君が好き 部屋の中が暗くなっているのさえ気づかずに、長いことキーボードを打っていた。 懐かしい音に誘われて、モニターの左奥にある窓を覗いてみると、建物と建物の狭間から、花火が見えた。 薄いカーテンを開ければ、その光景は更にクリアーなものになる。 地上の光が若干邪魔にも思えたが、其処には確かに、闇夜に浮かぶ花が咲き誇っていた。 何時の間にか、部屋の中は真っ暗になっていた。しかし、それも好都合。室内が明るければ、こんなにもはっきりと遠くの花火さえ見ることは出来ない。 時折音に誘われて花火を垣間見ながら、それでも有栖は、モニターに浮かぶ光の中に、文字を打ち込み続けた。 夜空に、刹那の花びらが散る。 随分離れた場所で打ち上げられているのか、音に誘われてふと窓に眼をやれば、有栖の視線が窓に映る頃にはもう、何時だって花火は散る寸前だ。 その儚さが、ひどく愛しい。だからこそ、美しいと感じるのかもしれない。 きらきらと輝く花火を見つめているうちに、小説を書く手が、完全に停止した。 暫くの間、だだじっと、窓の外に広がる花火に見入っていた。 何故だか、華やかさや陽気さを、微塵も感じない花火だった。夏の夜の、お祭り気分など、何処にも無かった。ただ、儚い綺麗さだけが、暗い夜の空に時折点在しているだけだ。 この暗い部屋で独り、遠くの花火を見続けることを、何故だかひどく苦痛に感じた。 殆ど、衝動的だった。 手を伸ばし、有栖は電話を掛ける。 「もしもし、火村?―――」 ワンコールで電話は繋がった。 「今、花火やってるで。そっちでは…見えへんよなぁ…」 どうだ、羨ましいだろうとでも云わんばかりの口調で、有栖は呟く。 風流なものだとか、凄く綺麗だとか。散々自慢げに語り、…しかし、それ以上の言葉など出てこなかった。 『―――で、おまえは何が云いたくて電話なんか寄越してきたんだ?』 相変わらずのぶっきら棒さで、火村は憎たらしげに呟いた。 「……折角なら、君と見たいと思っただけや」 ――――独りで見るのが勿体無いと思ったんや……。 途方もなく離れているというほどでもないが、取り敢えず京都と大阪というと、今この場では否応なく物理的距離を感じてならない。 『初めから、そう云えば良いんだよ』 低く、少し嬉しそうな笑いを含んだ声が、受話器から伝えられる。 『そっちへ着く頃にはもう、花火は終わってるかもしんねぇけどな』 「―――え?…あぁ!?」 それはどう云う意味なんだよ。 疑問を問い質す前にはもう、回線は切られてしまっていた。 花火が終焉を迎えるギリギリで、火村は有栖のマンションに現れた。 最後の少しだけを、火村と一緒に見ることが出来た花火。 好きな人と、一緒に見たかった。 ただ、それだけだった。 真夏の夜に、刹那の美しさが咲き誇る。 終焉は、訪れる。華々しく哀しげに、これでもかというほどに咲き誇り、瞬きを幾度かする間だけの、短い一生。 とても、美しかった。 独りじゃない。だから、そのあっという間に終わってしまうその美しさを見届けるのも、もう、怕くはなかった。 夏の夜の、火村との思い出が、またひとつ増えた。 [END] -up- 2002.07.28 20:06 |