毒草                                       



                                The Poisoned stew  

 ロレインが十歳の時、ロレインの母親はちょっとした事故であっさりと他界した。その当時、 
ロレインは悲しみのあまり、十リットルは涙を流したであろうか。だが八年経った今、毎晩枕を 
濡らす涙は、その当時を凌ぐ量だと思われた。父親がこの冬、再婚したのである。       
 かつて、ロレインは屋敷における絶対君主として君臨していた。良家の一人娘だったロレイン 
は両親から必要以上に可愛がられ、人並み以上に甘やかされた。母親が他界した後、父親は悲し 
みのあまり、娘をより一層溺愛するようになり、ロレインがどんなに無分別な行動を引き起こし 
ても、まったく叱らなくなった。やがてロレインの我がままぶりは誰が見ても目にあり余るもの 
になったが、誰にも手のつけようが無かった。虫の居所が悪い日などは、まるで文句のつけよう 
の無いメイドをこっぴどく叱りつけ、手当たり次第当り散らした。誰も指図するものがいない屋 
敷の中で、彼女は我が物顔に振舞った――継母が来るまでは。その継母はその犯されざる聖域に 
無断でずかずかと入り込み、やれ行儀作法がなっていない、とか、やれ勉学をおろそかにするな、
などロレインにがみがみとやかましく当りはじめたのだ。継母にしてみれば、愛する夫同様、ロ 
レインにも深い愛情と慈しみをもって接したつもりだったが、ロレインにとってみれば、実にと 
んでもない話だった。屋敷で今までのように振舞うことは、ほぼ不可能になった。父親の再婚以 
後、ロレインの生活はとてもつらいものになった。                     
 また継母にはロレインと同い年の連れ子――名前はロザーナといった――がいたのだが、どう 
ひいき目にみてもロザーナの方が可愛くみえるという事実は、ロレインを一層憤慨させた。ロレ 
インも年相応に可愛らしかったのだが、ロザーナの前では、薔薇の横に咲く野の花のように霞ん 
でしまうのだった。また、ロレインとロザーナは同い年だったせいか、よく事の優劣を比較され 
たのだが、大抵はロザーナの方が出来が良かった。そして屋敷にはロレインに――屋敷の従者の 
中では比較的なついていた番犬が五匹いたのだが、日に日にロザーナになびいているのが誰の目 
にも感じられ、それもロレインは不愉快だった。つまりロレインにとってみれば、再婚後に激変 
した生活の何もかもがひっくるめて気に入らなかった。ロレインはロザーナと二人きりの時には、
貧乏貴族の連れ子だの、顔の青白いやせっぽちのチビだの――なんのかんのと罵声を浴びせて、 
おとなしい性格のロザーナを手際よく、そして効果的にやり込めることが出来たのだが、継母が 
現れ甲高い声で叱りつけられると、その勢いも萎んでしまうのだった。ロレインは継母がロレイ 
ンのためを思っての愛情たっぷりの小言を始めると、表面上は従順に頭を下げ、ひたすら嵐が過 
ぎ去るのをおとなしく待った。しかしその代わり夜毎ベッドの中で泣きわめきながら呪いの言葉 
を吐いて、継母への憎しみを募らせていった。                       
 この息の詰まるような日々がだらだらと経つにつれて、やがてロレインは密かに継母の死を願 
うようになった。ロレインにとって、継母は邪魔な存在以外の何者でもなかった。人としての良 
識を少なからず持ち合わせていたロレインの心の中では、良心との綱引きが幾度となく行われた。
しかしながら時が経つにつれて、良心の呵責もどこかに消し飛んでしまい、この暗い欲望が常に 
勝利を収めるようになった。ロレインはどんなに打ち消してみても、心の奥底ではそれを望んで 
いる自分に気付き、ついに温めていた思いを実行に移すことにした。             
 来週屋敷で開かれる舞踏会も、その思いを後押しする大きな要因になった。屋敷では定期的に 
舞踏会が催されていたが、そこにロレインにとって非常に魅力的な来賓がいた。まだ若い侯爵な 
のだが、家柄や財産は申し分なく、顔も平均以上であった。ロレインはぜひとも侯爵を我が物に 
したいと考えていた。幾度かの舞踏会の時の逢瀬で侯爵が自分に傾いた手応えは十分にあった。 
だが、屋敷には突然継母とロザーナが乗り込んできた。当然、来週の舞踏会で父親は来賓に二人 
を紹介するはずだ。自分より可愛いロザーナ――ロレインは忌々しく思いながらも、その点はし 
ぶしぶ認めた――を見たら、侯爵は心変わりを起こすかもしれない。また、継母が時と場所を構 
わず、いつもの調子で自分を罵倒し、いわれの無い事柄で自分を貶めるであろうことは大いにあ 
りえる話だった。あの継母はそのような性格であることは今までの経験で十分理解していた。目 
の前でその様な扱いをされたロレインと、おとなしく可愛らしいロザーナの二人が目の前に並ん 
だ場合、侯爵は一体どちらに惹かれるだろうか。不安という黒雲がむくむくと頭をもたげてくる。
だが、継母がいなかったならば――。侯爵に目を付けたのは自分の方が先にも係わらず、何かの 
拍子にロザーナと侯爵との間に愛情が芽生えたとしよう。たとえ芽生えたとしてもロザーナ一人 
だけなら、捻り潰せる自信があった。本当のところロレインにしてみれば、継母とロザーナ、出 
来ればどちらにも死んでもらいたかったのだが、――一時は二人とも殺そうと考えたがさすがに 
そういうわけにもいかない。二人の命を秤にかけて占ってみたが、継母とロザーナ、生かしてい 
ておいてどちらが御し易いかといえば、明らかに後者だった。それにロレインの、「父親が再婚 
する以前、手にしていた誰からも束縛を受けない自由」への渇望はもはや抗い難かった。    
 ロレインは継母を殺すことにした。                           
 そして舞踏会ではロザーナを黙らせ、侯爵がロザーナと親しい間柄になる前に、侯爵と婚約を 
交すことに自分勝手に決めた。                              
 普通、舞踏会を控えた年頃の娘は爪を磨いたり、髪をとかしたりして日がな一日を過ごすもの 
だが、ロレインはそのどちらでもなく、ただひたすら継母を殺害する計画を立てることのみに心 
血を注いだ。                                      
 熟考の結果、ロレインは継母を毒殺することに決めた。成功する可能性が一番高そうだと思わ 
れたからである。使うべき毒草の知識は、数ヶ月前、巡業でこの地方を訪れていたサーカスの片 
隅で、興行していた占い師の老婆からそれとなく聞き出した。このような手合いからであれば、 
物騒な事柄を聞き出したという事実は、一月もすれば風の彼方というわけである。老婆が言うに 
は、コウオウソウと呼ばれる毒草がロレインの望んでいる効果をもたらすらしい。すなわち、適 
量を服用すると、高熱を発し――デング熱そっくりの症状を起こし数週間後に死に至るというも 
のだ。これこそ正にうってつけの毒草だ、ロレインは手を叩いてほくそ笑んだ。毒を飲んですぐ 
死ぬようでは困るのだ。それでは舞踏会自体が中止になってしまうだろう。          
 ロレインはさっそく次の日から探すことにした。コウオウソウは山によく植わっているらしい。
ロレインは一週間ものあいだ、人に知られぬよう細心の注意を払いながら、野山を駆けずり回っ 
てやっとこさ、必要な分量のコウオウソウを手に入れることが出来た。それを老婆に聞いたとお 
りの方法で処理し、粉薬に加工した。                           
決行の日は、舞踏会の前日で、父親が偶然仕事で家を空ける日にすることにした。諸々の条件を 
考慮して、最も効果的だと思われる日に決めたのである。決して継母やメイドに疑われぬよう、 
この日の為に数ヶ月前から自分から率先して夕食を調理するようにしていた。世間知らずなロレ 
インだったが、その程度の知恵は持ち合わせていた。ロレインは時間をかけて――継母のもがき 
苦しむ様を想像して楽しみながら慎重にシチューを煮込んだ。ロレインは鼻歌を歌いながら、自 
分の分、ロザーナの分、継母の分と順番にシチューをよそい、最後に継母に食べさせるシチュー 
にはたっぷりと必要以上に毒を混ぜた。そして出来栄えに満足したロレインは、食前酒のワイン 
――ロレインにとっては、祝杯ともいうべき――が無いことに気付き、地下室まで取りに行った。
 ワインを手に台所に戻ってきたロレインは、シチュー皿が消えているのを見てゾッとした。あ 
わてて食堂に駆けつけると、すでに継母とロザーナはシチューを食べ始めている――。     
「あら、ロレインごめんなさい。お先に頂いているわ。今日もわざわざも作ってもらって悪いわ 
ね」                                          
 継母はばつが悪そうに微笑んだ。                            
「ロレイン、このシチューとっても美味しいわ」                      
 ロザーナも申し訳なさそうに付け加えた。                        
 ロレインは青ざめた顔を二人に悟られないよう、ゆっくりと自分の席に着き、素早く三つのシ 
チュ―皿を目配せした。一見したところ、どれが毒入りのシチューなのかは全く分からない。  
「何か変な味はしないかしら」                              
 混ぜた毒は無味だと分かっていたが、ロレインは聞かずにはいられなかった。        
「いいえ別に」                                     
「今日も素晴らしい味よ」                                
 何だって、この二人は自分が帰ってくる前に食べてしまうのだろう。まるで腹をすかした野良 
犬か何かではないか。行儀作法が聞いて呆れる――ロレインは胸の中で毒突いた。そして出来る 
だけ平静を装いながらもう一度、どれが毒入りのシチューなのか見極めることにした。よく見る 
と、継母の食べているシチューこそ毒入りに間違いないように見える。入っている具の配地や量 
からいって。ロレインは継母の分をよそった時の記憶を頭に思い描いた。しかしその判断は風の 
強い日の雲のように不確かなものに思えた。次の瞬間にはロザーナの皿こそ毒入りだと確信出来 
たし、自分の皿に目をやれば、自分のシチューが毒入りに見えてしまう始末だった。      
「ロレイン、せっかく美味しく作ったのに、早く召し上がらないと料理が冷めてしまうわよ」  
 継母が能天気な声をあげた。                              
「はい。今戴きますわ」                                 
 ロレインが思わずうわずった声で答えたため、二人は顔を上げてロレインをうかがった。   
 何か目印を付けておくべきだった――ロレインは冷や汗まじりでそう考え、震える手でグラス 
を取り、ワインを一口喉に流し込んだ。                          
 ロレインの思考はめまぐるしく回転し、頭の中ではけたたましく不協和音が響いた。そしてこ 
の不慮の事態について素早く思いを巡らし、毒の入りうる可能性について検討した。まず毒が継 
母の皿に入っていた場合、これは予定どおりの事態なので問題はない。次にロザーナの皿に入っ 
ていた場合、ロザーナには個人的な恨みはさほどなかったが、(妬みは大いにあったが)この場 
合仕方がない。ロザーナは結局のところ邪魔だったし、彼女が死ねば、継母も悲哀のあまり衰弱 
して寝込んでしまうかもしれない、自分への影響力が弱まるのは間違いない。そして侯爵は間違 
いなく自分のものになる――むしろこの方がずっと都合がいいかもしれない。どちらの場合でも、
明日の舞踏会は自分の独壇場に出来るはずだ。自分の皿に入っていた場合、食べれば自分が入れ 
た毒で自分が横死するわけで、そんな馬鹿な展開、笑い話にもならない。とどのところつまり、 
自分の分のシチューを食べなければ良いわけだ。ロレインはそう結論を出した。        
 ロレインは即座に行動を起こした。                           
「お母様、私気分がすぐれないので部屋で少し横になりますわ」               
 立ち上がりながら、ワイングラスをわざと倒した。ロレインのシチューは狙いどおりワインに 
なみなみと浸った。                                   
「あらそうなの。道理で様子がおかしいと思ったわ」                    
 継母は素直に信じた。ロレインが動揺したことがかえって効を奏したようだ。        
「これ、下げてもらえるかしら」                             
 ロレインはワインの浸ったシチュー皿を手に取り、メイドに命じた。そして、        
「もう食べられたものじゃないから、必ず捨てなさい」                   
 と念を押した。                                    
「ロレイン、大丈夫なの」                                
「お薬飲んだら」                                    
 背中に二人の労わりの言葉がかかったが、ロレインはうつむき、無言で食堂を引き下がり、後 
ろ手で扉を閉めた。そしてようやくホッと一息吐いた。                   
 二階の自室に戻ったロレインはベッドに横になり、にやにやと歪んだ笑みを浮かべながら、階 
下で騒ぎが起こるのを今か今かと待ち受けた。そろそろ服毒した効果が表れ、二人のどちらかが 
倒れる頃である。しかし舞踏会は明日だ。会の準備もすでに終わっている。舞踏会は滞りなく予 
定どおり始められるはずだ。ところがいくら待っても一向に何も起こらない。しばらくして、継 
母の計らいでメイドが薬を持ってきた。メイドに尋ねたが、何も変事はない、とのことだった。 
どうやら毒は自分の皿に入っていたようだ。あれを食べていたらどうなっていたか、そう考える 
とロレインは身震いをしてホッと胸を撫で下ろした。そして自分の悪運に舌打ちした。     
 ところが次の日の朝、ちょっとした騒ぎが起きた。屋敷の番犬がすべて口から血を吐いて死ん 
でいたのである。ロレインは即座に何が起きたのか悟った。貧乏性なのか、反抗的なのか、動物 
好きなのかは知らないが、メイドはロレインの言いつけを守らず、犬どもにあのシチューを与え 
たのだ。犬には毒が強すぎたため、食べたと同時に悶え死にしたらしい。内心では愚かなメイド 
の襟首を思いきり締め上げたかったのだが、ロレインはそんな思いはおくびにも出さずに素知ら 
ぬふりをして、表向きは他の者と同じように犬の死を悼んだ。そして夕刻から開かれる舞踏会に 

識を集中することにした。計画が不首尾に終わった今、どうやって、継母とロザーナを押さえ込 
むのか考える必要があったのである。                           
 ところが事態はそれだけでは済まなかった。犬の死に方のあまりの異常さに、父親と継母はす 
ぐさま警察に通報したのである。警察はメイドが与えたシチューに毒が入っていることをつきと 
め、盗人が屋敷に忍び込むのに、邪魔な番犬たちに一服盛ったのであろう、とまったく的外れな 
結論を出した。結果舞踏会はロレインの予想に反して急遽取りやめになってしまった。     
 ロレインは舞踏会中止の報告を聞いて愕然とした。自分の計画で憂慮していた問題は解消され 
ると思いきや、皮肉にも舞踏会自体が中止になってしまった。あれだけ苦労したにも係わらず、 
事態はまったく好転しなかった。殺しという決断は、少し性急且つ極端すぎたかもしれない。継 
母やロザーナは殺さなくても、効果的に無力にさせる方法があったかもしれない。例えば二人の 
弱みを握って脅迫する、とか。今回の顛末でロレインはそう学んだ。とにかく、危ない橋を渡る 
のはもうこりごりだ。これからはもう少し頑丈な橋を渡ることにしよう――ロレインは自分を戒 
め、深く反省した。                                   
 それから数日経ったとある日の夕暮れ、                         
「お嬢様、お客様がいらしています」                           
例の言いつけに背き、犬どもにシチューを与えたメイドが突然ロレインに来客を告げに来た。  
「どなた」                                       
「お婆さまです。お嬢様のよくご存知のお方だそうです。そうおっしゃっていました。お庭で待 
っていらっしゃいます」                                 
「どなたかしら。エジンバラのパメラ様かしら。わかったわ、今行きます」          
すれ違いざまロレインはメイドを思い切りねめつけた。メイドは訳がわからず、ただその場でた 
じろいだ。                                       
 庭では黒尽くめの服を着込んだ老婆が木の陰に隠れるように立っていた。ロレインは一目見て、
それが誰なのか即座に理解したが、                            
「どなたかしら」                                    
 と素知らぬ顔で尋ねてみた。                              
「お嬢様。お久しぶりですわい。私ですじゃ。例のコウオウソウの件ではどうも」       
 老婆はロレインが予想したとおりの返答をした。                     
「何でも犬が毒殺される騒ぎがあったそうで。新聞を見まして、あわててすっ飛んできたという 
わけですじゃ」                                     
「それがどうしたというの」                               
 ロレインは努めて平静を装いながら尋ねた。                       
「別に」                                        
 と老婆は意味ありげに、                                
「奥様とお話を交わす前に、お嬢様の意見を伺おうと思うただけですじゃ」          
 と嫌な笑いを浮かべた。                                
「どうしてお母様と――」                                
 老婆はロレインの言葉を遮り、                             
「別に奥様でなくとも。警察でも、例の侯爵様でもいいんですじゃ」             
「どうしてそれを」                                   
 ロレインは大きく戦慄いた。平静という仮面はあっさりと砕けてしまった。そして、     
「あんたみたいな汚い年寄りの戯言を誰が信じるっていうのよ」               
 と声高に叫んだ。                                   
「お嬢様は世間知らずもいいとこじゃ。そのくせまったくあんな大外れた事を企てて。お嬢様は 
わしの情報に金ではなく指輪で支払いおった。それでは簡単に足が付くってもんじゃわい。そし 
てサーカスの団員すべてが、あなたがわしのところに来なすったと証言するじゃろうよ。――た 
とえ実際には見ていなくとも」                              
 老婆は啜るような笑い声をあげた。そして、                       
「それに」                                       
 と一言おいて、                                    
「奥様はいったいどちらの言い分を信じるでしょうかね」                  
 と首をわざとらしく傾げた。                              
「一体何が欲しいの」                                  
 ロレインは震える声で尋ねた。                             
「さすがお嬢様は話が早い。わしももう年でのう。いつまでも流浪でいるわけにもいきますまい。
そろ そろこの辺りに定住して落ち着きたいと思うとりますんじゃ」             
「そんなの無理よ。私の財力で家なんて買えるわけないわ」                 
「安心してくだされ。一戸建てなんてとんでもない。貸家で十分ですじゃ。ですから月々の家賃 
を払ってくだされ」                                   
 そして老婆は畳み掛けるように、                            
「なあに今月の家賃はこの前払ってくれたような指輪を四個程、父君の金庫からそっとくすねて 
くれば、すむことですじゃ」                               
 とロレインに云った。それはまるで猫なで声といってもいいものだった。          
「その代わり」                                     
 と老婆は付け加える。                                 
「お嬢様の運勢はいつでも只で占ってあげますじゃ」                    
 ロレインは下唇を噛み締め、目を閉じた。