北海道廃線跡紀行-3 湧網線


能取湖畔の湧網線廃線跡

能取湖沿い、能取-卯原内間の廃線。
湧網線は能取湖をなぞるように線路が
敷かれていた。(1993,7)
湧網線(網走−中湧別)
 湧網線は網走からサロマ湖の北側の中湧別までを結んでいた路線だった。車内からはサロマ湖、オホーツク海、網走湖などが見え、沿線には夏のワッカ原生花園、9月の能取湖のサンゴ草、冬のオホーツク海の流氷など見所が多く風光明媚な路線だった。

 国鉄時代の1987年に廃止されてしまい、私は乗った事がなかった。ただ、網走駅前に発着する湧網線代替バスという表示をしたバスをよく見かけたのは印象的で、また廃線跡を2回見る機会があった。

 この廃線の網走湖辺りからの常呂駅の手前までのほとんどはサイクリングロードに姿を変え、気軽に廃線跡めぐりができる。途中から能取湖が見え、廃線は付きつ離れつ能取湖の脇に続く。そんな風景の中にも時折廃線の跡が見えた。

 かつての能取駅にはホームとその横に旧型客車が横付けされていて往時の雰囲気を少し留めており、客車の隣をサイクリングロードが通っていた

 能取駅に限らず、湧網線の89.1kmには跡地を利用した鉄道記念的な施設が多い。列挙すると卯原内駅跡、佐呂間駅跡は鉄道記念館になりSLなどの車両を保存。常呂駅は鉄道記念館、計呂地は公園として整備され、ホームや駅舎が残され客車がライダーハウスみたいな簡易宿泊所として利用されている。中湧別駅は名寄本線と兼ねているのだろうが、整備されて鉄道記念館や道の駅になっていた。

 廃線跡は湖や海を離れ少し内陸部に入った。道道を走っていると遠目にも駅っぽい小さな建物が見えた。「知来ゲートボール会館」となっている。これは知来駅の跡だろう。正面から反対に回ってたらホーム周りは埋められ段差はなく、線路跡は全く残っていなかった。だけど鉄道が走っていた面影が十分残っていた。駅舎から屋根が伸び、短いホーム跡を覆っていた。ホームの左右にはレールが敷いてあったことを感じさせるかすかな空間が続いていた。

 駅舎の中に入ってみると、鉄道には縁の無さそうな物ばかりだった。壁には電気のスイッチが集まっている鉄の棚があり、左隅に半分に破れてしまった注意書きの紙をよく見ると「旭川鉄道管理局」の字が読み取れた。
[1993,7、1997,9訪問]
能取駅跡

能取駅跡。ホーム跡に旧型客車
が留置されている(1997,9)
計呂地駅跡のC58と旧型客車

計呂地駅跡(1993、7)。C58と旧型客車があった。
旧客はカーペット敷きの簡易宿泊所になっている
。駅舎も残されていた。
「旭川鉄道管理局」の文字が残る

知来駅の「電気は消しましょう」(?)
という注意書きの下に「旭川鉄道管理局」
の文字が読み取れる。
旧知来駅

旧知来駅(1997、9)。廃線から10年
経っているのに、駅舎の外観はほぼ
そのままで再利用されていた。

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