寝しょうがつ ACT 1 『行く年来る年』 向かい合わせに炬燵に座り、年越しそばをズルズルとやってると、紅白に引き続いてチャンネルを合わせていたNHKの『ゆく年くる年』が、新年の訪れを知らせてくれた。 そばだしを音を立てて啜っていた有栖は、新年が訪れたのと同時に、きれいに底をさらえたどんぶりを炬燵の上に置いて、軽く一息置いてから、既にそばを食べ終わって一服つけていた火村に向かって改まった表情を作った。 「おめでとう。今年も宜しく」 にこにこと朗らかに微笑む有栖の新年のご挨拶。 だが、 火村の方はと云えば…… 「……ああ。よろしく」 ……と、行儀悪く銜え煙草のままで、相変わらずのぶっきらぼうな口調だ。 だからと云って、不機嫌な訳ではない。どちらかと云うとその逆だ。 その時ふと、火村は有栖の口唇の端に眼を止めた。 「有栖。ここ、そばだし飛んでるぞ」 左側の口の端を示したが、有栖は反対側に指先を持ってゆく。 「え、どこ…」 向かい合っているのだから、それでは反対だ。まるで小さな子供の様な真似をする有栖。 年開け早々、軽くボケをかましてくれる有栖に、火村は煙草を銜えた儘の口許を緩めて苦笑する。 「バカアリス。そっちじゃねぇっつーの」 云いながら、炬燵から躰を乗り出して、向かい側に居る有栖へと手を伸ばす。 「ほら、ここだ」 親指の端で、グイっとそばだしを拭ってやる。 「おおきに。…新年早々世話かけてしもうて、すまんなぁ」 ひどく照れた口調でぼそぼそと呟くと、有栖は火村の眼の中を覗き込んできた。 別に、新年だからと云う訳ではなく、こんな時の有栖の反応は恐ろしく新鮮で、ついつい苛めたくなってしまう。 口の端のそばだしを拭った火村の右手は、ほんの少しだけ移動して、有栖の右頬を柔らかく包み込んでしまう。 「年が捲れても、お前のボケは直らねぇなぁ。今年は、歳に見合った人間に成れる様になるのが目標だなぁ、アリス」 にやにやといやらしいく嗤いながらそういうと、彼はややむきになって反論してきた。 「〃うっかり〃っつーのは誰にでもあることやないかっ。 こんな些細な事で鬼の首でも取ったみたいに云うなやっ。火村の方がずっと大人げないぞ!」 わめきちらす有栖にはお構い無しに、火村はその口唇へと顔を近づけていった。 「……火村…?」 ぼやっと、間抜けヅラを下げている有栖の口唇に、小さな音を立ててキスをした。 今年初めての、新鮮なキス。 「………………」 僅かに触れるだけの、そんな軽いやつは普段余りしないからだろうか。有栖はかえって照れまくっていた。耳の端までユデダコの様に真っ赤になって言葉を失った。 テレビから聴こえてくる言葉といえば、『おめでとうございます』の大安売りだ。そんな騒々しい音の中で、暫しの間、黙った儘有栖の瞳を面白そうに見つめ続けた。 とうとう根負けした有栖が、きつく結んでいた口許を緩めて、小さく囁いた。 「…一年の計は、元旦にあり…って、云うんやぞ…」 やや潤みがちの眼でそう呟いた有栖に、 「だから?」 何でもない事の様にそう切り返した。 「………………」 こんな遊びが火村は好きだ。閉口して訪れる、有栖の沈黙は、ちょっとした彼らの駆け引き。 その結果としては、 往々にして火村が勝利を収めるのだが…。 「おめでとう…火村…」 その時も、やはり負けた…と云う様な、やや口惜しそうな有栖の呟きで、二人の間だけで成り立つ遊びは幕を引く事になった。 改めてそう云った有栖に、火村はひどく満足げに嗤った。 〃良くできました〃と言わんばかりに、ちゃんとした新しいキスを、有栖のそこへしてやる事にした。 ACT 2 『初詣』 今年の新年も、やはり二人は一緒に過ごす事になった。 北白川に有る火村の下宿の婆ぁちゃんは、ご近所の婆ぁ ちゃん連中を引き連れて、年末年始恒例の温泉旅行に出掛 け、年明けの四日にしか帰って来ない。その間、この下宿 の唯一の店子である火村は、留守番を引き受けていると云 う訳だ。最近の年金生活者と云うものは、三十過ぎの男やもめたちよりも実に優雅でゆとりの在る正月を送っているらしい。 そんな訳で、火村に付き合って有栖も、毎年、火村のこの下宿で大晦日から三が日を過ごす事にしていた。 「火村、そろそろ行こか?」 有栖はウキウキと楽しそうにコートを羽織りながら火村に云った。 こうやって毎年、年越しそばを食べて新年の挨拶を終えると早々に、有栖は出掛ける用意をするのだ。無神論者である火村の事を知っていながら、北白川に在る氏神様へと初詣に行きたがる。 出会ったばかりの学生の頃こそ、そんな有栖の誘いも、 のらりくらりと交わしてはいたが、最近ではそんな抵抗もしなくなっていた。 「御神酒にお汁粉。あ、甘酒もあるかなぁ」 ウキウキとした声音で独り言を云っているのはやはり有 栖だけで、火村の方はと云えば、ただただ諦めがちにコートを肩に引っかけるだけである。 ギシギシと軋む古い階段を、有栖は小気味よく下りていった。 「ひむらぁーッ。早よせえよぉ」 元気な有栖とは違い、このクソ寒い中、どうしてわざわざ外へいかにゃならんのだと思っている火村の行動は、これ見よがしに緩慢だ。 玄関から火村を呼ぶ有栖の声にも、やれやれと云った具合に漸く部屋の扉から右足を出したところだった。 階段を下りようとしたその時、ふと思うところがあって、 ピーチクパーチクと囀っている有栖を余所に、火村は部屋へと戻った。 それを手にしてから、階段下の玄関で膨れっ面を作っているであろう有栖の許へと向かった。 「支度に時間が掛かって許されるんは、女性だけやぞ、火村」 火村の顔を見るなり、有栖にそう云われたが、火村は無視を決め込んで靴を履きはじめた。 火村が屈み込んで靴の紐を結んでいる間に、有栖は玄関の引き戸を開いて外へと飛び出した。 「うーっ、やっぱ冷えるなぁっっ」 有栖は、自分の両肩を抱きしめてブルッと震えた。 そんな有栖の後ろ姿を一瞥しながら、靴を履き終わった火村は、コートのポケットの中から鍵を取り出しながら後ろ手で玄関を閉めた。 「お前はやっぱり馬鹿アリスだな。真冬の真夜中だぞ。寒くても当たり前じゃねぇか」 「アホ火村!一々人の揚げ足取るんは、爺になった証拠だぞっ」 「俺が爺ならお前も一緒だな」 「性根の話をしとるんやっ。根性悪ぅのお前と一緒にされるのは心外やっ」 片や玄関の外を向いて寒空を仰いでいる有栖。方や玄関 の鍵を掛けている火村。互いに背を向けた儘でそんな不毛 な会話のキャッチボールをした後、先程部屋の中までわざわざ取りに戻って左の腕に引っかけていた肩掛けを広げ て、火村は有栖の後ろ向きの背中にそれをふわりと掛けてやった。 「誰が根性悪ぅだって?」 肩ごしに振り返り、火村の掛けてやった肩掛けを確かめる様に両手で押さえながら、有栖は如何にも罰の悪そうな微苦笑を浮かべた。 それでも、おーきに…と、わざと難波ッ子風情をきかせたお礼の言葉が返ってきた。 「一月中に締め切りが一本有るって云ってたじゃねぇか。うちに来たから風邪ひいたなんて云われたらかなわねぇからな」 「もぉーっっっ、どーして何時も一言多いんやっ、君は!平然な顔してこないな気障ったらしー事でけるのに、何も云わなきゃ〃イイ男〃で終われるっちゅーのにっ。ホンマ、損してるっちゅーか、二枚目になりきれんっちゅーか……」 「馬鹿だねぇ、お前は。こんな男前が気障なだけだったら、単に厭味な野郎なだけだっつーの」 「いいや、やっぱり火村はその性格で損してるわ」 「はいはい。判った判った」 ぶつくさと云い続ける有栖を軽くあしらって、火村は有 栖の頭に手を置いて、彼の後ろの髪の毛をクシャクシャと撫でた。そして、取り敢えず歩き出す。近所の氏神様へ向かう事を促した。 何だかんだと文句を云いながらも、有栖は結構上機嫌そうに火村の隣を歩いていた。 ACT 3 『一年の計』 漸く火村の下宿へと返ってきたのは、午前三時を少しばかり回った頃だった。 有栖の機嫌をよくしてしまったのがいけなかったのか、 はたまた正月だから能天気になってるだけなのか、浮かれきった有栖は、近所の氏神様だけでは初詣を終わらせてくれなかった。 いや、やはり、火村の暮らしているのが京都だって所がいけなかったのかもしれない。少し歩けば神社や寺は腐る程有るのだ。 結局火村は、有栖に付き合って、『初詣』のハシゴを余儀なくされて、五件も回った頃、あちこちで御神酒を戴いてほろ酔い気分で千鳥足になる有栖を引っ張って、漸くここ迄帰り着く事が出来たのだ。 玄関に入った途端、靴を脱ぐのももどかしそうに、火村が拾って来て育てている二匹の猫を追い掛け回す有栖。 「あっ、あっ、ももー、小次郎ー、ウリーッ、おいで、おいでぇなーぁ」 だがしかし、酔っ払いの男に捕まる猫たちではない。ご主人様が帰ってきたとばかりに玄関迄お出迎えしてくれていた筈の三匹の猫は、ご主人様の古い友人である有栖にも懐いている筈なのに、少しばかり様子の違う有栖に怯えて、そそくさと逃げ出してしまった。 「ああっ!どーして逃げるんやぁっ。火村ァー、なぁ、捕まえて。捕まえてぇなぁ」 やれやれと、火村は重い溜め息をついた後、有栖のご要望を叶えてやるのは、可愛い猫達に申し訳ないので無視する事にして、玄関の三和土で膝まづいて尚も猫たちの名前を連呼する有栖の後ろから両脇に手を差し込んで、彼の躰を持ち上げた。 「おら、さっさと自力で階段昇ってけよ」 無理だろうと思いつつも、火村はそう云って促した。 「いややぁッッ。ももーっっ、小次郎ーッ、ウリーっ、おいで。おいでぇー」 両脇を火村の腕に絡ませてぶらりと吊るされた格好で、有栖は子供の様に駄々を捏ねて猫たちを呼んだ。 「ああ、もう。判った判った。猫は後から連れてってやるから、今は聞き分けていい子にしてくれよ、アリス」 根負けして、火村は可愛い猫たちを酔っ払い有栖に生贄として捧げる約束をする。 「ホンマ?ホンマに連れてきてくれるん?」 ……既に呂律が回っていない。そんな有栖を相手に火村は 「勿論さ」と、少しばかり憔悴した声音で頷いてやった。 それを聴いた途端、有栖はおとなしく立ち上がり、危なげな足取りで階段を上って行った。 ヨタヨタと階段を上って行く有栖の後ろから、当然の様 に火村も階段を上がって行く。足を滑らせた有栖が火村の上から降ってきたとしたら、当然受け止めてやる覚悟は出 来ている。受け止めきれなければ〃死ナバ諸共〃だ。潔く有栖の下敷きになろうじゃないか。でも、落ちる時は一人 じゃないぞ! ………なんていう覚悟を余儀なくされる程、その時の有栖の足取りは怪しかった。 …が、意外に呆気なく、〃うんしょ、うんしょ〃なんて云う、奇妙な掛け声と共に、有栖は難なく階段を上 り切ってくれた。 これで一安心。 …………そう、思った矢先だった。 「ふうーっ。とぉちゃくぅーっっ」 そう叫んだ瞬間、有栖は、狭い階段上の踊り場で、両手を高々と掲げて〃う〜ん〃などと唸りながら背伸びを…… ……。 反りくり返った有栖の背中が急速に接近して来たのは云うまでもなく…………。 「うわっっ!バッ、馬鹿アリスッッッ」 反射的に広げられた両腕の中に有栖を抱え込んで、二人分の体重を背中で受け止める事となった。危惧していた事は現実に起こってしまった。しかも、一番最悪なパターンで。 なにも、一番上から降ってくるこたぁねぇだろう……? 落下する僅かな時間で、火村はそんなグチを胸の中で咄嗟に叫んでいた。 ドスンと、肩甲骨の辺りと尻を思い切り床にぶつけて、 一瞬、火村は低く呻いた。思っていたよりは痛くはなかったが、流石に物凄い振動だ。 有栖のウエストに両手を回した儘で、暫しの間、死んだ様に怒る気力も無く床の上でのびていた。……もう、本当 に死んでしまった方が楽だったかもしれない……。 「うっわーっ。むっちゃビックリしたぁーッッ。オレ落ちたん?階段から落ちたん?」 この後におよんでまだそんな間抜けた事をほざく有栖。 「………………」 もう、二の句など出てきようがない。 「…でもすげぇなぁ。酔っぱらってると、全然痛みとか無いもんなんやなぁ」 精も根も尽き果ててはいたが、甚だお笑い種な勘違いをしてる有栖に、現実を教えてやる必要が有るだろう。 「そりゃ結構なこったなぁ、先生。これで俺も、お前さんの下敷きになった甲斐が在ったってもんだぜ」 案の定、有栖は驚いた様に火村の躰の上から起き上がっ た。 「アレ?火村……?」 未だに背中が堅い板の間の床と仲良くくっついてる火村 の顔を、肩ごしに振り返った有栖は、然も不思議そうにマジマジと見つめた。 「よぉ。ご機嫌麗しい様で、結構な事だな、先生」 「……火村…そこで、なにしてるん?」 …駄目だ。この酔っ払いは未だ判ってねぇ…。 有栖は、火村が命懸けで助けてやった事を、全然理解してくれていない様だった。 まぁいいや。それよりも、この体勢を早く何とかしてしまいたい。 「アリス、さっさと退けよ」 躰を横にする火村の上で、上体だけを起こして肩ごしに火村を振り返る有栖は、かなり不思議そうな顔をしていた。 「退けって云われてもなぁ。火村がオレの下に居るんやん」 「有栖が俺に乗っかってるから、俺がお前の下にいんだろう?」 「ちゃうちゃう、火村」 云いながら、有栖は火村の躰の上で、右手を左右に振った。 「君がオレの下におるんや。君も不思議っちゅーか、奇妙 なやっちゃなぁ。何で好き好んでそんな所に居るん?サッサと退いてくれんと、オレ、何時までも君の重石の役やってなあかんやないか。駄々捏ねないで、サッサと退きぃや」 〃酔っ払いアリス〃がどれだけ無敵か知ってはいるが、ここ迄ハズされると、もう、完璧にホールドアップだ。 「…………ああ、確かに俺が悪かった。それじゃぁ、聡明な有栖川先生にお願い奉ります。申し訳ありませんが、ちょっと退いてくれませんか?」 心の中じゃ〃ちくしょう〃の連発だったが、此処は一つ大人になって、不本意ながらも酔っ払いに合わせる事にした。 とにかく、この体勢を早く何とかしたいのだ。火村の腰の辺りで座り込んでいる有栖の、座骨及び尾てい骨が、ひどく具合の悪い所をグイグイと押しつぶしているのだから ………。 三十過ぎの男とは思えない程優しい顔をした有栖ではあるが、彼は間違っても脂肪の付いた女の躰を持っている訳ではなく、間違っても太っている方でもないのだ。骨ばった有栖の躰を、今程憎らしいと思った事はなかった。 「しゃぁないなぁ。君がそこ迄云うなら、ホンマにしゃあ ないとは思うけど、退いてあげましょうかね」 本当に漸くかい。…という具合で有栖が火村の躰の上か ら退く気になってくれたのは良かったが…………… 「うううッッッ!」 その時、情けなくも哀れな火村の悲壮なうめき声が辺りに響き渡った。 有栖は上体を前かがみにして立ち上がろうとして、その 瞬間、有栖の尻の真下に在った火村のナニは、これ迄以上に凄まじい圧迫を与えられたのだ。 これは、マジでキイタだろう。火村は暫く声を失っていた。 床の上でくの字になって股間を両手で押さえてる火村を、起き上がった有栖が、酒に上気した頬を裏切る冷やかな眼差しで見下ろしてきた。 「お望み通りに退いてやったっちゅーのに、君はなにしてるん?」 そこまで云うか……! 体勢はその儘に、上目遣いで眉を歪めた苦悶の表情で有栖を見上げると、彼はフフン…と、恐ろしく勝ち誇った顔見せた。 「サッサと起き上がって、オレを君の部屋に運びぃや」 一瞬、我が耳を疑った。こんな状態の人間を捕まえて、そんな無体が云えるものなのか? 「君がオレを運んでくれな又、階段から落っこちるかもしれへんやろ?そしたら又、君はオレの下敷きにならなあかんやないか。オレはな、火村。君の為に云ってやってるんやで?オレの優しさに感謝せな」 「そーかい、そーかい。気ィ遣わせて悪かったな……」 心にも無い事を云って、火村は苦虫を噛み潰した様な顔 を作って、漸くと云った具合に立ち上がり、トントンと2、 3度飛び上がり、…これはきっと、男にしか判らない行動だろう…有栖の前に立ちはだかった。 「早よぉ。抱っこや、火村」 本日幾度目の〃やれやれ…〃だろう。 ご要望にお応えして、火村は少し屈み込んで、右の肩に有栖の脇腹を当てて、そのまま起き上がった。 「わぁッッ!なんやこの抱っこッッ!」 火村は有栖の身体を肩で担いで、落ちて来た階段を再び上り始めた。有栖が想像していた〃抱っこ〃とは勿論違う。殆ど仕返しのつもりでそう抱えたのだ。 「火村っ、怖いっちゅーねん!」 案の定、有栖はそう叫んでいた。上半身を逆さにされて階段を上がられたら誰だって怖い筈だ。 「火村!」 「喋るなッ!」 そんな事は無いだろうが、喋られるだけで更に重くなる気がして、火村は有栖を一喝した。 火村が階段をひとつひとつ上がって行く度に、肩に担いだ有栖の身体がゆっさゆっさと揺れる。ちょっとは仕返しをしなければ気が済まないと思っての行動だった。……が、火村の策略は無敵の酔っぱらい有栖にはまるで通用しなか った。 「なんか凄いでー、火村ぁー。むっちゃ楽しい〜」 どうやら、この体勢に有栖は慣れてしまったらしい。それどころか火村の肩の上で、有栖はご機嫌な嬌声を上げて大喜びだ。 こんな事なら、傷めた肩を押してまで、こんな事をするんじゃなかったと想いながらも、火村はとうとう、有栖を抱えて階段を上り切り、部屋の中まで運んでしまった。 二間続きの奥の部屋は、火村が寝室として使っている万年床が在る。年末にも掃除をしなかったので相変わらず敷きっぱなしの布団の上に、有栖をころんと転がした。 「つまらなんなぁ。もう終わりかいな。この下宿の階段、 もうちぃと長くするように改装したらどうや?」 もう大概に……カンベンしてくれよ………。 こいつ、本当に酔っぱらってんのか?もしかしてこりゃあ、何時も苛めてる仕返しってヤツじゃねぇのか? こんな時、普段の行いが物を云う。後ろめたい部分が在るもんだから、無邪気に酔っぱらっているだけの有栖を、 疑いの眼差しで見てしまうのだ。……いや、もしかしたら、 本当にわざとなのかもしれない。それはもう、無意識下に意識して……。アルコールに浸りきっている有栖の脳味噌 は、そこのところを判っているのかもしれない。こんな機会でも無い限り、自分が火村をやり込めるチャンスなんてそうそう現れないぞ……と。 何しろ、今の有栖は凶悪すぎて質が悪い。 それでも、有栖の為にストーブに火を入れて部屋を温めてやろうと思ってしまう辺り、我ながら情けない…いやいや健気だと思ってしまう。これはやはり、先に惚れた弱みというやつだ。 燃え立つストーブの火を見つめながら、ぼんやりと一人で微苦笑混じりにほくそ笑んでいた。 「ああーッッ、もぉうッッッッ!火村ぁ!」 鬼気せまる声で呼ばれて、後ろに居た有栖を振り返ると、 布団の上で洋服を脱ぐのに悪戦苦闘している有栖の姿がそこに在った。 「ひむらぁーっ、早よぉ、早よぉこれ、脱がせてェなぁ」 酔っぱらいには、小さなボタンを外すのも困難らしい。 今にも泣きそうな顔で、有栖はシャツのボタンと格闘していた。 「……アリス、そこまで俺にさせる気か……?」 「だって、此処には君しかおらへんやないかぁ。服脱がな寝れへんやろう?」 ……そりゃごもっとも。 ひどく甘えた素振りでそう云った有栖に、火村はにやり …と嬉しそうな笑みを浮かべた。 有栖がその気なら、幾らでもお付き合いいたしましょ。 さっきはマジでヤバいと思うくらいに痛かったナニも、使 い物にならないって訳ではなさそうだし。立派にご奉仕出来るってことを、お前にも教えてやろうじゃねぇか。不屈の精神を、有栖に知らしめてやろう。 有栖のご要望にお応えして、火村は彼の洋服を脱がしにかかる。 あっという間に有栖の洋服を剥いてしまって、セオリー通りに色々と試みてみる。そこまで来て有栖は漸く、火村がこれからヤっちゃおうとしているのが判ったらしく、やや不満げな声を漏らした。 「なんやねん、火村…。オレ眠いんやから…せぇへんぞぉ」 「冗談云ってるぜ。この儘で済むと思うなよ」 「う…ぁ…あか…んて……ひむ…らぁ……」 こうなったら、ヤったもん勝ちだ。知り尽くした有栖の身体を自由にする事など、造作もない。階段から落ちた時に負った背中と肩の痛みもなんのその。火村はその夜(… …と云うか、殆ど夜明け前…)、思うさま有栖の身体を堪能させて頂いた。 ACT 4 『元旦』 明けて、元旦の午後三時。 火村はとっくに目覚めていたが、傍らに居る有栖は、未だにすやすやと穏やかで幸せそうな寝息を立て続けてい た。 「………………」 かれこれ小一時間、火村の身体の上にのしかかって寝息を立てている有栖を、起こしてしまおうかその儘寝かしておいてやろうかと、火村は悩みあぐねていた。 火村は起き抜けから三本目になる煙草を銜えたまま、まんじりともせずに考えていた。 すっかり夜が明けてしまうまで、酔っぱらっているのを いい事に、有栖を好き勝手させてもらった負い目もあって、そんな風に思っていたのだが……。 暫くすると、火村が起こすまでもなく、有栖は自力で覚醒してくれた。 「…う〜ん…。よぉ寝た……。あ、おはよう、火村」 「おそよう。もう、昼の三時だぜ、先生」 「もうそんなん?道理で腹が減ってる訳や。なぁ火村。なんか食べるもんこさえて」 「……どうして俺が?外に喰いに出かけりゃ済むだろう」 「アタタタタタ……。あかん。何かオレ、起き上がれそうにない。不思議やなぁ…。なぁ火村、オレの腰、なして痛 いの?オレ、全ッッ然覚えてへんの、昨日の事」 「……………………」 なんて楽しそうな顔で云いやがるんだ。ちくしょう。全部覚えてるんだな。 都合良く凡てを忘れてくれれば…と思っていたのだが、 どうやらそうは行かなかったようだ。腰を摩りながら小悪魔ヨロシク、ニッコリと微笑んで自分を見る有栖に、火村は心の中で毒づいた。 「あれぇ?そう云えばオレ、なんで服脱いでるのん?おっかしいなぁ……。もしかして火村、オレが寝てる間に悪さしたんやないやろうなぁ」 あからさまにわざとらしい言い方だ。もう、火村の弁解の余地はないだろう。 「きっと、君の所為なんやろうなぁ」 有栖はひどく(そりゃぁもう、小憎たらしいくらいに… …)楽しそうにほくそ笑んで、火村に追い打ちをかける。 「判ったよ……」 観念して、側に落ちていたシャツを肩に引っかけて、火村は立ち上がった。そんな火村の背中に、昨夜から続いている無敵さ丸出しで、ニコニコと微笑った有栖が云ってき た。 「オレ、雑煮が食べたいな。正月はやっぱり、雑煮食べな始まらんやろう?」 「そーかい、そーかい」 もう、なんとでも云ってくれ。 すっかり有栖の下僕気分の火村は、溜め息混じりに肩を落とした。 「あ、火村!」 叫ばれて、火村は床で寝ころがっている有栖に振り返った。 「雑煮喰ったら、また一緒に寝ような、火村」 極上の笑みでそう云われてしまえば、もう、文句など云えよう筈がない。流石に、三十男を相手に〃可愛い〃だな んて口に出しては云えないが、有栖の笑顔は火村にとって、 最大の兵器だ。こんなに可愛く微笑まれたら、殺されたってしかたがないと…本気で思っている辺り、火村も相当重 症である。ご無体な上に無敵の有栖には、到底適わない……。 苦笑いを浮かべて、火村は有栖に云った。 「待ってろ。直ぐに作ってやるから」 でれでれに甘い笑みと言葉を残して、火村は隣の部屋に有る小さな台所へと向かった。結局、何時もと変わらない正月だ。 一年の計は元旦にあり。今年も有栖と乳繰り合って、時には尻に敷かれて、一年が暮れてゆくのだろう。 上等だ。なんの文句も無い。 「火村ァー。あべかわ餅も食べたいーっ」 ………前言撤回。何時か必ずこの仕返しはしてやるぞ! 襖一枚を隔てた向う側で、雑煮のダシをとっていた火村に向かって、有栖が叫んだ。 「ハイハイ……」 それでも取り敢えず、火村は有栖を甘やかしてしまう。今年だけだ…今年で終わりだと自分を誤魔化しながら。 それでも……。 情けなくも、幸せな元旦の昼下がり…………。 今年も又、有栖とふたりで寝正月………。 【END】 …To be continued…? - Up- 1998.01.04 AM 4:44 |