Act.5

 


 重なり合った儘、泥のように眠った。そんな風になるまで、幾度も激しく抱き合った。

 そして、ほぼ同時に目が覚めた。目覚めてから、有栖は火村と、長い話をした。

 それまで云えなかった事を、云いたかった事を。長い時間を掛けて包み隠さず、洗い浚いを曝け出した。

 悶々と独りきりで悩んでいたのが嘘の様に、自分でも呆れる程簡単に、それまで持っていた拘りを脱ぎ捨てていた。

 こんなにも簡単な事を、どうして今まで出来なかったのだろう。

 それまで抱いていた言い様の無いあの不安は、犯罪者の感情に引きずられ、二度と火村が戻って来ないのではと…懸念していたそれだったのだと、中々気づく事ができなかった。

 そう思っていたという事を火村に告げたとしても、何も変わらないかもしれない。何かが変わるかも知れない。ただ…今はとても晴れやかな気分に浸っていた。

「何もしてやれへんって判ってたから、苛立ってた。苛立たせる君に、素直になれへんかった」

 そう云ったら、火村は思いがけず真摯な表情を浮かべていた。本当は何時ものように揶われると覚悟していたのに。

 火村の腕に抱えられて、有栖は再び瞼を閉じた。確かに、この安堵感は本物だった。

 きっと、何も恐れる事などないのだ。

 数々の矛盾に苛まれ、それでも火村が傍にいる現実を選んだ。求めていた答えはひどく単純で、なくてはならない火村を、手放せないだけだった。

 

 

    †

 

 

『――――しかし、殺意が無かったってのは、驚きましたね。それでも恋人を殺してしまったという事実は消えないのだから、多少は同情しますよね。薬を飲んでいなければ、こんな事にはならなかったかも知れないんですから』

 事件が解決した後日、森下からのその電話を、火村は有栖のマンションで受けていた。

『それにしたって、殺された彼女も浮かばれませんよね…』

「そりゃ、そうでしょう」

 殺意はなくても、実際に殺害している。その上、死体をラブホテルへ捨てに行ったのだ。犯人は、過って殺した恋人の死体を、そんなふうに捨てられる男だった。

 極当たり前な受け答えだけを、火村は返した。火村が電話を取ったリビングの隣の部屋では、締め切りが迫っている有栖が、躍起になってキーボードを叩いている。微かな操作音が、此処まで届いていた。

 失礼だとは思いながらも、火村の意識は電話の相手である森下には注がれていなかった。

 耳元で世間話のように事件の後日談を語る森下の声を聞き流して、昨夜からの出来事を反芻するばかりだった。

『――――ところで、火村先生。あのクスリ、ほんまに試されはったんですか?』

 不意にそんな事を云われた。

「さぁ…。それは、トップシークレットです」

 にやけた嗤いを含んだ森下の質問に、火村は素っ気なく返した。

『秘密主義やったんですねぇ、火村先生って』

 揶揄するような森下の言葉に、火村は軽く嗤ってあしらった。

『それでは、今日はこの辺で…。またご協力して頂く事が在るかも知れませんが、その時はお願いします』

「フィールドワークに協力して頂いているのはこらの方ですから。何か面白い事件が在った時には宜しく」

 その時、火村は有栖が仕事をしているその部屋の扉に眼を向けながら思いついたそれを、森下に告げることにした。

「森下刑事」

 回線の向こうで受話器を置こうとしていた森下を、火村は呼び止めた。

「何ですか、火村さん」

 僅かに躊躇したものの、火村は濁りの無いハッキリとしたアクセントで森下に告げた。

「今度窺わせて頂く事が在りましたら、その時は助手を一人、同行させてもらっても構いませんか?」

「……助手…ですか」

 訝しぐ森下に、火村は

「はい」と歯切れよく応えた。

「友人に、まだ駆け出しの推理作家がいるんです。実は今、そいつの家に来ています。古くからの友人なんです。そいつを助手として同行させてもらっても構いませんか?まがいなりにも推理作家ですから、何かの役に立つかもしれません」

 森下は

「船曳警部に伝えておきます」と言い残して、電話を切った。

 絶対に見せたくないと思っていた。だが、有栖の本心を知った今、火村は隠し持っている手札を、有栖に少しだけ見せる覚悟を決め始めていた。

 それは、火村の傍観者でい続けると覚悟を決めた有栖に対しての、最低限の礼儀だと思ったからだ。火村の方は凡てを晒す覚悟はまだ出来ていなかったが、多分それを見せたとしても、何も毀れたりしないだろう。そんな確信が火村の裡には出来つつあった。

 ―――唯一愛した有栖を、信じよう。

 火村は胸ポケットに押し込めていた煙草を取り出しそれに火を点けた。銜え煙草の儘で、ミステリの世界の住人になっている有栖の部屋を覗くことにした。

 恐れる事はない。時間は幾らでも在る。

 もしかしたら永遠に訪れる事のない〃その日〃かも知れないが、例えその時が来ても、有栖はきっと、離れたりはしないだろう。

「―――アリス……」

 一言声を掛けて、火村はその扉を開いた。

 欠けた部分を埋めるために模索し苦悩する有栖の姿がそこに在った。

 振り返った彼の顔は、苦笑いを浮かべたそれで……。

 それでも、孤独な独りきりの作業を続ける有栖の顔には、何処にも迷いが無いように見えた。

「火村、どうしたんや?」

 手櫛で髪を掻きあげて振り返った有栖に、火村も微笑んだ。

 フィールドワークに同行させてやると云ったら、有栖はどんな表情を見せてくれるだろうか。素直に喜ぶだろうか、それとも……。

 ゆっくりと有栖の傍へ近づいて、火村はそれを切り出そうとしていた。

 だが、これだけは永遠に秘密だ。有栖がいなければ堪えられないと最初に想ったのは多分、自分の方だという事は、この際隠しておこう。

 知れば知る程深みに嵌まる。それは不可思議でひどく甘美な独占欲―――――。

「それにしても、腹へったなぁ〜」

 画面を睨みつけたまま、有栖は両手を上げて伸びをしながら軽くぼやいた。

「なんつーか、胃がスッキリしすぎっていうか…。朝っぱらからこんなに腹へることってないねんけど…。火村、なんか作って?」

「効いたんじゃないか、クスリ」

 火村は、その真実だけは教えてやることにした。

「は?」

「飲んだだろ?昨日」

「―――ええ…?……エエーッ!?」

 嗤いを噛み殺すのにひどく苦労しながら、火村は有栖に云ってやる。

「だから云ったじゃねぇか。〃胃薬かも〃って」

「ひ…、火村ァ!!おれを騙したなーっ!!」

「俺がお前に、そんな危険なクスリを本当に飲ませるとでも思ったのか?心外だな…」

 少し傷ついたような口調で云ってやると、眼を白黒させ、貌は真っ赤にしている有栖の様子が余りにも可笑しくて、ついには声を出して大声で笑ってしまった。

「き、君最悪やでっ!人のこと揶って……っ!」

「単純さもそこまでくると、いっそ芸術的だ」

 怒りまくる有栖とは裏腹に、火村は愉快そうに有栖を見遣った。

「君の狡猾な演技力に騙されただけやっ!火村のアホウ!!」

「まぁまぁ、そんなに怒るなよ。朝飯作ってやるから、それで機嫌直せ。リクエスト、何かあるか?」

 そう云った瞬間、有栖は怒った貌を僅かに緩ませ、嬉しそうに微笑った。













[END]
-Up-1998.09.6 19:05pm
-Rewrite-2003.08.08 09:15am

■COMMENT■

■それはそれは恐ろしい事実を暴露いたしますと、この『LOVE JUNK』というお話は、CAMEL BRAND9冊目の有栖川本でございました…。なんと、発行は1998年9月15日となっております…。
その後、『Jeanned’Arc』という再録本に載せたのですが、その本が発行されたのが、1999年12月25日(ちなみに、『Jeanned’Arc』はCAMEL BRANDの19冊目でした。その時期はいまほどジャンル掛け持ちしていなかったから、有栖川本の発行ペースも凄かった…)再録の時に加筆修正を施した…はずなのですが、そうとは到底思えないような誤字脱字を、今回も直しました…。信じられない誤字脱字クィーンぶりです、結城瑛朱…。

■さらに恐ろしい事実をここで暴露いたしますと…。この『LOVE JUNK』の初出の時は、なんと、結城が自分で表紙のイラストを描いていたんですね〜!その表紙は…余りにもお見苦しいものですので、とても皆様にお見せできるような代物ではございません…。せめてどんな雰囲気の本だったか…を再現するべく、このコメントページの配色は、本で使用したフォント、背景の色をそのままに再現させていただきました…。

■このお話は、火村さんと有栖の会話だけのモノローグ的な部分と、通常の小説形態をとった部分とで構成されています。会話部分だけのところは、初出では、やはりレイアウトデザインも他の小説部分とは異なっていました。それを再現するのは非常に難しいので…Web版では、背景の色を変えてみました。結城が作った本のなかで、視覚的なものを狙った小説本として、多分それを、初めて試みた本だったと思います。その後有栖川でも『Stoicism』とか、バトロア本とかで、視覚的作用を狙った小説本を作っていますが…。一番最初なだけに、相当苦労した本という印象が、今でも色濃く残っています。今回のWeb用の校正も…なにせデータが古過ぎて、文字化けしまくっていて大変でした…。この頃はまだ、ワープロソフトに〃OASIS〃を使っていたんですよね。書式レイアウトだけWordをつかっていたんですが…。いま思うと、面倒なことをしていたものだ…。

■今回、ラストを少しだけ加筆しました。飲んだ薬が実は胃薬だった…という事実は、本のほうにはございません…。本来はそういうオチをつける予定で書いていたはずなのに、再録の時でさえその事実をうっかり忘れて書き足さなかったんですね〜。これで、このお話に関しては、思い残すところがない…かな?(笑)
2003.08.08. 01:30am



 
(追記*2004年夏の本館改装時に、上に書いた壁紙の色とかも変えてしまいました…。現在は、そして↑に書いたCOMMENTページのフォントとか色とかも以前上げていたものとは異なります)


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