にわか推理                                      



                         The Behavior like Sherlock Holmes    
 
「やあ、ケン。近くまで来たもんでね。ちょっと邪魔するよ」                 
 ある休日の午後、ジェームズは突然ケン・フランクリンの家のドアをノックした。ジェームズを 
見てケンは、あからさまに嫌な顔をした。                          
 ジェームズはケンの友人の一人だった。しかし友人といってもいろいろ種類があって、始終付き 
合いたい友人がいれば、季節の変わり目に、息災の便り一枚で済ませたい友人もいる。ケンにとっ 
てジェームズ・フェリスは明らかに後者に属する友人だった。しかしジェームズの方はそうは思っ 
ていないらしく、ケンの家は近所なこともあり、ジェームズは何かと口実をつけて頻繁にケンの家 
を訪れた。                                        
 ジェームズは自分の確固たる意見を持たない男だった。朱に交われば……というが、ジェームズ 
はまさにそれで、とても優柔不断で人の意見に左右されやすかった。人の言う事は何でもかんでも 
信じてしまい、本を読めば、すぐにその影響を受けてしまう。そんな反面、とても移り気な飽きっ 
ぽい性格だった。支持政党も先週は保守党だったが、今週は革新党というように、ケンが訊くたび 
違った。熱しやすく冷めやすい。ケンの仲間うちで密かに付いたジェームズの仇名は「吸い取り紙」
だった。そんな男だったから、ケンにとってジェームズはおせじにも付き合い易い友人とはいえな 
かった。                                         
 そんなジェームズが部屋に入って腰を下ろすなり、                     
「調子はどうだい。ワトソン君」                              
 と、きたのでケンはすぐにピンと来た。どうやら今週はホームズものでも読んだらしい。ケンが 
ジェームズの話を聞くと、はたしてそのとおりで、昨日は教授が薬を打って猿になる話を読んで感 
動したという。                                      
 ジェームズは、あんな素晴らしい職業が他にあるだろうか、僕もホームズのように探偵になるこ 
とにしたんだ、と云い、口の端を歪めるように微笑んだ。そして、ケンの部屋をじろじろと無遠慮 
に見回し始め、傍らの帽子掛けに帽子が引っ掛かっているのを発見すると、うれしそうにそれをも 
ぎ取ってきた。                                      
「やあ、ここに偶然帽子がある。僕の推理力を披露するのに格好の材料といえそうだ。ひとつ推理 
してみようか」                                      
 と両手をこすり合わせ、ジェームズはケンが頼んでもいないのに唐突に推理を始めた。どうやら、
ホームズのように品物を見て、持ち主を当てるという芸当をやるつもりらしい。ケンはそんなホー 
ムズの話を思い出した。確か「黄色い顔」だったか。                     
「まず、これは君の帽子ではない。僕は君が被っているところを見たことがない」        
「うん」                                         
 それだけで決め付けるのはどうかと思ったが、ケンは頷いた。                
「そして、帽子の中を見ると、髪の毛が数本付着している。この髪の毛をよく観察すると、なんと 
白髪だ! つまりこの帽子の持ち主は老人ということになる」                 
「そうとも」                                       
「それから、タグをひっくり返してみると、マーティンという名が記されているのが分かる。つま 
り、この帽子はマーティンのものだ」                            
「まったくその通り」                                   
 ケンは半ば投げやりに相槌を打った。                           
「そして――ケン、残念ながら僕の観察力は何事も見逃さないよ」               
 ジェームズは人差し指を振った。                             
「君の家のポストにはケン、君の名前の隣にマーティンという名前が確かに書いてあった。そして 
マーティンは君の父親だ。これらの材料を総合的に判断すると――この帽子はつまり、君の父親の 
ものだ」                                         
 ジェームズはそう断言して立ち上がり、帽子を高々とかざした。               
「どうだい。当たりかい?」                                
 ケンは脱帽して両手を挙げ、それからやけくそ気味に拍手をした。こいつはこんなふざけた推理 
を一席ぶちまくために、休日の貴重なお茶の時間を台無しにしたのか。煮え繰り返った腹の虫をな 
んとか抑えたケンは、弱弱しくジェームズに微笑んだ。                    
「全て君の云うとおりだ」                                 
「ふん、そうだろう。真実はひとつさ、ワトソン君」                     
 ジェームズは得意顔で云い、顔の前で人差し指を天に立てた。                
「実は、君の家に来る前にジャック・キャシディの家でも推理を披露してきたんだ」       
「おやおや、それはそれは。彼も君の隠れた才能に、大層驚いた事だろうよ」          
 ケンは苦々しく皮肉を云ったが、ジェームズは胸を張り、まったく気付く様子がない。     
「そうなんだよ。彼もそれは情熱的に、僕一人だけでは勿体無い。君にもぜひ見せた方がいい、と 
薦めてくれたんだ」                                    
 ケンは心の中でジャック・キャシディに呪いの言葉を吐いた。だが、最初にケンがこの推理ショ 
ーを披露されていたら、ケンも間違いなく、ジャック・キャシディにジェームズを差し向けた事で 
あろう。                                         
「おや、その壁に立てかかっているステッキも非常に興味深い」                
 ジェームズはそう云い、今度はケンの母親のステッキに視線を注いだ。            
 まだ推理が続くのだろうか?いい加減うんざりしたケンが拳を振り上げようとしたその時、隣の 
家から、                                         
「泥棒よ!」                                       
 と明らかに中年女性のものと思われる悲鳴が聞こえてきた。                 
「どうやら事件のようだよ。行ってみようではないか、ワトソン君」              
 ジェームズは表に駆け出した。悪い時には悪い事が重なるものだ。ケンは忌々しそうに舌打ちを 
して、これ以上不都合が生じないよう、急いでジェームズの後を追った。このままではジェームズ 
が何をやらかすか知れたものではない。厳重に監視する必要がある。              
 ケンが隣の家に駆け込むと、ジェームズはすでに家の持ち主のメルヴィル夫人と何事かを語らっ 
ている。                                         
「ほう、書斎にあった金庫の中の札入れが盗まれたのですか。これは面白い」          
 メルヴィル夫人はそれを聞いて気を悪くしたようだ。息を切らしたケンに向かって食って掛かっ 
た。                                           
「フランクリンさん、何ですかこの人は。藪から棒に」                    
「申し訳ございません、奥さん。彼は僕の友人です。先日事故で頭をぶつけてから頭の調子が今ひ 
とつでして」                                       
 ケンはあわてて弁解した。                                
「それは違うよ、ワトソン君。コカインをやり過ぎたと云ってくれたまえ」           
 ジェームズは朗らかに云う。                               
「そんなことはいいから、二人とも表に出て泥棒を追いかけてもらえないかしら。たった今逃げて 
行ったのよ。まだその辺りをうろついているはずよ」                     
 ケンもその意見にもっともだと思ったが、ジェームズは激しく手を振って二人を遮った。    
「素人はこれだから困る。我々は猟犬ではない」                       
 ジェームズはこめかみを指先でコツコツと叩いた。                     
「犯人は現場に手がかりを残しているはずだ。ご心配なく。犯人はすぐに捕まえてみせますよ」  
 ジェームズはそう云って夫人の肩を叩いたが、夫人の顔色は少しもすぐれなかった。      
「奥さん、警察には通報されたのですか?」                         
 ケンはジェームズを無視して夫人に尋ねた。                        
「いえ、まだですわ。たった今のことですから」                       
「ちっちっ、ワトソン君。ヤードが当てにならないことは君も知っているだろう」        
 ジェームズは、すっかりワトソンになってしまったケンに向かって喚いた。          
「まずは表を見てみよう。昨日は夜半過ぎに雨が降った。表の土はまだ柔らかい。犯人は足跡を残 
しているはずだよ。二人とも来たまえ」                           
 すでにどう見ても尋常には見えない。夫人も、ケンが口からでまかせで云った、頭をぶつけた事 
故を信じたようだ。二人は大人しくジェームズに従った。                   
 見ると、犯人の足跡はすでに何者かの足跡によって踏みつけられている。ジェームズはジロリと 
ケンを睨みつけ、ぶつぶつ文句を云いながら足跡を調べだした。どうやらケンが夫人の家に駆けた 
時に、踏んづけたものと決め付けたらしい。だが、調べてみると、踏みつけた足跡は、すぐにジェ 
ームズ自身のものだと判明した。ジェームズはばつが悪そうに押し黙った。           
「ジェームズ、そろそろ警察に通報しようか。君ももう気が済んだだろう?」          
 ケンは優しく話し掛けた。するとジェームズは、                      
「いや、諦めるのは早すぎるよ。今度は金庫を見てみようか。案内してもらえますか、奥さん」  
 と、すぐに気を取り直して夫人の方に振り向いた。夫人は逆らうと何をされるか分からない恐怖 
から、しぶしぶと書斎へ案内した。                             
 しかし、書斎や金庫の中をくまなく調べたあげく、何も発見出来なかったらしく、ジェームズは 
頭を抱えて床に倒れこんだ。推理に行き詰まったジェームズは、                
「ケン。僕は前から気になっていたんだが、サザエってのは、あんなに繁殖力が強いのに、なぜ海 
はサザエで覆い尽くされないんだろう?」                          
 と、どこかで聞いた事のある台詞をうめきながら頭をかきむしった。             
 やがて不穏当な沈黙が三人を包んだ。ケンがこっそりと夫人を伺うと、こめかみの辺りが激しく 
痙攣しているのが見えた。                                 
「――では、僕らはこの辺で。そろそろ彼に薬を投与する時間なので。どうもお騒がせしました。 
ぜひ警察にご一報を」                                   
 ケンはそう云って、床に伏していたジェームズを抱えて、ほうほうの体で自宅に逃げ帰った。  
 その後駆けつけた警察の働きにより、犯人はすぐに捕まったらしい。しかしながら、ケンは隣の 
メルヴィル夫人と今まで極々普通の関係を保ってきたが――その一件以来、隣との付き合いは非常 
に気まずいものになった。                                 
 そしてこの出来事に頭に来たケンは、腹いせに友人のジョアンナの元にジェームズを送り込むこ 
とで、溜飲を下げた。                                   
 翌週、ケンは町でジェームズを見かけて声を掛けた。                    
「やあ、ホームズ君、その後どうだい?」                          
 ジェームズはどういうわけか、体中が虫に刺された痕で埋め尽くされていた。         
「その身体、一体どうしたんだ」                              
 ケンは驚いて尋ねた。                                  
「ああ、ミツバチが刺すんだよ。なかなか無邪気な奴らでね」                 
 ジェームズはケンにウインクを送った。                          
 どうやらホームズを「最後の挨拶」まで読んで、そこからホームズが晩年行った養蜂の作業に興 
味が移ったらしい。養蜂ではなく、ドイツ人スパイの方に興味を持たなくて本当に良かった。陽気 
に去っていくジェームズを見送りながら、ケンはそっと胸を撫で下ろした。