狩り                                        



                       The Prevention of cruelty to animals   

 そろそろ冬の到来に備えていろいろと準備で忙しい、秋の終わりの頃だった。        
 ミス・コクレーンは、ダートムア郊外にあるファビアーニ大佐の館に到着して初めて、今回の 
パーティの目的は狩りだと知った。すかさず彼女は強硬に抗議を開始した。ミス・コクレーンは 
婦人参政権運動団体に所属しており、団体の方針で、彼女も今年の夏から動物擁護に宗旨替えし 
たのだ。事実、彼女はすでに好物のラム・ステーキを、どうにかこうにか三ヶ月も口にしていな 
い。そのことによる欲求不満もあって、抗議はとても情熱的なものになり、彼女の姿はヒステリ 
ーという症例の良い見本になりつつあった。                        
 しかし、速やかにミス・コクレーン以外の全ての客から、一斉に非難の声が上がった。要約す 
るとそれは、こんな辺鄙な土地まで招待しておいて、一体、他に何をしろというのだ、退屈で退 
屈で死んでしまいそうだ、というものだ。その非難の声を聞くと、主催者のファビアーニ大佐の 
顔はその日の空模様のように曇り、ミス・コクレーンも、それはもっともなことだと思ったので、
そのまま押し黙った。                                  
狩りは、昼食後に行われることになった。腹が減っては何とやら、という訳だ。        
 ミス・コクレーンは当初、狩りに激しく抗議をした手前、辞退しようと考えていたのだが、館 
で一人寂しく皆の帰りを待つ自分の姿を頭に思い描いた途端、すぐさま参加することに決めた。 
たとえ参加したところで動物を撃たなければ名分は立つだろう、と考えたのだ。なにしろ館の周 
りに広がる風景は一面の荒野で、ところどころ申し訳程度にヒースが生えているだけだ。加えて 
気が滅入るような曇り空ときたから、眺めていても楽しい事はひとつも無い。おまけに狩りが行 
われる間、館にいるのは、耳が聞こえているのか疑わしいほど返事をしない、まかないの老婆と、
実直そのものという感のある痩せこけた執事だけである。どちらを相手にお茶の席を設けても、 
心は全く踊りそうに無い。むしろ、何としてでも狩りに参加する必要があった。        
 その日のファビアーニ大佐の来賓の中で、女性の客はミス・コクレーンとロレイン・メースン 
の二人だけだったので、二人は一緒に狩りを行うことになった。女性二人には、大佐からのささ 
やかな労わりにより、馬があてがわれた。                         
 ミス・コクレーンはロレイン・メースンと以前に何度か会った事があり、まんざら知らぬ仲で 
もなかったが、はっきり云って、こういうタイプは苦手だった。彼女は常に誰に対しても冷やや 
かな態度を振る舞い、よく云えば謙虚に冷ややかで、悪く云えばよそよそしく冷ややかだった。 
彼女なら、私の葬式にも冷ややかに参列するに違いない、ミス・コクレーンは憂鬱そうにそう考 
えた。そんな訳でミス・コクレーンはロレインと一緒に組まされて、とても気が重かった。てっ 
きり誰か素敵な男性が、手取り足取り指導してくれるものだと思っていたのだ。すでに何人かの 
めぼしい男性には唾を付けていた。ミス・コクレーンが狩りに参加することにしたのは、そうし 
た下心による打算も大きく働いていたのだ。しかしながら、彼女が最初に皆の前で披露したパフ 
ォーマンスによる絶大な効果で、男性諸氏が彼女を敬遠していることには気が付かなかった。  
 とにかく、今回はロレインとの距離を縮めて、打ち解ける良い機会だ。ミス・コクレーンは前 
向きにそう考えることにした。                              
 ミス・コクレーンが馬に乗る支度を終えた時、既に大佐達は、半マイルほど先にある狩場の森 
に出発してしまっていた。待っていたのは冷ややかな眼差しのロレインひとりである。ミス・コ 
クレーンは慌てて馬に飛び乗った。                            
 館の前には、獣道を人間用に拡張したような道が森に向かって延びていた。二人は森に向かっ 
て並んで馬の歩を進めた。                                
 随分と着替えに手間取ったから、ロレインは気を悪くしたかもしれない。大理石の胸像のよう 
な冷ややかな表情から、そう見て取ったミス・コクレーンは、ロレインをおもねって極めて愛想 
よく話し掛けた。                                    
「私、今回の催しは、てっきりクロッケーをするものだと思っていましたわ」         
「あらそう」                                      
 ロレインの返事はとてもそっけないものだった。ミス・コクレーンは唸った。大理石にひびを 
入れる作業はなかなか難航しそうだった。                         
「狩りといったら、普通は殿方がエスコートしてくれるものでしょう? 私なんか銃に触れたこ 
ともないのに」                                     
 ミス・コクレーンは馬の首に付けたホルダーにぶら下がっている猟銃に目をやった。     
「心配には及ばないわ。私の腕前はファビアーニ大佐の折り紙つきよ」            
 ロレインは銃を片手に澄まして云った。しかし、ミス・コクレーンに銃の手ほどきをする気配 
はまったく見られなかった。                               
「でも、あなたは狩りをするのかしら。先程、随分とご立派な御高説を拝聴したけど」     
 それを聞くと、ミス・コクレーンは自分の使命を思い出したように、            
「そう、そうだわ。ここまで来ておいて、こう云うのはなんだけど、狩りなんて野蛮な競技だわ。
今日ここに集まった人々は動物擁護なんて一度でも考えたことあるのかしら」         
 と、大げさにかぶり振った。                              
「私は考えたこともないわね」                              
 ロレインは冷ややかに答えた。                             
「まあ、その気持ちも分かるわ。私も最初はその活動の意義に懐疑的だったのよ。だって野菜や 
魚より、やっぱりお肉の方が美味しいですものね」                     
 ミス・コクレーンはしばらく口にしていない肉の味を思い出し、舌なめずりをした。     
「だけど、この狩りという貴族的な趣味ほど、無意味な戯れとして動物の命を奪う行為はないわ。
毛皮を獲るのなら、まだ分かるけど。だけど毛皮だって、我が国でも毎年何万パウンドも取引さ 
れているのよ。つまりそれだけの兎や狐などの動物が殺されているということなのよ」     
 ミス・コクレーンは団体で一分間目を通した冊子の文句を、そのまま受け売りで語った。   
 実際のところ、ミス・コクレーンの動物擁護の精神は大したことはなく、ステーキ断ちがあと 
二月も続けば、あっさりと撤回を考慮に入れる、という程度の代物だった。動物に関する知識も、
団体内に出回っていた動物図鑑をチラッと覗き見たにすぎない。彼女は今まで動物に触れたこと 
もなければ、募金に寄付したこともなかった。イタチと、レミングの区別も付けられるかどうか 
怪しいものだった。ついこの間まで、レミングというのはレモネードの一種だと思っていたくら 
いだ。それに昨年まで彼女は、ペットや動物は汚らしくてうるさいもの、と云って毛嫌いしてい 
たのだ。                                        
「でもよく考えてみて。私たち人間と同じように動物だって生きているのよ。かわいそうだとは 
思わない?」                                      
 ミス・コクレーンはそこで言葉を切り、この演説が少しは感銘を与えたのかどうか、隣をそっ 
と伺ってみた。ロレインは無言で銃に弾込めをしていた。その姿は、狩猟の女神ダイアナも震え 
あがるくらいの狩人ぶりだった。ミス・コクレーンとロレインとの心の交流は、果されそうにな 
かった。                                        
 狩場の森に到着した二人はしばらく森の中をうろつき回って、獲物を探し求めた。森は不気味 
なほど、ひっそりと静まり返っていた。先に着いたはずの大佐達は、どうやら別の森に移動した 
らしい。                                        
 ロレインは、下草や羊歯の茂みをかきわけるように馬を走らせながら、狩りへの期待で静かに 
瞳を充血させた。森の中でのロレインは、よりいっそうミス・コクレーンに構わなくなった。置 
いていかれても困るので、ミス・コクレーンも仕方なくその後を追った。           
 しかし、危機を感じて集団移動したのか、はたまた早めに全員冬眠に入ったのか、獲物はまっ 
たく二人の前に姿を現さない。やがて、そろそろ夜の帳が森の端にさしかかる時分になった。  
「ロレイン、もう帰りましょうよ」                            
 ミス・コクレーンは肌寒さを覚えて身を震わせた。(団体の方針で、皮のコートはご法度だっ 
たのだ)                                        
「やっぱり、猟犬がいないと駄目ね」                           
 ロレインは狩りへの欲求が不発に終わり、残念そうに嘆息した。              
 森からの帰り道、実のところ、ミス・コクレーンは獲物が現れなくて、胸を撫で下ろしていた。
なんとか動物擁護の名分は果したのだ。森の中では、風か何かのせいで、がさがさ音を立てた藪 
に驚いて、思わず銃を構えたことも一度や二度ではなかった。                
 ほっとしたミス・コクレーンがふと藪の暗がりに目をやると、そこから一匹の獣が顔を覗かせ 
ているのに気付いた。どうやら赤狐のようだ。いや、それとも十字狐だったか。とにかく狐には 
違いない。彼女は脳味噌の記憶を探って、うろ覚えの知識でそう見当を付けた。        
「見て、ロレイン。あそこに狐がいるわ」                         
 その声を聞くと、ロレインは弾けるように銃をつかみ、きょろきょろ辺りを見回し、ミス・コ 
クレーンの云った「あそこ」が何処なのか見極めようとした。殺戮の意欲満々のロレインを見て 
ミス・コクレーンは、今までとつとつと訴えてきた動物擁護の精神がこれっぽっちも伝わらなか 
ったことを知り、残念に思った。再び狐に目をやると、何かを訴えるような丸い瞳でミス・コク 
レーンを見つめている。ミス・コクレーンは愛おしさで胸が一杯になり、思わず馬から駆け下り 
て狐に馳せよった。狐は腹を空かせているらしく、ミス・コクレーンに鼻をすり寄せてくる。そ 
の息はのけぞるほど腐肉臭く、彼女は、さすがは野生の獣は違う、と初めて直に触れる動物に妙 
に感動した。                                      
「あなたがたは無感動に動物達を撃ち殺すけど、こうやって生きた動物を実際に触れてみた事は 
あるのかしら。こんなに愛くるしい狐をどうして殺せるの?」                
 ミス・コクレーンはそうは云ったものの、実際に触れ合ってみて、それほどの愛くるしさは感 
じていなかった。最初に全身を巡った愛おしさと感動はとうに消え失せ、後に残ったのは、ただ 
ただ全身を包み込む獣臭さと嫌悪感である。よく観察すると、牙も爪も思っていたよりも、ずっ 
と恐ろしげに鋭く、長い。しかし、人から狐は愛くるしいものなのだと聞いていた。そこで、血 
の気の多い相棒を改心させる最後の機会とばかりに、ミス・コクレーンはひどく無理をして狐の 
背中を優しく撫で回しながら、ロレインを非難の目で見た。                 
「もう、狩りなんて恥ずべき行為はやめましょうよ」                    
「動物擁護も結構だけど。あなたが今撫でているの――」                  
 ロレインは、冷ややかに忠告した。                           
「それ狼よ。早く逃げたほうがいいわ」