Eccentric Lovers 1 -bitter chocolate-






「俺、火村っちゅー男はむっちゃ〃えきせんとりっく〃や思うねん」

「……はぁ。…エキセントリック…ですか……」

 大阪市内のとある喫茶店。向かい側の席に座り、両手で紅茶の入ったカップを支え持って話しかけて来る大阪産のミステリ作家、有栖川有栖に対して、今日も何時もと変わらずアルマーニのスーツを小粋に着こなしている、若き大阪府捜査一課の刑事である森下は、ひどく曖昧な相槌を返した。

 森下にしてみれば、日頃難解な事件の捜査に協力してくれている英都大学社会犯罪学の助教授である火村英生の名を、有栖の口から聴くのは余り愉快なことではない。だから自ずと、受け答えも曖昧なそれになってしまう訳だ。例えこの状況が、その犯罪社会学者が現れるのを待つ、待ち合わせ時間中だと云っても……だ。

「そうやねん。むっちゃエキセントリックやねんよぉ」

「――――例えば、どんなところがですか?」

 火村助教授がどうエキセントリックなのかなんて、本当はどうでも良いのだが、カップに口をつけて、やや上目遣いでこちらを見る有栖の眼に、知らず知らずの内に促されて、そう聞き返してしまった。有栖のその視線は、〃俺の話、聴きたいやろ?聴きたいやろ?あ、やっぱ聴きたいんやぁ!〃……なんて具合に、森下の眼には映るのだ。だから、全然聴きたくないと思っていても、なんだか、知らない内に、話の続きを催促する様な言い回しをしてしまって……。

「火村ってぇ、むっちゃヘヴィー・スモーカーやんかぁ」

「……のようですね」

「強いって程でもないんやけど、酒もそこそこいける口やし、それやのにごっつぅ甘党なんや」

「甘党……ですか」

「そう、ごっつぅ甘党」

「はぁ…そうなんですか」

 まだ湯気の昇っている手元の珈琲カップを見下ろしながら、森下は気のない相槌を繰り返した。

 火村の事を話している時の有栖の表情は、何故だか普段よりも一層可愛らしく見えるのはなぜだろう。……いや、理由など、とうの昔に判っている。知られていないと思っているのは有栖くらいのものだろう。だから余計に憂鬱なのだ。

「なんか、気のない返事やなぁ。なぁ、森下くん。ホンマに俺の話し聴いてくれてる?」

「も、勿論ですよっ」

 ひどく焦りながら、森下は応えた。

「ホンマに?」

「そりゃもう、有栖川さんのお話ですから…」

 おしぼりで額の汗を拭きながら、引きつった愛想笑いを浮かべてそう云ってしまう自分が情けない。

「おれの話、おもろい?」

「勿論です」

「そう。せやったらええんやけど」

 にこにこと微笑う有栖の表情に安堵しつつも、森下の心中と云えば、ただただ苦笑いを繰り返すばかりだった。

「この間だな……」

 …………と、有栖は中断しかけた話を再開しだした。

 森下は、有栖には判らない程度の溜め息を洩らして、ある種の諦めを感じつつ、それでも顔では嗤って有栖の話に集中する事にした。

「―――― 真野さんが…あ、真野さんてのは、お隣に住んでる可愛らしいお嬢さんなんやけど、俺、時々その真野さんのカナリアを預かる事があるんやけど、そのお礼にって、お菓子を頂いたいたんや。それがまた、えらい甘〜いチョコレイトやってん」

「チョコレイト…ねぇ」

 やや訝しげな顔をして、森下は有栖を見つめた。

「そのチョコレイトをお隣のお嬢さんに戴いたんは、何時の事なんですか?」

「昨日や、昨日」

「…て事は、その真野さんというお嬢さん、有栖川さんに幾らかの好意を抱いてるって訳や……」

 独白の様に呟いた森下に、有栖はキョトンとした表情を向けた。

「〃好意〃って……どういうこと?」

 ―――― 何も判ってないんやな、この人は……

 やや呆れ気味に、森下は鈍感過ぎる有栖のポカンとした顔を窺った。

「いいですか、有栖川さん。昨日は二月十四日やったんですよ?二月の十四日。何の日かご存じですよね?」

 そこ迄云って、有栖は漸く

「あ!」と、小さな声を上げて、彼が隣人の若い女性から戴いたというチョコレイトの意味に気づいた様だ。

「ヴァレンタイン…やったんや…」

「……まぁ、そういうことの様ですね」

 仄かに赤らめた頬を右手で押さえて、俯いて困惑してる有栖に、森下は面白くなさそうに呟いた。

「モテるんやなぁ。有栖川さん」

「そっ、そんなんやないって!」

 首まで真っ赤にして、有栖は否定してくる。

「絶対にそんなんやないってっ。……そうやないと、無茶苦茶困るやんか!」

「困る?何故です?ええ事やないですか」

「あかん、あかん。絶対に困る!」

 意外にムキになるなぁと思いつつ、森下はもう少し探りを入れる事にした。

「なんも、そんなに困る事もないでしょう。有栖川さんは独身なんやし、何処にも問題は無いでしょう。…それともなんですか?現在お付き合いしてる人がいるとか?」

 森下がそう切り出した途端に、有栖はぐっと押し黙ってしまった。

「チョコレイトのひとつやふたつで、そこ迄義理立てして悩むものですかねぇ」

「アホな事云うやなっ!君はヤツのホンマの恐ろしさを知らんから、そんな他人事の様なこと云えるんやっ!」

 今にも立ち上がらんばかりの勢いで、有栖は憤慨した。

「そう云われてもですねぇ…。これは僕のことやなくて、有栖川さんご自身の問題ですから…」

 森下にしてみれば、他人事以外の何物でもないのだ。それを認めるのは些か辛いが、森下は全くの部外者なのだから…。

「ところで、有栖川さん。〃ヤツ〃というのは、一体、誰の事なんですか?」

 充分に判っていて聴いている自分も意地が悪い。

「そ、そんな事、君には関係ないやろうっ」

 〃他人事のように〃と怒ったのはつい今し方ではないか。その舌の根も渇かないうちから、今度は〃君には関係ない〃呼ばわり……。

 有栖にとって、自分は所詮それくらいの存在なのだ。判っていた事では在るが、真正面から突きつけられれば、それなりに痛い。

「それになぁ、真野さんから貰ろうたチョコレイトだって、単なる義理や。そう、〃義理チョコ〃っちゅーやつや。……第一、なしてこないな話になったん?論点を元に戻そうや、森下くん」

 ――――― 思ってた以上に居直りが早かったな…

 胸の内ではそんな事を思いつつ、

「そうですね。何の話をしてたんでしたっけ?……あっ、そうそいう、〃エキセントリック〃な火村さん…でしたっけ?」湾曲した話題の修正を、森下の方からしてやった。

「そうや。それや、それ」

 既に落ち着きを取り戻した有栖は、にんまりと微笑って頷いた。

「……で、火村さんが甘党で…というところで、話が中断してたんでしたよね?」

 森下がそこまで促してやると、有栖は更に上機嫌な笑顔を作ってコクコクと頷いた。

「そうそう。でな、例の真野さんから戴いたチョコレイト。そのチョコレイトを届けて頂いた時、丁度火村が家に来とったんやけど、俺、甘いの嫌いっちゅー訳やないんやけど、チョコレイトの表面に砂糖の結晶が浮かんでる様なんは、流石に見るだけで胃がむかつきそうやん?折角戴いたのに食べないのもなんやなぁと思って箱の中身を見つめてたら、酒の肴に丁度いいとか云うて、そのチョコレイトを火村がぱくつき始めたんや」

「……それが、火村さんがエキセントリックな理由…ですか?」

「そうや」

 真顔でそう頷いた有栖に対して、

「そんなことないでしょう」と、森下は図らずとも、尊敬はしてるが何処か憎たらしいと思ってしまう社会犯罪学者の弁護を始めた。

「だって、洋酒とチョコレイトって、意外と合いますよ?ちょっとしたクラブとかに入ったって、つまみでチョコレイトくらい出してますし」

「そんな事、俺かて知ってるわ。俺が云いたいんは、ヤツのは度を越してるっちゅーところなんや」

「……と、いいますと?」

「ええか、森下くん。火村のやつは、そのチョコレイトをたった一人で平らげたんやで?しかも、ちびちびウィスキー飲みながら一晩で!」

「……一箱といっても、差程数は無かったんでしょ?」

「いいや、そうやないんよ。確かに一粒の大きさはこんなもんや」……と、有栖は右手の人指し指と中指で百円玉台の小さな円を作ってみせた。

「けどな、その小さいのが、縦に七つ、横に十二。しかも、その箱は二段になってたんやで?」

 森下は思わず絶句した。

 7 ×12 = 8 …4×2 ということは……1 6 8 ?一六八個のチョコレイトを、たった一人で一晩で…!

「……それは…確かに凄い」

 唖然とした面持ちでそう呟くと、有栖はテーブルの上に躰を乗り出して

「せやろ、せやろ?」と同意を求めて来た。

「しかも、そのチョコレイトは俺が貰ろうたもんなんやで?確かに、あそこまで甘そうなんはちょっとカンベンとかって思ったりもしたんやけど、一六八の内の一つたりとも俺にくれへんかったんよ?あんな顔して、そこまでの甘党ってのも、ちょっと驚きやと思わへん?」

 確かに、それは物凄いかもしれない。

 チョコレイトの上から砂糖がコーティングされたような、見ただけで胃がむかつきそうになるようなその洋菓子を、火村がムキになって一人で平らげてしまった心境を、森下は敵ながら天晴れと褒めたたえたくなった。

 意外と火村も、苦労してるのかもしれない。

 多分有栖は、隣人の若いお嬢さんの、もしかしたら、有栖への好意が込められていたかもしれないそのチョコレイトを、有栖本人に食べさせるのが厭で、無理やり火村がそれを凡て平らげてしまったというその事実を、きっと全く気づいてはいないのだろう。

 ……勿論それは、森下の憶測に過ぎないのだが…。

 それにしたって、それだけの量のチョコレイトをたった一人で平らげてしまった火村には、驚異すら覚える。やはり、何が在っても敵に回してはいけない人物だ。

「はっきり云うて、そこまでの甘党っちゅーのは、同じ男から見てもキショイと思わん?」

 ――――― キショイ…。気色悪い…ねぇ。

 火村の涙ぐましい努力も、目の前の推理作家には全く届いていない様だ。ギブ・アンドテイクの間柄だとはいえ、捜査に協力してくれている火村の存在は非常に有り難く、彼のキレの在る推理能力を尊敬していても、それとは全く違う部分で、そんな犯罪学者の存在を半ばほんのすこしばかりではあるが、邪魔者と認識してる森下であったが、誰の目から見たって、有栖の事を一番に大切に接しているであろうその火村の事を、当の本人である有栖に、〃キショイ男や〃などと云われているのでは、火村助教授の立つ瀬は全く無いではないか。森下は、にっくき火村の事を、今回ばかりは不憫に思えてならなかった。

「……そこまで云っちゃぁ、火村さんが可哀相ですよ…」

 苦笑いを浮かべながら、思わず吐露した本音。

 それでも、仄かな〃期待〃が森下の胸中に蔓延し始めていた。

「有栖川さんは…その……甘党の男は嫌いなんですか?」

 自慢のアルマーニのスーツの膝の辺りを、皺になるのも構わず両の拳でギュッと握って、森下は意を決した様に有栖に訊ねた。

「一般的に考えたら、やっぱ、キショイやろう、そんな男。ハッキリ云うて、火村とは長い付き合いやけど、ヤツがあんなにも甘党やったって知って、かなり驚いた」

 呆れた表情で冷めた様にそう呟いた有栖の言葉に、森下の胸の鼓動は百メートルダッシュをした時以上にドキドキと高鳴った。

 ―――― ぼっ、僕は甘党やないですッッ。チョコレイトとか苦手ですッッッ。そんなキショイ男なんか止めて、僕と、僕と………

 ……そう云いたいのをグッと堪えて、有栖達よりはかなり年下な森下は、精一杯の大人の男を演じてみた。それはもう、色々な事を期待しつつ……。

「そ、それにしても、火村さん、可哀相やなぁ。何もそこ迄毛嫌いせんかてええやないですか。たかが甘党だったからって」

 ……が、有栖は次に、意外な一言を森下にぶちかました。

「……森下くん。君、なんか勘違いしてへん?人の話は最後迄訊かなあかんよ。俺が云いたいのんは、普通やったら〃キショイ男や〃で片づけられる筈の奇怪な趣向、行動も、何故か火村やったら許せるよね…っつー事やねん」

「――――……え…………?」

 先程の有栖よりも、更にほうけた面の森下に、有栖は補助する様に話しだした。

「だって、せやろう?一晩で一六八のチョコレイトを一人で平らげてまう超甘党の男なんて、フツーはキショイだけやん。そう思われてもおかしいないやろ?……せやけど、それが火村やったら平気やねん。キショくないねん。カッコ悪くないねん。可笑しくないねん。結局のところ、俺が云いたいんはな、森下くん。一晩で一六八個のチョコレイトを喰っちまう様な奇行に及んだとしても、ええ男はええ男のままなんやなぁ…ちゅー事や。そんでもって、そんな風に思わさせてしまう火村って男は、やっぱ、エキセントリックやと思うんや。どうや?漸くツジツマが合うたやろう?」

「…………………………………………」

「……どないしたん?森下くん?」

 言葉を失っていた森下の顔を覗き込みながら、黙りこくってしまった森下に有栖は不可思議な声を投げかけて来た。

 ――――― なんなんやッッ。結局はノロケかいッッッッッ!

 一瞬でも、火村の事を哀れんだ自分が馬鹿だった。

「……火村さん、遅いですね…」

 そう切り返すのが、その時の森下には精一杯だった。

「せやなぁ……」

 喫茶店の壁に掛けられた時計をちらりと一瞥して、有栖も溜め息の様に呟いた。

「ホンマ遅いなぁ、火村のヤツ。ふたコマ目の講義終わったら、直ぐにこっちに来るって云うてたんやけど……。すまんなぁ、森下くん」

「〃事件〃なんてものは何時も突然で当たり前なんですが、今回は火村さんが大学の方へ出掛けてからこちらが連絡を取ったって形でしたから…。うちの警部も無理いいますよね。教壇の上の人捕まえて、今から来はりますか?なんて。火村先生かて、今回は余りにも急なフィールドワークのお誘いやっから、色々とお忙しいんでしょうね」

「甘いなぁ。そりゃ甘過ぎるで、森下くん」

 意気消沈して、漸く述べた森下に対して、有栖は意外な反応を見せて来た。

「元々火村のフィールドワークは、ヤツから大阪府警察署にお願いして始めた事やないか。お願いしてるのは火村の方なんやで?その火村が時間厳守を守ってへんのやから、お願いされた警察側の森下くんが、船曳警部の代わりにガツンと一発いてこましたらなあかんのやないの?」

 ―――― そらまぁ、やれるもんやったらとっくに……。

「そんな…。以前はともかく、今はこちらの方からお誘いしてる訳ですから。情けない話ではありますが、僕をはじめ船曳警部も、火村さんに頼ってる所が、少なからず在る訳で……」

 心で思っている事と比べれば、ひどく殊勝な事を云ってのける森下。……が、あながち凡てが虚誕というわけではなく、生き詰まった今回の難解な殺人事件に頭を悩ませ、大阪府警が火村に助け船を出さざる負えない状況だという事は事実だった。

「まぁ、火村の取り柄といったら、それくらいのもんやからなぁ。ヤツは社会犯罪学オタクやから」

 にやにやと微笑いながらそう云った有栖の言葉が、チクリと胸に突き刺さった。

 何だかんだいいながら、火村の事を褒めてばかりの有栖。森下が面白くないと思うのも、無理からぬことだろう。

「案外、アレやないんですか?大学を出ようと思った矢先に、昨日のヴァレンタインの日にチョコレイトを渡しそびれた女生徒に捕まってしまって、来るに来れないっていう状況だったりして。大人の魅力ってやつで、火村さんて、如何にも若いお嬢さん方にもてそうやないですか」

 鎌をかける様にそう云うと、有栖は目をパチクリさせて森下を見つめた。

「火村が?女の子に……?」

 もしかして、物凄いショックを受けさせたかもしれない……。

 可哀相なことをした。有栖川さんには罪はないのに。……と、そう思った矢先だった。

「アハハハハーッッッ。むっちゃおもろいで、そのジョークッッッッ」

「はぁ……?」

 腹を抱えて笑い転げる推理小説家を前にして、森下は取り残された心境になった。

「…ジョ…ジョークやなしに…あ、有栖川さん?」

 未だ未だ笑い足りなさそうな有栖。それでも、多少は落ちついたのか、一人でポカンとした顔で笑い転げていた有栖を見ていた森下に対して、笑い過ぎて涙さえ浮かべるその目尻を指先で拭いながら、有栖は森下へと向き直った。

「森下君。キミ、火村がそう云うお嬢さんを相手に出来ると、ホンマに思うてるんか?」

「……それ、どういう意味ですか?」

 ―――― なんか、全然堪えてへん…。

 余りにも予想外な有栖の反応に、森下は半ばがっくりしていた。

「俺の言い方が悪かった?せやったら、こう言い直したるわ。ええか、森下君。火村は女嫌いなんやで。社会犯罪学なんていう物騒なもんを教えてる男や。筋金入りの無神論者でクールを通り越した現実主義で、他人から見れば冷たい奴だって云われてもおかしない様な男なんやで?そう云う男が、森下君。自分が全く興味を持たない相手に捕まって、大切な時間を費やすとでも思うか?」

 そこまで一気にまくし立てて、有栖は温くなった紅茶を一口飲んだ。喉の渇きが潤った所で、再び有栖は語った。

「確かにな、火村は女性にモテると思うよ。せやけど、頭ごなしに相手にされへん男に、若いお嬢さん方がホンマにチョコレイトなんか渡せると思うか?アレだけ女性に対して無愛想な男に、それでもモーションかけ続けられる女の子がいたらおれ、マジで一度お逢いしたいわ」

 ―――――それって、やっぱりのろけてる?火村先生は、自分にしか興味ないから全然心配してへんって……そう云う事なんスか……?有栖川さん……。

 ニコニコと微笑んでいる有栖を目の前にして、森下は更なる辛酸を舐める結果となった。

 カップに薄く残った紅茶を有栖が飲み干した時、彼の背後から待ち人は現れた。

「遅くなって申し訳ありません」

 そのふてぶてしい表情からは、何処にも〃申し訳なさ〃何て物は窺えなかったが、既に脱力しきった森下は、

「はぁ…」と、力無く返すのみだた。

「……では、そろそろ行きますか…」

 立ち上がり、有栖と火村が歩くその後ろを、森下は思い足を引き擦りながら歩いた。

 喫茶店を出た所で、疲れ切った森下を揶揄う様に火村が声をかけた。

「森下刑事。大変だったでしょう、アリスのお守り」

「いえ…そんなぁ…」

 状況的には、有栖とのほんのりスイートなひとときになる筈だったのだ。凡てはこの男の存在が……!

「そう…ですか…?」

 ひどく意味深な口調でそう呟いた火村が、森下の顔をチラリと垣間見た。おかしい、そんなことはないのだが…なんて云いたげな表情だった。

「何が…仰りたいんですか?火村さん」

 なんだか非常に馬鹿にされてるんじゃないかと云う気になって、森下は強気な態度に出てそう云った。

「いやね、アリスは森下刑事には我が儘云わないんだな…と、そう思っただけですよ」

 モロに厭味の入ったそのひと言!

 悔しいやら羨ましいやらで、森下は真っ赤な頬で苦虫を噛み潰した様な表情で、先にすたすたとひとりで歩いていってしまっている有栖を追いかける憎い男の背中を見つめていた。

 もう…何も見たくない……。

 これ見よがしに、追いついた有栖の肩に、火村が手を掛けていた。

 完全に出来上がっちゃっている二人の後ろ姿を垣間見ながら、森下はとぼとぼと肩を落として歩いていた。

「森下くーん、急ぎぃやぁ〜。君がおらんと困るやろーっ」

 その時振り返った有栖が、恐ろしく可愛らしい笑い顔でそう云ってくれた。

 自分に向かって手を振りながら微笑んでいる有栖の姿に、嬉しさと虚しさがない交ぜになって森下の心を苦しめた。

 しかし……。

 ―――― もう、いいや。有栖川さんが幸せなら…。

 それは確かに森下に向けられた笑顔だけれど、結局は火村英生という男の隣にいるから、あんな極上の笑顔になってしまうんだろうから……。

 二月の冷たい向かい風が、森下の身体を吹き抜けて行く。

 けれど、森下は走った。

 負けちゃってるけどね、全然適わないけどね……。

 先を行く二人に追いつける様に、彼は走った。

 森下恵一。彼の春はまだ遠い……かもしれない。

 ――――― いや…それにしても……。

 火村だけじゃなく、有栖も相当エキセントリックだと思う森下であった。

 

 

 

  [END]

■COMMENT■

1999.02.07発行、「Bitter Chocolate Sweet Candy」にて書いた連作の「Eccentric Lovers」の1話目です。
何故か、サイトに載せるお話はギャグばかりなのですが…今回もそのようです…。
この頃はまだ、有栖川でもギャグが書けたのですね…(笑)。
-Bitter Chocolate-を書いていた当時のマイ・ブームは森下刑事だった(笑)。
彼の〃恵一 〃という名前が明らかになったのも、確かこのあたりなのではないかと記憶しています。
自分で書いた文章に、笑い転げていた記憶があります(死)…。ハイテンションだったあの頃…(笑)。


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