
あれやこれや
小学生の頃,ある楽団が学校の講堂で演奏を聴かせに来てくれたことがありまし
た.なかなか気の利いた学校でこういう催しが年に1回くらいありました.この年はプ
ロのオーケストラを聴くという子供達にとって本当に有り難い試みでした.校長先生
が偉かったのでしょう.
子供達にとって(つまり私にとって)全く初めての感動でした.でも聴く方は並みの遊
び盛りの子供.シャチコばって聴く子だけではありません.後ろの方では演奏中にギ
ャーギャーと喧嘩が始まりました.演奏続行はちょっと困難.子供相手ではこういっ
たこともよくあることでしょうから事前に話し合っていたのかも知れません.演奏の指
揮指導は当然指揮者ですが,演奏する側の責任はコンサートマスターが全権を持ち
ます.楽団によって違うとは思いますが,例えば,挨拶のために楽団に向かって指
揮者が立ち上がれと命じても,コンサートマスターが受けない限り楽団は指揮者の
命令を無視するのが普通です.その代わり,コンサートマスターが,指揮者の要望
に応じれば直ちに全員が立ち上がり挨拶をするという具合.だから続行不能を指示
するのは指揮者かコンサートマスターの役割だと思うのですが,この時は右側の後
ろの方にいたコントラバスのおじさんが弓を大きく左右に振りそれを合図に演奏が
中断されました.そして先生からのお小言.で,静かになってからの演奏再開.
この時の感想です.“コントラバスのような大きい楽器をやっている人は流石に偉い
んだなあ,きっとあの中では一番偉い人なんだ” 私は素直ですね.なお,大抵は第
1ヴァイオリンの主席がコンサートマスターですが,この楽団は例外的にコントラバス
だったのかも知れません.そしてもう一つの感想.演奏中ずっと感じていたことなの
ですが,フルートが美しかったこと.音ではありません.見掛けがです.“何であの楽
器だけあんなに綺麗なんだろう” とにかく奏者が動く度に白い目映い光がきらめく
のです.美しいフルートに目が釘付けです.いつかはあんな楽器を使ってみたい.
中学に入り運動会(か何かの催し)でブラスバンドを見た時,フルートをやるために
入部の決心をしました.ただし,子供の頃から見栄っ張りの私は,ゼロからの入部
は不愉快.手取り足取り先輩に教えられるなんてプライドが許しません.で,いつも
のようにわぁがままを言って,親に入部前から楽器と,教則本を買って貰い,自宅で
秘密特訓.楽器はニッカンという当時のメーカーのNo.3という単純な型番の洋銀製.
楽譜は吉田雅夫さんというN響主席のフルート界の重鎮の書いた黄色くて薄い教則
本でした.この本の半分くらいまで頑張って独習して,まあ,この位までやればみん
なと一緒に出来るだろうと思って入部をお願いしたのが中学校の2年生になった時
です.半年以上もの秘密特訓という見栄っ張りぶりでした.
ところが折角入部して,さあフルートをやろうと思っても勝手にならないのが団体生
活というもの.“サックスが余っているからお前テナーサックスをやれ”,秘密特訓だ
ったので,フルートを持っていることは内緒.仕方がありません.半年ほどテナーサ
ックスを受け持ちました.やってみるとサックスも面白い・・・けど余りの音の大きさに
家で吹くことが出来ません.そうこうする内に半年経ってやっと小学生の時からの願
い,フルートのパートを受け持つことが出来たという次第でした.下積み(?)が長か
ったせいでパートを受け持った段階で,いきなり中学レベルの曲なら殆どを苦もなく
吹くことができ,先生を驚かせた記憶があります.デビューしたてで既に天狗状態.
この分ならプロになれる.過信がプロモーターになって夢中で練習しました・・・ランパ
ルを聴くまでは.呆れたことに,それまではレコードなどでプロの演奏を聴いてもそ
れほど上手だとは思っていなかったのです.ところが,ランパルの演奏を間近で聴
いたこ時はカルチャーショックでした.100年特訓しても遠く及ばない.そして,その時
から私の腕前は上達から下降へと反転したのでした.このページで何度も書いてい
ますが,比較の相手が違い過ぎましたね.まあ,そうは言っても後から色々考える
と,本気で練習するのを止めたのは正解ではありました.
今日はフルートの材質について書くつもりだったのですが,余談の内に終わってしま
いました.例によって本件は宿題です.
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