あれやこれや

2007年09月07日
成都交通事情(成都19)


ちょっと前(2007.8.25 時間ですよ)に“男が女湯に侵入しても何事も起こらない”と書
きましたが,この件について貴重なアドヴァイスを貰いました.男だと思っているのは
自分だけで傍目には,つまりよく見なければ誰も男だとか女だとかについて感じない
モノなんだそうです.言われてみれば区分けするつもりで見なければ男も女も似たよ
うなものですよね.女湯に紛れ込んでしまった私はその時点で服を着ていたわけで
すので,決定的な男性である特徴は“見えない”.顔なんて何となくの判断基準で
す.納得しました.でもこの点の確認実験は止めた方が良さそうですね.ところで,
近所のゴミ収集場所に集まるカラス.奥さんがゴミを捨てに行っても逃げないくせ
に,強そうなおじさんが行くとパッと逃げてしまうんだそうです.カラスの方が人の性
差を正しく認識しているのかも知れません.この件に関してはまた後日.

さて,本題,続成都一人歩き.徘徊癖は生まれつき(2006.7.11 徘徊癖).目的もなく
歩き回ってこそ徘徊です.その前に,前回つい重要な交通事情を書き損ねたことを
思い出しました.危険という訳ではないので忘れていたことです.国内では,特に街
中で運転している限りクラクションを鳴らすことはありませんよね.私もここ数年鳴ら
したことはありませんので,私の車のクラクションが鳴るのかどうかだって怪しいもの
です.ところが,成都では,クラクションを鳴らすのが標準.“追い越しますよ〜”,“ど
きなさい”・・・と,運転上のコミュニュケーションは全てクラクション.だから鳴らさない
のはむしろ危険なのです.黙って追い越すなんて暴走行為なのです.成都の運転手
にとって頻繁な車線変更は標準のことなので,クラクションも鳴らさずに追い越すこ
と即ち自殺行為.“いくぞ”,“アラよっ”てな感じなのです.だから街中のうるさいこ
と.これほどのクラクションの氾濫では誰が鳴らしたか分からなくなるんじゃないかと
思いますが,だからこそ事故の頻発.

成都交通事情その2.なかなか“続成都一人歩き”までたどり着けません.今日も一
人歩きの続きは諦めて交通事情だけに予定変更します.ビュンビュン大量の車が
走る大道路.今まで書いてはいませんが,中国は日本以上に車社会なんです.田
舎町成都の道も車の密度は東京よりも高い.そんな成都の大道路に信号の数は驚
くほど少ない.大道路同士の交差点にしか信号はありません.では,そんな大道路
の信号のない交差点を細い方の道から出てきた別の車が横切ろうとしたらどうなる
と思います.止まらなければ当然,衝突して木っ端微塵.木っ端微塵は嫌なので,
我々なら流れが切れるまでじっと待つか諦めるところでしょう.ところが成都では待
たなくてもちゃんと横断できるんです.脇から出てきた車は極めてゆっくり,ほんの少
し(たとえば10cm)ずつ鼻先を出して行く.幹線を通る車は始めの内は適当に避けな
がら通りますが,避けきれなくなるまで鼻先が出せたら,勝利はこちらのもの.幹線
の車は諦めて止まります.そんな様子が予め遠くからでも“何か変だな”と分かるの
で,大抵は事故にはなりません.でも,何しろ流れの横から車が割り込んで来る訳で
すから交通は大混乱,流れはグチャグチャ状態になってしいます.そして混乱の中,
堂々と横断することに成功です.なお,この横車が,流れを止めるのに成功した時
にもう一つ重要な出来事が起こります.流れが止まりそうな雰囲気を察知した歩行
者達は,この機を逃さず一斉に道を渡りはじめるのです.どこもかしこも人がひしめ
いていますので,道を渡りたい人だって常に沢山いるのです.まるで湧いてくるよう
に人が出てくるのです.“あっ,ここにもいた・・・,あっちにもだ・・・”.このイメージ分
かりますか?でも,湧いてきた人達は大急ぎで渡らねばなりません.なぜなら,この
不届きな横車が横断し終わると,幹線の車は直ちに走り始めてしまうのですから.
例え目の前に歩行者が居ようとも.





トップへ
戻る
前へ
次へ