賭け                                        



                                    The Stake    

「甥のノーマンのことで、今困っているのよ」                       
 パリス夫人は茶飲み友達のリサ・チェンバースにそっと悩みを打ち明けた。リサ・チェンバー 
スはすぐに思い当たって、はたと手を打った。                       
「ノーマンというと、賭け事にどっぷりと嵌っているという、あの例の」           
「そうなの。お恥ずかしながら。私が再三、口が酸っぱくなるほど嗜めても一向に辞める気配が 
ないのよね。もう中毒と云ってもいい有様だわ」                      
「そうね」                                       
 リサ・チェンバースは、リサがいくら嗜めても、一向に食欲が減らない豊満なパリス夫人を見 
ながらその意見に同意した。                               
「いくら言い聞かせてもちっとも云うことを聞かないのよ。博打なんてやったって百害あって一 
利なしなのに。いったいどうしたら良いと思う?」                     
「手持ちのお金が無くなれば辞めるんじゃないかしら」                   
「それが、お金が無くなると、私のところにお金を借りに来るのよ」             
 パリス夫人は深く嘆息をもらした。                           
「あまり甘やかさない方がいいわよ」                           
「それがなかなか拒みきれなくて、ついつい貸してしまうのよ。あの子の為にならないと分かっ 
ているのだけど。ねえ、私ってお人よしなのかしら」                    
「そんなことないわ」                                  
 リサ・チェンバースはそうは云ったが、内心では、まったくその通りと思っていた。そんな夫 
人の気性に付け込んで自分もちょくちょく金を借りていた事を思ん量って、そう答えておいたの 
である。そしてリサは、話の風向きが都合の悪い方向に変わらないうちに、例えば借金の催促と 
か――何かと口実を付けて、そそくさと退散した。                     
 ノーマンの賭け事に対する並々ならぬ情熱は、まさにクレイジーのひとことだった。事実、ノ 
ーマンが賭けへの期待で充血した目とぼさぼさの蓬髪で、競馬場にふらふらと足しげく通ってい 
く姿を見れば、誰が見ても、、、まともには見えず、その言葉を連想させた。競馬、バカラ、ブ 
リッジ、麻雀とノーマンはおよそ賭け事と名の付くものなら何でもこなし、上着のポケットを探 
れば、右のポケットには常にカードが、左のポケットには常にカジノのチップが入っていた。競 
馬熱が昂じて呑み行為で捕まり、官憲の世話になった時も、刑務所の中で囚人の身体にたかって 
いたシラミを集めて賭けレースを行った、という風評が親戚中にまことしやかに流れたほどだっ 
た。                                          
 そんな訳でノーマンは一族の鼻つまみものだった。ノーマンの家では何代かにひとり、このよ 
うな輩を定期的に輩出していた。ノーマンはかろうじてつまらない仕事に就いていたが、生活能 
力に乏しく、収入は全て賭け事につ注ぎ込んでしまう為、常にぴいぴい云っており、よく親類中 
を練り歩いて無心した。親類縁者たちは皆、ノーマンをもっぱら蝿をあしらうかの如く煙たがり、
いいかげん愛想が尽きていたのだが、パリス夫人はそんな穀潰しの甥のことを心配して、未だに 
気に懸けていた数少ないひとりだった。                          
 そんなある日、ノーマンがふらりとパリス夫人を訪ねてきた。ノーマンが叔母を訪ねる理由は 
たったひとつしかなかったが、夫人は念のため、                      
「あら、ノーマン今日はどうしたの?」                          
 と素知らぬふりをして尋ねてみた。                           
 ノーマンは例によって、                                
「叔母さん、実に言いにくいのですが、またお金を少しお借りしたいんですよ」        
 と云ったが、そのくせちっとも言いにくそうではなかった。                
「またなの、ノーマン。確かおまえにはもう、何十ポンドも貸しているはずだけど」      
 そう云いながら夫人はため息を吐いた。                         
「そのことなんですが、叔母さん。先週は思いがけなくついてまして。ポーカーで大勝ちして、 
ようやくまとまった金が手に入ったんですよ」                       
「本当に?」                                      
 パリス夫人は驚いておうむ返しに云った。                        
「ところが、最後のひと勝負というところで、勝利の女神に見放されまして」         
 ノーマンはまるで勝利の女神のせいで負けた、というような口ぶりで云った。        
「ノーマン、何度も言うようだけど、賭け事はもうやめたらどうかしら。賭け事のせいで随分と 
借金があるんでしょう?」                                
 パリス夫人はノーマンの借金がどれくらいあるのか、まったく見当が付かなかった。ノーマン 
は賭博師の常として、夫人に博打に勝った話しかしなかったからだ。しかし、親類うちからは、 
ノーマンが博打に勝ったという噂は聞いたことがなかった。                 
「それほどでもないですよ」                               
 ノーマンは澄まして云った。そして怪しい雲行きを敏感に察して、             
「ところで叔母さん、叔母さんの誕生日を教えてもらえますか」               
 と、話の矛先を変えてきた。                              
「あら、二月七日だけど。いったいどうしたの」                      
「実はここのところ競馬で惜しい連敗が続いてましてね。そこで馬券の買い方を変えることにし 
たんですよ。自分で決めた数ではなく、まったくの偶然の数字の方が、当たるだろうと思いまし 
て。なるほど2-7か」                                  
 ノーマンは数字を紙にメモした。                            
 てっきり誕生日に何か貰えるものと思ったパリス夫人は、それを聞くとひどくがっかりした。 
 結局、パリス夫人から、しっかりと金を借りたノーマンは、                
「叔母さん、次に会う時は、借りたお金は二倍にしてお返ししますよ。期待してていいですよ」 
 と云って、そそくさと帰り支度を始めた。まったく期待してないパリス夫人は、無駄だと知り 
つつも、最後にもう一度だけ甥に忠告した。                        
「ノーマン、博打はほどほどにしておかないとそのうち痛い目に遭うわよ」          
 案の定、ノーマンはその言葉を鼻で笑って帰っていったが、叔母の忠告からそう時が経たない 
うちに「痛い目に遭う」出来事に出くわした。                       
 その日もノーマンの家でブリッジが開かれたのだが、白熱した試合の最中、誰かの吸いかけの 
煙草から突然、出火した。すぐに消し止めれば何でもない事だったのだが、めらめらと燃える炎 
に劣らず熱い勝負を繰り広げていたノーマンたちは、燃え盛る炎にまったく気が付かなかった。 
ちょうど掛け金を提示してせ競っていた時だったのだ。気付いた時には、炎はすでにノーマンた 
ちの周りを取り囲んでおり、手のつけられない程燃え上がっていた。ノーマンたちは驚いて遅ま 
きながら逃げ惑ったが、次々と悲鳴を上げて炎に包まれていった。              
 ノーマンたちは近所の人々によって辛くも救い出された。救い出された時、ノーマンは担架で 
運ばれながら、                                     
「ちぇっ。僕らのペアはもうちょっとでグランドスラムだったのに」             
 とぼやいていたが、家が半焼したという報告を受けると、さすがに顔を青ざめた。      
 幸いにも火傷の具合は思ったよりもずっと軽く、数日後にはノーマンは病院を退院して、叔母 
の歓迎を受けることが出来た。                              
「その程度の被害ですんだのは良かったけれど、おまえ、火災保険には入ってなかったそうじゃ 
ないの」                                        
 パリス夫人は甥の不明を嘆いた。                            
「そうなんですよ。おかげでとんだ散財ですよ。もっとも家財のほとんどは、負けた賭けのかた 
に取られちまって、既に無くなっていたのですが。以前叔母さんが云っていた通り、保険に入っ 
ておくべきでしたよ。保険もある種の賭け事ですからね。僕としたことが、まったく片手落ちで 
したよ」                                        
ノーマンは包帯の下から、もぐもぐと云った。                       
「またそんな事を云って」                                
「今度という今度は僕も目が醒めましたよ。やはり叔母さんの云った通りですね。そろそろ潮時 
ですよ。賭け事からはさっぱり足を洗って真面目に働こうと思います。もう賭け事で火傷するの 
は懲り懲りですね」                                   
 文字通り手痛く火傷したことが、随分と堪えたらしい。ノーマンはしょんぼりとつぶや呟いた。
 パリス夫人は甥の改心に手を叩いて喜んだが、その喜びも長くは続かなかった。というのも、 
ノーマンがすぐさま、                                  
「そうだ、叔母さん」                                  
 と、ふと思いついてこう付け加えたからだ。                       
「僕が何週間、賭け事を我慢できるか、ひとつ賭けをしませんか」