駅間でも、バスにしては中途半端に間延びした感がある。利用が振るわないなら、バス停を増やして利便性を向上させるのも乗客増の手段の1つだろう。
大須に到着した竹鼻線代替バス。

大須に到着。代替バスの車庫がある。
 大須駅を遠回りするように長良川の堤防の上を走り、また下り終点の大須に差し掛かった。 大須駅の変わり果てた姿を目にし、衝撃を受ける。

 大須のバス停の側には代替バスの車庫があり2台のバスが休んでいる。代替バスの写真を撮ろうとすると例の運転手さんが運転席から手を大きく広げピースをした。どこまでも陽気な運転手さんだ。

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