志ん生は『徒然草』 を読んだ?

  『徒然草』 第八十八段をまず。

或者、小野道風 (AD894-966) が書ける和漢朗詠集 (AD1013頃の編)とて持ちたりけるを、ある人、「御相伝、浮ける事には侍らじなれども、四条大納言(AD966-1041)撰ぜられたる物を、道風書かん事、時代や違ひ侍らん。覚束(おぼつか)なくこそ」と言ひければ、「さ候へばこそ、世にあり難き物には侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵しけり。

古今亭志ん生 『火焰太鼓』 を聞いてください。音声  火焰太鼓 

               注釈: 鎮西為朝  (?AD 1139-1170)     小野小町(?AD 825-900)

         志ん生の『火焰太鼓』の枕の小咄は『徒然草』第八十八段と通じるところがあります。

 

『徒然草』 の <覚束(おぼつか)なくこそ> は 「なんだかよくわかりませぬ」。判然否定せず言を婉曲に云えるなり」 と評する沼波瓊音 『徒然草講話』 は、この段の雰囲気をよく伝えている。