LaLaLa…
-Love Holic After Story-








 その事件の真相は、敢えて明らかにはしなかった。出来なかった……と、云った方が正しいのかもしれない。

 七年振りに再会した天農には、五歳になる可愛らしい娘がおり、憶測にせよ、その少女が今回、天農親子を襲った不運な事件のキーワードになっているかもしれないというその事実も、火村は結局、同行した有栖にしか明かさなかった。

 世の中には知らない方が幸せということもある。

 第一、今回この黒鳥亭で変死した男のその人生の末路は、自業自得といっても余りある。死んで当然と云っては乱暴過ぎかもしれないが、それに近いものはあったのだと、火村は思いたかったし、そう思い込んでしまった方がずっと気が楽ではあった。

 不吉な事件が立て続き、それを懸念した天農が有栖に電話を寄越し、火村と共に来てくれと云ってきたのだが結局、事件の謎は有耶無耶のまま終わらせることにした。

 しかし、鳴っとくしないのはこの奇妙で不可解な事件の舞台となってしまった黒鳥亭と名づけられた、この古びた屋敷の主である天農である。

 ……が、火村は態良く口先だけで旧友を丸め込むことが出来そうに無く、その役目は有栖に一任することにした。

 詳しい話は大してせず、有栖には真実であろう火村の打ち立てた忌まわしい仮説以外の可能性だけを天農に話しているようだった。

 有栖に任せて正解だった。フィクションのミステリをでっち上げることなら、それを生業とする有栖は適任といえる。この場で、彼以外にこの役割をまっとう出来る逸材はいないだろう。適材適所ということで、天農は有栖に任せ、火村は五歳の少女、天農の娘、真樹のお相手を買って出たのだ。

「火村さんは、うちのお父さんとは何時からお友達なの?」

 初対面の時には火村のことをイムラさんと呼んでいた真樹だったが、一度正しただけでちゃんと火村の名前を覚えたようだ。

「大学生の頃だよ。おじさんもアリスも真樹ちゃんのお父さんも、今よりずっと若かった」

「昔のお父さんは、どんなだった?」

 真っ白なワンピースのような寝巻きに着替えた真樹は、無垢な瞳で火村を見上げる。少女の巻き毛はビスクドールのようだ。天農の娘にしては出来が良すぎるとも思ったのだが、結婚式で一度だけ目にした天農の亡き細君を思い出し、火村はそうでもないかと思い直す。そう云えば彼女は、天脳には勿体無い程の美人だった。

「今とあまり変わらないな」

「それじゃ、アリスさんは?」

「やつはもっと、昔と変わっていないな」

「それじゃ、火村さんは?」

「……どうだろうな。自分では、良くわからないな」

 苦笑を浮かべ、火村は少女にそう答えた。

「アリスさんは不思議なお話を書いているって、お父さんが云っていたけど、不思議なお話ってどんなお話なの?」

 質問責めである。

 女嫌いではあるが、子供は嫌いではない火村は、根気良く真樹に付き合った。

 火村は暫し考えて、真樹の髪を撫でながら呟く。

「簡単そうでややこしいお話さ。いや……その反対なのかもしれない。ややこしそうで簡単なお話なのかもな。……そんなこと云ったら、アリスは怒るかもしれないが」

「どうしてアリスさんは怒るの?」

「自分では、むずかしいお話を書こうとしてるからさ。簡単そうでややこしい問題で、人を騙すのが奴の仕事なんだ」

「ふぅん……。それは、私でも読めるご本?」

「真樹ちゃんが、もう少し大きくなったら読めるようになるよ」

 辺鄙すぎる場所に住んでいる為、真樹は幼稚園にも通っていない。その代わり、一日中家の中で仕事をしている画家の天農が、真樹に読み書きを教えているようだった。

 黒鳥亭と名づけられたこの屋敷は、天農が叔母から相続した家だった。それはアメリカ映画で登場するリトルタウンに多く建っている下見板張りの二階家だった。外壁が凡て黒一色に塗られた屋敷だ。

 天農は、身内に縁が薄いのかもしれない。彼の父親は大学生の頃に他界している。そして真樹の母親も、既にこの世の人ではない。

「火村さんは、結婚してるの?」

 突然の質問だった。五歳にしはしっかりしている質問だったが、この会話の脈略の無さは、流石に幼女だと火村は苦笑する。

「いや、おじさんはまだ独身だ」

「ドクシンって?」

「お嫁さんわ貰っていないってことだよ」

「じゃあ、アリスさんは?」

「アリスも、まだ結婚してないよ」

「そうなんだ」

 何故だか、真樹はひどく嬉しそうに微笑った。

 真樹は期待に瞳を輝かせ、彼女専用の背の低いその椅子を左右に揺すりながら火村に訊ねたのだ。

「じゃあ、私が大きくなったら、アリスさんは私をお嫁さんにしてくれるかしら?」

 苦笑いをするしかなかった。一体、どのように答えたら良いのだろう。

 無意識に煙草を求め、着ていたジャケットの胸ポケットに手を伸ばしたのだが、子供の前での喫煙は些か気が引けて、それもやめてしまった。

 手持ち無沙汰になってしまった右手で、火村はぽりぽりと若白髪の目立ち始めた頭を掻いた。

「それは多分、無理だと思うよ」

 そうなのといいね……と、それこそ、子供騙しの嘘を云ってしまえば良かったのにと思うのだが……どうしても、子供に嘘は云えない。

「どうして?どうして、アリスさんは私をお嫁さんに貰ってくれないの?」

「それは……」

 明日を生きる目の前の子供に、一体なんと答えれば良いのだろう。

「アリスさんには、もうスキな人がいるから?」

「…………うん、多分ね」

 五歳でもやはり女である。火村が云うか云うまいか悩んでいた隙に、真樹はそれを言い当てた。そして火村は、何気なさを装ってそれを肯定することにした。

「ふぅん……そっか。それじゃ仕方が無いよね」

 思ったほどショックでもないらしい。真樹は腰掛けた椅子を足でブラブラとさせながら笑みを浮かべてそう云った。

「アリスさんが幸せならそれでいいんだ」

「―――そうだね」

 としか、答えられなかった。

「ネェ、それじゃあ、火村さんは?火村さんももう、好きな人がいるの?」

「いるよ」

 余りにもあっさりと火村は頷いた。子供相手だからという理由以外には、何も浮かばない。

「誰?火村さんが好きな人は誰なの?」

 そこでまたもや、火村は頭を悩ませることになった。

 背後では、ソファに腰掛けたまま、困惑した面持ちの天農に、有栖画しきりと何かを説明していた。そんな気配を感じながら、火村は片方の頬を歪ませて苦く嗤った。

「教えて。内緒にしておくから」

 瞬間的に恋に落ち、そして第三者の言葉で失恋を余儀なくされた五歳の少女は、それでも落ち込んだ素振りも見せず、子供らしい好奇心で瞳を輝かせている。

「―――それは……」

 と、かすかに言い淀み、人差し指で口唇をなぞりながら暫し考えた。

 ……が次の瞬間、ニヤリと嗤い真樹に向かってこう云った。

「真樹ちゃんがまだ読んだことの無いご本にでてくるんだ。おじさんが好きなのは、ミステリの国のアリスだよ」

 何をどのように納得したのかは定かではないが、少女は実に満足げに微笑み、優しげなメロディを口ずさみながら父親の方へと駆け寄っていった。

 ―――LaLaLa……

 無垢で罪の無い天使の歌声は、何かを探しているように、火村の耳に何時までも残った。

 

 

 

  [END]
-UP-2001.09.01 AM06:22

■COMMENT■

■10000hitが申告なしだったので(笑)…ということでもないのですが、10001hitを踏んで下さった増山さまのリクエストです。
10000hitを狙って下さってくれたようですが、全くの結城の独断と偏見でリクエストをお受けさせて頂きました(笑)
■…実はこのお話、次回作(2001年9月24日発行)の原稿と同時進行になってしまいました(笑)
お題目は「アリス本人でなくてもいいから、火村さんがアリスを好きというところを聞きたい」…という内容だったのですが…
偏屈なうちの火村さんは、まともに云いそうにないので…5月に発行した『Love Holic』の続編にさせて頂いて、
あの本では登場しなかった真樹ちゃんに出てきてもらった訳です(笑)

『Love Holic』で”十年後の約束”といっていましたが…まぁ、こんな形で、火村さんは(ひどく湾曲的にですが…)
アリスに告ってしまいました(笑)
結局、アリスには云ってないんですが(笑)その機会をくださった増山さま、リクエストありがとうございました!


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