ある日旅先で…【ヨーロッパ鉄道旅行編】


インターシティナイトであわや[1996,6月]
 1996年にヨーロッパ旅行中、ロシアからドイツのベルリンに入った。空港からベルリン・ツォー駅に着いたら早速、今夜の宿となる夜行列車のきっぷを取った。選んだ列車はスペインの異軌道間直通列車タルゴと同じ形で、ドイツ国鉄が誇る最新夜行列車「インターシティナイト(以下、ICN)」だ。グレードの高い個室から、安価だが、リクライニング角度が深く快適な2等座席や食堂車まで付いている。そのケルン行きの2等座席が今宵の私の宿だ。

 ベルリン・ツォー駅で時間を潰し、始発駅のベルリン・シャルロッテンブルグ駅に向かった。もうICNは入線しているはずだ。出発時間は確か11時前だったが、早めに入線し車内でくつろぐ事ができるよう取り計らわれているという。駅に着いたらやっぱりICNは入線していた。この駅は見たところ、乗降客が多い主要ターミナルではなく、線に余裕があるから留置しているような感じだ。早めに乗車し食堂車でディナー中の乗客もいる。私は早速自分の席を見つけ、荷棚に荷物を置き、持参のワイヤーでしっかり固定した。席を倒し寝心地を試したりしてみた。かなり深くシートが倒れよく寝られそうだ。
 時刻表や観光ガイドなどで明日の予定を再確認していると、ドイツ人の若者男女数人に話し掛けられた。「え!?」と思い身構えた。まさか何らかのトラブルに遭ってしまうのかと心をよぎる。つたない私の英語や身振り手振りでコミュニケーションを取った。どうやら彼らはここが自分の席だと言っているみたいだ。まさかと思ったが、なんとなく事態が分かってきた。何線か向こうに同じ形のICNが止まっている。そう、私が乗っていたのはミュウヘン行きのICNだったのだ。ケルン行きICNと同じように、この駅で早くから停車していたのだ。あわやドイツ南部の大都市ミュウヘンに運ばれてしまうところだった。私は結構ボーッとしているので、彼らが来なかったらミュウヘンに運ばれていたという可能性も大いにある。彼らにお礼と謝罪をし、荷物に掛けてあるワイヤーを解き、そそくさと車外に出てケルン行きICNに乗換えた。

リヨンのメトロケーブルカー

リヨンのケーブルカーメトロ
 
ラブシーン[2000,11月]
 フランス第二の都市リヨンを観光で、フルヴィエール丘のに行ためにメトロケーブルカーを利用した。リヨン市街を眼下に見渡し、ノートルダム寺院やローマ劇場を見学して、丘の下の旧市街に戻ろうとケーブルカーの駅に向った。

地元の小中学生が大勢乗り降りして、とても賑やかだ。私は前の車両の後部の後ろ向きの席に座り、2両目の先頭を見上げるような形で進みだした。2両だけど互いの車両を行き来できないが、ガラス越しに2両目の車内がよく見える。
 ガラス窓を隔てた2両目の先頭で10代の男女が人目もはばからず、お互いを見つめ合い口付けを交わしている。ケーブルカーで車両が傾いていて、こちらからはまるで舞台でラブシーンを演じているかのように見える。ヨーロッパでは珍しい事ではなく、ヨーロッパらしい光景だなーと思い見ていた。そんな私にも気付かず、彼らは愛を交わしあっている。

 私の席の左斜め前に友達同士の小学生の女の子が2人座っている。舞台に例えるなら最前列の位置だ。女の子達は愛を語り合う男女を見ながら、「な-に、あれ」と言っていそうにクスクス笑い合っている。そんな女の子達も大きくなたら、人目もはばからず恋人と愛を語り合うのだろうなと、彼女達の少し遠い未来の事をふと思った。


フランスでのスト体験[1995,3月。199611月]
 労働者が待遇改善などを求めるための手段「ストライキ」は労働者の権利として確立されている。ストで交通機関がマヒすると、すぐさま代わりの移動手段を探さなければいけない。それでなんとかなればいいが、時には行動の大きな支障となる。私は旅行中にそんな不運な目に2度も遭ってしまった事がある。しかも2度ともフランスでだ。

 一回目は1995年の3月だった。南仏方面に行く夜行列車の出発まで時間があり、パリ・リヨン駅の駅舎内にある有名なレストラン「トラン・ブルー」で優雅なディナーを取るなどして過ごした。出発まで一時間を切り、駅中央付近にある出発列車案内表示板の前で、列車が入線する番線が表示されるのを待った。フランスなどヨーロッパのターミナル駅では、列車が入線してくるホームが、入線直前まで解からない場合が多い。そのため、旅行者は案内表示板の前で、自分の乗る列車がどこに入ってくるか確認しなければいけない。

 だが、私が乗る列車の番号と時刻は表示されているが、待てども待てども、番線が表示されない。ダイヤが乱れているのだろうか?他にも入線するホームが表示されていな列車も多く、夜行列車で何処かに行く他の旅行者も同じように待っている。不審に思った私は、窓口で問い合わせながら切符を見せた。何か話したが英語が理解できず、係員は切符の裏に何かを書いて切符を返してくれた。切符の裏には何かが書かれていたが直ぐには判読できなかったが、よく見ると「22:45」と数字が書かれていた。日本人の私から見ると、ヨーロッパ人が書くアラビア数字は癖が強く慣れないと読みづらい。その時間は、自分の乗る列車のよりは早く、多分列車の入線時間だろうと思っていた。

 結局、何の動きも無く時は流れた。近くを歩いていた駅員を捕まえて、しどろもどろな拙い英語で質問してみると「ストライク」という言葉が聞き取れた。駅員は切符の裏に書いてある数字を私に見せ、これに乗れと言た。ようやく、事態を理解した。「うわーーー!!もう”出発時間”じゃないか」と駅員にお礼を言うと、スーツケースが足枷になりながらも、その列車のホームへと急いだ。列車が待つホームに到着したが、私を見捨てるように扉が閉まりかけていた。だが、もし乗り逃したら、今晩はパリの路頭でさ迷う事になると本能的に感じ取り、扉に飛びつき、強引にこじ開けるように列車に乗った。後で知った事だが、南仏地区の部分的なストライキのため、私の乗る予定だった列車など多くの列車は運休となったが、この列車は運転されていたという事だ。急な事で乗車した列車の指定券は持っていなかったが、車掌さんにクシェットに案内され、ようやく落ち着くことが出来た。翌朝、編成最後部から見た南仏の蒼い海は奇麗だった。

 そして2度目はもっと凄まじいストだった。1996年の11月パリ旅行の時、ホテルでテレビのスイッチを付けるとTGVなど、列車の映像が流れていた。フランス語が解からないながらも、列車が好きな私は、その番組を流していた。後で、別のチャンネルを回してみても、時折TGVなどの映像が流れ、やはり何気にテレビはつけたままにしておいた。

 翌日、美しい古城が多く残るロワール地方に行こうと、夜が明けきらぬ時間にメトロに乗り、パリ・オーステルリッツ駅を目指した。夜が明けきらぬといっても、この時期のヨーロッパの夜明けは遅く、朝8時前にオーステルリッツ駅に着いてもまだ空は暗かった。しかし、夜が明けるのが遅くても、人が動き出してもおかしくない時間のはずなのに閑散としていて、まるで初電のような静けさだ。軽い違和感を覚えながら、ホームに向って歩くと、白い紙が張られているボードが立ち塞がるように立っていた。そして、その紙の中に「スト中」というフランス語を見つけ、明りが灯りながらも営業している気配の無い駅で呆然とした。

 いつまでも呆然していてもしょうがなく、どうしようか考えた。鉄道がだめならと、とりあえず、アンバリッドまでメトロに乗り、エールフランスのリムジンバスに乗り継ぎ、パリ・オルリー空港に向った。そしてオルリー空港に着くと、マルセイユ行きの航空券をクレジットカードで購入した。

 私はマルセイユ旅行を楽しみ無事に帰国した。しかし、この後、国鉄線だけでなく、メトロなどパリの交通機関もストに突入し、1ヶ月間もストが続いたという。だけど、仕事や用事に出なければいけない。そこで、パリ中心部を流れるセーヌ川では、普段は観光客を楽しませる観光船が、この時はパリの人々の足となり、また、ローラースケートを履き通勤する人も現れるなど、パリの人々はあの手この手で移動手段を確保していたという。

 それにしても、今までのフランス滞在日数を合計しても10日程度と短いにも関わらず、2回もストに当たってしまうとは全くツイていない。だけど私の場合は自分でツキの無さにはまってしまったとも言えなくもない。なぜなら「22:45」の数字、TVで頻繁に流れる列車の映像というストの兆候はあったのに、気付くのが遅すぎた。

 一昔前に流行った動物占いで、私の動物は「たぬき」だ。「たぬき」型人間の特徴の1つは「天然ボケ」だそうだ。これは見事に私に当てはまっていて、友達も大笑いしながら同意していた。そして、そんなボーッとしてる気性は、旅の場面でも出てしまったと言う事なのだろう。でも、スト事件の後は旅を無事に楽しんだから、終わりよければ全て良しという事で・・・

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