2003年2月の研究開発記録&雑記帳>


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2004年1月











2月29日(日)「三昧」


土曜日は久々にスキーに行った。

今回は「苗場」では無くその近くの「かぐら・みつまた」スキー場。
まあゴンドラで繋がっているから行こうと思えば苗場スタートでも「かぐら」に
行けるのだけれど移動時間が結構かかるので面倒なのだ・・・


今回の目的はもちろん新調したカービング150サロ板のテスト走行だ。

出発前日に装備のチェックをして改めて150の板の短さに驚いた。
本当にこれで安定した滑りができるのだろうか?
実際にテストしてみれば分かることだから楽しみでもあり不安でもある。


それと実は先週の水曜日に神田に行ってストックも新調してきたのだ。
今回のストックは「KIZAKI」の伸縮調整可能モデルだ。
今までは125cmの固定ストックだったのだけど実は自分に合ってないのでは?
という指摘を友人にされたのだ。
長いストックを切断してもいいのだけど10年モノのストックを切るのは
手間がかかる。


その二つのニューアイテムを抱えてゲレンデに到着。
ブーツを履いて板を装着。
ストックの長さは110cmに調整。

抜けるような晴天で朝一で圧雪されたゲレンデの状態は最高と言っても良い。
リフトに乗りまず中級者コースを降りることにした。


滑り始めはとても軽くて摩擦係数が低くなった気がした。
板は短いけれど安定していて足元からは十分に信頼できる感覚が伝わってくる。
思い切って外足に体重をかけてみるとまるでレールの上に乗ったように
スキーが曲がっていってくれる。
よく出来たハンドリングのマシンを操っているようなオンザレール感覚。

両足を揃えたまま右に左に自在にコントロールできる。
これはたまげた。
後ろで見ていた友人も滑りが変わったねぇと感想をもらした。


面白いように曲がれるからついつい休憩もせずに滑る。
DV(デジタルビデオ)を持っていっていたから撮影もして見たりする。
モニターで第三者的の目で見ても明らかに滑りが軽快なのが分かる。


板の影響はとても重要だけれど
実はストックを短くしたのもとてもポイントが高いはず。
短いストックを雪面に突くのには前に身体を倒さねばならないのだが
それは前荷重をすると言う事になる。

スキーの基本は中心に重心を合わせるのだが
心持ち前に荷重を掛けた方がコントロールし易い。
バイクのコントロールに似ているのだな。

今までの長いストックでは後ろ荷重気味になっていたから
後傾になり易い原因でもあったのだな。
それが解消されたのも滑りが変わった要因だろう。


今まで「弘法筆を選ばず」と道具に頼らないつもりだったが
あまりの違いに唖然となった。
これでまた一つレベルが上がったかな?

まだまだ先は長そうだけど。




2月22日(日)「通報しますた」



今週末はずいぶんと暖かかった。
日中はほとんど4月下旬並みの暖かさで夜になっても全然寒くない。
おかげでバイクに乗っていても寒くないのだ。

まあ寒くてもバイクには乗るが寒くない方が操作も柔軟にできるし
乗車姿勢だって風を避けなくていいから楽なのだ。


土曜日は久々に秋葉と神田。

まずは神田のスポーツ用品街でスキー板の詮索。
今使っているスキー板は10年も昔の195直のロシ板だから
そろそろカービングに替えたかったのだ。

狙っていたサロ板04モデル(バース10)は5万円。
ほとんど性能が同じ03モデルは43000円。
かなり迷ったが03の方がグラスファイバーが見えるデザインで
カラーリング的に好みだったのでそれを選択。
しかし160の長さが無く150を選ぶ。
・・・195から150に乗り換えたら劇的に違うだろうから楽しみでもあり怖くもあるな。


秋葉は相変わらずの人込みでラジオ会館もごったがえしていた
目的の物を探すがバイクの服装では汗をかくほど暑かった。

先日火災に見舞われたヤマギワソフト館は完全に工事用ホワイトシートで覆われ
火事の名残がかすかに見えただけだった。
石丸ソフト1に寄りつつ散策終了。


日が落ちたのにこうも暖かいとつい走りたくなる。
晩御飯を「なか卯」で済ませてさらにバイクを走らせた。


そろそろ日付が変わる時間になり都内から進路を和光に向ける。

高島平付近の首都高速池袋線の下を和光に向けて走っていた。
左に見える赤塚公園は真っ暗でとても雰囲気が悪い。
奇妙なことに周りを走っていた車は一台もいなくなって
気が付いたら一人で3車線の道を爆走していた。

でかい交差点で赤信号にただ一人立ち止まる。
相当先までまっすぐなのだが暗くて不気味さが漂っている。
信号が青になってバイクを発進させてまもなく異常事態が起きた。


左の歩道から白い服装の人物が一人飛び出してくる!
しかも両腕を挙げてこちらに停止を要求している!
しかし警察官ではないのは服装を見れば明らかだ。
・・・飛び出してきた方を見るとそれが何であるか理解できた。

路面に残ったブラックマーク。
折れた街路樹。
そしてフロントガラスはくもの巣状に割れ右前部を大破している普通車。

どうやら単独事故の現場に一番に到着してしまったようだ。

運転手から軽く事情を聞いて警察に通報。

同乗者3人は全員怪我をしていてまさに流血の惨事だ。
車には初心者マークが貼ってあり全員20歳前後の若者の男性。
若者深夜の暴走を地でいっている。

脳震盪を起こして軽く記憶障害が出ている者
頭部の出血があごまで達している者
比較的軽症な者

しかしパニックになっていて誰一人として落ち着いていない。
うろうろする姿はバイオハザードのゾンビのようで滑稽でもある。
「助けてください」を繰り返すのみ。
どうしていいのか分からないようだ。

とりあえず見た目に出血はひどくないから止血は必要無さそうだ。
内臓が逝ってたらまずいなと思ったがそればかりはどうしようもない。
動くと余計に傷を深める場合もあるから大人しくしてほしい。

警察に救急車も要請しておいたので
「命があっただけでも良かったと思うんだな。
とにかく死にはしないからじっとしてろ」とだけ言ってその場に座らせた。

まもなく救急車到着。
遅れて警察車両も到着した。


通報の事実と現場の説明を軽くして後は警察と救急に任せて帰る事に。
さっきの信号で止まった時の嫌な予感はこれだったのか・・・

そう言えば警察官の事情聴取の中でさらに薄気味悪いことを聞いた。
「今朝方ね、全く同じ場所でトレーラーが高さ制限の柱をなぎ倒したんですよ。」
見るとトンネルに入るところの高さ制限の柱がみごとにへし折れていた。

「ここは本当に何か居ますね・・・」と。

・・・真冬の怪談かな。




2月19日(木)「ファミコン20周年」



昨年、ファミコン20周年の記念カレンダーを友人にもらった。
2月の絵柄はマリオブラザースなのだ。
しかもちゃんとファミコン版のグラフィックだ。

マリオと言えば「スーパーマリオブラザース」で一躍有名になって
普通の人も知っている。
でも「マリオブラザース」をゲーセンでリアルタイムプレイしたとなると
相当マニアでいい年だろうけどね。


先日大阪に帰っていたとき
一人になる時間がちょっとあったのでファミコンソフトをやっていたりした。
昔のグラフィックとPSG音源が今のPCで蘇るのが堪らない。

あの頃本当に猿のようにやったものだなぁと思いながら
ちょっとの時間つぶしの為に始めたウィザードリーについつい熱中してしまった。

初期ボーナスが高いキャラになるまで選んで「サムライ」を3人前衛にしてみたり
とりあえず「カシナートの剣」が出るまで、、、とか
せめて一本くらい「むらまさブレード」欲しいよなぁとか。

でも良く考えると「サムライ」は成長が激烈遅いので低いレベルで辛いワナ。
・・・しかし気が付いたら全員「むらまさブレード」装備で怖いモノ無しになっていた。


そしてたった1週間でボルタック商店はマニア垂涎の品揃えになった。


その昔何ヶ月プレイして飽きずにトレジャーボックスを開けていた日々が
懐かしくて昔の自分に嫉妬した。




2月12日(木)「役所体質」


9日に子供が生まれてしばらく病院と実家を往復する日が続いた。
仕事は特別有休に普通の休みを付けて丸々一週間お休みすることにしてある。

毎日起きてご飯を食べたら病院に行く。
行き帰りに洗濯物を運んだり飲み物を補充したり
子供のそばにいると一日は結構早く過ぎる。
夜の8時半の面会時間終了になったら実家に帰るのだから
会社に行って仕事しているのと時間の感覚はあまり変わらないかもな。


出産時何もできなかったお父さんができる用事の最大のイベントが出生届の提出だろうか。


これで看護婦さんの子供の呼び方も「○○さんの赤ちゃん」から
「何々ちゃん」に変わるわけだ。
そもそも生まれる前から候補はずいぶんあったが
結構早くからこれにしようと言うのはだいたい決まっていた。
それでも出生届に書く瞬間にこれがこの子の一生の名前だなと考えると
責任重いなと思うのが親心だろうか。


今入院している病院は産婦人科専門なので出生届の用紙もちゃんと用意されていた。
これと母子手帳と印鑑があれば届を出せる。

市役所の駐車場に車を停めると我々夫婦が学生時分に通っていた高校がすぐそこに見える。
高校生時代にはまさかこんな日が来るとは夢にも思っていなかったから
少し感慨深い。


市民課で書類を出して受理してもらうのにはそんなに時間が掛からなかった。
けれど現在の住所である埼玉の市役所に郵送で書類を送るので
児童手当他の手続きはあさって以降に書類が到着してからになりますとのこと。
あさって以降でも埼玉の市役所に届いていない場合は本日届を出した旨を
向こうで説明すれば良いとも付け加えた。


・・・すぐに関東に帰れる訳でもないから現状では問題無いのだがふと疑問が。

出生届というのは住民基本台帳への記録なのだからあれだけ騒いで導入された
住基ネットに登録すればそれこそ一瞬で埼玉の市役所に登録されるのじゃないのかと。

何故に郵便で当該市役所に送る手間が未だに発生するのだろう。
まだ整備されていないから登録の同期などはできないということだろうか。
そう言えば会社の先輩は結婚して入籍届を地元で出したのに埼玉に連絡されるのが
とても遅かったということを言っていた。

旧態然の市役所の説明に役所仕事というのは無駄を省くということを
本当にしないのだなと少し呆れたのは言うまでも無い。

そんなことも子供の顔を見るとほっとして忘れてしまうところが親馬鹿の始まりかも。




2月09日(月)「生命のはじまり」


朝の5時に目が覚めた。
横で苦しそうな妻の姿が目に入った。
微弱陣痛が起こり始めて数週間。
ついにその日が来たようだ。


いつでも入院できるように準備はできている。
7分おきに強い陣痛が来るようになって病院に電話したら来てくださいと。


朝食も食べる余裕は無かった。
車のエンジンを掛けてゆっくりと走り出す。
朝の慌しい風景がまるで他人事のように映る。
奇遇なことに車のTVからは芸能人のカップルの妊娠のニュースが流れていた。



病院に着いてすぐ、軽く見てもらいそれから入院の手続きになった。
お産というのは思ったよりも時間が掛かるので体力を付ける為にも
食事をしておいてくださいとの指示があったので駅前のサンドイッチ屋に行った。


時折苦しそうな表情を見せるが何もできないのが口惜しい。
できることといえばマッサージと横にいることだけ。


母親と子供の共同作業。
目に見えない綱引きが目前で展開されているのを見ていると
とても不思議な気分になる。


そうこうしているうちに分娩室(LDRルーム)に入ることになった。
身体を温めるためにシャワーをしに行ったら痛さで歩けなくなったようだ。
子宮口がずいぶん開いてきていて陣痛の間隔が相当短くなってきたと。


まもなく新しい生命がこの世に誕生する。


この病院のLDRルームは照明が暗くなっていて一種独特の雰囲気だった。
陣痛の間隔を測る機械が休む間もなく波線グラフを描いている。
定期的に来ると思っていた陣痛もそんなに定期的ではない。

激しい痛みの時はグラフが一気に限界線を越える。
なのに納まっている時は凪の海のように穏やかだ。


出産は体力勝負とどこかで聞いたことがあったけど実際に目の当たりにして
それは本当だなと痛感した。
長時間いきむというのは腹筋はおろか身体全体の力を振り絞る行為で
全身全霊込めて打ち込むのだ。

真剣勝負。
ふざけた言葉や思想はその熱意の前に融解していく。


LDRに入って2時間。
ようやく終わりが見えてきた。
助産婦さんが先生を呼び最後の取り出しに掛かる。
ここ一番の最後の息みと共に小さな生命が誕生した。


暖かで小さくていとおしい。
使い古された表現だけどなんて神秘的な存在なんだろうか。
ここに一つの人生のスタートを刻んだ。



不謹慎かもしれないが・・・昔やったゲームの台詞が頭の中で鮮やかに浮かんできた。
「お父さんやお母さんって昔からずっといたみたいだけどそうじゃなくて
みんなこうしてお父さんやお母さんになったんだね」というような言葉が。

今更ながらにこのゲームのシナリオ製作者の気持ちが少し伝わった気がする。




2月08日(日)「遠距離通勤」



普段会社勤めをしている人はどのくらい時間をかけて通勤しているのか。

私のように会社の近くにアパートを借りている場合だと早いだろうが
電車で都心部に通勤するサラリーマンだと1時間から1時間半くらいだろうか。

郊外から車通勤で都心の外れにある会社に通勤する場合でも同じ位の時間だそうだ。
知人で遠隔地に住んでいて遠いケースでは栃木から東京に新幹線通勤というのもいる。


新幹線の場合乗ってしまえば速いから下手に郊外から車通勤するより早そうだ。
その代わり終電の時間が気にかかるとか。

電車の場合だと目的駅までの途中本が読めたりするけど
車だとせいぜいラジオかTVかな。


私の場合極力仕事場の近くに住んだほうが便利だと思うのだが
人によっては働いている所と生活する家が近ければ良いというものでもないそうだ。
大方そのような人は実家が通勤圏内ぎりぎりにあるような家族の都合とか
趣味で海のそばや山のふもとに住んでいる場合が多いのだけど。


週末に東京から大阪まで車を走らせてみてこの距離を毎日車通勤するのは不可能だが
飛行機なら時間的に可能だなと思う。

ただ現段階では費用が追いつかないという制約があるだけだ。


仮にこの先交通網が発達してもっと高速に安価に移動できるシステムが完成すれば
大阪から東京への通勤も可能になるかもしれないな。
100年前だと新幹線や自家用車などほとんど考えられなかったことを考えると
十分可能性はあるよな。


しかしその頃は通勤に困ることは無いかもしれない。
少子化が進むと住む家が供給過剰になってきて
今より住宅事情が良くなりそうだからだ。










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