愛車の遍歴裏話
(四輪車編)
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日産シルビア(S12型)2000RS-X まず、このシルビアですが、免許をとって最初の車です。昭和62年に昭和58年式を中古車で当時アルバイトしていたお金をすべてつぎ込んで買いました。なぜ、シルビアを選んだかというと、本当なら同時期販売されていた、スカイラインの2000RS TURBO C(通称鉄化面)が欲しかったのですが中古でもかなり高く手が出なかったものでそれなら同じエンジンを載せているシルビアということになりました。 グロスで200ps (現在のNETで170馬力)と当時の車の中でもパワ−がありましたので選んだんです。今のようにチュ−ンなどはせず、すべてノ−マルに近いままで乗っていました。唯一換えていたのはシ−トと4点式シ−トベルトですかね。ただ、このおかげで、今の私がいるといっても過言ではないと思います。それが、次に書く一大転機でした。 乗り始めてから1年ほどのある雨の日、私は常磐高速を友人のセリカXXとそうですね、140キロぐらいで走っていたでしょうか。ふっと、車が浮き上がるような感じがしてアクセルもブレ−キもはハンドルさえ利かない状態に陥りました。俗にいうハイドロプレ−ニング(アクアプレ−ニングともいいます)です。ちょうど緩い右カ−ブに差しかかっていましたが思うように曲がらずそのまま外側の路側帯へ向け一直線。まず、外側のガ−ドレ−ルにぶつかり半回転しながら今度は中央分離帯のガ−ドロ−プへあたり、再度外側のガ−ドレ−ルへぶつかり、ガ−ドレ−ルにこすりながらやっと止まりました。これだけ大きい事故にもかかわらず、4点式のシ−トベルトとスポ−ツシ−トのおかげで奇跡的無事でした。当然のことながら車は全損となりシルビアとの短い付き合いは終わりました。 日産ブル−バ−ド(U11型)1800SSSタ−ボ 次にブル−バ−ドですがこれはシルビアを失ったせいもありとりあえず乗れる車ということで昭和63年にやはり昭和58年式を格安車で購入しました。と、いうのはスポ−ツカ−と違いブル−バ−ドなどのファミリ−カ−は値落ちが激しく同年式のスポ−ツカ−よりも安く購入できるのです。前回の事故に懲りた私はおとなしく乗っていたのですがこの車の最後も事故でした。と、言っても前回のような自損事故ではなくて追突されたのでした。 昭和63年の年末、岐阜の大学から帰省するために国道1号線を夜中走っていた時のことでした。静岡市内のある交差点の信号で赤で停止したところ、たまたま、ふっとル−ムミラ−を見ると後ろの車が減速していないでこちらにくるのが見えました。「来るっ。」と身構えた瞬間、追突されました。シ−トベルトはしていたものの腕をしこたまステアリングに打ちつけて痛みを押して社外へ出ると私のブル−バ−ドの後ろに赤いミラが貼りついていました。私のブル−バ−ドのトランクはないに等しい状態にまでひしゃげていました。そのミラには女性が2人乗っていましたが2人ともフロントガラスに頭を突っ込んでいて見るからに重傷のようでした。近所の人の通報ですぐにパトカ−と救急車が来て病院へ搬送されたので、その2人がどうなったかは私は知りません。ただ原因は、ミラのドライバ−の酒気帯びと居眠り運転だということを後から警察より聞きました。(約60kmでノ−ブレ−キで突っ込んできたそうです)こうして、ブル−バ−ドはあえなく廃車になってしまいました。 こうやって見てきますと事故で廃車が多いと思うでしょうが実はそれはセフィ−ロまで続くのです。それでは、続きをどうぞ。 日産マ−チ(K10型)1000R(平成2年4月購入) さて、事故が続いたこともあり親にも車を止められたので約1年強の空白期間が空きました。本来なら教員を目指していたのですが、地元では、私の卒業する前の年(平成1年4月)の採用者から私の専門の中学校社会科の教員の採用が停止となってしまいました。さて、困ったということになり当時はバブルの絶頂期ということもあり民間企業に鞍替えすることとなりました。そこで、当時日産車が好きだったということもあり、日産系のディ−ラ−に平成2年4月より就職することになりました。で、通勤に車が必要となり本当ならZ、レパ−ドなどが欲しかったのですが、当然のことながら予算的にも無理で中古でマ−チRを買いました。 このマ−チRというのは競技のベ−ス車両として売られており、ジムカ−ナ等やりたいと思って購入しました。1000ccにタ−ボとス−パ−チャ−ジャ−がついて110psとかなりじゃじゃ馬的な車でした。(一般的には、マ−チス−パ−タ−ボとして市販されていました。)この時、JAFに加入して国内A級のライセンスを取得しました。これで気をよくした私は、他の競技会にも出たいと企てていたのですが罠は夏休み前の地元のお祭の日にありました。地元のお祭に強制参加させられたあとさて、帰ろうかと思い駐車場で車に乗りこんだあと悲劇は起きました。ディ−ラ−の駐車場なのでかなり広いのですがそこで、先輩たちが別の車で走り回っていたんです。(今となっては言えますが先輩達はかなりアルコ−ルが入っていたようです)何を思ったか突然そのうちの1台が私の車のほうに向かってきたのです。「やばい」と、思った時にはすでに遅く、先輩の車は私のマ−チRの右フロントに横から突っ込んでいたのです・・・。先輩なので文句も言えず、自分の車は自分で修理するということになってマ−チの見積もりを取ったところ約70万!買った時がその値段なのに・・・ということもありあえなく廃車になりました。 日産セフィ−ロ(A31型)2000スポ−ツクル−ジング(平成2年8月購入) で、マ−チを失った私は、通勤にも困るのでとりあえず自社取り扱いの車の中から買おうと思いました。この時乗用車はマ−チ、リベルタビラ、ブル−バ−ド、アベニ−ル、セフィ−ロ、レパ−ド、マキシマ、フェアレディZ等を扱っていたのですが消去法で選んでいきました。まず、マ−チは同じなのでパス、リベルタビラはマイナ−過ぎてパス、レパ−ド、マキシマ、フェアレディZは頭金がないと支払いが厳しいのでパス、アベニ−ルはあのテ−ルランプが嫌いとなればブル−バ−ドかセフィ−ロを選択するしかない。最初はブル-バ−ド(人気のあったU12型)のアテ−サリミテッドにしようと思いましたがすでに、来年(平成3年)にフルモデルチェンジするという情報を得ていたのでじゃあ、セフィ−ロということになったのですが不運はまだまだ続く・・・。 セフィ−ロは紺色の5Fのスポ−ツクル−ジング(ハイキャス+RB20DET)が欲しかったのですが、実はマイナ−チェンジの時期と重なって在庫もないし、マイナ−チェンジしてからとなるので納期も一ヶ月以上・・。どうしよう・・ 迷っていると業務課の先輩がお客さんからキャンセル(どうもロ−ンが通らなかったらしい)が出た車があるという情報をえて見に行くとセフィ−ロのガンメタのスポ−ツクル−ジングがあったのです。(しかもCD付き)でもAT・・・。すでに、フロントスポイラ−とリアスポイラ−も付いている・・・。迷いました。が、次の一言でこのセフィ−ロを買いました。「この車買ってくれれば両方のスポイ−ラ−分(約9万円)とCDデッキ分(約6万円)を社員値引きに上乗せしてやる。つまりスポイラ−とCDはタダ。」これが初めての新車となりました。 この車を買った当初は33歳のDINKS(こういう言葉知ってます?)の車というCMのせいもあってオジン臭いと友人から言われていました。今は立派に若者のドリフト車だというのに・・・(笑)私はスカイラインと同じ足廻りで走りもよく、サイドからみるとク−ペに近いスタイリングでも居住性もそこそこということで気に入ってました。この当時はセフィ−ロ用のパ−ツ等出ているはずもないので少しだけいじって乗ってました。 でも、中東向け輸出用グリル&アメリカ向け輸出用エンブレム&アルミホイ−ルを交換&ブ−ストアップ程度でしたね。マフラ−等はノ−マルのまま(笑)翌年(平成3年4月)より配置転換で本社の販売促進部から営業に転換になったのですが本来なら営業は1800ccまでという内規があってセフィ−ロは営業に使えなかったのですが、買って間もないということで特別にセフィ−ロで営業の許可をもらいました。 まあ、5年のロ−ン(60回)を組んだことと、セフィ−ロ自体も気に入っていたので平成5年8月に車検を通しました。だが、悲劇は待っていた。実は、平成5年8月に結納して、平成6年3月に結婚式をあげる予定もあり、新車を買う予定もなかったのに平成6年1月に次の車を買ってしまいました。それについては次のペ−ジでお話します。 スバルレガシィツ−リングワゴン(BF5型)1800Ti−タイプS (平成4年7月購入) その前になぜ、日産の営業をやっている間にレガシィ(BF5型)を買ったのか理由をご説明します。 レガシィ(BF5型)を購入したのは平成4年7月なのですが、営業になってからもそこそこ車も売れていたのですが、平成4年3月に自己新記録の月間13台を販売したのですが、その裏で、取扱車のアベニ−ルとレガシィとの商談で5連敗を喫していました。まあ、アベニ−ルを気に入って売っていた訳ではないので当然かもしれませんが、さて、こうも負けが続くとレガシィとはどんなにいい車なのだろうという疑問が沸いてきて来ました。で、身分を(日産の営業という)隠してスバルのディ−ラ−で試乗させてもらいました。目から鱗でした。アベニ−ルと全然違う!試乗したのはブライトンでしたが、商用車と足回りその他を共用しているアベニ−ルと比較して雲泥の差。凄くいい!そのころ、友人達とバ−ベキュ−をしに行ったり、毎年恒例の鈴鹿参り(GP&8耐)においてセダンではの不便さを感じていましたのですぐに欲しくなりました。この当時のワゴンは両者のほかはカペラカ−ゴぐらいしかありませんでしたので心はレガシィでした。(笑)当然、GT無理でもTSタイプRが欲しくて見積もりを書いてもらったのですがセフィ−ロを1台養っている身としては予算オ−バ−頭金もないし・・・(滅) ところが流れは変わりました、当時付き合っていた今の嫁さんに話をすると「少しなら毎月の支払いのお金出せるよ・・・」と、(これで未来の運命は決まった・・・)それと、販売・収益コンテストでクラス1位になって、報奨金も入った!でも、予算オ−バ−なので今の嫁さんの説得もありTiタイプSを買いました。この車はよく出来た車で、レジャ−のお供によく走り廻りました。唯一の不満点は1800を買った為アンダ−パワ−に悩まされたことですかね。(セフィ−ロの205馬力に対して約半分の110馬力、しかもセフィ−ロより150キロも重い)当然のことながら、このレガシィを買った為に余裕もなかったので、いじったのはアルミを交換したのぐらいでした。しかし、レガシィは休みの日しか乗らないのに結構な距離を走り、4年後BG5型レガシィに代わります。(初めて事故で失わなかった車でした。)(笑) |