北海道廃線跡紀行-10夕張線登川支線


略 歴
夕張からの石炭を運ぶ目的で、1982年(明治25)に北海道炭礦鉄道夕張支線が追分−夕張間で開通し、1906年には国有化された。北炭楓砿からの石炭の運搬を目的として、1907年(明,40)に紅葉山(現新夕張)−楓間が貨物線として開業した。その後1916年(大,5)に三井鉱山専用鉄道の楓−登川間を譲り受け、紅葉山−登川間の7.6kmは国鉄夕張線登川支線となった。

 だが炭坑が閉山され、普通列車が数往復だけのローカル線となってしまった。1981年10月の石勝線の開業に際し、線路付け替えのため、先駆けて同年6月31日で登川支線は廃線となってしまった。楓駅は石勝線の駅として西側に移動され残ったが、登川駅は廃止されてしまった。

登川支線廃線跡巡り
 楓駅を出る新夕張行き列車を見送って、登川支線の跡を探しに楓の集落に行った。団地の間を通り抜けると、楓炭山橋という橋がある。かつて楓には炭坑があったが、 閉山されている。橋の向こうには炭坑施設のコンクリートのホッパーが佇んでいる。

 楓駅は1967年(昭42)まではスイッチバック駅だった。国道沿いの北海道物産センター辺りだと思うのだが、それらしい遺構は無い。ただ物産センター裏側に、 元北炭楓砿事務所の大きなレンガ造りの建物がまだ残っている。屋根など一部は改築され、周辺の様相はすっかり変わってしまった事だろうが、古く黒くくすんだ大きなレンガの建物 は先程のホッパー跡と共に炭坑の町としての歴史を語っているようだ。観光施設として使われていたが、閉鎖状態らしい。

 郵便局を通り過ぎ、楓集落で国鉄線の跡はないか地元の中年女性に聞いてみた。「こっちだよ」と私を導き、すぐの所にある雑草の空地を指差した。解かりにくいが、 言われてみれば単線の鉄道が通っていた跡だと感じさせる幅の土地に雑草が固まるように生えていた。
現楓駅付近の夕張線登川支線跡

現楓駅付近の雑草で覆われた盛土跡。

 国道と別れ、細い砂利道に入ると、廃線跡ははっきりしてきて、盛土が登川方面に伸びていた。どんどん歩みを進め集落を離れていき、林の中をハイキングしているような気分 になってくる。石勝線のシェルターが間近に見え、その横のには夕鉄バスの「登川」停留所あった。あれ?一瞬このあたりに登川駅があったのかと思ったが、地図を見直したら随分先だ。 えらく辺鄙な所に終点があり、周りに人家は1軒も無い。バス停から数分歩いた滝沢川にはレンガの橋台が残されていた。

 廃線跡沿いの細い道を歩き出してから初めて数軒の人家が見えた。その中の1軒の家の前で50歳代の男性が何か作業をしている。私が「おはようございます」と挨拶をしたの をきっかけに立ち話が始まった。私の来訪目的を言うと、「登川支線跡を見に来る人は結構いるんだよね。だけどこの時期は草が多いから良くないよ。雪解け直後からゴールデンウィーク 前までなら草が生えてないから、はっきりわかるんだけどね。だけど、みんな夏に来る」と言った。

 話が終わり登川駅跡に向けて歩き始めたら、後ろから白い車が追いかけてくる。先程の50歳位の男性だ。窓を開け登川まで遠いから案内するよ」と言って私を助手席に招き入 れた。お礼を言うと「なーに、暇だし、こうやって登川支線を見に来た人をよく案内してるのさ」とさらりと返答した。

 登川駅跡に近づくにつれ、益々林の奥深く入っていくという雰囲気だ。道沿いに建物は見当たらない。車を運転してくれる地元の男性と話していたので、見落としはあるかもし れないが、いづれにせよ建物が極端に少ないのは変わらない。

 数分で山に囲まれた行き止まりの空地のような所で車は止まった。ここが登川駅の跡だ。駅跡どころか、炭坑のホッパー跡以外の建物は何も無く、人がかつてここまで日常的に 足を踏み入れていたという事が信じられないほど雑草だらけの空地と化している。ここに至るまでの人家の極端の少なさを見れば、バス停がかつての駅よりかなり手前にあることが頷け る。おじさんが「ここに駅があった」と指差した場所には人の背丈を越える程の植物が密集していた。 

 登川から楓駅に戻ってきて一休みした後、新夕張方面に向った。スイッチバックの初代楓駅の次の、2代目楓駅は集落の西側の国道沿いに移ったという。地図を見ていろいろ探 し回ったが見つからない。地元の人に尋ねてみると、ここだと国道脇の雑草だらけの場所を指差す。その人が言うには「草が無ければ跡が見えるんだけどね」と登川まで案内してもらっ た男性と同じ事を言う。

 ここから先のほとんどの道床跡は同じように雑草や緑深い山の木々に覆われほとんど認識できなかった。ただ久留喜というバス停側の国道から外れる砂利道を下ったところに廃 線跡があった。他と同じように草に覆われ確信が持てなかった。だが赤錆びた色がついた石がいくつも落ちていて、登川線跡のバラストだと確信した。

 新夕張駅の駐車場の片隅に「紅葉山」という古びた駅名標が立っている。夕張線時代、新夕張は紅葉山駅という風流な名前だった。当時の駅の場所は現在のすぐ手前の南側 に位置していたが、1981年の石勝線開業で線路移動のため、駅は北側に移動し、駅舎が新築され、駅名も新夕張と改名された。かつての駅跡は大きなスーパーが建ち跡形も無い。 だだ記念碑のように駅名標だけが残るだけだ。

 石勝線開業時に夕張線の紅葉山(現新夕張)−十三里間の紅葉山寄りも路線変更された。新夕張周辺は建物が建ったり、道路に転用されたりして道床跡はあまり残されていない 。夕張川の近くまで来ると廃線跡を見つけた。現在の石勝線はトンネルを潜っているが、夕張線時代は夕張川沿いに列車が走っていた。廃線跡沿いには、大正4年に廃止されたトンネル跡もあるらしく 先に進みたかった。だが廃線から20年以上過ぎ、夏で草や背の高い植物が道床跡を埋め尽くすように茂り、行く手を阻まれた。
[2001,7月]

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石勝線楓駅〜1日1往復、日曜運休の駅
もあわせてご覧下さい。
レンガの橋台

滝沢川に残るレンガの橋台。
登川駅跡

夕張線登川支線の終点、登川駅跡。
人がいた痕跡はホッパー跡のみで、
自然に帰りつつある。
久留喜バス停付近

久留喜バス停付近に道床跡が残る。
紅葉山駅名標

新夕張駅のかつの駅名「紅葉山」
の駅名標が新夕張駅前に残る。

夕張川

夕張線時代は、夕張川沿いに
十三里に向っていた。

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